■節子への挽歌5346:論語物語
節子
最近、中国ドラマの「始皇帝」と「三国志」を見続けています。
歴史的ないろいろなことを知るのも思いsロいのdすが、そこに出てくる「忠孝の精神」にはいろいろと考えさせられます。
ドラマですから、どこまでが真実かはわかりませんが、親への孝と仕えるものへの忠とが、社会の秩序を維持していたことがよくわかります。
いまから考えれば、不条理にさえ感じますが、秩序を維持するとはそういうことかもしれません。
先週、佐久間さんから新著「道教と日本人」が送られてきました。
とてもわかりやすく共感できました。
そこで思い出したのが、小学生のころ読んだ下村個人の「論語物語」です。
詠んだのは6年の時ですが、いまから考えると、あの本は私の基本的な価値観を決めたのかもしれません。
大学時代以降は、むしろ儒教的な考えには否定的だった気もしますが、結局は何とかそうした呪縛から抜け出たくて、そう思いこもうとしていたのです。
たぶん節子にも同じようなところがあり、いち早く親元から出たにもかかわらず、結局は親思いの人でした。
この歳になると、そういうことが素直にわかるようになってきます。
気になって、書棚から「論語物語」を探し出しました。
これは小学生のころ読んだ本ではなく、その後、再刊されたものを購入したまま、一度も読んでいない本です。
字が小さくて読むのは大変そうですが、そして読んでもたぶん退屈でしょうが、近いうちに読み直してみようと思います。
ちなみに、中学生の頃読んだ鈴木三重吉の『古事記物語』も、なんとなき記憶に残っています。
古事記は何回か読み成そうと思い、本も何回か購入していますが、こう考えると、私の価値観はとても保守的で古色蒼然としている気がします。
どちらが本当の私でしょうか。
たぶん、論語物語に共感した私が、やはり私なのでしょう。
だから節子に会えたのかもしれません。
節子は論語の人でしたから。
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