■昨日は沖縄が日本の返還された日でした
連日、強烈な映像を見ているせいか、最近は何を読んでもウクライナにつなげて考えている自分がいます。
映像の影響力の大きさに驚くとともに、すべてのことはみんなつながっているという思いを改めて実感しています。
昨日は沖縄の人たちにとっては「屈辱の日」と言われている日でした。70年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を回復した一方で、沖縄や奄美群島などは米国統治下に留め置かれ、以来、27年間、アメリカに統治される「アメリカ世」が始まったのです。そして形は変わったものの、いまなお、沖縄には米軍の基地が残されています。
昨日、岩波新書の「〈アメリカ世〉の沖縄」を読みました。
「はじめに」にこう書かれています。
「この時期(〈アメリカ世〉)の沖縄は米軍人が最高権力者として君降した。このため軍事優先の統治によって基本的人権は保障されず、自らの事を自ら決める自治権はないがしろにされた。一方、日本政府は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を明文化した日本国憲法を制定し、平和国家として「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(前文)と表明した。だが、国民が享受できた「平和」は、沖縄の米軍基地の存在を抜きに語れない」。
ドキュメントと題されているように、本書は、「軍事植民地」状況にあった沖縄の27年間の記録です。
現在のウクライナの状況を思いながら、一気に読ませてもらいました。
なぜ多くの人は、沖縄に、ウクライナへの関心ほどの関心を持たなかったのか。いや、いまもなお持たないのか。
本書の「おわりに」に、著者の宮城修さんが、沖縄が「返還」され、沖縄が再び〈大和世)になった日の出来事を書いています。なぜか読んでいて涙が出ました。
当時、小学三年生だった私は、教室で担任の先生から日本政府から贈られた復帰記念メダルをもらった。表は首里城の守礼門をデザインしていて、裏に「祖国復帰おめでとう」と刻まれていた。姉と一緒に帰ると、日曜日でもないのに父がいる。沖縄県庁発足を伝えるテレビ番組を見ていたようだ。
「君たちは学校でメダルをもらったでしょう。日本の100円と交換しよう」
(中略)
使い慣れたドルはこの日、日本円と交換された。初めて見る日本円ほしさにメダルを差し出すと、父はいきなり家の前に広がるサトウキビ畑にメダルを投げ捨てた。唖然とする私たち。父は理由を説明してくれず、ずっと黙り込んでいた。
やはりここでもウクライナのことが思い出された。
ウクライナも大切ですが、沖縄への関心も持ち続けなければいけない。
そう思ったのが、今年の私の「沖縄の日」でした。
ウクライナ報道に時間を割くのも大切ですが、その合間に、岩波新書「〈アメリカ世〉の沖縄」をぜひ読んでほしいと思います。
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