■報道への対抗力を高めたいと思います
クラウゼヴィッツは「戦争論」で、戦争とは暴力によって自分の意思を相手に押しつけることと定義しているようですが、今回のウクライナ戦争はまさにその意味でのわかりやすい戦争のように思います。しかし、発生している状況は、それほどわかりやすくはありません。
さすがに最近は、一方的な報道だけではなく、さまざまな視点からの報道に接することができるようになっていますが、同じ映像さえもが全く真反対に解釈する人がいるのに、改めて映像情報の持つ多義性を思い知らされています。
クラウゼヴィッツに倣って、「報道とは 映像(言語・文字)によって 自分の意思を 相手に押しつけること」と言いたい気分です。
大切なのは、その「報道」を受けて、自らとしてどう解釈し、自らの生活につなげていくかだろうと思います。
ちなみに、今回のウクライナ戦争の報道に接して、私のテレビ報道への信頼感が大きく回復しました。テレビをあまり見ない人が私のまわりにも少なくありませんが、そういう人たちが生きている世界とテレビをよく見ている私の生きている世界との差があまりに大きくなっているのが、いささか心配ですが。おそらく新聞を毎日読んでいるかどうかも大きな違いを生み出しているのでしょうね。どの新聞を読んでいるかの違いよりも、そのほうがむしろ気になります。
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