■湯島サロン「不登校を考えるパート2」報告
不登校を考えるパート2もまた参加者が多くて、みんなの関心の強さを感じました。
「不登校」はある意味、いまの社会の生きづらさを象徴しているのかもしれません。
今回は、前半は高校生2人と大学生1人の3人が話し合うのを参加者は黙って聞きながら自らの問題を考え、後半で話し合うというスタイルでした。
冒頭、川端さんは次のように呼びかけました。
他人の話を聞き、そこに映る自分の姿を観る。自分の語る言葉に耳を澄まし、知らない自分に出会う。滑らかに言葉を話せてしまうとしたら、今までの考え方の習慣を繰り返しているだけかもしれません。
「不登校」を切り口とした体験から出てくる言葉、あるいは沈黙を起点として、自分の思い込みの向こう側にいる相手の声を聞き、そこに観えてくる「自分の人生」に目を向けていく場にしたい。
「他者の話を聴きながら自分の問題を考える」。最初の1時間は、川端さんが進行役になり、高校生の奏太さんと翔平さんと一緒に、それぞれの体験や思いを話してくれました。時に沈黙の時間があったりしましたが、参加した20代の若者からは終了後、こんなメールももらいました。
「ぎこちなさと沈黙を重要視するという視点は、分かりやすさや弁論術の価値が高まっているネット界隈の逆を行くもので、非常に興味深かったです」。
参加者も途中に口をはさむことなく、真摯に耳を傾けてくれました。私もいつもになく考える時間があって、自らに問いかけることができました。
3人の話は、沈黙のメッセージや表情なども含めて、言葉では伝わらないものを感じさせられるもので、言葉のやりとり以上のものを受けとめた人も多かったと思います。
話し合いにはいってからは、学校の問題だけではなく、参加者それぞれが抱えている自分の問題への言及も含めて、さまざまな話題へと広がりましたが、それぞれ違う問題を語っているようで、根っこはつながっているように感じました。
翔平さんが、学校や教育のせいにするのはやめて、自分の生き方を考えようと思うというような発言をしたのが、私にはとても印象的でした。前回とは少し考え方も変わってきたようで、若い世代の柔軟さにも感心しました。私たちは、不都合があればその理由をついつい外部に探し、そこにこだわってしまいがちですが、そういう生き方では、たぶん事態は変わりにくいでしょう。
参加者の話を聞いていて、改めて気になったのは、不登校に陥った子どもとその家族や専門家とでは、問題の捉え方が全く違うのではないかということです。問題の捉え方が違えば、解決しようという行動が逆に問題をややこしくしかねません。
不登校も引きこもりも、たぶん関係者それぞれの問題の捉え方が違っているが故に、解決しないことも少なくないような気がします。私自身も、自分の子どもに関しては、問題をうまく設定できずに、いまにして思えば反省することが少なくありません。
不登校の子どもの問題と不登校児を抱える家族の問題は違う。問題設定が違うので、なかなか解決はしない。そこに気づくことが大切だと思いますが、それがなかなか難しい。
しかし、その違いを踏まえての、ナラティブアプローチができれば、問題の解き方が見えてくる。私は最近そう思って、話し合いながらのナラティブを大事にしています。
もう一つ話を聞きながら思い出したのが、イギリスの教育学者ニイルの思想です。
ニイルは「子どもを学校に合わせるのではなく、学校を子どもに合わせる」という理念に基づいて学校をつくりました。日本でも30年前に、ニイルの理念に基づいて「きのくに子どもの村学園」がつくられ、ゆっくりですが、その理念は少しずつ各地に広がりだしています。
子どもに合わせた学校になれば、不登校もいじめも起こりにくいでしょう。
学びの理念が全く違うので、日本の学校制度ではなかなか難しいでしょうが、学校の外に目を向ければ「子どもに合わせた学びの場」はいまでは世間にたくさんあります。親が少しだけ意識を変えれば、そういう場はいくらでも見つけられるような気がします。
ということは、まだまだ親が意識を変えられずにいるのかもしれません。
頭(意識)は変えたつもりでも、行動が変わっていなければ、子どもたちはだまされませんから、それが逆に「圧」を高めてしまいかねません。
自分に嘘はつけても、子どもには嘘はつけません。
ちなみに、ニイルの言葉は、こうも言い換えられるように思います。
「事態を問題に合わせるのではなく、問題を事態に合わせる」。
「不登校」や「引きこもり」という、ひとくくりにできるような問題があるのではなく、個々人によって違う問題があると考えるのがいいでしょう。
印象的だったのは、発表してくれた高校生の一人は楽しかったと言い、もうひとりは退屈だったと言ったことです。でも「退屈だ」といった高校生も、最後まで付き合ってくれました。しかも、後で、「あの場所は合わないけど、だから行かないという訳ではなく、それをデメリットとして認識した上で参加するかどうかは決めたいなって思ってます」とメールをくれました。とてもうれしいメールでした。
また彼がやって来て、今度は楽しかったと言えるような場にしていければと思っています。
またまた偏った報告になってしまいました。
3人の発言も参加者の発言も、示唆に富むものがいろいろとあったのですが、言葉にすると不正確になりがちなので、紹介はやめました。
ただサロンが終わった後、なかなかみんな帰ろうとせずに、私は次の約束に1時間近く遅れてしまうほどでした。みんな「学びの場」が好きなのです。だから本当はみんな「不登校」などしたくないのです。
それが今回の私の一番の感想です。
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