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2022年3月

2022/03/31

■節子への挽歌5318:娘と孫と回転寿司

節子

今日は娘たちやにこと回転寿司に行きました。
最近の回転寿司は、なぜか美味しくないばかりでなく、ネタの種類が減っています。
季節のせいか、コロナのせいか、はたまたウクライナのせいか。
私は今日はほとんど食べられませんでしたが、にこはお寿司が大好きのようです。

その後、にこが図鑑がほしいというので書店に行きましたが、にこの欲しかった「鉱石」の図鑑がなかったので、違う本にすることになりました。
大人たちが勧める本はどうもにこには関心はなく、本当に欲しい本はジュンにダメ出しを出されそうなので、悩んでいいるうちに、またどれがいいと言え出せなくなってしまっているようです。
子どもは母親にはとても気を使うものだとよくわかります。

内緒でにこに、今度ママに内緒で買いに来て、その本は2階にしまうようにしようと提案しましたが、同意は得られませんでした。
それで結局、今回はジュンの意向に反した本を買うことになりました。

その前後に何回も走りっこ競争を挑まれましたが、もう勝ち目は全くないことが明らかになってきました。
そもそも走ることさえリスクがある。
歳をわきまえないといけません。

春休み中に一度くらいどこかに行こうと誘いましたが、だめでした。
やはり子どもは同じ年の子どもたちと遊ぶのが一番のようです。

 

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2022/03/30

■湯島サロン「不登校のリアル」報告

中学生の東翔平さんの「不登校のリアル」サロンは、事前の申込者を大幅に超えて20人の参加者がありました。当日参加の方も多く、関心の高さに驚きました。もう一つ驚いたのは、中高年の男性の参加が多かったことです。

Hutoukousalon
最初に翔平さんは、自らが不登校になった理由を話してくれました。集団行動でみんなに合わせろといわれる、それが正解を押しつけられるようで圧を感じた。そして自分が否定されているような気がした、と。

さらに、参加者の問いかけに応じて、翔平さんは思いをいろいろと話してくれましたが、母親の美希さんもそばで見ていた様子や感想を少し話してくれました。
話は盛り上がりましたが、持論を述べる人もいて、翔平さんの思いが十分にみんなに伝わったかどうかはいささかの不安があります。しかしそれぞれにみんな大きな気づきを持ち帰ったように思います。私もたくさんの気づきをもらいました。

翔平さんの体験の詳しい紹介はやめたいと思います。言葉では正確に伝える自信がないからでもありますが、翔平さんの事例を特別視したくないからです。むしろ翔平さんからの大きなメッセージをみなさんにもお伝えしたいと思います。

ただ翔平さんの話に関しては参加者のほとんどは肯定的に受け止めたように思います。
それは、翔平さんのメッセージが、「不登校を選択したからこその出会いや豊かな学びがあった」ということにポイントがあったからだと思います。つまり「不登校の是非」という問題設定ではなく、もっと本質的な問題提起だったからのような気がします。

このことの意味はとても大きいと思います。問題をどう捉えるかで世界は全く違って見えてきますし、解決策もまったく違ってきます。参加者との話し合いが時々ずれてしまったのは、そうした問題認識が違っていたからでしょう。
そのことが、今回のサロンの一番大きな気づきだったかもしれません。

翔平さんにとって、学校が居心地の悪い場所になりだしたのは中学に入ったからだそうです。小学校時代はとても楽しく学校に行っていた。しかし、中学校に入ってからは、最初に話してくれたように、どうも自分が否定されるような居心地の悪さが生まれてきた。その様子を見ていた母親の美希さんによれば、学校に行くことの負担が身体にも表れてきたと言います。夏休みで少し元気が戻ったそうで、明らかに毎日の学校が負担だったようです。次第に翔平さんは学校に行かなくなり、そしてそれがまた、精神的にも身体的にも負担を強めていったようです。

中学生になったら、楽しかった学校が居心地の悪い場所になってしまった。そこに大きな示唆があるような気がします。個人の主体性が育ってくるのと関係があるように思うのです。生徒自体の意識が大きく変わるのに、学校の管理指向は変わらない。生徒に合わせて学校が設計されているのではなく、学校に生徒が無理やり合わせられるようになっているのかもしれません。そうであれば、不登校は健全な反応のようにも思えます。
夏休みには少し元気が戻ってきたということにも大きな示唆があるように思います。

しかし、翔平さんは不登校に関して、考え方が変わっていきます。
その契機になったのは、学校に行かないおかげで自由になった時間で、母親の知り合いに会ったり、近くのお店の手伝いをしたり、旅行をしたりしたことです。翔平さんの場合、不登校が後ろ向きの引きこもりに向かうのではなく、さまざまな体験のできる前向きの時間を生み出してくれたのです。
言い換えれば、学校への引きこもりからの解放と言ってもいい。自分で学ぶ自由を得たと言ってもいい。

そうしたいろいろな体験が翔平さんの意識を大きく変えていったようです。
いまの翔平さんはこう言います。
「不登校」は問題とされることもありますが、ぼくはそうは思いません。むしろ、学校に行くことが強いられるのはおかしいと思います。
翔平さんは、学校では学べないようなたくさんの学びを体験したのでしょう。つまり、「不登校」は学びの場からの離脱ではなく、逆に学びに向けての前向きの選択肢を用意してくれたのです。

そこで思い出すのが、ウェーデンのグレタさんです。彼女は高校生の時、政府の温暖化対策に抗議するために学校を休み、国会議事堂前で2週間座り続けました。彼女が使ったプラカードには、「気候のためのスクールストライキ」と書かれていました。誰も彼女を不登校とは思わなかった。グレタさんは学校に行くよりも大事なことに時間を向けたのです。主体性が育ってきた子どもたちを、一律に学校に閉じ込めておくことは無理がある。グレタさんに限らず、欧米の若者たちは、学校以外の場でも活躍し、世界を変えてきています。
ここからも学ぶべきことはたくさんある。

当然のことですが、社会には学校以外にたくさんの学びの場があります。学校はその一部でしかない。しかし、日本では多くの人が学校だけが学びの場と考えて、学校に行かないと学べないと考えているように思います。そのため、「不登校」が否定的に捉えられやすい。しかし、学校制度がさまざまな豊かな学びの場を見えなくしてしまっていると言ってもいい。
事実、今回参加したほとんどの人は、学校(最近さまざまな学校が出てきていますが)への登校は当然という認識にいまだ呪縛されているように感じました。

もう一つ気になったのは、不登校を前向きにとらえ、豊かな学びの場を体験した翔平さんの話を、幸運に恵まれた特別な事例と捉える人が多かったことです。
なかには理解ある家族、幸運なめぐりあわせなどを指摘する人もいました。
私自身は聞いていて、なんだか違う気がしました。

学校には行かなければいけないのだという考えを捨てて考えれば、もっと素直に翔平さんの選択を受け入れられ、そういう子どもたちへの対応策が見えてくるはずです。
翔平さんは、学校も学びの一つとして、いわば「不登校」を活かす体験をしたのだと思いますが、どうしたら他の人もそういう学びができるかを翔平さんの体験から学んでいくことができるでしょう。でも彼の事例を特別視してしまったら、そういう学びは得られない。

これは確認できませんでしたが、翔平さんは決して学校や先生を否定しているのではないと思います。
サロンでは学校という仕組みや先生の資質に関しても話題になりましたが、翔平さんや母親の美希さんも、それと敵対しようなどとはまったく思っていない。むしろもし仕組みが悪いのであれば、先生と一緒になって、仕組みを変えていけないか、と思っているように感じました。そのためにも、「不登校のリアル」を先生たちもしっかりと把握し、不登校を活かした学びの場づくりを希望しているように感じました。

ともすると私たちは問題が発生すると誰かのせいにして対立構造を創り出しがちですが、対立からは何も生まれない。関係者が一緒になって、問題を正しく設定して仕組みや意識を変えていくことの方が効果的です。

もう一つ書いておきたいことがあります。
参加者から、不登校に関して父親はどう対応したかという質問がありました。
翔平さんの父親は、バングラディシュ出身です。ですから日本人とは学校の捉え方が違うのです。だから息子が「不登校」だと言っても、日本人の父親とは受け取り方が違うようです。
これは翔平さんの場合の特殊事情ですが、とても示唆に富む話だと私は思いました。

長くなってしまいました。
書きたいことはまだまだたくさんありますが、このくらいでやめます。

今回のサロンは、翔平さんにとっては思いを発する初めての場だったので、言い残したことがたくさんあるでしょう。話しあっていて気づいたこともあるかもしれません。それをもっとしっかりと聞き出すことができなかったのは、私の失策でした。
できれば改めて、今回、事故で急に欠席になってしまった大学生や高校生も入れての不登校話し合いサロンを企画したいと思います。同世代のほうが翔平さんの思いをうまく引き出してくれるでしょう。今回、そのことも実感しました。

翔平さんは、自分が体験した「前向きの不登校」「明るい不登校」をいろいろな人に話していきたいと言っています。
もし翔平さんの話を聞きたいという方がいたら、ご連絡下さい。
もっとも4月から翔平さんも高校生ですから、忙しくなるかもしれませんが。

書きたいことのほんの一部を書いただけですが、いつもの倍に長さになってしまいました。どなたか補足があれば、ぜひフォローしてください。いろんな人が参加してくださいましたので、受け止め方もさまざまだと思いますので。

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■節子への挽歌5316:食欲と味覚がだいぶ戻ってきました

節子

書くことがたくさんあって、なにを書こうか迷います。
この1か月、あまり挽歌を書かなかったのですが、いろいろとありました。
まあ毎朝のおまいりで、節子にはなんとなく報告はしていましたが、あまり元気が出る1か月ではありませんでした。

今月は3人の人から野菜をもらいました。
まずは霜里農場の金子友子さんから有機栽培の野菜をもらいました。
続いて相談に乗った我孫子の友人からは、近くの農家の人からもらった野菜のおすそ分けをもらいました。
3人目は、阿希菜ファームの木名瀬さんから人参とブロッコリーです。
宮城にある農場からの取り立て野菜だそうです。

最近、風邪をひいて以来、どうも味覚がおかしくなりなかなか戻りません。
しかし、加工食品はだめですが、お米と野菜の味は変わらない。
特に野菜のおいしさは変わらない。調理すると少し変わってしまいますが。
やはり私には植物が一番向いているようです。

節子がいた頃は近くの空き地を借りて野菜作りをやっていました。
私もそれを引き継ごうと思って少しがんばりましたが、だめでした。
野菜を育てるのは毎日の手入れが大切なのです。
私にはそれができない。
こうした野菜をもらうとその時はちょっと再挑戦しようかと思うのですが、実際にはすぐに諦めてしまう。
困ったものです。

3人からもらった野菜はどれもおいしかった。
そのおかげで食欲も味覚もだいぶ戻ってきました。

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■宮庄さんの新著「新型コロナ真相 謎とき紙芝居」のお勧め

今年初めに湯島のサロンでも、ワクチンの話をしてくださった宮庄さんが、コロナに関するとてもわかりやすい本を出版されます。
「新型コロナ真相 謎とき紙芝居」。クラブハウスから420日出版予定ですが、現在、アマゾンで予約受付中です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4906496644/

 宮庄さんは、「これ1冊でコロナ騒動の真相を1から10まで理解することのできる唯一の本」と言っています。というのも、この本は専門家が書いた本ではなく、宮庄さんご自身が自らの疑問を出発点にして、一市民の視点で調べ上げていったことを、これも普通の市民たちに説明しながら、どうしたらわかりやすくなるか工夫しながらまとめあげてきたからです。本の大筋はすでに一昨年末に完成していたそうですが、その後、いろんな場でたくさんの人たちに話し合いながら、内容を整理してきたのだそうです。

そのおかげで、話したいことを書くよりも、知りたいことを書くという、まさに読者視点になっているとともに、文章だけではなく、図表やイラストをふんだんに使いながら、しかも1テーマ1ページという、紙芝居スタイルですので、とてもわかりやすいのです。

私もいくつかの図表やイラストを見せてもらいましたが、タイトルが興味をそそられる謎解き風になっていますので、ついつい引き寄せられてしまいます。
しかも、宮庄さんは、ただ読んで終わりではなく、実践・実戦用の資料集をめざしたと言っていますが、周りの人の疑問にも答える上でとても役に立つ資料に仕上げられています。

新型コロナに関しては、まだまだわからないことが多いのですが、わからないが故についつい納得できないままに世間の風潮に流されてしまっている人も少なくないでしょう。

宮庄さんは、コロナ脳からの攻撃や同調圧力への防御などにも役立つはずだと言っています。
まだ出版はされていませんが、ぜひ多くの人に読んでもらいたい本です。

 詳しい内容はアマゾンのサイトをご覧ください。
https://www.amazon.co.jp/dp/4906496644/

 

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2022/03/29

■節子への挽歌5315:またまた挽歌から遠ざかっていました

節子

また挽歌をしばらく書きませんでした。
なんだか最近、精神的なゆとりがなくなってきているのです。
なんだかゆっくりできない。
まあ実にいろんなことがあります。
困ったものです。

しかしかなりいろんな問題が山を越え、落ち着きだしてきました。
今度こそ挽歌を復活できるでしょう。
また4週間近く、遅れを取ってしまいましたが。

挽歌との付き合い方で私自身の心身の状態がわかります。
今回は、精神面だけではなく、体調も長いこと、どうももうひとつでした。
まだ食欲が完全には戻っていません。
何を食べてもおいしくないのです。
だいぶよくはなってきていますが。

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2022/03/28

■湯島サロン「ジョーカー予備軍が語る〈邪道と王道の幸福論〉in 2022」のご案内

今回も若い世代からのメッセージに基づいて話し合うサロンです。
若い世代の目からの本質的な問題提起には気づかされることが多いと思います。

話し手は自称「ジョーカー予備軍」の牧野さんです。
自らの世界観や人生観をさらけ出してお話しいただけるとのことですので、参加者も知識で対応するだけでなく、ぜひ心を開いて、素直に受け止めていただければと思います。

まずは牧野さんからのメッセージをお読みください。

あなたは今、幸福ですか? 友人は居ますか、愛する人は、仕事は、親族とのつながりは、収入は、社会的地位は?
もし仮に、それらをすべて失って、代わりに精神疾患と自殺願望と社会に対する絶望,敵意.復讐心を持っているとしたら、あなたは何を思うでしょうか?

私の答えはこうです。「何もかも笑い飛ばしてしまおう。"人生"という名のくだらないゲームを、踊るように楽しもう。どうせ失うものなど何もないのだから。」

こんにちは、牧野という者です。怪しい宗教の勧誘ではなく、湯島サロンのお誘いです。
今回のサロンは、ジョーカー予備軍を自認している社会不適合者の私が、以下の2点について語る回でございます。

①どのような経験が社会に対する絶望、怨恨、敵愾心を深めていったのか?
②それらの感情を忘れ、充実した日々を送るのに役立ったものとはなにか?

巷に溢れる模倣犯よりもよほどジョーカーとの共通項が多い私が、なぜ社会に復讐をせずとも笑っていられるのか?
常識や倫理とは逆方向にある「邪道」な幸福論の一端を持ち帰っていただければ幸いです。

本サロンの目的は「好奇心を持って、相互理解と相互学習を深めること」です。
私たちの価値観や立場はひとりひとり違います。ですがせっかく話し合う機会があるなら、「その違いがなぜ生まれるのか?」について語りませんか。
それはきっと、新たなジョーカーを生み出さないためにも役に立つはずです。

逆を考えてみれば分かりやすい。「社会に恨みを持つ人間をたくさん作るにはどうすればいいか?

答えは簡単です。
自分の正しさを信じて疑わず、違いを認めず、異端者は排除して居なかったことにして見ぬ振りをすればいい。臭いものには蓋をして、出る杭は打てばいい。ある一つの価値観を押し付ければいい、それにそぐわないものはふるい落せばいい、社会的弱者を叩けばいい、福祉に守られている人々を憎めばいい。そういう人が多数派の社会では、きっとたくさんのジョーカーが生まれてくれることでしょう。

社会問題を作り出すのは「ふつうのひと、善良な一般大衆」の価値観です。知らず知らずのうちにジョーカー予備軍を育てないために、ニュースで見かける理解できない異常者を同情の余地がある1人の人間にするために。好奇心を持って、相互理解と相互学習を深めましょう。

異論反論質問、大歓迎です。
是非、若造の机上の空論をぶち壊しに来てください。お待ちしております。

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以上が牧野さんからの呼びかけです。

とても納得できるとともに、気になるメッセージです。
〈邪道と王道の幸福論〉とは何なのか。そもそも〈邪道と王道〉とは何が違うのか。
昨今の社会状況においては、いずれが広がっているのか。

まだ20代の牧野さんの生き方や人生観の変化からたくさんの示唆をもらえそうです。
いや、示唆ではなくて、悩ましい難題をもらうかもしれません。
それもまた良しです。

世代を超えて多くのみなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2022年4月10日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ジョーカー予備軍が語る〈邪道と王道の幸福論〉in 2022
〇話題提供者:牧野真也さん(ジョーカー予備軍を自認する幸せな若者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■「国家間の戦争」か「国家による市民の殺傷事件」か

ウクライナ戦争の報道は相変わらずよくわかりません。

ほとんどの報道は「ロシア対ウクライナ」という国家間の戦争と捉えています。
前にも書いたとおり、私は「国家対市民社会」との争いと捉えていますので、まだその意味での戦争は始まっていません。国家権力は存在しますが、戦いの相手である市民社会がまだ成立していないからです。

そろそろ銃砲の向きが変わるのではないかと思っていますが、なかなかそうならない。
むしろクーデター説のように、国家内部の権力争いの話が出て来てしまっていて、やはり国家という制度はまだまだ盤石のようです。

「立ち上がること」に関して前に書いた記事に関するコメントを読ませてもらうと、みんな全く理解していただいていないようですが、国家間の戦争に関しては、私は「立ち上がること」はありません。立ち上がったらいずれにしろ国家の側になるからです。

言い訳がましいので書くつもりもなかったのですが、いろんな人からメールまでもらうので、蛇足と思いながら書くことにしました。

 

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■3月2回目のオープンサロン報告

前回のオープンサロンは「ウクライナ」と「ワクチン」の話になったので、テーマもなく自由に軽く話し合うオープンサロンをもう一度開催しました。
ご案内の通り、今回は、ちょっと「めずらしい珈琲」が手に入ったのでそれを味わいながら、です。

めずらしい珈琲とは、コピ・ルアクです。ご存知の方もいると思いますが、野生のジャコウネコが摂食した珈琲豆が消化されないままに排泄されたものをきれいに洗浄して乾燥させた後、焙煎したものです。
ジャコウネコの腸内に存在する消化酵素の働きや腸内細菌による発酵の働きで、珈琲に独特の香味が加わるとともに、腸内発酵により、カフェイン含有量は、通常の珈琲に比べて、およそ半分に減ると言われています。
その希少性から世界で一番値段の高い珈琲と言われていて、喫茶店で飲むと一杯5000円以上だとも言われています。

私はある人からインドネシアのお土産で無料でもらいました。
以前ももらったことがあり、湯島でも何人かに提供しましたが、だれ一人おいしいと言わなかったので、結局、捨ててしまいました。価格と価値とは全くつながらないことがよくわかります。

今回またいただいたので、もう一度、湯島のサロンで出すことにしましたが、やはり評判はもうひとつでした。
本来なら煮出して上澄みを飲むというやり方を試みたかったのですが、面倒なので沸騰したお湯を注いで上澄みを飲む方式にしたのがよくなかったかもしれません。
珈琲を淹れる場合は、やはり手を抜いてはいけません。
しかし、お代わりをした人もいましたし、まあ少しは話題になりました。

ちなみに、コピ・ルアクより高いものとしてタイにいた友人からむかしゾウの糞から採取する珈琲豆の話を聞いたことがあります。一度、飲んでみたいのでもしどなたか入手したらぜひ試飲させてください。

ところでサロンでの話し合いですが、後半は少しまとまった話になりました。
いずれも参加者が提供してくださった話題です。

一つは仲谷さんの視覚的媒体を活かしたコミュニケーション・ワークショップの話で、これは一度、サロンでやってもらったことがありますが、もう一度、再挑戦したいという話でした。
もう一つはこれも継続的に話題提供してくださっている竹形さんの地域SNSを活用したコミュニティづくり活動です。今回はメンバーの所在がわかり会いやすくするためのQRコード端末を手づくりしてきたものも紹介され具体的なイメージもだんだん見えてきました。これもできれば一度、サロンをやってもらいたいと思っています。

サロンを開催したい方は、ぜひ一度、オープンサロンで話題を紹介してもらえればと思います。関心を持つ人がどれほどいるかがわかります。
来月もオープンサロンは2回開催する予定です。

Open20220326

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2022/03/27

■またまた牛乳ピンチ??

昨日の朝日新聞の夕刊のトップ記事は「春休み またまた牛乳ピンチ」という見出しの記事でした。
それによれば、春休みや大型連休で学校給食がなくなる5月にかけて、牛乳の原料となる生乳が余り、廃棄される恐れが再び浮上しているというのです。

昨年、牛乳が余って廃棄されるというので、それまでほとんど飲んでいなかった牛乳を毎日、2回も飲むようにしました。そのためお腹を壊してしまい、以来、どうも胃腸の具合が戻りません。困ったものです。
しかしなんとか廃棄の危機は回避されたということで喜んでいました。

にもかかわらず、またまた廃棄の危機!?
どこかおかしいでしょう。
先日の電力危機もおかしかったですが(背後の意図をついつい勘ぐってしまいます)、何かがおかしくなっている気がします。

さらにあきれたのは、その記事に、ホクレン農協連合会が「これまで生乳をつくれつくれと言っていたのに、今度は余ったから生産を押さえろという。そんなにコロコロ変わる農政はおかしい」と訴えていることが紹介されていたことです。
これを読んで心底呆れました。
ホクレン農協連合会はすべて「農政」に丸投げしていたということでしょう。それではちょっとしたことで廃棄の危機に見舞われるはずです。よくまあ、こんな発言を恥じらいもなくするものです。ホクレンはまともな組織なのでしょうか。

もう牛乳廃棄回避には加担しないことにしました。まずはホクレンのような無責任な組織をなくすことに協力したいです。これまで飲んでいた牛乳ももう飲むのをやめることにしました。まともな酪農家の牛乳なら飲もうとは思いますが、スーパーの牛乳はもう飲むのをやめることにします。

これできっと胃腸の調子も回復するでしょう。いやそうなればいいのですが。

 

 

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■緊急サロン「ウクライナ戦争のもうひとつの捉え方」のご案内

今回は、いささか危ういサロンです。
時間もいつもより1時間長い3時間サロンです。始まりも午後1時からです。

9.11の後、アメリカでは一気に反テロナショナリズムが高揚し、流れが変わりました。
それにつづくアフガニスタン侵攻、イラク侵攻は、世界を大きく変えてしまいました。
その出発点は、あの衝撃的世界貿易センターツインタワーに飛行機が衝突する映像でした。事件の真相は必ずしもまだ明確にはなっていませんが、あの映像が多くのアメリカ人の価値観を変え、歴史を変えたことは間違いありません。

最近のテレビは、ウクライナ戦争の映像を毎日流しています。
日本の場合、テレビ報道はウクライナの視点での報道が圧倒的に多いために、プーチンの狂気が戦争を起こしているという思いを多くの人は持っているようです。
しかし、その一方で、ネットの世界では、プーチンの視点での情報も少なくありません。私もそれなりにそういう情報にも接していますが、その違いの多くは、時間軸の違いや責任(原因)の捉え方の違いですが、なかには、実際に流されている映像そのものへの真偽を問うものもあります。

最近の映像技術をすれば、どんな風景も編集できるでしょうし、どんな物語も創り出せるでしょうから、映像だからと言って、それが現実だとは言い切れません。しかも映像情報の多くは断片的な情報ですし、そもそも情報源そのものの信頼性も確認しようがありません。いずれの側のものも、疑いだせばきりがありません。

でもいずれにも、なにがしかの真実があり、なにがしかのメッセージがあるはずです。
そこで、今回は、テレビや新聞情報だけではなく、ネット情報や「裏情報」を以前から幅広くフォローしてきているおふたりの方に、「ウクライナ戦争のもうひとつの捉え方」を紹介してもらい、「常識」とはちょっと違った視点で、ウクライナ戦争を考えてみたいと思います。

日本では、プーチン狂人観が広がっていますが、そう考えてしまえば、すべては狂人の成せる話になってしまい、思考が停止してしまいます。そんなに簡単な話ではないはずですが、テレビが創り出す勧善懲悪的な物語に疑問を持つ人が少ない。今回、話題提供してくれるおひとりの中嶋さんは、最近の日本人は、人間に対する想像力そのものを失っているのではないか。プーチンに関してもしっかりと焦点を当てたいと言っています。
そんな話も話題にできればと思います。

ちなみにこれは、単にウクライナ戦争だけの話ではありません。
世上に出回っている「マスメディア情報」をどう受け止めるか、というメディアリテラシーに関わる問題であり、いわばその一つのケーススタディということでもあります。
どんな情報にも虚実の両面があることに気づけば、自分の考えにもまた疑うべき面があることに気づくかもしれません。そうすれば、自分の考えを他者に押しつけることもなくなるでしょう。自分を問い質すいい機会になるかもしれません。

なお、はじまりの時間をいつもよりも1時間早めて、午後1時スタートですので、ご注意ください。
みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2022年4月17日(日曜日)午後1時~4時
*いつもよりも始まりの時間が1時間早いのでご注意ください。
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ウクライナ戦争のもうひとつの捉え方」
〇話題提供者:中嶋一統さん+北川泰三さん(情報ウォッチャー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2022/03/26

■立ち向かう相手は誰か

今朝の朝日新聞の「異論のススメ」で、佐伯啓思さんが『「ロシア的価値」と侵略』と題した寄稿で次のような問いかけをしています。

今日、われわれはむき出しの「力」が作動する世界へ移行しつつある。ユーラシア大陸の中央部と東西の端はかなり異なった文明を持っている。西洋、アジア、ユーラシアの大国を舞台にした文明の衝突が起きる時、日本は、そのはざまにあって、前線に置かれる。その時、日本はどのような立場をとるのだろうか。

そして、さらにこう問いかけます。

状況次第では、日本も他国からの攻撃の可能性を排除することはできない。今回の事態(ロシアによるウクライナ侵略)は決して他人事ではない。果たして、われわれは、火炎瓶を作ってまで自衛しようとするウクライナの市民のように命がけで立ちあがるのであろうか。

これは前回の湯島でのオープンサロン以来、私も考えていることです。
というか、20代の頃から自問自答していた問いなのです。
自問自答だけではなく、30代の時にはある財界人から問いかけられ、話題にされたこともあります。その時、私の思いは相手にはほとんど伝わりませんでした。弁明の機会がないまま、その人はもう亡くなってしまいましたが、たぶん説明しても伝わらなかったという気もします。

この問いかけには、一つ、重要な要素が抜けているからです。
それは、「立ち向かう相手は誰か」です。
ウクライナ国民はいま誰に向かって立ち向かっているのか。
そこにこそ大切な意味があるような気がします。

ただ立ち上がればいいわけではありません。

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2022/03/24

■第20回万葉集サロン「〈わ〉を見つめることから始まる〈語り〉への憧憬」のご案内

前回、升田さんは、これまでの万葉集サロンの流れを振りかえるとともに、万葉集を読んでいく上での基本的なことの復習をしてもらいましたが、最後にまた新しい話題として、「かなし」と「さぶし」を取り上げてくれました。
今回は、この「さぶし」をさらに読んでいこうということになりました。

升田さんからの呼びかけです。

前回、「かなし」と「さぶし」という情語を取り上げました。「さぶし」の「寂しい、淋しい」は、個人にとってとても重要な感情でありそれを表現する古代の言葉としての意味に触れたものでした。それは、「た」の中の「わ」「な」を客観的に捉えたとき深化してゆく「自己」への意識の深化でもあると思われます。

「自己」を見つめる目は「他者」を見つめる目を同時に育て、「語り」たい意識が人の思いの中にあるのに気づくことになる。ここに「神語り」ではない「人語り」が始まります。

日本には叙事詩が発展しませんでしたが、万葉集は、育たなかったそれの胎動が、忙しく何かに働きかけている世界を見せています。
叙事と抒情。
そんな話をしてみたいと思っています。

以上が升田さんからのメッセージです。

「神語り」から解放されて自己に目覚めた万葉人たちが、どう語りだすのか。
人の「意識」はどうやって生まれ、育ってきたのか。
とても楽しみです。

万葉集を読んだことのない方も含めて、どなたでも歓迎です。
升田万葉集サロンは、万葉の歌を楽しむだけでなく、私たち日本人の誕生にもつながる大きなテーマも追いかけていますので、そんな関心のある人にもお勧めです。
気楽にご参加ください。

〇日時:2022年4月16日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「〈わ〉を見つめることから始まる〈語り〉への憧憬」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2022/03/21

■3月オープンサロンのご案内

3月2回目のオープンサロンのご案内です。
急なことですが、今度の土曜日に開催します。

いつものようにテーマはなく、出入り自由な気楽なサロンです。
前回は、ウクライナ戦争とワクチンの仕組みでいつも以上にテーマサロンになってしまいましたが、今回は大きな話題はできるだけ避け、参加者のたわいのない日常の無駄話に徹せられればと思います。
どなたでも気楽に「話し」に来てください。もちろん「聞き」に来ていただくのも歓迎です。今回は力説や長話はご遠慮ください。

なお今回はもしかしたら、ちょっと珍しいコーヒーをご用意できるかもしれません。
確実ではありませんが。
サロンに前後にでも上野の桜を楽しんでもらえればとも思います。

〇日時:2022年3月26日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■3月オープンサロン報告

3月1回目のオープンサロンは、前半はテーマなしとしましたが、後半はご案内の通り、「ワクチンについてもっと知ろう第4回目」にあてました。そのせいか、平日にもかかわらずに10人を超す参加者がありました。

前半は、特にテーマを決めずにスモールトークの予定でしたが、ウクライナ戦争をどうみんな受け止めているのかを知りたくて、気楽に問いかけたら、話し合いが燃え広がってしまい、なかなか終わらないほどでした。

感想を述べれば、報道の受け止め方も含めて、実にみんなの意見が多様だったことです。
ウクライナ国民の立場の意見もあれば、プーチンの立場もあり、新アメリカの立場もあれば、新ロシアの立場もある。実に多彩でした。
時間軸もさまざまで、この数週間だけを見ているわけではありません。これがネット時代なのだと改めて感じました。

プーチンが悪いとか、プロパガンダだとか、ゼレンスキーも信頼できないとか、国外避難者の人数が多すぎるとか少なすぎるとか、といった議論はもちろんありましたが、ほとんどの人はテレビ情報にしろネット情報にしろ、鵜吞みにはしていないように感じました。私には、みんなこんなにも情報に対して懐疑的なのかと驚くほどでした。

最後にちょっと、もし自分だったら踏みとどまって武器を取るかどうかと問いかけましたが、意見は分かれました。2つにではなく、3つに、です。これはいつかまたテーマにしたいと思います。

後半の「ワクチン」セッションは、益田さんが前回の補足の説明をするところから始まりました。
益田さんは、今回もまた新しい比喩を考えてきてくれて、たくさんの部屋と廊下を持つ住宅モデルを使って、ウイルスの侵入や免疫やワクチンの仕組みをていねいに説明してくれました。そして個々の質問にも応えてくれたので、ワクチンに関する理解はみんな深まったと思います。

ただ私自身は、ますますわからなくなってきました。私の関心は免疫機能やワクチンの仕組みというよりも、ワクチンを接種するといったい何が起こるのか、自己と非自己の関係がどう変化するのかというところにあるのですが、ウイルスとワクチンとの関係も気になりだしました。

新しいことを知ると、それを上回るたくさんの知らないことに気づくことで、ますます疑問が増えてしまうのですが、私が質問すると頭が混乱すると参加者のおひとりから指摘されてしまいました。どうも、流れに沿わない私の質問が、参加者の人たちの理解を妨げる結果になってしまっていたようで申し訳ないことをしてしまいました。

そんなやりとりなのなかで、いささか言い訳ですが、「知る」ということは一体どういうことなのだろうかというところに引っかかってしまいました。「わかった」と思うことは、「もうこれ以上知らない世界に目をやるのはやめよう」ということかもしれません。そんな気がしてきました。これもサロンのテーマとしては面白そうです。

さて今月はもう一度、オープンサロンを開催すると案内していましたが、急ではありますが、今度の土曜日の26日に開催させてもらいます。
今度こそ、テーマなどない、静かなオープンサロンにしたいと思います。
ちょっと珍しいコーヒーを用意して置く予定です。たぶん、ですが。

Open202203

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■報道への対抗力を高めたいと思います

クラウゼヴィッツは「戦争論」で、戦争とは暴力によって自分の意思を相手に押しつけることと定義しているようですが、今回のウクライナ戦争はまさにその意味でのわかりやすい戦争のように思います。しかし、発生している状況は、それほどわかりやすくはありません。

さすがに最近は、一方的な報道だけではなく、さまざまな視点からの報道に接することができるようになっていますが、同じ映像さえもが全く真反対に解釈する人がいるのに、改めて映像情報の持つ多義性を思い知らされています。

クラウゼヴィッツに倣って、「報道とは 映像(言語・文字)によって 自分の意思を 相手に押しつけること」と言いたい気分です。
大切なのは、その「報道」を受けて、自らとしてどう解釈し、自らの生活につなげていくかだろうと思います。

ちなみに、今回のウクライナ戦争の報道に接して、私のテレビ報道への信頼感が大きく回復しました。テレビをあまり見ない人が私のまわりにも少なくありませんが、そういう人たちが生きている世界とテレビをよく見ている私の生きている世界との差があまりに大きくなっているのが、いささか心配ですが。おそらく新聞を毎日読んでいるかどうかも大きな違いを生み出しているのでしょうね。どの新聞を読んでいるかの違いよりも、そのほうがむしろ気になります。

 

 

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2022/03/19

■節子への挽歌5314:久しぶりの布施弁天とあけぼの農業公園

節子

お彼岸なので、家族でお墓参りに行きました。
その帰りに、近くの布施弁天に寄りました。
今年はお正月に来なかったので、初めてです。
節子と一緒に毎年、年初めには必ず初詣に行っていましたが、最近は初詣ではなく少し遅れて言っていました。
以前に比べるとだいぶ変わりました。
裏のほうもだいぶきれいになっていました。
今まで気づかなかっためずらしい石仏も見つけました。

布施弁天の近くのあけぼの農業公園はまだパンジーだけでしたが、チューリップもかなり育っていました。もうじき見事な花畑になるでしょう。
梅は咲いていましたが、桜はまだ一部の河津桜だけしか咲いていませんでした。
ここも節子がいなくなってから、あまり来なくなりました。
思い出がありすぎる場所のひとつでもあります。

にこに挑まれて徒競走しましたが、かなり大きなハンディをもらっても勝てませんでした。
4回も挑まれましたが、最後は目標を私の目の前に置いたのですが、同時着でした。
どうももうにこには勝てそうもありません。困ったものです。
次は馬跳びの馬。にこはともかくよく動く。

実は最近、にことの関係があまりよくないのです。
先日は「おさむさんは嫌いだ」と面と向かって言われてしまいました。
困ったものです。今回もご機嫌取りに、本屋に本を買いに行こうかと誘ったのですが、同意を得られませんでした。
でも、甘いものが食べたいなといったら、キャンデイをくれました。
子どもには嘘は全く通じませんから、嫌われた原因を見つけて直さなければいけません。
まあ嫌われるのはそれなりに慣れてはいるのですが、純真な幼児に嫌われるのは大いに反省しなければいけません。
困ったものです。

 

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2022/03/17

■湯島サロン「平将門の居館は我孫子市にあった!」のご案内

今回は、少し歴史に遊んでみようというサロンです。
平将門については、みなさんはどういうイメージをお持ちでしょうか。
人によって、そのイメージは大きく違うと思いますが、権威に抗う者というイメージは共通しているのではないかと思います。

平将門は平安時代中期の関東地方の豪族の一人ですが、「平将門の乱」で有名のように、平氏一族の争いの中で、朝廷に反旗を翻し、一時は「新皇」を名乗ったとも言われています。アメリカの研究者の中には、平将門こそ、「ファースト侍」だという人もいますが、将門にまつわる遺跡や言い伝えは関東各地に今なおたくさん残っています。
また将門は崇徳天皇、菅原道真と並んで日本三大怨霊の一人としても有名で、将門の鬼塚も各地にあります。

その将門の居館がどこにあったのかは、諸説ありますが、数年前から、千葉県の我孫子の湖北地区こそその居館があった場所だと主張しだした人がいます。それが今回、お話しいただく戸田さんです。

戸田さんは、思い付きでそう話しているわけではありません。
将門に関する数少ない資料のひとつ「将門記」をじっくりと読んだ結果の結論なのです。
そしてその痕跡がないかを歩いて確認、歩けば歩くほど確信を得てきました。そして最近は共感者も少しずつですが増えてきています。

今回は、戸田さんが、なぜ将門の居館が我孫子にあると考えたのか、そしてそれを裏付けるものは何なのかを、話していただこうと思います。
戸田さんのお話から、新しい歴史の真実が見えてくるのを、追体験する面白さをぜひ味わってください。これを踏まえて、日を改めて我孫子に残る将門ゆかりの地を歩くツアーも企画したいと思っています。

みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2022年4月4日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「平将門の居館は我孫子市にあった!」
〇話題提供者:戸田七支さん(我孫子の文化を守る会会員)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■おすそ分けできる生活を取り戻したい

今日は午前中、近くのサイゼリアで友人の相談?にのっていました。

相談といっても、なにやら雑談の相手だけだったような気もしますが、そのお礼に野菜をもらいました。
そう言えば昔はこういうことが多かったのです。茨城県のあるまちの住民たちの相談に乗っていたことがありますが、その時には行くと帰りに野菜などのお礼がもらえました。
最近はそうしたお礼をもらう機会が少なくなってしまいましたが、それ以上に、残念なのはお礼を差し上げることが難しくなってきていることです。

ちなみに今日もらった野菜は、相談に来た友人が近くの農業をやっている高齢者からもらったもののおすそ分けです。
あらためて農業の効用に気づかせてもらえました。
農作物は必ずといっていいほど、自分だけでは消化できないほど育ちます。

その結果、おすそ分けできることは少なくありません。おすそ分けしないと逆に無駄が生じますから、誰もが負担に感じずにおすそ分けが成り立つのです。
しかし雇用労働においては、自分で作ったものはすべて雇用主のものになります。
おすそ分けしたくてもできない。おすそ分けに損得感が発生する。
そこに何か大きなヒントがあるようにがします。

おすそ分けできる生き方を取り戻したいと思います。
そのためには私も何かを常日頃生み出さなければいけません。
さて何が一体生み出せるでしょうか。
難題です。

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2022/03/16

■最近どうも気分が落ち着きません

ウクライナの報道を見ていて、改めて日本及び日本人のことを考えることが多い。
もちろん日本という以上、私の話でもある。

まず、日本とウクライナやロシアとはそんなに状況が違うのだろうかという思いがいつも頭に浮かんでくる。たとえば昨日話題になったロシア国営放送のスタッフの「反戦プラカード」をカメラに向かって提示した事件。
すごい勇気であると感動したが、みんなそれを他人事と話しているのを聴いているうちに、日本ではこういうことを行う人がいないのだろうかと思い出した。日本ならその気になれば、こんなリスクを負うことなく、出演者は異論を唱えられるはずだが、異論を唱える人はほとんどいないような気がしてならない。

そもそも、いまのロシアやウクライナと日本との違いはそんなにも大きいのだろうかということもある。たしかに爆弾は落ちてこないし、徴兵されることもない。状況は全く違うことは間違いない。でも何となく地続きのような気がしてならない。そのことがいつもどこかにひっかかっている。

ウクライナの状況は、そんなに特異なのだろうかという思いも時々浮かんでくる。もっと悲惨な状況がいまこの同じ時に、世界の他の地域でも起こっているのではないかという不安である。そう思っていたら、今日はミャンマーのことが報道されていた。

ニュースを見ていて、ロシアとウクライナとどちらの報道が正しいのか判断はつかないはずなのに、ウクライナに心底加担している自分がいる。反戦デモを行うロシアの国民にも共感している。
しかしそれらの情報が、すべてテレビや新聞を通して与えられているのが、何とも気持ちが悪い。 

情報が創り出す現実の中で、生きている自分が、最近よくわからなくなってきてしまっている。マスメディアすべてを遮断し、山の中で暮らしたらどんなに幸せだろうか。
でももう私にはそんな生き方はできるはずもない。
ついついテレビを見てしまう自分と仕方なく付き合っている。

 

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■湯島サロン「2050年のメディアはどうなる?」報告

坪田さんの「メディアの未来」サロンはたくさんの参加者がありました。
メディアへの関心の高さの現れでしょうか。

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最初に坪田さんは、最近出版されたジャック・アタリの「メディアの未来」の本の内容を、例によってとてもコンパクトにまとめて報告してくれました。
SNSの登場で既存メディアである新聞やテレビが衰退し、玉石混交の情報が大洪水を起こしてしまったこと、それが進みAIの進化で、現実とバーチャルの境界があいまいになってきて、その結果、メディアを操る企業が権力を独占するようになってきていること。それにどう対処すべきかが大きな課題だというのです。
坪田さんの指摘したとおり、そうしたメディアの変化に関してのアタリの対策の提案は、いささか月並みのように思います。

坪田さんは、こうしたアタリの大きな問題提起を受けて、20世紀のメディアだった新聞と放送の実態を解説し、21世紀にはいっての凋落ぶりをデータで示してくれました。
情報環境は一変し、メディアもまた大きく変わったと言っていいでしょう。

そして坪田さんは、誰もがメディアを駆使して情報発信できるSNS時代において、どう「情報秩序」を守っていくかが大切な課題ではないか、と問いかけました。
くわえて、輪転機のない新聞社は存続し続けられるだろうかとも問いかけました。

このあたりは20世紀の新聞人たる坪田さんらしいこだわりを感じますが、なかなか自らが育ってきた環境における「メディア」からは自由になれないのかもしれません。
ちなみに坪田さんは、新聞の輪転機離れにいち早く取り組んだ一人ですが、だからこそ輪転機へのこだわりが大きいのかもしれません。

話し合いでは、なにが「フェイクニュース」なのかが話題の一つになりました。
新聞に載っただけで情報への信頼性が高まった時代は今や過去のものとなり、新聞記事といえども「フェイク」ではないかと疑われる時代です。いや時には、新聞がフェイク情報に利用されることさえあると言ってもいいかもしれません。
しかし、そもそも何がフェイクかは、視点によって変わってくることがみんなも気づきはじめました。つまり何がフェイクかは絶対的なものではなく相対的なものになってしまっているわけです。そういう状況でのメディアの意味は何なのか。

一時期、メディアはメッセージであり、マッサージであるということが言われた時期があります。私は今回、こうした議論に広がるかなと思っていましたが、メディアのない直接コミュニケーションの話題はちょっと出ましたが話し合いまでにはいきませんでした。
ある意味では、メディアの多様化によって、「受け取る情報」(メッセージ)のほうが「生まれる情報」(マッサージ)よりも大きな役割をもつようになってきているのかもしれません。しかしそうなると、その情報の真偽を吟味する姿勢が弱まる恐れもあります。ましてや今のように、ていねいにカスタマイドされた情報が届くと、素直に受け入れたくなる傾向は強まるでしょう。

しかしだからこそ、メディアリテラシーが大切だという議論もありました。
変質し多様化するメディア、それらを通して拡散される膨大な情報に振りまわされないようにしなければなりません。
それとともに、そうした多様なメディアをどうコントロールするかという、メディア・ガバナンスの問題も話題になりました。

さまざまな論点や視点が出てきたような気がします。
その中のいくかに関心を集中して話し合うのもいいかもしれません。
私のいまの関心事は、開かれた市民が創り出す市民メディアです。
すでに取り組んでいる人もいると思いますが、どなたか話に来てもらえるとうれしいです。

報告が偏っていそうなので、参加された方のフォローがあるとうれしいです。

 

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2022/03/14

■我孫子はじまり場サロン報告

昨日は我孫子はじまり場サロンでした。

コロナ感染症もあって、開催を迷ったのですが、あまり間を置くと消えていくこともあるので、開催だけは継続しておくことにしました。
あまり告知もしなかったのですが、新たにおひとりというか、2人参加してくださいました。
柏にお住いの母子のおふたりです。

さらに家族4人全員(ゼロ歳児も含めて)で参加してくださった方もいますので、まあこういう集まりには珍しい雰囲気になりました。誰でも歓迎がこの集まりの考えなのです。
参加者それぞれが取り組んでいることの近況を話してくださったり、関心事を話してくださったりして、話を聞いているだけでも、思いを持っている人がたくさんいることがわかり元気になります。

農業関係の話もだいぶ出ました。
また、参加者のおひとりが、替え歌による自作の「我孫子の歌」をウクレレを弾きながら歌ってくれたのを聴いて、これを我孫子の各地で作ったら面白いと盛り上がりました。

地元の歌作りで地域を盛り上げていくのも確かに面白い。
地域を元気にしていくヒントは、こういうさりげない集まりの中でたくさん見つかることを改めて実感しました。

まちづくり編集会議の発表会もコロナ禍の中でなかなか実現できずにいますが、今年はぜひ実現できればと思います。
「はじまり場サロン」は、状況を見ながら引き続き開催していく予定です。

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2022/03/10

■3月18日のオープンサロンでは後半ワクチンを話題にします

前回のワクチンサロンで、新型コロナワクチンを接種すると重症化予防の効果はあるが、ウイルスは体内に存在し、当然放出されるわけですから、他者への感染は行われやすくなるとも言えます。つまりウイルスの運び屋(キャリア)になってしまうわけです。そう言うとすぐ、弱毒化とか変異という言葉でかわされてしまいますが、私のように弱毒化も変異も変化するものと捉えるものには、そんな言葉の説明は全く説得力がありません。

にもかかわらずワクチンを接種しないと「他の人にうつすことだぞ」と叱責されることも少なくありません。これは私だけの体験ではないようです。
私にしてみれば、ウイルスをばらまいているのはワクチン接種者のほうだろうと言いたくなるほどですが、そう言ってしまえば、相手と同じ存在になるので、ぐっとこらえています。なにしろワクチンそのものさえも、私は理解できていないからです。

そういう私の疑問を察してくれた益田さんが、今度のオープンサロンで、そのあたりの話をしてもいいと申し出てくれました。渡りに船とはこのことで、早速にお願いしました。益田さんも劣等生は放置しておけないのでしょう。

というわけで、下記のとおり開催するオープンサロンの後半はワクチンをもっと知ろうサロンのパート4になります。
お時間が許せば、ぜひご参加ください。

〇日時:2022年3月18日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇進め方
  前半:テーマなしのオープンサロン
  後半:改めてワクチン問題を考える(講師役:益田昭吾さん)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■時代の分かれ目の予感

ティッピングポイントという言葉があります。
物事がある一定の閾値を超えると一気に全体に広まっていく際の閾値やその時期、時点のことです。

また、「予言の自己成就」という言葉もあります。人々がその状況が起こりそうだと考えて行動することで、事実ではなかったはずの状況が本当に実現してしまうことがある。

 ウクライナに関しては、私はずっとウクライナでは戦争は起こらないと思い続けていました。世界中の人がみんなそう思っていたら、たぶんこんな事態は起こらなかったでしょう。
そういう意味で、こうした事態を引き起こしたのは、戦争が起こると思っていた人が多かったのでしょう。私にとってはそういう人もプーチンと同じ側の人に感じます。

 いま私にとっての唯一の希望は、人間と国家制度の対立が具現化し、関係が逆転するティッピングポイントが近いのではないかということです。
プーチンがやっていることは、ブッシュがやっていたこととそう違わないような気もしますが、そうした長年の政治パラダイムがいま変わろうとしている。そう思うとワクワクします。誤解されそうな言い方ですが。

 

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2022/03/08

■節子への挽歌5313:どうも疲労がたまっていたようで

節子

ユカがどうも風邪気味です。
と思っていたら、私ものどの調子がよくありません。
うつったのかもしれません。
最近はコロナの関係で、簡単にはお医者さんには行けません。
大ごとになりかねないからです。

気温の温暖がかなり激しいのも影響しているでしょう。
季節の変わり目は注意しなければいけません。
今週はやらなければいけないことがやまのようにあります。
風邪などといってはいられないのです。

それはともかく今日は在宅だったのですが、昼食後、急に睡魔に襲われました。
風邪かなと思われるような感じだったので、ベッドで少し寝ることにしました。
目が覚めたら5時半を過ぎていました。
途中でユカが2回も心配して声をかけに来てくれたようですが、よく眠りました。
しかもまだ眠い。

最近、夜に目が覚めてばかりなので、睡眠不足がたまっていたのかもしれません。
この2週間、何かと余裕がなくて、いささか疲労もたまっていたのかもしれません。

疲労をためずに免疫力を高ま手奥野が私の健康法などといっているのに、どうも実際はそうなっていなかったようです。
まだ眠いので、今日はまた早く眠ろうと思います。
今日中にやろうと思っていたことがあるのですが、明日に回そうと思いますが、明日は元気になって後れを挽回できるでしょう。

急がば回れ。
これでもう大丈夫でしょう。

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■第14回益田サロン「ワクチンの今昔一老学者の感慨」報告

細菌学者の益田さんの「ワクチンの今昔」サロンは、10人の参加者があり、みなさんの関心の高さを感じました。ワクチンに対する安心感が少し揺らいでいるのかもしれません。

益田さんはまず参加者に自著「病原体から見た人間」(ちくま新書)を配ってくれて、その中の「病原体にとって人体は本来の環境ではない」の図を使って、病原体と人間の関係を概説し、そこから前回も話題になった「チフスのメリー」のような感染しても発症しないキャリアの話をしてくれました。

キャリアの人は感染しても発症しないのですが、ウイルスは体内にいるので、状況が変わると発症することがあります。たとえば帯状疱疹は加齢とともに発症しやすくなるそうです。つまり発症する前は、ウイルスとの関係もバランスしているわけですが、それが崩れてしまうのでしょうか。逆に言えば、ウイルスと人間の安定した関係もありうるわけです。

こうしたことを聞いて、ワクチン接種とはキャリア体質化することかなどと早とちりしてしまいましたが、そこから話はだんだん難しくなり、「生ワクチン」「不活化ワクチン」「トキソイド」の話からIg抗体の話などへと進みました。

私にはしっかりと消化できていないので、報告は難しいのですが、益田さんの話や参加者の話し合いの中で、私が行き着いたワクチンとは何かの話を報告させてもらいます。ちなみにこれは私の勝手な解釈です。益田さんの監修も受けていません。

私が行き着いた「ワクチンとは何か」は「自己と非自己の壁を壊し、ゆるやかに両者をつなぐことで、自己の寛容性を高めるもの」ということです。生物と環境からいえば、生物と環境との多様なつながりを「あわい」という形で形成することといってもいいでしょう。

何やら難しそうですが、自己(人間)と非自己(ウイルス)が出会った時に、自己でないものは排除し拒絶するという抗体作用を作動しやすくするためにワクチンという抗原を注入するわけですが、要は自己の寛容性を高めるということではないかと思います。

この解釈は、抗原とか抗体作用とかとは全く別の理解ですので、益田さんにはまた劣等生は仕方がないと言われそうですが、私にはすとんと腹に落ちたのです。

しかし、ワクチンはいうまでもなく自己ではなく(あえていえば「擬自己」と言ってもいいでしょうが)、自己の寛容性は人によって違いますから、時に副反応という悪さを起こしてしまう。ワクチンには常にリスクが伴うわけです。

今回学んだもう一つのことは、「悪いワクチン」「不完全なワクチン」があるということです。いまの新型コロナワクチンは、これまでのワクチン概念とは違うものだという言説もありますが、そう言ってしまうとわけがわからなくなります。しかし、ワクチンにもいろいろあることがわかれば、ワクチン観は大きく変わるように思います。

ワクチンは意図的に軽く病気にかかることでウイルスとの関係づくりの練習をし感染や重症化にそなえるというのが私の素朴な理解だったのですが、自己と非自己の壁を壊すと考えると全く違った視野が開けてくるような気がします。

その先にあるのは自己の消滅です。果たして自己とは何なのか。「私たちって誰だ」という問題にもつながっていきます。こうして話はどんどん広がっていきますが、これ以上はあまりに脱線ですのでやめます。

「ワクチンはウイルスに対する武器」と言ってもいいかという質問もありましたが、これは益田さんには受け入れられませんでした。そもそも益田さんは病気を戦いにたとえるは適切でないというのです。そもそも病原体とか毒素という言葉も、人間側からの勝手な評価であって、宿主との安定した関係こそが、病原体の本性だというのです。
益田さんのこの病原菌観にはとても共感できます。

そうしたことから益田さんは、組織のあり方や経済の仕組みやウクライナ問題も、病原菌観をベースに考えるといろんな示唆が得られると考えています。いつかそうしたサロンもやってもらいたいと思っています。

ちなみに、私のワクチン理解が深まった(?)ところで、新型コロナワクチンの接種を受けるのかと訊かれましたが、やはり接種しようという気にはまだ至りませんでした。
私自身はウイルスともいい関係性を育てたいと思っていますので、私自身が納得できない非自己を体内に取り込んでまで自己の寛容度を高めようとは思いません。ワクチンがなくても、自己の寛容性を高めることは可能でしょう。濃厚感染ならぬ軽微な感染や自己の寛容性を高めることは他にもいろんな方法があると思うからです。

わけのわからない報告になってしまいました。
私には目からうろこの大発見のサロンだったのですが。

Masuda14

 

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2022/03/07

■湯島サロン「〈私たち〉って誰のこと?」報告

「〈私たち〉って誰のこと?」を話し合うサロンには、あんまり人は集まらないだろうなと思っていたのですが、10人も参加してくれました。話し合いもとても示唆に富むものが多く、呼びかけた私の思い違いを気づかされました。

やはり人のつながりや仲間を求めている人は多いのだなと勝手に思ったりしてしまいました。「〈私たち〉って誰か」を考えるのは、自らの生き方や自らが生きている社会を考えることでもあるのです。

今回は参加者の話し合いのサロンなので、問題提起などは用意していなかったのですが、最初に「私たち」という言葉を入れて、普段話しているような短文を書いてもらい、それをそれぞれ紹介してもらうことからサロンは始まりました。
その短文から、それぞれが「私たち」という言葉をどんな風に捉えているかを話すきっかけにしたいと思っていたのです。ところが参加者の内2人から、普段「私たち」という言葉を使ったことがないと指摘されました。
考えてみると確かに私も、書き言葉では使いますが、話し言葉ではあまり使わないことに気づかされました。あるいは論点をぼかしたり、責任をあいまいにしたりするような時に使う言葉なのかもしれません。
また別の人からは、子どもたちは使うようだという話もありましたが、これには、先生や大人から使わされているのではないかという人もいました。たしかに私も孫と話していて、「わたしたち」という言葉は聞いたことはありません。幼稚園では使っているようですが。

そもそも誰かが私に向かって「私たち」と話しかけてきたら、どうして勝手に私もいれてしまうのかと反感を持つことも少なくありません。そう考えると、「私たち」という言葉は、上から目線で話す人が使う言葉かもしれません。
その一方で、私たちと思える人が多いと心がやすまるのも事実のように思いますし、「私たちの世界」が広くなれば、住みよい世界になるかもしれません。

いま起こっているウクライナの状況の中で、ウクライナの人とロシアの人の間にも「私たち」感覚が生まれているのをテレビで観ると「私たち」意識の大切さを改めて感じます。そんな話も出ました。

言葉の話も出ました。英語では私(I)と私たち(we)は全く別の言葉ですが、日本語では「私」に複数を表現する「たち」をつけて表現します。万葉集サロンをやっている升田さんも参加していたので、古代の日本語における「私たち」の言葉の話も出ました。

さらに、中間組織やアソシエーション、あるいはコミュニティまで話題は広がりました。「私たち」という切り口からいろんなことが見えてくることがわかりました。

私は、できるだけ「私たち」といえる人を増やしたいと思っていますが、実際にはなかなかそう言える自信がありません。他者の気持ちはなかなかわからず、自分勝手に相手を「私」の世界に引っ張り込んで「私たち」という自信がなかなか持てないのです。
にもかかわらず、私はどこかに「私たち」といえるゆるやかな人の集まりの中で暮らしている人が増えるといいなという思いがずっとあります。湯島で長年サロンをつづけているのも、その思いがあるからです。でもなかなかそれができない、
その理由は、もしかしたら、「私たち」という言葉には「上から目線」があるからなのではないかと今回気づきました。

お互いに本当に対等につながれる人の輪が広がれば、たぶん「私たち」などという言葉は不要になるのでしょう。「あなたたち」「私たち」などという言葉がなくなればいいなと、そんな思いを改めて感じたサロンになりました。

勝手なサロンの呼びかけに応じてくださったみなさんに感謝します。
たくさんの気づきを与えてもらえました。
(サロンでの話し合いの内容をきちんと紹介していない報告になってしまいました。すみません)

Wesalon

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■3月オープンサロンのご案内

3月の1回目のオープンサロンは18日(金曜日)に開催します。
いつものようにテーマはなく、出入り自由な気楽なサロンです。

基本的には、いわゆる「スモークトーク」のやりとりですので、どなたでも気楽に「話し」に来てください。もちろん「聞き」に来ていただくのも歓迎です。
話し合いのテーマを提出してくださるのも歓迎です。

〇日時:2022年3月18日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
ttp://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2022/03/06

■節子への挽歌5312:心を許し合える友人たち

節子

久しぶりに武田さんと会いました。
この1年、最後の本を書くと言って引きこもっていたのですが、それがようやく第一稿を脱稿したのです。
脱稿したとは言うもののなんと80万字。まあ少なくとも半分にしないと出版は無理でしょう。
それでその整理を手伝ってくれると手をあげてくれたのが川本さんです。
その3人で会食したわけです。

武田さんは、それを基点にリンカーンクラブ活動を再開、川本さんはそれと並行する形で平和を目指す活動型グループを立ち上げようというのです。
私はどうもそれに巻き込まれるようですが、いまのところあまり関心は高くないのです。
困ったものです。

武田さんと会うときには、ウナギをご馳走になることになっています。
武田さんはうなぎはあまり好きではないので、肉料理やお寿司がいいというのですが、私はうなぎと決めているのです。しかし最近、都心で食べるうなぎでおいしいと思ったことがありません。値段はどんどん高くなっているので、私は自分では食べられませんので、武田さんがご馳走してくれるのですが、やはり今日もあんまりおいしくありませんでした。
武田さんに、おいしくないねとつい言ってしまいました。
ご馳走になっておいて、おいしくないね、などというのですから、普通ならば怒るでしょうが、武田さんは怒りません。でもまあ、むっとしているかもしれません。それでついでに謝っておきました。
まあこういう付き合いができるのも、お互いに理解し合っているからかもしれません。

その後、湯島で益田昭吾さんのサロンでした。
今回はワクチンの話でしたが、私にはなかなか理解できない。
それでこれまたあまりに非常識な初歩的質問をするので、益田さんのサロンではいつも彼から厳しく叱られます。初めての参加者は驚くほどのやりとりになるのです。
私もまた、益田さんに厳しい発言をします。
しかし、これもまた長い付き合いの中で許されるのです。

こういう付き合いができる友人がいることが私の一番の幸せなのかもしれません。
それにしても昨日もまた疲れました。

最近疲れやすいのは、なぜでしょうか。
困ったものです。

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2022/03/05

■節子への挽歌5311:とてもうれしいメール

節子

うれしいメールが届きました。
元気づけられます。

佐藤さんのおかげで、去年の秋頃からパニック障害が治り始め、かなり健康を取り戻しました。
またお会いできる機会を楽しみにしております。

言うまでもありませんが、私のおかげなどでは全くないのです。
でも少しでもそう思ってくれていることがうれしいです。
正直に言えば、彼が一番大変だった時、私も別の難事を抱えていて、十分に対応する余裕がなかったのです。
ずっとそのことが気になっていたのですが、たぶんあれから3年ほどたちますが、このメールで少し気が休まりました。

メンタルで失調した人には、ある意味で覚悟を持って、しかし日常的に付き合おうと私はしています。
ただそこに中途半端な考えで介入してくる人がいることがあります。
つい最近もそのおかげで私の時間をかけた取り組みは壊されてしまいました。
逆恨みにまではいきませんでしたが、そうなるケースもときにあります。

事実、同じ件で私よりも身を入れて尽力した友人は、逆恨みにあって、生活を失調してしまいました。
独りよがりの「善意」の介入があったからです。
そういう独善的な行動をする人を私は許せません。
しかもそれが自分の知り合いとなると、かなしくなります。
世のなかの諸悪は、すべて善意から始まるということがよくわかります。

ちょうど身近にそういう体験をしていた時だったので、このメールはとてもうれしいです。
きっと近いうちに会えるでしょう。
彼との再会が楽しみです。

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2022/03/04

■節子への挽歌5310:わが家は地味な食生活でした

節子

先週、ユカと一緒に喫茶店でコーヒーを飲みました。
そのことをフェイスブックに書いたら、早速に、私も娘と喫茶店でコーヒーを飲みたい」というコメントがありました。
しかし、私は娘よりも節子とまた喫茶店でコーヒーを飲みたいです。
まあもはやかなわぬことですが。

私も節子も節約家でしたから、一緒におしゃれな喫茶店に行ったことはありません。
2人とも下戸ですからワインを飲むこともなく、グルメもないのでわざわざお沙羅なお店に食事に行くこともありませんでした。
会社時代は、それでも収入もあったので、ちょっとはぜいたくな気分を味わったこともありましたが、基本的にはいつも地味な外食でした。
私がグルメなどにはまったく関心がなかったこともありますが、節子には悪いことをしたという思いがいまもあります。

いまもわが家の食生活は地味です。
時々、ユカがめずしいものを買ってきてくれますが、なんだかそういうものを食べること自体に、ある種の後ろめたさのようなものがあります。
新鮮な野菜と果物さえあれば、私は満足なのです。
その野菜や果物がいま高くなっているようですが。

テレビで最近食べ歩きのような番組が多いのですが、時に、こういうものを節子にも食べさせてやればよかったなと思うことがあります。
まあ節子なら、そんな高いものはいらないというでしょうが。
でも一度くらいは、とつい思うことは時々あります。
私は食べたいなどとは全く思いませんが。

 

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■ウクライナ国民とともにありたい

中国のテレビドラマ「始皇帝天下統一」を毎週見ています。

https://www.wowow.co.jp/detail/173882

あんまり面白くはないのですが、登場人物がそれぞれどう描かれているかも含めて、秦のことを知りたいからです。秦の時代の中国史はほとんど知らないのですが、高校時代に学校で習った秦の歴史には違和感がありましたから。

昨日は、紀元前241年の趙・楚・魏・韓・燕の五国と秦の戦いの話でした。いわゆる函谷関と蕞(さい)の戦いです。秦の歴史が変わりだす契機になった戦いだったと思います。
いつものように早送りで見たのですが、まさにいまウクライナで起こっているようなことが、秦にも起こったのです。そこから歴史が変わっていった。
合従軍が首都近くまで来た時に、始皇帝はそこに踏みとどまり秦の民(5国からの難民もふくめて)に共に戦おうと呼びかけたのです。

ウクライナの現状に対していろいろな意見がありますが、改めてゼレンスキー大統領の決断とウクライナ国民の勇気に共感します。日本からも100人近い人たちが義勇兵を志望しているという話を数日前に聞きましたが、そういう人たちの思いは必ずいつか実を結ぶと信じています。

私は志願できませんが、思いだけは参戦しています。
祈るだけではありますが。

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2022/03/03

■節子への挽歌5309:ひなまつり

節子

ひな祭りににこから招待されました。
にこは着物が好きなそうで、着物に着替えていました。

私は最近、にこから少し嫌われているのですが、ケーキをお呼ばれしました。
最近幼稚園で行われたバレンタインの時の発表会のビデオも見せてもらいました。
出し物のひとつは「ブレーメンのおんがくたい」ですが、にこの役は泥棒役でした。
4つの役があるのですが、泥棒役は人気がなくて誰もやり手がなかったのだそうです。
それでにこがやると言って手をあげたら、ほかにも数人が手をあげたのだそうです。
にこは、泥棒役だからといって、上下黒い地味な服装でした。
昨年は、ヒラヒラした服装だったのに、今年は一番地味な服装でした。

その後、節子さんにも着物姿を見せると言ってお線香をあげに2階に来てくれました。
時々花を持ってきてくれているのです。

その後、一緒に散歩に行こうかと誘ったらまた断られました。
困ったものです。
私はにこの名前を、いつもきちんと呼ばずに、「にこべえ」とか「にこたん」とか、時には「ちびたん」などと呼んでいるのが気にいらないのかもしれません。

その後、娘たちとにこは道路でサッカーをやっていました。
その元気は私にはありません。

節子がいたらさぞかしにぎやかなひな祭りになるのでしょうが、どうもこういうのは苦手です。

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2022/03/02

■節子への挽歌5308:節子だったらどうするだろうか

節子

ウクライナの状況が予想以上に深刻です。
節子がいたらどうするでしょうか。

こういうことが起こるといつも、「節子だったらどうするだろうか」とよく思います。
私は、かなり直感的に考えるタイプなので、バランス感覚が欠落しているのです。
節子と話すことによって、いつも自分の意見を相対化できました。
もっとも節子も長年私と付き合っているうちに私に影響されたような気がしますが、幸いに私のような知識偏重には陥ってはいませんでした。

節子だったらどうするだろうかと思うのは、ウクライナ問題ではありません。
ワクチンはどうしたでしょうか。
たぶん私とは意見は違ったでしょう。
サロンに関してはどうでしょうか。
娘たちと同じように、止めろとは言わないとしても、回数を減らすというでしょう。

最近耳にした我孫子市に関する「不祥事ら悪しきこと」にはどうでしょうか。
私よりもたぶん怒るのではないかという気がします。

会話する相手としては、やはり夫婦は特別の相手のような気がします。
その会話相手がいないのが、最近とても寂しいです。

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■節子への挽歌5307:いささか疲れ切った4日間

節子
いささか疲れ切った数日でした。挽歌を書けなかったのは、そのせいです。

この前、挽歌を書いたのは225日でした。
翌日は湯島で学童をテーマにしたサロン。
その翌日は、長年、引きこもり問題にかかわっているおふたりの実践者とのミーティングと生活事業研究会の補講。その間にいささか腹立たしい事件が起こりました。

続いてその翌日は、地元の人から相談があると言われてあったので宇sが、そこでまた憤りを感ずる話を聞かされました。
その後、2年ぶりに娘と喫茶店でコーヒーを飲みましたが、あまり気が鎮まらない。

この間、世界はウクライナ戦争の話題で大変でした。
昨日は世事から逃げたくて読書に没頭。ウクライナのこともあって、クラストルの解説書を読んでいました。

その間、フェイスブックで私の状況を知った広島の折口さんから電話が来ました。
心配をかけてしまいました。
そんなことで挽歌を書かなかったのですが、まさか4日もさぼったとは思っていませんでした。
ほんとに時間が経つのが最近は速いのです。
挽歌もあまり書かないでいると心配して連絡してくる人がいますので、まずはこの間の言い訳を書かせてもらいました。

今日は挽歌が書けると思いますので。

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■湯島サロン「学童の現場から見る子どもたちの世界」報告

コロナ禍のもとで、子どもたちの世界は一体どうなっているのか。
子どもたちの世界は、いつも時代を先取りしていて、未来を示唆してくれていると思っている私にはとても関心の高いことですが、なかなかそれが見えてこない。
孫との付き合いや近隣の子どもたちの様子から、何となく感じていることもあるのですが、実際に日々子どもたちと触れ合っている人からはどう見えているのだろうかということで、今回は長年学童支援活動に取り組んでいる上野さんにお話ししてもらうサロンを開きました。
実際にご自分でも学童活動に取り組んでいる方も参加してくれましたが、参加者が少なかったのが残念でした。

上野さんからはコロナ感染防止の影響に関するお話もいくつか出されましたが、やはりそれ以上に、学童支援活動全体の位置づけの変化のほうが大きな流れを作っているように感じました。その流れは、コロナによってさらに加速化されているようです。

その流れに関しては、これまでもよく話題になってきていますが、管理指導化が進む一方、経済化が進み、子どもの立場というよりも、大人の視点が強まっているような気がします。昨今の「コロナ危機」は、そうした動きをむしろ後押ししているようにも思います。何しろ今は「コロナ防止」を口実にすれば、誰も反論できない時代ですから。

上野さんも話してくれましたが、以前は「おやつの時間」さえも、黙って食べる「個」の時間になってしまっているようです。
私たちはもっと子どもたちの表情や声に関心を向けなければいけないのではないか。
しかし実際には、子どもたちはマスクで表情を覆われ、自由に大声も発せられなくなってきている。そんな不安を持っているのは私だけではないでしょう。

上野さんは、子どもたちにかける「言葉」についても話してくれました。
その「言葉」は、単に音だけではなく、表情に支えられていると思いますが、今は声をかける指導員もまたマスクをしている。もちろんスキンシップは制限されているでしょう。そうしたことがどんな影響を与えていくのか、とても気になります。

ちなみに話し合いに関していえば、むしろ子育てや学童に関する大人たちの態度や考えの話のほうが多かったような気がします。せっかく子どもたちの視点で活動しようと思っても、大人たちが妨げになっているのかもしれません。
学童の世界も、たぶんその例外ではないでしょう。現場の指導員の声が、なかなか通らなくなってきているような懸念を感じます。

子どもたちの声がうるさいという人がまだいるようですが、子どもたちの声が「騒音」に聞こえるような社会はどこかおかしい気がします。そのうち私たちは、秋の鈴虫の声も騒音に聞こえてくるのかもしれません。

今回は、大人になれないまま、今なお「子ども」だという若者が参加してくれました。
彼が話してくれた「気分」にもいろいろと考えさせられました。

やはり子どもからの声(言葉だけではありません)に直接耳を傾けなければならないようです。
そのことを改めて感じたサロンでした。

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■キルギスでの植林プロジェクトに関するお願いの途中報告

先日、キルギスでの植林プロジェクトに関して人探しのお願いをさせてもらいましたが、おかげさまで10人近い方が協力してくださることになりました。
すでに現地とのZOOMでのミーティングも行い、現地の活動に対するブレインチームとしてメーリングリストも立ち上げました。現地で活動しているや植林や林業の専門家やECO-DRRの研究者など、多彩な方々が組織を離れて、個人としてのプロボノ活動として、手をあげてくださいました。
まだどう展開するのか、状況がほとんど見えていないプロジェクトで、あるのは浅野さんの「思い」だけなのに、多くの人が参加してくださったことに感激しました。

さらに、もう見つかったのか、心当たりがあるというような連絡が、昨夜も今朝もあり、みなさんがいまもなお探してくださっていることを知りました。
お願いをしながら、結果報告をしていないことに気づきました。
申し訳ありません。

もちろん引き続きもし参加してくださる方がいたら歓迎ですが、正直、このプロジェクトがどう展開するかはまだわかりません。いま政府の担当大臣との話し合いに入っているようですが、現地の浅野さんたちが多忙な活動の中を取り組んでいますので、その活動に少しでも役立てればというのが、今回の私たちの姿勢です。

もし「こんなことならできる」というような方がいたら、ご連絡下さい。このチームに紹介したいと思います。ただし、いまのところプロジェクトそのものに関する情報はほとんどありません。

いま別に「生活事業研究会」をはじめたのですが、そこでも実感したのですが、やはり時代は変わってきているようです。
もう少し現世に留まりたくなっています。

 昨日、私のブログなどを読んだという知らない人から「性善説では、人は救われません」と長いメールが来ました。まだ返信できていませんが、やはり人はみんな「性善」なのです。それだけでもう救われている。そう思います。

報告が遅れてすみませんでした。
引き続きよろしくお願いいたします。

 

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