■ウクライナで起こっているのは、国家間の戦争ではなく、国家政府による人民への虐殺事件
キーウ近郊で多数の民間人の遺体が発見されました。
ゼレンスキーやバイデンは「戦争犯罪」だといい、日本のマスコミも「戦争犯罪」と報道しています。どうも違和感があります。
ゼレンスキーはまた、「ジェノサイド」とも言っています。これなら私にも納得できます。
日本では、プーチンやロシアが悪者になっています。ゼレンスキーやウクライナは被害者であり、正義の戦いに立ち上がっていると受け止めている人が多い。これも違和感がある。
前にも書きましたが、私は、いまウクライナを舞台に行われていることを、国家間の戦争ではなく(もちろんそういう面もありますが)、国家政府による人民への虐殺事件と捉えています。ですから、ロシアやウクライナが主語として使われる場合、それはそれぞれの政府関係者と考えています。
そして、対立構造はロシアとウクライナではなく、国家政権と国民との戦い(というよりも政府による国民への暴力行為)と受け止めています。
ですから、私にはゼレンスキーとプーチンは、そしてバイデンも、みんな仲間にみえてきます。
そもそも「戦争犯罪」という言葉はおかしな言葉です。まるで戦争は犯罪ではないかのようです。しかし、戦争はそれ自体犯罪だろうと思います。不戦条約もありますし。
聖戦というものを私は理解できていないので、勝手な思いかもしれませんが。
今回の遺体の虐殺者(実行犯)は誰なのかはわかりませんが、ロシア人を責める気にはなれません。責任は虐殺を進めているロシアやウクライナの政権担当者にあるという気がします。仮にゼレンスキー政権が手を下していないとしても、責任は免れないはずです。
枠組みを変えて世界をみると、世界の動きはかなり違って見えてきます。
プーチンを狂人にしたり、ゼレンスキーをヒーローにしたりする見方には、恐ろしさを感じます。
相変わらず「べき論」が横行していますが、問題を正しく設定しないと、解決策は見えてきません。どんどん私たちは、世界を見る目を間違ってしまってきているような不安が強まっています。
だから7日にも湯島でウクライナ問題の勉強会を開催します。
よかったら来てください。
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