■節子への挽歌5342:また読書三昧
節子
週末に雨が降ってどろどろの畑には行けないのを理由に、週明けの2日間、晴耕雨読ではありませんが、読書に埋没し、2冊の本を読了しました。
時評編にも書きましたが、「なぜ、脱成長なのか」とアダム・スミスの評伝「アダム・スミス 共感の経済学」です。
特に後者には引き込まれてしまい、一気に読み上げてしまいました。
最近また読書が戻ってきました。
読書は面白い。
しかし注意しないと読書に埋没してあまり動かなくなる恐れがあります。
この2日間も、リビングの椅子に座りっぱなしです。
そうなると腰がまず痛くなる。
いま必要なのは、読書ではなく身体を動かすことなのです。
それにしても、時々、ふと思い出します。
いろんなことを学んだ私も、死んでしまうとその知識はどうなるのか。
果たして今読書をして知識を増やすことに意味があるのか。
なにやら少し残念な気もします。
というのも、知識が増えたおかげで、世界がよく見えるような気がしてきたからです。
他の人に説明できるほどではありませんが、世界のいろんなことがつながりだして、これまで不思議に思っていたことがわかってきたような気がしているのです。
それをだれにも伝えることなく、私とともに消えてしまう。
そう気づいた人は、しっかりと自分が行き着いたところを文書に残すか誰かに伝承するのでしょう。でも残念ながら私にはまだ誰かに伝えられるほどのところまでには達していないのです。
読書よりも身体を動かす楽しいことの方に時間を割くほうがいいのではないか。
そんな気がしないでもないのですが、でもまあ読書も面白い。
しかし、節子がいたらこんな読書三昧には陥らなかったでしょう。
節子は読書よりも身体を動かす方が好きな人でしたから。
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