■国家の戦争は犯罪ではないという常識
最近では、戦争は国家間の事件だとは限りません。
対テロ戦争というのもあります。
しかし、戦争という口実で殺人を正当化できるのは国家だけです。
つまり、戦争というのは国家制度と深くつながっているのです。
国家は暴力行為を正当化するための制度とも言えます。
ですから、戦争行為は国家の世界では「犯罪」ではないようです。
戦争は外交の延長だなどと言うバカげた考えを受け入れている人もいるのが、私には理解できません。
国家の視点からは戦争は外交高位かもしれませんが、市民の視点から考えれば戦争こそが犯罪です。
国家(ステート)と国民(ネイション)を混同してはいけません。
また国家の軍隊の銃口は、外国に対してよりも自国民に向けられてきていることはこれまでの歴史の中で証明されています。
銃口が向けられるだけではありません。
たとえば徴兵制度というのが、自衛のためには必要だという人がいます。
しかし、徴兵制度もまた、国家が市民を殺人行為に強要するための制度ですから、市民の立場に立てば、徴兵されるのと殺人行為に巻き込まれるのと同じです。
徴兵された息子に、戦場で敵を殺す羽目になったら自殺しろと諭した人がいましたが、共感します。
自分たちの社会を守るために立ち上がることと国家を守るために徴兵を受け入れるのとは全く違う話です。
しかし、両者を混同する人は少なくありません。
日本国憲法の平和条項は9条だと言われています。
でもそうでしょうか。
私は9条ではなく、基本的人権を保障している第3章のほうが大事だと思っています。
今年の憲法サロンはそれをテーマにしようかと考えています。
それにしても国家が行う殺人を正当化する戦争の論理に私たちは洗脳されているようです。
キーウでの民間人遺体放置事件が問題になっていますが、病院が襲撃されたり、軍隊に徴用されたり、敵兵を殺傷することが評価されるような異常な世界では、とりわけ特別の事件ではないように思います。
焦点を合わせるべき対象を間違うことは避けなければいけません。
徴用されて戦場に行くのと志願して戦場に行くのとは違います。
もちろん「立ち向かう相手」も違います。
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