■おすそ分けできる生活を取り戻したい
今日は午前中、近くのサイゼリアで友人の相談?にのっていました。
相談といっても、なにやら雑談の相手だけだったような気もしますが、そのお礼に野菜をもらいました。
そう言えば昔はこういうことが多かったのです。茨城県のあるまちの住民たちの相談に乗っていたことがありますが、その時には行くと帰りに野菜などのお礼がもらえました。
最近はそうしたお礼をもらう機会が少なくなってしまいましたが、それ以上に、残念なのはお礼を差し上げることが難しくなってきていることです。
ちなみに今日もらった野菜は、相談に来た友人が近くの農業をやっている高齢者からもらったもののおすそ分けです。
あらためて農業の効用に気づかせてもらえました。
農作物は必ずといっていいほど、自分だけでは消化できないほど育ちます。
その結果、おすそ分けできることは少なくありません。おすそ分けしないと逆に無駄が生じますから、誰もが負担に感じずにおすそ分けが成り立つのです。
しかし雇用労働においては、自分で作ったものはすべて雇用主のものになります。
おすそ分けしたくてもできない。おすそ分けに損得感が発生する。
そこに何か大きなヒントがあるようにがします。
おすそ分けできる生き方を取り戻したいと思います。
そのためには私も何かを常日頃生み出さなければいけません。
さて何が一体生み出せるでしょうか。
難題です。
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