■湯島サロン「学童の現場から見る子どもたちの世界」報告
コロナ禍のもとで、子どもたちの世界は一体どうなっているのか。
子どもたちの世界は、いつも時代を先取りしていて、未来を示唆してくれていると思っている私にはとても関心の高いことですが、なかなかそれが見えてこない。
孫との付き合いや近隣の子どもたちの様子から、何となく感じていることもあるのですが、実際に日々子どもたちと触れ合っている人からはどう見えているのだろうかということで、今回は長年学童支援活動に取り組んでいる上野さんにお話ししてもらうサロンを開きました。
実際にご自分でも学童活動に取り組んでいる方も参加してくれましたが、参加者が少なかったのが残念でした。
上野さんからはコロナ感染防止の影響に関するお話もいくつか出されましたが、やはりそれ以上に、学童支援活動全体の位置づけの変化のほうが大きな流れを作っているように感じました。その流れは、コロナによってさらに加速化されているようです。
その流れに関しては、これまでもよく話題になってきていますが、管理指導化が進む一方、経済化が進み、子どもの立場というよりも、大人の視点が強まっているような気がします。昨今の「コロナ危機」は、そうした動きをむしろ後押ししているようにも思います。何しろ今は「コロナ防止」を口実にすれば、誰も反論できない時代ですから。
上野さんも話してくれましたが、以前は「おやつの時間」さえも、黙って食べる「個」の時間になってしまっているようです。
私たちはもっと子どもたちの表情や声に関心を向けなければいけないのではないか。
しかし実際には、子どもたちはマスクで表情を覆われ、自由に大声も発せられなくなってきている。そんな不安を持っているのは私だけではないでしょう。
上野さんは、子どもたちにかける「言葉」についても話してくれました。
その「言葉」は、単に音だけではなく、表情に支えられていると思いますが、今は声をかける指導員もまたマスクをしている。もちろんスキンシップは制限されているでしょう。そうしたことがどんな影響を与えていくのか、とても気になります。
ちなみに話し合いに関していえば、むしろ子育てや学童に関する大人たちの態度や考えの話のほうが多かったような気がします。せっかく子どもたちの視点で活動しようと思っても、大人たちが妨げになっているのかもしれません。
学童の世界も、たぶんその例外ではないでしょう。現場の指導員の声が、なかなか通らなくなってきているような懸念を感じます。
子どもたちの声がうるさいという人がまだいるようですが、子どもたちの声が「騒音」に聞こえるような社会はどこかおかしい気がします。そのうち私たちは、秋の鈴虫の声も騒音に聞こえてくるのかもしれません。
今回は、大人になれないまま、今なお「子ども」だという若者が参加してくれました。
彼が話してくれた「気分」にもいろいろと考えさせられました。
やはり子どもからの声(言葉だけではありません)に直接耳を傾けなければならないようです。
そのことを改めて感じたサロンでした。
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