■最近どうも気分が落ち着きません
ウクライナの報道を見ていて、改めて日本及び日本人のことを考えることが多い。
もちろん日本という以上、私の話でもある。
まず、日本とウクライナやロシアとはそんなに状況が違うのだろうかという思いがいつも頭に浮かんでくる。たとえば昨日話題になったロシア国営放送のスタッフの「反戦プラカード」をカメラに向かって提示した事件。
すごい勇気であると感動したが、みんなそれを他人事と話しているのを聴いているうちに、日本ではこういうことを行う人がいないのだろうかと思い出した。日本ならその気になれば、こんなリスクを負うことなく、出演者は異論を唱えられるはずだが、異論を唱える人はほとんどいないような気がしてならない。
そもそも、いまのロシアやウクライナと日本との違いはそんなにも大きいのだろうかということもある。たしかに爆弾は落ちてこないし、徴兵されることもない。状況は全く違うことは間違いない。でも何となく地続きのような気がしてならない。そのことがいつもどこかにひっかかっている。
ウクライナの状況は、そんなに特異なのだろうかという思いも時々浮かんでくる。もっと悲惨な状況がいまこの同じ時に、世界の他の地域でも起こっているのではないかという不安である。そう思っていたら、今日はミャンマーのことが報道されていた。
ニュースを見ていて、ロシアとウクライナとどちらの報道が正しいのか判断はつかないはずなのに、ウクライナに心底加担している自分がいる。反戦デモを行うロシアの国民にも共感している。
しかしそれらの情報が、すべてテレビや新聞を通して与えられているのが、何とも気持ちが悪い。
情報が創り出す現実の中で、生きている自分が、最近よくわからなくなってきてしまっている。マスメディアすべてを遮断し、山の中で暮らしたらどんなに幸せだろうか。
でももう私にはそんな生き方はできるはずもない。
ついついテレビを見てしまう自分と仕方なく付き合っている。
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