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2022/06/22

■第21回万葉集サロン「〈わ〉と〈な〉をつなぐ〈言〉の質感・質量ー天武天皇挽歌に見る持統天皇の孤影」報告

今回は、白鳳万葉最後の「女の挽歌」、持統天皇の天武天皇挽歌を中心に、話し言葉と文字との違いに触れるとともに、天武と持統との関係を読み解きながら、〈わ〉と〈な〉について考えてみようというのがテーマでした。

最初に升田さんは1枚のカラー写真を見せてくれました。飛鳥の北東部から撮影した大和三山が写った写真です。まずはこの風景によって、参加者を飛鳥の気分、あるいは持統天皇の気分へと誘ってくれました。

つづいて、持統天皇の歌といわれている6首をざっと紹介してくれたうえで、日本書紀の記事をベースに持統天皇の事績や人物像を話してくれました。

持統天皇を語る場合、どうしても夫である天武天皇も一緒に語ることになり、両者の関係をどう読むかで、日本の国の成り立ちのイメージも変わってくるように思いますが、今回の升田さんの関心はそこよりも、案内文にもあったように、「持統天皇の歌は少ないが、「言」の質感・質量で複雑な人物像がシンプルに凝縮されて、「わ〈持統天皇〉」と「な〈天武天皇〉」をつなぐ情意が見えるような気がする」と言うところでした。

升田さんは、日本書紀から見えてくる持統天皇像とは違った人物像が、万葉集から見えてくるといいます。それを象徴する天武天皇に対する挽歌を2首、読み比べてくれました。

やすみしし わご大君の 夕されば 見し賜ふらし 明け来れば 問ひ賜ふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し賜はまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しび 明け来れば うらさび暮らし 荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし(159番歌)

明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし わご大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に 潮気のみ 香れる国に 味ごり あやにともしき 高照らす 日の皇子(162番歌)

たしかに、この2首を声に出して読んでみると違う感じを受けます(ぜひやってみてください)。

升田さんは、後者(162番歌)は、定型表現も多く、いかにもきれいにまとめあげられていて、「書かれた人物像」という感じがするが、前者(159番歌)には人間的な生々しい感情や迷いが感じられ、まるでじかに持統天皇に会っているような気さえすると言います。文字で詠まれた歌と生の言葉で詠まれた違いを感ずるというのです。
前回も話題になった話し言葉の歌と文字の歌の違いです。
ちなみにこの2つの歌には8年の間隔があるそうですから、天武への思いも変わっているのかもしれません。

升田さんは、前者を「古事記」的、後者を「日本書紀」的とも言いましたが、それに関連して、記紀それぞれの冒頭の日本の国づくりのしかたの違いも話してくれました。
古事記は「問い」から始まるのに、日本書紀では「共に計る」ことから始まる。その背景には、記紀それぞれの編纂目的の違いがあったとわかりやすく説明してくれました。
文字や言葉が、国家や生活にとってどういう役割を果たすのかを考える大きなヒントがそこにあるように思います。

升田さんは、次に、「言」を取り上げます。

持統天皇の159番歌にも出てくる「問ふ(言問ふ)」という言葉が詠みこまれている歌を、10首ほど読んでくれました。そこから浮かび上がってくるのは「言問ふ」ことこそ人と人をつなぐ最初の行為であり、つながりやはじまりを生み出し、「いのち」を感じさせる言葉だというのです。

言問いが通じなければ、そこにはいのちはなく、通ずるところに「わ」と「な」が行き来した姿を現し、そこから「命」ある言葉が広がっていく。つまり「わ」と「な」が生み出されていく。159番歌には「悲し(恋し)」や「寂し」という言葉も出てきますが、それらもまた「問い」から始まるのです。

そして、「言(コト)」は人と人をつなぐ豊かな言葉であるとして、「コトアゲ」「コトダマ」「コトドヒ」「コトワザ」などと言った「コトバ」をたくさん例示してくれました。「言」は私たちがいま感じている以上に、当時の人たちには大きな意味を持っていたのです。言霊というように、まさに「言」が生きていた。

文字の発明と普及によって、そうした「いのち」が様式化され、表情豊かな人のつながりも、無表情な人間関係へと絡め取られていってしまったのかもしれません。しかし、それが先進国である大陸諸国に対しての国としての自立につながっていったのです。

私自身は、感情豊かだった持統天皇が、天武崩御後、藤原不比等に乗せられて、次第に文字や制度に絡め取られていって、天武天皇を見捨てたように受け止めているのですが、そういう視点から考えると、持統天皇にとって、自ら(「わ」)を生み出す相手(「な」)が天武天皇からもっと大きなものに変わってしまったために、生き生きした「わ」ではなく、律令国家の中の役割としての「わ」に矮小化されてしまったのではないかという気がしますが、これはいささか個人的な解釈すぎるので升田さんには一笑に付されそうです。
しかし、「言問う」という言葉には、そんな大きな力があるのかもしれません。

中国から文字が入り、その中華思想に伍していくために、飛鳥から平安へと、日本人は大きく変わりだした。改めて「万葉集」の面白さ、不思議さを感じたサロンでした。

なお次回から万葉集サロンの曜日が第3土曜から第2日曜に変更になります。
次回は8月21日です。
ぜひ多くの人に万葉の世界の面白さに触れていただきたいと思っています。

Manyou2022061

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