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2022/04/12

■節子への挽歌5324:私が花見に行けないわけ

節子

時評編に書きましたが、昨日、湯島でジョーカー予備軍を自称する若者のサロンをやりました。
彼は両親とほぼ縁を切って、今ひとり暮らしをしています。

今朝もらったメールによれば、一昨日、サロンが終わり、私と別れた後、上野公園に行って、噴水に濡れながら踊っていたそうです。もしかしたら、彼のことですから、家にも帰らずに公園のベンチで一夜を過ごしたのかもしれません。
持参してきたリュックには、自分で調理した食料も持参していて、いつでもどこでも泊まれるような生活をしているようです。

私の書いたサロンの報告にも反応してくれました。
実に的確なコメントです。
この若者は、やはりただものではない。
そんな気がします。

ところがサロンの目に彼と話をしているときに、佐藤さんは花見に行きましたか、と質問されました。
なぜかその時、ついつい思うに任せて話してしまいました。
妻が花が大好きで、死の直前に花見によく付き合わされた。それで妻を見送った後は、どうしても花見に行けなくなってしまった、と。
感受性の強い彼は、すぐに察したようで、地雷を踏んでしまったとつぶやきました。
気のせいか、彼の表情を見たら、彼にも何か思いがあるような気がしました。

桜の花は、人の心を開きもすれば、閉じもする。
あらためてそのことに気づかされました。

いつになったら花見に行こうという気が戻ってくるのでしょうか。

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