■湯島サロン「2050年のメディアはどうなる?」報告
坪田さんの「メディアの未来」サロンはたくさんの参加者がありました。
メディアへの関心の高さの現れでしょうか。
最初に坪田さんは、最近出版されたジャック・アタリの「メディアの未来」の本の内容を、例によってとてもコンパクトにまとめて報告してくれました。
SNSの登場で既存メディアである新聞やテレビが衰退し、玉石混交の情報が大洪水を起こしてしまったこと、それが進みAIの進化で、現実とバーチャルの境界があいまいになってきて、その結果、メディアを操る企業が権力を独占するようになってきていること。それにどう対処すべきかが大きな課題だというのです。
坪田さんの指摘したとおり、そうしたメディアの変化に関してのアタリの対策の提案は、いささか月並みのように思います。
坪田さんは、こうしたアタリの大きな問題提起を受けて、20世紀のメディアだった新聞と放送の実態を解説し、21世紀にはいっての凋落ぶりをデータで示してくれました。
情報環境は一変し、メディアもまた大きく変わったと言っていいでしょう。
そして坪田さんは、誰もがメディアを駆使して情報発信できるSNS時代において、どう「情報秩序」を守っていくかが大切な課題ではないか、と問いかけました。
くわえて、輪転機のない新聞社は存続し続けられるだろうかとも問いかけました。
このあたりは20世紀の新聞人たる坪田さんらしいこだわりを感じますが、なかなか自らが育ってきた環境における「メディア」からは自由になれないのかもしれません。
ちなみに坪田さんは、新聞の輪転機離れにいち早く取り組んだ一人ですが、だからこそ輪転機へのこだわりが大きいのかもしれません。
話し合いでは、なにが「フェイクニュース」なのかが話題の一つになりました。
新聞に載っただけで情報への信頼性が高まった時代は今や過去のものとなり、新聞記事といえども「フェイク」ではないかと疑われる時代です。いや時には、新聞がフェイク情報に利用されることさえあると言ってもいいかもしれません。
しかし、そもそも何がフェイクかは、視点によって変わってくることがみんなも気づきはじめました。つまり何がフェイクかは絶対的なものではなく相対的なものになってしまっているわけです。そういう状況でのメディアの意味は何なのか。
一時期、メディアはメッセージであり、マッサージであるということが言われた時期があります。私は今回、こうした議論に広がるかなと思っていましたが、メディアのない直接コミュニケーションの話題はちょっと出ましたが話し合いまでにはいきませんでした。
ある意味では、メディアの多様化によって、「受け取る情報」(メッセージ)のほうが「生まれる情報」(マッサージ)よりも大きな役割をもつようになってきているのかもしれません。しかしそうなると、その情報の真偽を吟味する姿勢が弱まる恐れもあります。ましてや今のように、ていねいにカスタマイドされた情報が届くと、素直に受け入れたくなる傾向は強まるでしょう。
しかしだからこそ、メディアリテラシーが大切だという議論もありました。
変質し多様化するメディア、それらを通して拡散される膨大な情報に振りまわされないようにしなければなりません。
それとともに、そうした多様なメディアをどうコントロールするかという、メディア・ガバナンスの問題も話題になりました。
さまざまな論点や視点が出てきたような気がします。
その中のいくかに関心を集中して話し合うのもいいかもしれません。
私のいまの関心事は、開かれた市民が創り出す市民メディアです。
すでに取り組んでいる人もいると思いますが、どなたか話に来てもらえるとうれしいです。
報告が偏っていそうなので、参加された方のフォローがあるとうれしいです。
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