■節子への挽歌5326:「かなし」と「さぶし」
節子
昨日は万葉集サロンでした。
いつもの常連が腰を痛めたり、急用ができたちで欠席、参加者は5人でしたが、その分、ゆっくりと話せたサロンでした。
テーマは「かなし」と「さぶし」。
講師役の升田さんによれば、広くいろんな思いを包み込んでいた「かなし」という感情のなかから「さぶし」とか「うれし」という、個別な思いに進化し、そこから自我が生まれてきた。そこから「神語り」から離れた「人語り」が始まったというのです。
とても共感できる話です。
私自身、この15年、「さぶし」や「うれし」の世界から「かなし」の世界に戻ってしまったような気がします。
節子を見送った後、すべての感情が一緒になり、判断能力を大きく失っていた気がします。その世界にいると、悲しも哀しも、愛しも一緒くたになっていく。怒りも諦めも、消えてしまい、あるのはただただ感情が支配する世界で、論理的な判断が全くできなくなっていた気がします。
次第に、論理的思考も戻ってきましたが、感覚の融合された世界は戻らない。
そんな気がしてなりません。
さびしさやうれしさはあまり感じなくなった。
ただただ相手とシェアできるようになってきた。
もちろん失望や怒りは起こりますが、それもまあ昔の名残的な弱い感情に留まりがちです。
人の死にも涙は出ず、人に幸せにもうれしさがあまり出てこない。
この気持ちは、なかなかうまく言葉にできませんが、なにか15年前までの自分とは全く違ってしまっているような気がします。
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