■節子への挽歌5343:真如苑応現院の法翔会
節子
今日は、真如苑応現院の法翔会に寄せていただきました。
信徒である友人夫妻からお誘いを受けていたのです。
私自身は、真言宗徒ですが、教団活動にはほとんど関心はないものの、信仰においては日本の仏教を拠り所にしています。ですから、仏教系の新興宗教にも関心があります。
真如苑は真言宗系で、涅槃経に所依していると聞いています。
以前、真如苑開祖の真乗の評伝を紹介され、読ませてもらいました。
そこに出てきた、どんな人も例外なく救われるという「闡提成仏」の考えに興味を持っていました。それに真如苑は最近も若い世代も巻き込んで広がっているという話も聞いていました。私自身は入信の可能性はゼロですが、その前提で法要を体験させてもらったのです。
どうせなら、立川にある一番大きな応現院での法翔会がいいのではないかというので、今日は案内してもらったのです。
施設の立派さにも驚きましたが、それ以上に若い世代の人も多いのに驚きました。
1時間にわたる法要の後、全館でさまざまな接心が行われていました。
真如苑の接心は、禅宗などとは違い、一種のカウンセリングのような要素もあって、霊能者と言われる人との個別対談形式で行われます。
今日、私を案内してくれたご夫妻も、接心を受けているそうですが、何も言わずとも霊能者の前に座ると心を読み解いてアドバイスなどをしてくれるのだそうです。
若い世代の人が多いのは、こうした接心のせいかもしれません。
みんな心穏やかな表情をしていましたが、なんだか孤独を感じさせる若者が少なくないような気もしました。みんな一人で座って何か手帳にメモしている様子も印象的でした。
接心もいいけれど、サロンもあるといいなと、勝手に思ったりしていました。
応現院の案内もしていただき、礼拝の仕方も教えてもらいました。
その後、真如苑に関していろいろと教えてもらいました。
みんなで支え合って世の中をよくしていこうという理念がよくわかります。
その一方で、宗教としてできることはたくさんあるなと改めて思いました。
友人夫妻のおかげで、滅多にできない体験をさせてもらいました。
ちなみに、応現院に入る時に、入り口にいた人が「おかえりなさい」と声をかけてくれました。真如苑の信徒は、みんないざとなったら帰る場所があるのです。
いま必要なのは、そういう「帰る場所」ではないかと思っている私には、とてもこころなごむ言葉でした。
もしかしたら、帰る場所があるから、みんないい人になれるのかもしれません。
いま多くの人にとって必要なのは、「帰る場所」かもしれません。
幸いに私には「帰る場所」があります。
でも残念ながらそこには節子がいません。
しかし、そのおかげで、私には「行く場所」もある。
そんなことを考えながら、2時間かけて帰宅しました。
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