■〔参院選で考えたこと:3〕「憲法改正の是非」は政治の争点にはならないと思うのですが
今回の参院選の争点の一つに「憲法改正」があります。
湯島に集まる人にも「改憲か護憲か」などという人もいますが、私はこれほど無意味な問いはないと思っています。
そもそもは憲法9条を守るかどうかだった争点を、憲法を変えるか変えないかという無意味な問いにしてきたのは、日本の憲法学者の怠慢です。まともな学者であれば、そんな無意味な問いには異議を唱えるべきです。なかには改憲論者から護憲論者になった憲法学者もいますが、彼らは本当に憲法学者なのでしょうか。
まあそれはともかく、憲法は改正すべきだという人のなかにも全く真反対な方向での改正を考えている人がいるのですから、争点などにはなるはずもない。
それにそもそも人間がつくったものですから、不都合なことがあれば変えるのは当然のことです。ですから「護憲か改憲か」は争点にはなり得ようもない。
要するにそういう議論をする人たちは、真面目に問題を考えていないとしか思えない。
問題はシンプルでななければいけません。
非武装平和を憲法に明示するかどうかという、内容のある争点にしなければ、議論のしようもない。
しかし最近の日本では、こうした議論の内容をあいまいにしたままの争点が多いのです。
その結果、多くの人が、「生活」と「政治」や「経済」は別の世界の話だと思い込むようになってきている。そこに「御用学者」たちの「意図」を感じます。
しかし、政治も経済も、私たちの現実の生活の問題なのです。
今日は湯島で午後2時からそんな話をするサロンを開く予定です。
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