■節子への挽歌5323:節子と話し続ける効用
節子
友人から連絡があり、午前中、会いました。
彼は独身ですが、高齢の母親にがんが見つかり、手術は無理だと言われたのだそうです。
それで連絡してきたのです。
ともかく会うことにしました。
最近はかつてとは違い、がんも直る時代になってきているとはいえ、がんと言われると関係者は精神的に動揺してしまいます。
そういう時には、ともかく会うのがいい。
私は節子だけではなく、両親もがんで見送りました。
ですからなんとなく「がん宣告」によって起こることがわかる気がするのです。
それに友人の母親は私よりも高齢です。
高齢者の死生観も、なんとなくわかる。
もちろん人によって全く違うでしょうが、それも含めて、わかる世界がある。
そんな話をしました。
しかし話しているうちに、私自身の死生観はやはり世間とは大きく違うかもしれないという気がしてきました。
どこかで死を待っているような、おかしな気持ちがあるのです。
もちろんできれば避けたいという気持ちの方が強いのですが、どこかで死を受容する気持ちもある。
それもこれも、こうやって毎日、死者の節子と話し続けているからかもしれません。
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