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2022年7月

2022/07/29

■湯島サロン「信仰の力」報告

真言宗系の真如苑の信徒の阿部和子さんにお願いした「信仰」をテーマにしたサロンは、さまざまな思いと関心を持った人が集まってくれました。
「不安の時代」とも言われ、しかも自己責任が問われる最近の状況では、信仰への関心は高く、会場が溢れるほどの人が集まるのではないかと思っていたのですが、そう思っている人はそう多くはないのだと知ったことが私には驚きでしたが。

しかし、考えてみれば、信仰とは極めて個人的な問題であり、またどうしても「宗教」につながっていくので、話し合いのテーマとしては、難しいのかもしれません。
「私が信ずるもの」というテーマならば、また違った印象を与えたのかもしれません。

和子さんは若いころに入信し、おそらく信仰が和子さんの人生を大きく支えてきたのだと思いますが、入信した経緯も含めて、ご自身のこれまでの人生を信仰とつなげながら語ってくれました。
「信仰の内容」についての話というよりも、「信仰のある人生」という話をお願いしたのですが、その語り口にも信仰の力のようなものを感じました。
時間があれば、参加者それぞれの「信仰」「信ずるもの」についても話し合いたかったのですが、今回はそこまではいきませんでした。

信仰や宗教の捉え方は、人によって大きく違うでしょう。
ただ今回、和子さんのお話や参加者のみなさんの話し合いを聞いていて、信仰を通して、その人が見えてくると同時に、自分もまた見えてくることに気づかせてもらいました。

私は、「信仰」の意味をかなり広義に捉え、生きる上での拠り所と考えています。そしてその「拠り所」が、自分の生きる世界を決めている。言い換えれば、自らの信仰こそが、友との出会いをもたらし、人とのつながりを育て、自らの居場所をつくってくれる。その意味で、すべての人は意識の有無にかかわらず、みんな信仰(信ずるもの/信じたいもの)を持っているはずだと思っています。
ですから、信仰を語り合うことがとても大事なのではないかと思っているのです。

何か信ずるものがあれば、人は平安に生きられる。しかし、そうした信ずるもの(信仰)を見つけられずに、心の平安を得られずにいる人が増えてきているような気がします。湯島のサロンが、そうした「信ずるもの」に出会える場になればという思いもあります。何かが信じられれば、元気が出るからです。そして、信ずるものがあればこそ、前向きの話し合いができる。愚痴や非難で終わることもない。

信仰が宗教や宗教組織とつながることもあれば、そうした既存のものとは違う自分だけが辿り着いた信仰もある。その意味で、宗教についても理解を深めたいと思っています。念のために言えば、信仰を利用した宗教教団とは切り離して考えています。それらには別の意味で(その危険性と可能性に)大きな関心を持っていますが、

参加者の話し合いも、考えさせられることがたくさんありました。
自らの信仰とは別の意味での関心からの質問(なぜ真如苑に人が集まるのか)もありましたが、そういう問いかけからの気づきもありました。
ある参加者の最後の感想が、和子さんの話の内容を要約していると思いますので、本人の了解を得て紹介させてもらいます。

阿部さんは、最近は家族や人との繋がりが希薄なため、居場所として教団が魅力になっている。特に若い人にとっては、悩みを相談し、解決する貴重な場になっていると話されましたが、実社会で格差、分断が広がり個人の孤立化が進むと、宗教組織の役割が大きくなっていくのかもしれません。
阿部さんを見ていると、宗教組織がバランスのとれた人格を育てる側面もあると思いますが、もともとある程度バランスがとれている人が、バランスのとれた組織を選んでいる側面もあるのかもしれません。"類は友を呼ぶ"と言いますし…。

共感できる意見です。
信仰とは、自らが安堵できる世界を見つけることと言ってもいいかもしれません。
しかし、そこには信仰する主体としての自己がなければいけない。
信仰を通して、自らに気づいていく。あるいは自らを育てていく。

和子さんは、参加者の質問に応じる形で、信仰生活の一つとして、真如苑で行われている「接心」についても、ご自身の体験として、少し紹介してくれました。
真如苑での接心は、「霊能者」と言われる信徒との対話のスタイルで行われます。「霊能者」は、信徒が信仰から自らの判断を自分で導きだすことを支える役割を果たす人で、上からのお説教などをするのではありません。
「接心」を受けるのは、今様に言えば、カウンセリングやコーチングのような感じで、結局、答えは自分で見つけ出すようです。霊能者との接心で、自分が直面している問題への理解を深め、解決への糸口が得られた体験を何回もしているそうです。その時には気づかなくとも、後から振り返ると自分に必要なものだったとわかるのだと和子さんが言っていたのが印象的だったと、参加者のひとりは言っていました。

今回はいろいろと思うことが多くて、なかなか報告が書けませんでした。
「信仰」というテーマの重さにも気づきました。
同時に、宗教や信仰について語り合うサロンの意義を改めて感じました。

人のつながりやコミュニティの核にも、メンバーが共有している「信仰」があるような気がします。そもそも信仰のないコミュニティなど成り立つのか。コミュニティを束ねる、あるいは生み出す核は何なのか。
興味がどんどん広がって、考えがまとまりません。

話し手になってくれる人がいたらご連絡ください。
信仰の話でも宗教の話でも、あるいは「信仰と宗教」の話でも大歓迎です。
いや大きく「生きる意味」とか「生きる力」というテーマでもいい。

「信仰」は、個人の問題あると同時に、社会の問題でもある。
それに気づかせてもらったサロンでした。

Shinkou

 

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2022/07/27

■ウクライナ戦争を止めたかったら、まずは日本の死刑制度を廃止すべきではないか

2008年に起こった秋葉原での無差別殺人事件の8人目の死者が出ました。
加害者だった加藤さんが死刑執行されたのです。
死刑執行の報道に触れる度に、気が萎えてしまいます。
死刑制度がいまなお日本で認められていることが残念です。

また非難のメールをいただくでしょうが、死刑執行による加藤さんの死と安倍元首相の死との違いがどうも私にはうまく消化できないのです。
それで急に誰かと話したくなり、昨日は29日のサロンを呼びかけてしまった次第ですが、今日、朝日新聞で中島岳志さんの話を読んで、少し救われました。私だけではなかったようです。

朝日新聞に紹介されていた、当時の被害者の湯浅さんの言葉にも感動しました。

「加藤死刑囚は長男と同世代でもあり、恨む感情は起きなかった。どんな人物なのか、同機は何なのかを知りたいと思った」。

湯浅さんの知性に敬意を表します。

どうして死刑を執行してしまったのでしょうか。
なぜ国家は、国民を殺すことができるのでしょうか。
戦争ができるようにしておくためでしょうか。

私には、ウクライナの戦争を止めるよりも、日本での死刑制度を廃止するほうが大切なような気がしてなりません。

 

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2022/07/26

■玉野井芳郎さんをご存知でしょうか

先日、新しい経済に関心を持っている2人の若者に会いました。
会うきっかけになったのは、私が大学で学んだ経済学の教授のおかげです。

玉野井芳郎さんがその人ですが、私が受講していた時はまだ玉野井さんは、教授になったばかりで、経済学史中心の講義だったため、私には退屈でした。以来、経済学への関心を失い、大学時代には経済学関係の授業は全く受けませんでした。
しかし、玉野井さんの話し方や動き方はなぜかとても印象的で、人間としては、記憶に残っている先生の一人です。

私が経済学に興味を持ち始めたのは会社に入ってからです。
1970年代には経済が大きく変わりだそうとしているのが、私にもわかりました。
それが結局は、私が会社を辞める遠因になっているのですが、当時、私が関心を持っていた本を読んでいて、そこに意外にも玉野井さんの名前を見つけました。
学陽書房の「いのちと農の論理」あるいは「地域主義」です。
当時、私が関心を持っていたテーマで、玉野井さんとは関係なく読んだ本です。。
いずれも玉野井さんは編者のひとりでしたが、学生時代の印象が強く、玉野井さんよりもほかの編者に興味を感じ、影響を受けていました。

ところが玉野井さんが亡くなった後、1990年になって、玉野井芳郎著作集全4巻が学陽書房から出版されました。その頃は、私は経済や企業に大きく失望し、せめて自分だけは納得できる生き方をしようと会社を辞めてしまっていました。
ただし逃げたわけではなく、ささやかながら企業の変革にはしばらく関わっていました。

玉野井さんの著作集を読んで、地域主義やエントロピーや農業経済への玉野井さんの思いと実践を知りましたが、それに気づくのがいささか遅かったのは、大学での授業のせいかもしれません。残念なことをしてしまいました。

玉野井さんの全集を契機に、日本の経済の方向が変わるかと期待しましたが、そういう方向への経済の動きは見当たらず、ますますマネタリー・エコノミーやエコノミカル・ポリティクスへと日本の社会は変わりだしました。1980年代に広がりだした再生エネルギーへの動きも、原発中心へと変わってしまいました。
「失われた30年」とよく言われますが、私は「逆戻りした30年」だと思っています。

時代の反転の中で、玉野井さんの経済学も、その後またあまり話題にならなくなりました。宇沢さんの社会的共通資本論にも期待してむさぼるように読みましたが、同じように思ったほどの動きにはなりませんでした。
金融中心のマネタリー・エコノミーはますます加速され、もう行き着くところまで来てしまったような気もします。

しかし最近、あきらめることはないという動きに出会い始めました。
冒頭の2人の若者や、今月初めに湯島でサロンをしてもらった農に取り組んでいる若者は、どうも私が生きている世界とはかなり違う世界を見ているようです。
それに最近、日本でも翻訳が出版されたネグリとハートの「アセンブリ」(岩波書店)によれば、マルチチュードによる新しい政治や経済の時代への条件が生まれだしていると言います。すべては両刃の剣なのです。

そんなこともあって、もういいかと思っていましたが、もう少し現世で生きてみようと思いだしています。
ちなみに、9月11日には、玉野井さんの生命系の経済を修論でまとめた岸本さんに、湯島でサロンをやってもらう予定です。
ぜひ多くの人に参加してほしいと思っています。

ネグリとハートの「アセンブリ」もお勧めです。

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■7月2回目のオープンサロンのご案内

先週に続いて今週も金曜日のオープンサロンを開催します。
テーマはなく、出入り自由な気楽なサロンです。
事前申し込みも不要です。

何か話し合いたいことがある人は今回は特に歓迎です。
事前の呼びかけも歓迎です。それに応じて参加する人があるかもしれません。
そういうスタイルのテーマサロンもこれから検討したいと思っています。

まあ直前すぎる案内で申し訳ありませんが、これは私の勝手な気分によるものなのでお許しください。
思いついたらすぐにやりたくなるのが私の困った性分なのです。

〇日時:2022年7月29日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円

 

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2022/07/25

■7月オープンサロン報告

久しぶりのオープンサロンは暑い中を8人の方が参加してくれました。
やはりテーマサロンよりもオープンサロンのほうが参加しやすいようです。

平日だし暑いし、あんまり来ないだろうなと思って、実はサロンの前に一人で先日サロンで話題になった国際箸学会の箸タイムゲームの一つ、「積みピー」に挑戦していました。ところが先日は3つしか積めなかったのに、今回はすぐに4つが実現。

サロンのことを忘れて、さらなる記録を目指して一人ゲームに専念していたら、定刻前に参加者が集まりだしました。
そのため、オープンサロンが始まっても、積みピーゲームをやりたい人はやりながらのサロンになりました。珈琲を淹れる間もありませんでした。今回はアイスコーヒーのみ。

サロンに最初にやって来たのは、安倍首相国葬問題で怒っている人でした。もちろん怒るだけではなく行動も起こしている人で、異議申し立ての訴状を持ってきてくれました。いつもならその話に深入りするところですが、次々と三々五々、参加者が来るので、テーマが切り替わり、深入りしすぎずに終わりました。
これもオープンサロンの良さかもしれません。まあ、悪さとも言えますが。

初めての参加者もいたので、途中でみんなの自己紹介と最近の話題を簡単に話してもらうようにしました。時に自己紹介で終わることもあるのですが、今回はなぜかみんな短かった気がします。やはり暑さのせいでしょうか。
いや、私が疲れていたせいかもしれません。

初参加の方は、しばらく韓国で暮らしていた人ですが、その人が韓国では「ふつうは…」という会話はあまりないという話をしてくれました。
湯島のサロンでも、時々、普通ってなんのこと? というやりとりがありますが、このテーマは興味があります。できればいつかその人に話題提供してもらい、サロンをやりたいと思います。

最後にやってきた林さんが、話しながらの積みピーで7つを実現。私にとっては衝撃的で(ちなみに現在の世界記録は9つです)、その衝撃のためサロンで一体何は話されたか思い出せなくなってしまいました。いつものように、話題は広がったり集中したりだったような気もしますが、思い出せません。
しかしいつものように定刻になっても誰も席を立とうとしないため、話し合いはいろいろと盛り上がっていたのでしょう。

このサロンは、積みピーで7つの記録が出たという記念すべきサロンになりましたが、これからオープンサロンではいつも箸タイムのゲームを自由にやりながら進めようと思います。記録を破りたい方は是非いらしてください。もっとも7つの記録はそう簡単には破られないでしょう。
8月もオープンサロンを開催します。

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2022/07/23

■湯島サロン「医療や福祉における‟拘束”について考える」のご案内

コロナ禍が始まって以来、なかなか「福祉」関係のサロンが開催できずにいましたが、久しぶりの開催です。
コロナ禍に注目が行き過ぎて、従来の高齢者福祉の問題が見えにくくなってきているのがとても気になっています。いや、高齢者福祉だけではありません。いろいろなことがどうも見えにくくなってしまっている。コロナよりも、そのほうが私には不安です。
がんばってまた「福祉」サロンを増やしたいと思います。湯島のテーマサロンは、そもそもコミュニティケアに関するサロンから始まったのですから。

以前紹介させてもらいましたが、「認知症と拘束” 尊厳回復に挑むナースたち」((日本看護協会出版会)をまとめた平岩千代子さんに、今回はサロンをお願いしました。テーマは「身体拘束」。病院での身体拘束の話は、今も時々聞きますし、この本を読ませてもらって、これは私にとっても決して無縁の話ではないと思う共に、この問題は、福祉とは何か、医療とは何か、そして、生きるとは何かを真正面から問うてきていることに改めて気がつきました。そこで平岩さんにお願したのです。

この本は「父が縛られることに同意はできない」という平岩さんの言葉で始まっています。それこそが平岩さんが本書を書くことになった動機でしょうが、平岩さんは、「長い人生を懸命に生き抜いた最終楽章で、身体拘束されるのはあまりにも切なく悲しい。人生100年時代といわれるようになりましたが、「長生きしてよかった」と思える生活や療養の環境を整えることが喫緊の課題です」と言います。そして、一市民としてできることはないか、というのが本書出版の目的の一つです。

そして平岩さんが出会った、人間の尊厳を根底において活動されている3人の看護師のインタビューをまとめてくださったのが本書です。平岩さんは、そうした事例の紹介を通して、一市民としてできることはだれにもある、と伝えてくれているのです。

これは決して医療や福祉に関わるだけの問題ではありません。「はじめに」で平岩さんは、「見える拘束」と「見えない拘束」に言及されていますが、私はそのくだりを読みながら、まさに私たちの日常生活も、「見えない拘束」に覆われだした状況にあるのではないかと思いました。だとしたら、看護師ではない私にもできることはあるはずです。

本書の中で、看護師の田中とも江さんがインタビューの最後に話した言葉が、強く心に残りました。私の考えにあまりにも重なっていたからです。

「私には社会を変えることはできません。できることは目の前の人が安心して暮らしを営むための支援をすること。言い換えれば、私自身が自分らしく生きたい。これって尊厳のことですよね」。

気軽に読めるブックレットですので、ぜひ読んで、3人の看護師の声を聴いていただきたいと思います。紹介は次のサイトにあります。
https://dpj.jnapcdc.com/archives/2828
次のサイトから注文できます。湯島にも1冊、ありますので、読みたい方はどうぞ。
https://www.jnapc.co.jp/products/detail/3906

なお、NPO法人白十字在宅ボランティアの会が制作した「元気なときから知っておきたい在宅ケア動画シリーズ」の一つとして、平岩さんの在宅ケア体験インタビュー動画がありますので、関心のある方はこの動画もどうぞ。

【大好きだった自宅のお風呂と庭を最期まで】
https://www.youtube.com/watch?v=lx96nZwbsIU

久しぶりに、生き方や社会のあり方に関わる「大きな福祉」サロンです。
ぜひ多くの人に参加していただければと思っています。

〇日時:2022年8月28日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「医療や福祉における拘束”について考える」
〇話題提供者:平岩千代子さん(身も心も縛られない暮らしを模索する社会福祉士)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2022/07/21

■農から離れた生き方を見直しませんか

フェイスブックに「畑作業もどき報告」を時々書いていますが、昨日の報告の最後に、ついつい「日本国民は、農業から離れてしまったために、何かとても大きなものを失ったのかもしれません」などと大仰なことを書いてしまいました。

ところがその直後、今度予定している原爆と原発関係のサロンのために、久しぶりに読み直した「原爆後の人間」(新潮選書 1971年出版)の最後に、それにつながるようなことが書かれていました。
同書は、当時、広島原爆病院院長の重藤文夫さんと作家の大江健三郎さんの対話集です。

最後に出てくる重藤さんの畑作業に関わる話がとても印象的なのです。
重藤さんは激務の合間に、時々、家族と一緒に生まれ育った近くの農村に出かけて行って、畑作業をしていたようですが、それにまつわる話です。
長いのですが、ぜひみなさんにも読んでほしいと思い、要約して引用させてもらいます。

たいてい日曜日には生家のある農村に行っています。お昼を持って、食べて帰ってくるんです。農家の人たちと話をするのが好きなんです。みなやってきますよ、「そのクワの持ち方はだめだ」とかね。
私たちの野菜は手入れも不十分なので、あまりよくできない。帰るときは、農家の人たちが、「うちの畑から掘って帰んなさい」と言うのです。

そこの農村は野菜を売ったりしないところなんです。自分のうちの分だけ作っている。そして、私たちにも持っていけと言ってくれる。
それは楽しいもんですわ、田舎はね。農村の人が親切で、私などを小さいときから知ってるから、一体感をもっているんです。現に小学校時代の仲間もいますからね。おんなじですね、学校にいったのと、そこに残って百姓をしてきたのと、互いに。
私も行くときには必ず聴診器と血圧計を持って行きます。無料健康相談、往診であれ何であれ、村のものならいっさい報酬は要りませんから…。

みんな熱心で、よく働く。でも最近は兼業が多くなりましたがね、広島へ出る。でも農業をやめて、広島に出たり、役場に入ったり、町会議員になったりする人たちの家は、みんなぼれてるんです。村の人が来て、「先生、よく見なさいよ。あんたの家もぼろぼろになっているし、あそこの家も。みな百姓きろうてよそへ出たやつだ」って…。百姓を一生懸命やってきた家はみな立派になっています。

しかし農村もいまスキなんかで耕作しないでしょう。ですから建物の構造が変りつつあります。昔は牛舎があったのがみななくなって、機械を入れる倉庫になって、どんな百姓家でも自動車がある。大型のトラックと乗用車と。

以上が重藤さんの話した概要です。最近、よく湯島で話題になっているラダック地方の「懐かしい未来」を思い出すような話です。
ちなみに重藤さんは、田舎に帰ると「フミヨーさん」と昔の名前で呼ばれるのだそうです。そこではもう病院長でも医学博士でもない。

そういえば、今見ている中国ドラマ「三国志」でも魏国の大都督にまでなった司馬懿が生まれ育った故郷に帰ったら、そこでは昔の仲間から、司馬懿と呼び捨てにされていました。司馬懿は土との付き合いも忘れなかったようです。
だから80歳を過ぎてもなお生き方を間違えなかった。
そんな気がします。

さて今日もまた畑に行こうと思います。整理した花壇に蒔く花のタネを買ってきましたので。今頃蒔くのが意外とあんまりなかったが残念でしたが。
今日は、帽子と水は忘れずに行く予定ですので、ご安心を。

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2022/07/20

■汗をかくと元気になります

今日も午前中、畑に行きました。

出かけるのが8時半になってしまったので、30分で切り上げるつもりだったのですが、昨日、目標設定したアジサイの下の薮の周辺の笹竹とつる草を刈り取る作業を始めたら、面白くて時間があっという間に過ぎてしまいました。
気づいたら10時近くになっていました。
汗は滝のように流れ出ていますが、水分を持参するのを忘れてしまっていたため、注意しないとだめだなと思い、心残りながら途中でやめました。
しかし、昨日と今日の写真を並べてみるとよくわかると思いますが、かなり整理できました。なかには1センチほどの太さになっている竹も多く、鎌で切り取るのが大変でした。

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野草もだいぶ刈りましたが、土の中から芽を出し損ねていたチューリップの球根などがいくつか出てきました。さすがにこれからは無理でしょうが、埋め直しました。

そこまではよかったのですが、帰宅が大変でした。
さて帰ろうと立ち上がったらめまいがして、傾斜地だったので身体のバランスを崩してゆっくりとですが、転がってしまいました。なんとまあ無様なことか。刈り取った草がたくさんあったので、まあ気持ちのいい転倒でしたが。
何とか自転車を引きずりながら帰宅。玄関で横になったらもう動けません。娘に水を持ってきてもらい何とか脱水症状にはならず、しかしそこで20分は寝ていました。
無茶をするなとまた叱られましたが、当人にとっては無茶かどうかはなかなかわからないものです。

30分して何とかシャワーをする元気が出てきましたが、水でシャワーしたのに汗は止まりません。何とかおさまったのはさらに20分後でした。
しかし、疲れ切りましたが、気分はかなり爽快になりました。
昨日から実はかなり滅入っていたのですが。
やはり汗をかくのはいいことです。

それに、いつも思うことなのですが、仕事が面白くての過労死のことがよくわかります。
会社時代、仕事が面白かったのを思い出します。
もうそれができないと思うと、いささか寂しいです。
まあ今ではできることと言えば、こうして野草の刈り取りくらいですから。

今日の中国テレビドラマ「三国志」は面白かったです。
司馬懿は、戦闘よりも土を耕すことが大切だと、次男の司馬昭に言い聞かせていました。
ドラマではまだ司馬昭は納得できていませんが、この教えがあればこそ、司馬昭は三国時代を終わらせることができたのです。

日本国民は、農業から離れてしまったために、何かとても大きなものを失ったのかもしれません。

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■湯島サロン「原発と平和パート2 核時代にしっかりと向き合おう」のご案内

第五福竜丸展示館ボランティアスタッフの黒田礼子さんのサロン「改めて原発と平和の関係を考える」はたくさんの人に参加していただきました。時間もかなり延長しましたが、まだまだ話したりないという人も多かったので、パート2として、原発問題や核時代の生き方に関して長年取り組んでいる本間照光さん(青山学院大学名誉教授)に「核時代にどう向かい合うか」をテーマにサロンをしてもらうことにしました。

前回は、第五福竜丸事件を話題の中心にしましたが、今回はその後の動き、とりわけ最近の核共有論や原発関連訴訟などの新たな動きにも触れながら、核の問題が私たちの普段の生活にも深くつながっていることを改めて認識し、「核時代に生きている意味」を考えていければと思います。単に知識を広げるだけではなく、私たちの生き方を問い直すきっかけになればと思います。

重いテーマですが、ぜひ多くの人に参加していただきたいと思います。
私たちのくらしといのちにかかわる問題ですから。

今回お話ししていただく本間さんの最近の論考を紹介します。
参加される方はもちろんですが、ぜひお読みいただきたいと思います。
◆「虚構の「核のごみ」最終処分」(週刊エコノミスト Online 2022726日から4回連載)
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210726/se1/00m/020/005000d
◆「幻の、核のごみ「文献調査段階」 問われぬ危うさ」(『科学』20223月号巻頭エッセイ)
https://www.iwanami.co.jp/news/n45930.html
◆「大量殺戮兵器を捨てない5大国 人間らしさ保障されない“核時代”」(週刊エコノミスト Online 202253日)
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220503/se1/00m/020/001000d
◆「原賠制度から見た核のごみ問題―投げ棄てられるリスクとコスト、責任」(『科学』電子版、202011月)
https://www.iwanami.co.jp/kagaku/eKagaku_202011_Honma.pdf

〇日時:2022年8月27日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「原発と平和パート2 核時代にしっかりと向き合おう」
〇話題提供者:本間照光さん(青山学院大学名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌5372:気が滅入って元気が出ません

節子

昨夜、いささか気の重くなるようなテレビドラマを観てしまいました。
もう昔放映されたものですが、録画していたのです。
「ダブルフェイス」という、やくざ組織への潜入ドラマです。

私は、生理的にやくざ組織が受け入れられません。
前世に何か悪縁があったとしか思えないほど、生理的にだめなのです。
したがってこのドラモも録画しながら結局観ていなかったのだと思いますが、昨日は何となく観てしまったのです。

節子と一緒なら絶対に観ていないドラマです。
節子は私以上にこの種の話が嫌いでしたから。

見終わって、やはり気分が沈んでしまいました。
理由はわかりませんが、朝、目が覚めても引きずっています。
元気が出ない。

これに限りませんが、最近、いささか感情の動きが大きいのです。
そして滅入ることが多い。
畑で野草刈りに専念している時には、すべてを忘れられますが、少しするとすぐ忘れてしまう。
今日も朝からどうも元気が出ないのです。

こういう状況の時には判断間違いも多くなります。
最近、いろんなことで判断を間違ってしまうことがよくあります。
どうしてそんなことに気づかなかったのかと思うと、また気が沈んでしまう。

湯島のサロンも、またいささか引いてしまいそうな自分に気づきます。
誰が何といおうと無意味な活動なのではないかと思うのです。
なぜ20年前に思っていたことをつづけなかったのか。
つづけられないのであれば、なぜ潔く、隠棲しなかったのか。

節子がいなくなったために、私の人生は大きく変わってしまった。
いや、節子と出会った時から、この人生は決まっていたのかもしれません。
気が滅入るとそんなことまで考えてしまう。

今日も畑に行って、気を取り戻さなければいけません。

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2022/07/19

■節子への挽歌5371:たかつきメロン

節子

今年も節子の生家から地元産の「たかつき」メロンが届きました。
以前は節子の祖父の家でもこのメロンをつくっていましたが、いまはもう誰も作っていませんが、毎年、送られてくるのです。
早速、節子にお供えをしました。

コロナもありますが、節子の生家にはもう長いこと行っていません。
娘たちも出て行って、いまは節子の義妹が大きな家に独りで住んでいます。
若い世代は、村から出て行ってしまう。
なんだか歴史はいい方向に向かっているのかどうか迷います。

幸いにわが家は娘たちも一緒に住んでいますが、これもまたいいことかどうか迷うところです。
しかし、人生はさまざまですから、どれがいいのかどうか、考えること自体がおかしいのでしょう。

毎年、たかつきメロンが送られてくるたびに、家族で高月に帰ったことを思い出します。
あの頃は、まさか私だけが遺されることになろうとは思いもしていませんでした。
人生は、なかなか思うようにはいきません。

おそらくこれからもそうでしょう。

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■節子への挽歌5370:にことの3つの約束

節子

先週の日曜日、部屋でパソコンをしていたら、孫がひょっこりやってきました。
じゅんが買い物に行っていて、一人で留守番だったようですが、退屈してやってきたのです。

2人でゲームをすることにしました。
はさみ将棋を教えてやろうと言ってやりだしましたが、どうも難しそうです。
そのうちに、にこが「あみだくじ」をやろうと言い出しました。
早速、紙に5本の線を引いて、あみだくじを2人でつくりました。

さて当たったらどうするかということになりました。
にこはすぐに、「畑に行く」にしようと言い出しました。
あれほど畑行きを拒んでいたのになんとしたことか。

私は、では「好きな本を買う」にしようといって、それぞれ書き込みました。
にこは畑の代わりになにやら松明のような絵を描きましたが。

5本のうち当たりは2本。もう一つ当たりをつくろうと言って、にこに何がいいか訊きました。返事はありませんでしたが、なにやら何か欲しいものがありそうです。何なのか訊いたら、でもすぐにはだめなものだと言います。ますます聞きたくなって問い重ねると、自動車だと言います。え!! まだ早いんじゃないのと思ったら、なんと「リカちゃんの自動車」だそうです。後でじゅんから聞いたのですが、昨年から欲しいと言いながら、まだ買ってもらえていないそうです。いざとなると優先順位が下がるようです。

リカちゃん人形系は私は買いたくないのですが、仕方なく3番目の当たりに加えました。
そしてあみだくじを始めました。
にこは1回目で本を当てました。
ところが次に私がやったら、なんと「畑に行く」が当たりました。もちろんこれはにこが畑に行くという意味です。
次ににこがまたやって、これは外れ。最後に私がやったらリカちゃん自動車が当たってしまいました。困ったものです。

さてそこで、にことの間に3つの約束ができました。
「畑に一緒に行く」と「孫に好きな本を買う」「リカちゃん自動車を買う」です。

いずれもまだ実行されていません。
雨だと畑に行けませんし、晴だとにこはいつも友達と遊びに行って、暗くなるまで戻ってきませんので、畑には行く時間はありません。
本を買いに行く約束もまだですが、どうもいまはそんなに欲しい本がないようです。

さてリカちゃん自動車はどうするか。じゅんによると、欲しいだけなのだといいます。欲しいという夢は大事にしなければいけません。そのためには実現されないほうがいい。そんな気もしますが、どんなものでしょうか。

明後日からにこは夏休みですので、近いうちに畑に行けるでしょう。
薮状態なので、夏ズボンを持っているかどうか心配ですが。

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2022/07/18

■節子への挽歌5369:畑作業を続けています

節子
畑作業はつづいています。

雨でしばらく行けなかったのですが久しぶりに今日は畑に行きました。
やはり野草のほうが元気です。
雨で水気が多く柔らかくなっているため、野草を除去するのは難しいのです。
しかし放っておいたら、それこそ大変なことになります。

先日、蒔いておいた秋キュウリが芽を出していました。
Akiqri
このうち2~3本が育てば十分です。
ナスは手入れが悪かったので収穫はあきらめていましたが、元気になってきました。

今日は前回、途中でやめたヒメヒオウギ水仙を一掃する予定だったのですが、なんとなくその気になれませんでした。その隣のオミナエシをすべて刈りとろうと思いましたがこれもやめました。花が咲いているところには虫がかなりいるので、もう少し彼らの場にしておこうと思ったのです。で、今日も笹竹刈りに徹しました。

道路側の斜面の花畑は、野草を刈り取りだしていますが、花類が一向に芽を出しません。斜面の一角の特別ゾーンをつくりました。ここに花の種子を蒔こうと思います。以前は芝桜が覆っていたのですが、いまは跡形もありません。
今日は「花壇ゼロ」ですが、1か月後には花が満開になっていると思います。たぶん、ですが。

1時間半のハードな作業で、滝のように流れる汗をかきました。実に気分がいい。
今回も水は持参しなかったのですが、帰宅したらユカがいま話題なのだと言って、ヤクルト1000を用意しておいてくれました。元気が出るのだそうです。
優しい娘だと思ったら、ズボンくらいは自分で洗えと言われ、シャワーをするついでに洗わされました。節子は私を甘やかせすぎたとよく言われています。
困ったものです。

でも今日は久しぶりに汗をかいて、元気が回復しました。
今日もエアコンのお世話にならずにすみました。

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■生活事業研究会第2期参加者募集と第1回目のご案内

「生活事業研究会」第2期の募集と第1回目のご案内です。

生活事業研究会は、サロンとは違い、半年間にわたり月1回開催する会員制の研究会です。毎回、私からの話もありますが、基本は参加者本人がワークシートなどの課題をこなしながら、自分の取り組みたい「生活事業」を形にしていくことを目標にしています。

「生活事業」とは、聞きなれない言葉ですが、私の勝手な造語です。
一言で言えば、「自分たちの、自分たちによる、自分たちのための事業」です。つまり社会のための事業ではなく、ましてや収益(金銭)のための事業でもありません。自分たちの生活を豊かにするために自分たちでなければできないことを実現していくプロジェクト、あるいは活動と言ってもいいかもしれません。

「お金を目的とする事業」は対象にしていません。だからと言ってお金を無視しているわけではなく、むしろ重視していますが、金銭は手段であり結果であって、目的とは位置づけないのが「生活事業」です。

さらにいえば、生活事業を考えることで、自らの生き方の問い直しにもつなげていければと思っています。そして、そこからいまの経済や社会のあり方を変えていければと思っています。
現在の経済のあり方を問い直す意図も含まれていますので、ある意味では「新しい経済」を考えようという意味も少し持っています。

もう一つ重視しているのは、参加者同士のつながりです。
すでに第1期として8人の人が研究会のメンバーになって、それぞれの生活事業(思いの実現)に取り組んでいますが、その人たちも含めての人のつながりを育てていくことも重視しています。期を重ねて、仲間を増やしていき、ゆるやかなコミュニティが育ち、そうしたコミュニティから、いつか新しい生活事業が生まれていけばいいなと思っています。

サロンとは違い、6回連続で毎回1000円の有料制です。話し合うだけではなく、参加者それぞれが実際に行動を起こし、構想した事業(プロジェクト)を実現するのが目的です。毎回宿題も出ます。会員登録制を取りますが、途中で脱会ももちろん可能です。お勧めはしませんが。
私も含めて、参加者はそれぞれの生活事業にアドバイスしあいながら、自分も事業起こしに取り組んでいくという、汗も知恵も、その上、毎回参加費もかかる研究会です。

全6回のプログラム(予定)は次の通りです。

第1回:生活事業という考え方を話し合う/やりたいことの再確認
第2回:やりたいことを構想する
第3回:構想を計画化する
第4回:計画実現のための仲間づくり
第5回:計画実現のための資金計画
第6回:それぞれの事業計画の発表と最初のアクションプログラムの確認

ちなみに、研究会に参加したからと言って、事業(プロジェクト)が実現できるとはかぎりませんが(本人次第です)、ともかく何かが動き出すことを目指したいと思います。
具体的な取り組みたい事業(プロジェクト)のある方もない方も、どなたでも歓迎です。
「事業」などとは縁のない人も、歓迎します。

その第1回を下記の通り開催します。
とりあえず参加して気が向いたら正式参加も可能です。
ただし参加される場合は、あらかじめご連絡ください。

■日時:2022年8月4日(木曜日)午後1時~4時
■場所:湯島コンセプトワークショップ
■参加費:1000円
■参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤修)

 

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2022/07/17

■湯島サロン「安倍元首相銃撃事件をどう捉えるか」のご案内

安倍元首相が選挙活動中に銃撃され、死亡しました。
テレビでもその銃撃の映像は一部流されましたが、その映像からいろんな不可解な事実も見えてきました。
私は、充分に理解(納得)できないことはどうも気になるタイプなので、どうもすっきりしません。

さらにその後、数年前にはあれほど国民の怒りをかっていた安倍さんが、偉大な政治家として連日献花が絶えないほどの名宰相だという報道が続き、さらには「国葬」が行われることになりました。
これもすっきりしません。

その一方で、ネットではテレビや新聞とは全く違う情報もたくさん流れています。そして真相は別にあると言い出している人もいます。まるでケネディ暗殺事件を思わせるような話をする人までいます。
ますますすっきりしない。

すっきりしていないのは私だけではないようです。
それをそのままにしておくのはよくありません。

それに、評価は別にしても、私たちが住んでいる国の要人が、多くの人の目の前で銃弾に倒れるというような社会に生きていることへの不安もあります。国葬までされるような人がこうしていとも簡単に銃殺されるような社会では、私のような普通の国民の生命など、もっと粗末に扱われることでしょう。
そう思うと、これは決して他人事ではありません。

いつものように、マスコミはきちんとした情報は提供してくれません。
そこで、マスコミ情報とは別のネット情報にも詳しい、いつものおふたり(中嶋さん・北川さん)にお願いして、またいろんな疑問や意見をお持ちの方にも声をかけて、サロンを開くことにしました。
みんなが疑問に思っていることを出し合って話し合えば、少しは疑問も解消できるでしょう。そう期待しています。

言うまでもなく、どんな理由があろうと私は暴力や殺人には反対ですし、どんな人であろうと死者を悼むことは人として当然のことだと思っています。
ですから個人の尊厳を傷つけるような議論はしたくはありません。ただただ私自身がすっきりするために疑問を少しでも解消したいだけのサロンです。
そして、自分が生きている社会で、いま何が起きているのかをしっかりと考えたいと思っています。この事件から、そして事件の報道から、いろんなことが見えてくるような気がします。

すっきりしていない方はぜひご参加ください。

〇日時:2022年8月7日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「安倍元首相銃撃事件をどう捉えるか」
〇話題提供者:中嶋一統さん+北川泰三さん
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■湯島サロン「参院選の結果について話し合いませんか」報告

参院選サロンパート2として開催した「参院選の結果について話し合いませんか」のサロンは、やはり参加者が少なく、6人のサロンになりました。
湯島があふれるほどに集まるかと少し期待していましたが、残念でした。

私は、自分がいま暮らしている社会を少しでも暮らしやすくするための出発点は選挙だと思って、選挙には毎回、しっかりと対応していますが、当然のことながら、投票結果が社会をそう簡単に変えてくれるわけではありません。結果には失望することが多いのですが、だからこそ次もますます真剣に考えて期待して投票に行きます。

しかし、投票に行く多くの人や投票に行かないもっと多くの人にとっては、きっといい方向に向かっているのでしょう。代議制政治の結果は多くの人が望んでいることと一致するはずですから。さらにいえば、政治に無関心であるということは、いい政治が行われていることの証かもしれません。
こういう言い方をすると「反語」に聞こえるかもしれませんが、最近そう思うようになってきました。もちろん私自身は、いい政治などとはまったく思ってはいませんし、そしてそういう人が一定数存在することもまた、いい政治を成り立たせることだろうと思っています。

大切なことは、いい政治だと思っている人と思っていない人との間に話し合いや相互理解の場がないことだろうと思っています。どうもそれぞれに徒党を組んで相手を非難する傾向があるような気がします。非難からは何も生まれないのに。

そういう時代においては、いまの政治に共感していて、今回の選挙結果にも違和感のない人は、こういうサロンには来ないのかもしれません。そう考えれば、前回も今回も参加者が少ないのは納得できます。

しかし、今回集まった人たちは、今の政治状況にはあまり共感していないようです。それぞれどういう姿勢で投票に行ったか、またどういうところに投票したかなどを表明しあった後、いろいろと話し合いました。この種の話は、基本的にはオフレコなので内容は書けませんが。

20代の大学生が、同世代の友人たちと政治に関して話し合っているという話をしてくれました。これはうれしい話です。
こんな社会をつくってきた大人たちが居座っている状況では、若い自分たちが投票に行っても政治は変わらないと思っている人もいるようですが、だからと言って政治に無関心ではないようですし、政治に関する話し合いの場がなかったり、選挙で語られる言葉が無味乾燥で若者の心に入っていなかったりして、政治との距離があるようです。そこを変えるだけでも状況は変わるかもしれません。

また、意見の違う人と話し合うのは疲れるが、意見と同じ人と話していてもあんまり意味がない、という話も出ましたが、まさに同感です。異論をぶつけ合うのは疲れますし、時に楽しくありませんが、やはり疲れる話し合いこそが大切でしょう。
湯島での選挙に関する話し合いのサロンにあまり参加者がいなかったのは、そういうことも一因かもしれないと気づきました。

言い換えれば、最近、湯島の参加者の意見が収斂してきているのかもしれません。もしそうであれば、話し合いのサロンの意味もないかもしれません。もっと多様な意見が活発に飛び交う、疲れるけれど気づきのある場でなければ意味がない。

最近は以前のような床屋政談ができる場がなくなってきたと言って、今回参加してくれた人のように、場を求めているのは若者だけではないかもしれません。
どうしたらそういう異論が活発に飛び交う場がつくれるのか、大きな宿題をもらった気がします。

これに懲りずに、これからも政治関連の話し合いサロンは続けていくつもりです。
できるだけ湯島のサロンをかき乱す人に参加してもらえるとうれしいです。
あまりに疲れさせられない、ほどほどがうれしいですが。

Saninsen202207

 

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2022/07/16

■湯島サロン「新しい箸技ゲームを体験してみませんか」報告

久しぶりの国際箸学会会長の小宮山さん直々の箸を使ったゲームを中心にしたサロンは、日程設定が悪かったのか、参加者が少なかったのが残念でしたが、初めて体験する人も含めて、8人が集まりました。

サロンが始まる前から、参加者には「箸タイム」というゲームのセットが渡され、それぞれが「積みピー」という「ひとりゲーム」に挑戦。小宮山さんの話を待つこともなく、みんなそれぞれに熱中しだしまた。これは、セットにある箸リンという輪にピーナッツ(本物ではありません)を積み上げていくだけのゲームですが、これまでの最高記録はなんと9個だそうです。私もいつになく熱中しましたが、3つが限界でした。

全員揃ったところで、小宮山さんからなぜ国際箸学会を立ちあげるに至ったかの話があり、またアメリカのシアトルでの箸ゲーム活動の紹介が、小宮山さんに同行した松金さんからありました。箸ゲームの展開は、国内だけではないのです。
つづいて、前回にはまだ開発されていなかった「新しいゲーム」の紹介とそれらがどうやって生まれたのかが紹介されました。その経緯が実に興味深いのです。

ちなみにこれまでのゲームは、1分間に箸でピーナツをいくつ移動させられるかを基本とした「箸ピー」ゲームと箸使いの器用さを競う「箸リンメドレー」ゲームで、いずれも他者との勝負性を持っていました。

しかし今回紹介された5種類のゲームは、いずれも「ひとりゲーム」で、初めての人でもすぐにできるものです。5種類とは「ピー立てドミノ」「積みピー」「詰めホーダイ」「リン回転」「積みリン」です。

いずれも箸ピーや箸リンメドレーをやっている合間に、誰かが勝手に始めたのだそうです。つまり、箸ゲームのセットが遊び手に勝手にゲームを創造させたというわけですが、それこそが最高のゲームなのかもしれません。
どもたちはどんなものからも遊びを創りだすと言われますが、そういう創造力を箸ゲームセットは大人からも引き出してくれるようです。
これからもさらにいろいろなゲーム(遊び)が生まれていくでしょう。
もしかしたら、箸タイムセットも変わっていくかもしれません。

サロンでは、紹介された5つのゲームをそれぞれが自由に楽しみながら、その効用や面白さを体感しました。国際箸学会の話も聴きながら。
箸ゲームを活用できる場は、子どもから高齢者まで、学校から福祉施設まで、自己練磨からコミュニティづくりまで、いろいろと考えられそうです。実際に具体的なアイデアもいくつか出されました。

私自身は、競争性のある他者とのゲームやスピードを競うゲームは苦手なのですが、時間のある時にひとりで気楽にできる「ひとり遊び」には関心を持ちました。いずれも集中力を高めることも必要で、ある意味の瞑想ゲームにもなるような気もします。

ゲームを楽しんだ後、参加者は国際箸学会から箸ゲームのセットをプレゼントしていただきました。一人でもいろいろと使えますので、遊びながら新しいゲームが生まれるかもしれません。

湯島にはこのゲームのセットがいくつか置いてあります。
オープンサロンに参加された方、もしよかったらやってみてください。

なお箸技ゲームに関しては次のサイトやブログをご覧ください。
https://www.hashiwaza.jp/
また国際箸学会に関心のある方は次のサイトに連絡先があります。
https://kokusai-hashi.org/
入会のための資格はあまり問われないと思いますので、よかったら入会してください。

今回は箸学会のスタッフでもある横瀬さんや徳永さん、そして応援団でもある松金さんにもお世話になりました。
箸のゲームの魅力をもっと多くの人にお伝えしたいと改めて思ったサロンでした。

国際箸学会による箸ゲーム交流会のようなものをまた企画していきますので、次回はもっとたくさんの方に参加していただければと思います。

Hashi202207

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■7月オープンサロンのご案内

オープンサロンがなかなか開けずにいましたが、久しぶりに開催します。

いつものようにテーマはなく、出入り自由な気楽なサロンです。
事前申し込みも不要です。
どなたでも気楽に「話し」に来てください。もちろん「聞き」に来ていただくのも歓迎です。何か話し合いたいことがある人は問題提起してもらえれば、話し合いが始まるかもしれません。参加者次第ではありますが。

私は最近いささかバテ気味なので(1週間先なので、どうなっているかはわかりませんが)、コーヒーサーバーに徹して、静かにしているつもりです。

〇日時:2022年7月22日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円

 

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2022/07/15

■湯島サロン「改めて原発と平和の関係を考える」報告

第五福竜丸展示館でボランティアをしている黒田礼子さんのサロンには10人を超す人が参加してくださいました。

Kuroda1

第五福竜丸事件に関しては、いまの若い世代は知らないだろうと思っていましたが、20代の大学生は学校で学んだことを記憶していましたし、映画「ゴジラ」で知っていたと話してくれた人もいました。

黒田さんは最初に、保存されている第五福竜丸の写真といわゆるキノコ雲のカラー写真を見せながら、事件の概要を話してくれました。

1954 年31日、太平洋のマーシャル諸島でマグロ漁をしていた第五福竜丸は、近くのビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により、多量の放射性降下物(死の灰)を浴び、乗組員 23 人は全員被ばく、無線長久保山愛吉さんは半年後に死亡しました。
「ビキニ事件」と呼ばれた、この事件を契機に、世界的に核兵器反対の声が高まり、日本でも原水爆禁止の全国民的運動が広がった事件です。

黒田さんは、展示館に見学に来る子どもたちにわたす「第五福竜丸自由研究のためのメモ」を参加者に配ってくれたので、事件の全容や被爆後の福竜丸がなぜいまの展示場に展示されているかが、とてもよくわかりました。

また被爆者などへの賠償に関わる日米間の交渉やアメリカのマーシャル諸島住民への姿勢なども話してくれました。マーシャル諸島住民にとっては、いまもまだ終わっていない事件なのだと知りました。
そこで思い出したのが、福島原発事故です。あの事件も長年住んでいた故郷に戻れない人にとっては、終わることのない事件かもしれません。核兵器の開発実験と原子力発電とが、私には重なって感じられました。

皮肉な話ですが、第五福竜丸被爆の翌日、日本の国会では原子炉建造補助費約2億円の予算修正案が突如提出され通過。翌年には、原子力の研究、開発及び利用の促進に向けて原子力基本法が成立しています。核の「平和」利用が始まったのです。
まあ、アメリカにとっては核兵器もまた「平和」のためと言われていましたが(今のロシアや日本でも同じようなことが言われていますが)、原爆を投下された日本でも、別の意味での核の平和利用が国家的なキャンペーンとなっていったわけです。

しかし、その一方で、世界的には科学者を中心にした核兵器廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」が宣言されました。残念ながらそこではまだ、「平和」がしっかりとは議論されていなかったような気がしますが。

黒田さんのお話は、さまざまな示唆を与えてくれましたので、話し合いも広がりました。

先日の山森さんのサロンで海洋における放射能汚染の話が出ましたが、黒田さんはビキニ事件後の放射能汚染魚の漁獲位置の分布調査結果の地図を見せてくれました。

ビキニ環礁からどう広がって行っているかが一目瞭然です。当時日本で水揚げされたマグロなどは廃棄されましたが、展示場の近くには「マグロ塚」が建てられています。

話し合いの内容の報告はいつものように省略しますが、参加者のおひとりがサロンの後に送ってきてくれた感想の一部を紹介させてもらいます。このことはサロンでも話され、黒田さんも共感してくれていましたので。

今まであった核関連の全ての事を個々の問題として処理してきたことによって、簡単に騙されてきた。第五福竜丸の遭難した場所は、南の美しい環礁の中で、そこにある小さな島々の人たちの苦しみは福島の原発事故で苦しんでいる人たちと相似形のように重ねることができる。そんなことへの気付きにも今まで無頓着でいた。

個々の問題として取り上げたがゆえに、「安全」だ「保障」だ「平和」だ「経済」だという言葉に置き換えられて、巧妙な方法で決着させられてしまった。

巨大な力を前に無力な私たちではあるけれど、その一つ一つを丁寧につないでそこから巨大な力に抗する“人間の力”を得る方法しかない。人間は非力ゆえに消極的に見えるけれど、一人一人は小さな頑張る力を持っているはずだから。

私も同感です。その人はこうも言っています。

核の巨大な力は人間の及ぶところではなく、居場所を全く異にする。
人間は人間として目覚めなければ。自然が自然に還るように。

私も、「人間と居場所を全く異にする」という意味で、原爆と原発は同じ存在に思えます。事実、黒田さんも「つぶやいた」ようにプルトニウムでつながっている。
しかも、原発の破壊力を私たちは福島で実感したはずです。しかし、停電回避のために原発を選ぶ人が増えている。私には理解できません。停電回避の方法は他にもある。

さらに最近では、なぜか原発と同じように核兵器に対する不安も失われつつあるように思います。
黒田さんは、ビキニでの水爆実験を行うにあたってアメリカは現地住民たちに「2度と戦争が起きないようにするための、人類のための大事な実験」と説明していたと言いますが、先の戦争で、アメリカ国民の生命を守るために日本への原爆投下が正当化されていたことを思い出します。そういう発想には与したくはありません。

戦争とは何なのか、平和とは何のか。
そして「人類」とはだれのことなのか。

このテーマ(原子力:核兵器と原発)に関して、引き続きサロンを開催していきたいと思います。

なお、第五福竜丸展示館に関しては次のサイトをご覧ください。
http://d5f.org/

 

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2022/07/13

■原発事故の損害賠償を受ける覚悟があるのでしょうか

福島原発事故の経営責任を問う株主代表訴訟で、東京地裁は旧経営陣5人のうち4人に対して、13兆円の損害賠償を命じました。先日の国家責任を否定する最高裁判決が出たこともあって、いささかの不安がありましたが、ちょっと安堵しました。
おそらく最高裁では判決は反転するでしょうが、これからの経営者の行動に大きな影響を与えると思うからです。少なくとも、経営者の責任に関する議論が深まることは間違いありません。

 昨日、湯島で「原爆と原発」を話題にするサロンを開いていました。その報告はまた改めて書きますが、原発について私たちはあまりにも知らなすぎるように思います。しかし、原発の危険性に関しては、それこそ当初から言われていたことであり、事業を導入する経営者であれば、知らないとか想定外などと言えるような話ではありません。正常な感覚を持っていれば、とても恐ろしくて原発事業に取り組もうなどとは思わないでしょう。それが可能になったのは、それこそ「産軍複合体」ではありませんが、一企業を超えた大きな経済政治複合体で、責任を消し去る仕組みをつくったおかげではなかったのかと思います。

そこまで言うと話が大きくなりすぎますが、法人制度の持つ危険性や経営者を引き受ける意味が明確になったということだけでもよかったと思います。
私も以前は、会社組織とは個人が大きなリスクに立ち向かうすばらしい仕組みだと思っていました。しかし、20年ほど前から少し考えが変わりだしました。
会社組織とは、個人のリスクを回避させることにより、無責任な思考(人間)を育てる仕組みなのではないかと思うようになったのです。

原発事業は損害保険を引き受ける保険会社がないほどのリスクの大きい事業なのです。
そんな事業をよくまあ引き受ける経営者がいるものだと、私はずっと思っていました。
おそらく東電の経営者は、原発の現場をしっかりとは見ていないでしょう。
そこで従業員がどんな仕事をしているか。

いや知らないのは東電の経営者だけではありません。
多くの日本人は知らないようです。
原発再稼働の動きが高まっていますが、それを支持する人たちは、万一の時に個人的に損害賠償に応じる覚悟があるのでしょうか。

この判決は、私たちすべての国民に、そういう問いかけをしているように、私には思います。
話が少しずれてしまいました。書いているうちにだんだん悲しくなってきてしまったためです。
困ったものです。

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2022/07/11

■サニーレタス1袋78円が3袋100円

娘たちと一緒に、近くのお店に久しぶりに歩いて出かけたのですが、帰りに娘がよく利用している八百屋さんに寄るというのでついていきました。
そこにサニーレタスがあったので買ってもらおうと思って、よく見たら、「1袋78円 3袋100円」と書いてありました。
見間違えかなと思ってお店の人におかしくないですかと訊いたら、それでいいというのです。どうも納得できなかったのですが、結局、3つ買ってもらいました。

 後で娘たちに訊いたら、おかしくないというのです。
イタリアンのお店をやっている娘の連れ合いも一緒だったのですが、彼が言うには、葉物はどんどん鮮度が落ちるので早く売らないといけないので、こういう値付けは理に適っていると説明してくれました。
娘も、こういう値段のつけ方をこの八百屋さんはよくしているよと言います。

 たしかにそう思いながら店内の商品の値段を見たら、スーパーとはかなり値段のつけ方が違います。いや商品そのものも違う。
手づくりのナスの漬物があったので、それも買ってもらいました。

 しかし、「1袋78円 3袋100円」というのは実に新鮮です。
考えてみると実に理に適っている。
「1袋78円 3袋500円」というのもあっていいし、「1袋以上いくつでも100円」というのもいいかもしれない。

 イタリアンのお店をやっている娘の連れ合いには、そういうことが体験的にわかるのでしょう。物やサービスの値段は、論理的ではありえないという当然の事実に、今日は改めて気づかせてもらいました。

 私は、サニーレタスが好きなので、一袋などすぐ食べてしまいます。
しかし畑やブランドで育ててうまくいったことはまだ一度もありません。

よく野菜の価格は安すぎるという人もいますが、そもそも野菜に価格をつけることが間違っているのかもしれません。
いや、そもそも物やサービスに価格をつけることの意味を、もっと考え直してみる必要があるのかもしれません。少なくとも私は誰かに価格をつけられたくありませんが、野菜もそう思っているかもしれません。
霜里農場の金子夫妻の考えが、ようやく少しわかったような気がします。

 単に暑さのために、思考力が鈍っているだけのことかもしれませんが。

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■〔参院選で考えたこと:12〕ちょっとだけ希望を感じましたが

参院選の結果が出ました。

昨夜の選挙結果報道番組はほとんど見ていません。
いずれもコメンテーターや司会者の姿勢に不快な思いをすることが多いからです。
今朝、早く起きて、NHKのニュースを見てほぼ全貌を知りました。

私にとってはめずらしいことですが、ほぼ予想通りになりました。
これまで私の選挙結果予想は当たったことがなかったのですが。
今回はあまり希望をもっていなかったからかもしれません。
ですから予想が当たって、いつも以上にがっかりしました。

1番のがっかりは、やはり投票率の低さです。
辛うじて50%を超えたものの、相変わらずの低さです。
期日前投票が増えただけで、選挙日当日は相変わらずの低さです。
そこには国民の選挙への期待や決意を感じられないきがします。
国民にとっての最大の行事である代表を選ぶ国会議員選挙が、単に「行けるときに行けばいい投票日」に堕しているような気がします。
2番目のがっかりは、一人区における自民党の圧倒的な強さです。

希望は、れいわと参政党のわずかながんばりです。
しかし、これほどの頑張りでは、日本の政治の流れは変わらない、とつい思いたくなるほどの小さながんばりです。
でもそこに希望を持たないわけにはいきません。

これから3年間、政治家だけの政治がまた始まるかと思うと気が重くなります。
そうした状況の中で、また「事件」が起こらなければいいのですが。
事態が固まりすぎると事件はいろいろな意味で起こりやすくなりますから。
しかしそれでもやはり、政治への関心と自分でできることはやっていこうと思います。

7月16日(土曜日)の2時から湯島で「参院選の結果について話しませんか」のサロンを開催します。よろしかったらご参加ください。
安倍さん襲撃事件の話題にいきそうで、いささか心配ですが。

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2022/07/10

■生活事業研究会の第1期が終了しました

2月に始まった生活事業研究会の第1期が終了しました。
最終回は、参加者全員(おひとりは風邪のため大事をとって欠席)が集まって、それぞれの事業計画を発表しました。

名前からビジネス起業塾のようなイメージもありますが、主旨は、汎市場化に向かう時代に流れに抗って、事業の意味を根本から問い直し、自らの生き方や社会(経済)のあり方を考えようというところにあります。同時に,事業を通して仲間を育てていこうということも根底に置いていますが、何回か話し合っていると、お互いのやろうとしていることの接点が見えてきて、つながりも見えてきました。新しい物語も生まれそうで、これからの展開がとても楽しみです。

7月から第2期を始めようと思っていましたが、最近、いささか疲れ気味で、8月からの開催にしました。
すでに参加申込いただいている方もいますが、関心のある人はご連絡ください。
何かやりたいことがある人も、何をやっていいかわからない人も、すでに何かをやっている人も、誰でも歓迎です。
「事業」という文字にこだわらず、むしろ「生活」というところに焦点を当てて考えていきたいと思っています。

第2期は、毎月1回の開始日を平日の午後にする予定です。

 

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2022/07/09

■〔参院選で考えたこと:11〕ともかく選挙に行きましょう

投票日の直前になって、安倍元首相の襲撃事件が起きてしまいました。

この事件が突き付けてくるメッセージをしっかりと考えたいと思いますが、しかし選挙で演説をする政治家が銃で襲われるという事態そのもののおかしさをよく考えたいと思います。

この事件に関しては思うことが山のようにありますが、しかし、それはともかく、こういう社会を変えるためにこそ、選挙はあることを思い出したいと思います。

私は今回はいつもになく迷い続け、期日前投票には行けませんでした。
今日1日、改めて考えて、明日、投票に行こうと思います。 

ともかくこんな状況にある政治を変えたいという意志表示をしっかりとしたいと思います。
もしかしたら、日本の政治の流れを変える始まりになるかもしれない選挙ですから。

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■安倍元首相銃撃事件にまず思ったこと

昨日は在宅で、午前中、なんとなくテレビを見ていたのですが、突然に安倍元首相が銃弾に倒れたというニュースが流れました。
以来、テレビはほぼこのニュースで覆われていましたが、午後の予定を変えて、私もずっと見ていました。

阿部元首相の行ってきたことはともかく、政治家を殺める行為は賛成できません。
これまでもなかったわけではありませんが、テレビでその映像が流れるというのは衝撃的です。大学生の頃にテレビで見ていたケネディーのダラス事件を思い出しました。

凶弾に倒れた安倍さんへの心よりの冥福を祈るとともに、日本社会がまた分水嶺を越えてしまわなければいいなと念じました。

半日、テレビを見ていて、感じたことが山のようにあります。
しかし、それはともかく、なぜこうした事件が起こるのか。その背景や理由をしっかりと考えなければいけません。それは私たちの生き方と決して無縁ではありません。

民主主義に対する暴挙は許してはいけないという意見には賛成ですが、だからといって、単に一人の狂人の異常な行為と決めつけることには賛成できません。銃撃者には友人はいなかったのでしょうか。もし不満があれば、それを話す(放す)場はなかったのか。

今朝の朝日新聞で御厨さんが、民主主義を守るためには暴力ではなく言葉でと話していますが、権力者の言葉は時に「暴力」そのものになることもわすれてはなりません。
また、守るべき「民主主義」の実体もしっかりと考えなければいけません。
思考の矛先を間違えてはいけません。
いずれにしろ、「言葉遊び」に終わらせてはいけません。
安倍さんの死を無駄にしないためにも、なぜこんなことが起きたのかをしっかりと考えなければいけないと思います。

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2022/07/08

■〔参院選で考えたこと:10〕当選ラインからほど遠いだろう人への投票も決して死票ではない

3日前に投票先がほぼ決まったのですが、その後もまた政見放送を見続けていたら、考えが一変してしまいました。

もちろん「原発廃止」「軍事力放棄」「消費税廃止」の3点は変わりませんが、今回はそういう論点よりも政治のパラダイム転換(政治家の政治から生活者の政治への転換)の意思表示が大切な時期だと考えを変えました。

政党の政見ではなく、立候補者の政見を聞いているうちに、たとえ私とは意見が違うとしても、みんなそれぞれにしっかりした「政見」を持っていて、しかもそれを実行しようとリスクをとっていることに気づいたからです.
そう思いながら聞いていると、自分の意見と同じ人を選ぶべきか、意見は違ってもしっかりと考えて行動している人を選ぶべきかの迷いも出てきました。
個々の政策よりも、政党に依存しないで自分で考え行動する人に今回は投票しようと思い出したのです。
そうなるとこれまでの考えとは全く異なる人や党に投票することになります。

新聞では相変わらず、多くの立候補者は軽視され、本命候補を名前をあげて「応援」しています。
先日のサロンで、これっておかしいのではないかとある人が指摘していましたが、人によっては、当選の可能性のない人に投票するのは「死に票」で無駄になるのではないかと思う人もいるでしょう。
しかし、選挙とは「議員を選ぶ」ことだけが目的なのか。そう思いだしたのです。

以前、私もある選挙で立候補者を応援したことが何回かあります。
街頭演説にも立ちましたし、ある人には選挙カーで流す応援歌の作詞までやりました。
その時、ある人から立候補するのなら当選しないと意味がないと言われ、私が応援した人があまりに微力に見えたのか応援してもらえなかったことがあります。

私自身は、選挙の目的の一つはさまざまな人が政見を公表しそれを多くの人が聞くことだと思っていましたので、当選の可能性が限りなくゼロに近い友人を応援したのです。
その時は、当選しないと意味がないという言葉に反論できませんでしたが、いまはやはり当選だけが目的ではないと思うようになりました。
であれば、当選ラインからほど遠いだろう人への投票も決して死に票ではありません。

そんなわけで今回は、投票にはつながらないだろう人と党へ、意思表示として投票しようと思います。
まあ、まだ投票日まで2日ありますので、また変わるかもしれません。
ともかくこの2週間、選挙と政治に関していろんな視点から考えています。

こんなに考えた選挙は、初めてです。

 

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2022/07/07

■節子への挽歌5368:マスク症候群はコロナよりも恐ろしい気がします(

節子

5時に起きたので、久しぶりに早朝の畑に行きました。
昨日雨が降っていたので、今日は水やりは不要の上、畑に入るとびしょびしょになるのですが、まあ挨拶だけに行こうと思い、道具は一切持たずです。
畑と言っても藪のような感じなので、やはりびしょびしょになりました。

ミニトマトが熟し始めていました。後植えのキュウリは大丈夫のようです。
ナスは元気がないので、声をかけてきました。今日から成長しだすでしょう。

道沿いの琉球朝顔は咲き始めていますが、花壇にはまだなんの花も芽を出しません。
今日は苗か種子を買いに行こうと思います。

ところで昨年から生え出した桑の木がどんどん大きくなります。
植生に合った木や草はその成長はすごく早いのです。
自然農や野草を抜かない農法が成立するのは、きちんと「畑化」されたところではないかと思います。自然に任せておくと野菜の苗はほとんどが消えてなくなります。たとえ声をかけてもなかなかうまくいきません。これは体験から学んだことです。
植生に合ったものを、手を尽くしながらなじませていかなければいけません。

自然と付き合っていると、いろんなことを学べます。
体験者のアドバイスや書籍の知恵もヒントにはなりますが、やはり現場での体験はそううまくはいきません。自然は生きているからでしょう。体験知でアドバイスすることも注意しないといけません。これは別に畑仕事のことではありません。

ところで朝の5時ころだと散歩している人が多いです。
何人かに声をかけさせてもらいましたが、マスクをして散歩している人には声をかけにくく、かけませんでした。みんな早くマスク離れをしてほしいです。
しかし、早朝のこんな気持ちのいい空気をマスクで遮る感覚が理解できません。
人とも滅多に出会わない筈なのに。

マスク症候群は、コロナよりも恐ろしい気がします。
節子がいたらどうしていたでしょうか。

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2022/07/06

■節子への挽歌5367:若い人たちが私の健康を心配してくれます

節子

最近、サロンでの私がどうも疲れ気味のようで、いろんな人が心配してくれます。
ドクダミ茶をわざわざつくって持ってきたり、特製の塩入のドライ納豆を持ってきたりですが、今日、26歳の若者からこんなものがいいとメールが来ました。
みんな20代の若者です。

今日メールをくれた若者は、「私のためにも早く元気になって下さい 笑」と書いてきました。
いま彼の相談に乗れる数少ない大人になっているようです。
最近の若者は実に心優しく気が付きます。
競争時代をがむしゃらに生き抜いてきた世代とはどうも違うようです。

湯島のサロンで話を聴いていると、私と同世代だったり少し若い世代の人たちのコンプレックスの強さを感ずることが多いです。言い換えれば、若い世代を指導してやろうとしがちなのです。たぶん同世代や自分さえをも始動できないことの現れでしょう。見ていてなんだか同情したくなります。たぶん自らの生き方を悔いているのでしょう。
まあこんなことを言うと嫌われそうですが。

しかしそれは決して私と無縁な話ではありません。
私にもきっと同じようなところがあるのでしょう。
そう思うといささかぞっとしますが。

サロンによく来る鈴木さんは、佐藤さんにはそういう上から目線は感じないといつも書いてきてくれますが、そんなことはないでしょう。気をつけなければいけません。

でももしそういう姿勢が仮に少ないとしたら、それはたぶん節子のおかげです。
節子のおかげで、そういう私の血管はかなり改善されたはずです。
それに関しては、いくら感謝しても感謝しきれません。

今日はゆっくり休みました。
おかげで身体はほぼ回復。生活リズムもだいぶ立ち直りました。

 

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■〔参院選で考えたこと:9〕同じ思いでも、手段は真反対になることもある

友人のフェイスブックで、参院選投票促進行動シリーズ創作画像の一つ、俳優の大村崑さんのメッセージを読みました。

僕が言いたいのは、戦争は勇ましいもんじゃないっていうこと。ひもじく、つらい日々が、来る日も来る日も、続くんだ。だから有権者はね、戦争しないよう動いてくれる政治家を選ばんと。

同感です。ただ、おそらくこの意見に反対する人はあまりいないでしょう。
みんな戦争などはしたくないと思っているはずです。

問題は、戦争をしないようにするにはどうしたらいいかという実際の行動になると、真反対の選択肢があるということです。
戦争を避けるために核兵器を含めて軍事力を強化しようという人もいれば、逆に非武装に徹しようという人もいる。
ややこしいのは、同じ目的を持ちながらも、その実現策に関しては、真逆の選択がありうるということです。
政治とは、おそらくそうした時には真逆になるような手段のどれを選ぶかを考えることです。話し合いは「勝ち負け」ではなく、お互いの納得できる道を探ることです。

ですから、いわゆる目的で政策を語ってもほとんど意味はないような気がします。
でも多くの候補者も有権者も、目的で議論することが多い。時に「手段」が目的になっている。それでは議論にはなりません。
これは、私が選挙でいつも感ずることです。

目的が同じであれば話し合いができるはずですが、手段が違うということだけで相手を拒否する人が少なくないのも残念なことです。
国会での与野党の議論を見ていても、建設的な議論よりも相手を否定する議論が多く、話し合いにはなっていないことが多いのはこのせいでしょう。

話し合いとは、意見の違う相手からどれだけ学ぶことができるかです。
相手を非難するだけでは何も生まれない。
候補者よりも、私たち有権者の見識が問題になるのが選挙だなとつくづく感じます。

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2022/07/05

■湯島サロン「新しい経済を目指した生き方を実践して」報告

就活を前に大学を休学して、山梨県の北杜市に移住、そこで自然農に取り組んでいる阪口晴香さんのサロンには15人を超すだけでなく、10代から80代まで、さまざまな世代のさまざまな立場の人が集まりました。

Sakaguchi

最初に、阪口さんの北杜市での暮らしを紹介した動画をみんなで見てもらい、そこからサロンに入りました。
https://m.youtube.com/watch?v=CtApaaLyDTY&fbclid=IwAR0BdUsFoFARSvgAtR2PFkCZNYd5dyLfNRBAa7j4q0lzUou2zyPl52TiNXE

阪口さんは、子どもの頃からピアノ教育や学校教育で、いわゆる「競争社会」的ななかで育ち、その結果、大学も東大に入学、社会を動かしている企業に関心を持ったのか、金融経済や企業経営をテーマに選んだそうです。

立ち止まるきっかけになったのは、大学のゼミで「企業価値」に関する論文をまとめた時だったようです。
阪口さんは、働く人の視点で企業価値を考えたようですが、それは投資家が出資したくなる会社とは違うことを指摘されたそうです。たしかに経営(学)における「企業価値」とは、その会社がどのくらい「お金を稼ぐ力があるか」で評価されますので、社会にとっての存在価値やそこで働く人にとっての価値などは実際には一致しません。いまの経済(学)では、お金で表現される数値(市場価値)だけが価値なのです。

そこに阪口さんは違和感を持ったようですが、さらに実際に自分が就活を始めるとその違和感は自分の問題としてますます大きくなっていったようです。

ところで、阪口さんは大学2年の時に、あるNPOが企画した無人島プロジェクトに参加したそうですが、そこでの体験が、その違和感を抑えることなく、別の生き方への道を開いてくれたのかもしれません。その意味でも、人生には寄り道が大切です。若者を学校という閉鎖空間に閉じこめるような社会では、本当の学びは期待できないでしょう。そこでできるのは「訓練」だけかもしれません。

そんな時に、阪口さんは友人の紹介で、山梨県の北杜市で活動している「ビヨンド自然塾」と出合います。そしてそこでのボランティア活動がきっかけで、大学を休学し、そこに移住し、自然の生活に取り組むことになったのです。

とまあ、そんな経緯を話してくれた後、北杜市
で暮らした1年半の生活ぶりやその結果意識がどう変わってきたか、そしてこれからどうしようと考えているかなどを話してくれました。
大学の同級生の川端さんによれば、阪口さんは北杜市に移住してから、どんどん笑顔が増えてきたそうです。ちなみに彼もまた同じように休学して新しい経済を模索した生き方を実践しています。

阪口さんの話の後、参加者からの質問や話し合いが行われましたが、さまざまな人が参加していたので、その話し合いもまたいろんなことを示唆する内容で、とても興味深いものがありました。

たとえば、苦労して東大に入ったのに休学して農業という選択に両親の反応はどうだったかとか、これからの経済にとって大切なのは何かとか、阪口さんのように生き方を変えることができるのは「強さ」が必要なのではないか、とか、暮らしの不便さはないのか、とか…。みんなそれぞれ自分の問題に重ねながらの問いかけだったので、問いも答えもとても興味深かったです。

話し合いが終わった後、参加者みんなに「阪口さんの話を聴いて自分の生き方の何かを変えようと思ったことはありますか」という問いかけで一言ずつ発言してもらうつもりだったのですが、いつものように話し合いが長引いてしまい、この問いかけをする時間がなくなってしまいました。
でも阪口さんの話に触れて、自分の生き方や言動を少し問い直した人がいたことは間違いなく、その後の個別の雑談などや個別に頂いたメールでそれを少し感じました。

しかし若い世代の人が、阪口さんのように自力で、寄り道したり別の生き方に取り組んだりすることは簡単ではありません。やりたいことが見当たらない場合、どうしたらいいのか。そんな質問に、阪口さんは、まずは一度、北杜市に来てビヨンド自然塾のようなところで体験をするのもいいのではないかと呼びかけました。
新しい体験をする最初の一歩を踏み出すのは、実際には簡単ではありません。でももし、「袋小路」に迷い込んでいる人がいたら、一度、阪口さんのところやビヨンド自然塾に遊びに行ったら、道が開けるかもしれません。たぶん年齢は問わないでしょう。

ちなみに阪口さんは、また東大に復学するかもしれませんが、しばらくは北杜市に住み続けるそうです。きっとそこで新しい経済のヒントを得て、それに向けての実践に取り組んでいくでしょう。実際にすでに阪口さんは半農半Xに向けて新しい活動にも着手しているようですし、ゆるやかな開かれたネットワークコミュニティ的な社会のビジョンもまだぼんやりとですが、見えてきているように思いました。

新しい経済はこういう風に、知識や論理からではなく実践から生まれるのでしょう。
また、大きな変化の時代には、若者から学ぶことが多いことも改めて気づかされました。最近よく言われるように、いかにアンラーニングするかが大事です。でもそれがいかに難しいかも、参加者の話を聴いていて、気づかされました。
若い世代から学ぶことができるかどうか、私も反省しなければいけません。

 

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■湯島サロン「参院選の結果について話し合いませんか」

参院選前に「参院選」を話題に自由に話し合うB型オープンサロンを開催しました。
あまり参加者がなかったのですが、その報告を読んだ人から、ぜひもう一度といううれしい要請がありました。
すぐにも開催したかったのですが、私自身がいまあんまり元気がないのと、サロン疲れ状況なので、投票日以降ということになってしまいました。
話し合いとしてはそのほうが話し合いやすいかもしれません。
当分、総選挙はないかもしれませんので、あまり行動にはつなげにくいかもしれませんが、でもまあ話し合えば、いろいろとできることもそれぞれに見えてくるでしょう。

この週はほかにも2つのテーマサロンがありますが、このサロンは前回同様、B型オープンサロンとして、気楽に開催したいと思います。
話はいくらでも広げてもらっても大丈夫ですので、気楽にご参加ください。

〇日時:2022年7月16日(土曜日)午後2時~4時
〇テーマ:「参院選の結果について話し合いませんか」
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円

 

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■〔参院選で考えたこと:8〕投票先がほぼ決まってきました

先日の湯島のサロン「新しい経済・新しい政治」で、「国家(全体)視点ではなく個人の生活視点で経済や政治を考えよう」という呼びかけをさせてもらいましたが、その視点で今回の参院選の政見放送を見ると、多くの政党がすべて従来型の経済や政治の枠内にあるような気がします。

共産党はまさにその本性を露呈していて、個人の政見放送でさえ、党首の話が半分以上を占めています。要するに個人を尊重していないことを象徴しています。志位さんが言うのではなく、個人の候補者が自分の言葉で同じ理念を語れば、説得力が高まりますし、内容も豊かになるはずですが、それがない。ということは政策展開も期待できないような気がします。

まあしかし、これは共産党だけの話ではなく、個人政見放送なのに、党首が出過ぎな傾向が強まっています。
ということは、政治は明らかに、私にとっては新しい方向ではなく、古い方向に戻っています。システム優位な政治です。

原発再稼働や軍事力増強が堂々と明言されるようになったのも驚きです。
3.11の後、飯館村に言った時、村民の方から「実際に体験してみないと本当の大変さはわからないのかもしれない」というような言葉をお聞きしました。そうかもしれません。こんな短期間に原発不安がなくなるとは思ってもいませんでした。

私が言う「自分」視点という基準は、正確には「自分たち」視点です。なぜなら、自分一人では生きていけませんから、どうしても自分たち仲間視点ということになります。いわゆるコモンズ視点ですが、そのコモンズは自分という個人がしっかりと存在するコモンズ。イヴァン・イリイチの言葉を借りれば、コンヴィヴィアル(自立共生)な仲間というような意味です。

軍事力強化は核保有論まで出てきかねない勢いです。まあ原発と核兵器は同じものだと思いますが、ここでもベクトルは反転するどころではありません。ウクライナの現実に対するに多くの人の反応を見て、日本人はいつからこんなに好戦的になったのかと驚いています。

物価高対策が大きな論点になっています。フェイスブックで友人が「参院選の国民の関心事トップは「物価対策」だと。。家畜か、おめーら」と嘆いていましたが、ついつい「超いいね」を押してしまいました。でも考えてみると、家畜は与えられた餌をただ食べるだけなので、「物価」などは気にしないでしょう。

それはともかく、前に書いたように、問題は「物価」ではなく「食の安全」や「食の自給」だと思います。それこそが、政治に期待することだと思いますが、そこにはなぜか国民の関心は向かいません。政策に大きくかかげている政党はありません。

生存さえも脅かされている「下級家畜」に甘んじることなく、コンヴィヴィアルな(自立共生)できる社会で暮らしたいと思う私にとっては、そろそろ投票先も決まってきました。今回はいつもとはかなり違った人と党に入れることになりそうです。
この時期、自分の好みだけで決めると、自分の好みとは違った結果になりそうですので。

みなさんはどうでしょうか。

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2022/07/04

■節子への挽歌5366:過去を思い出す人が夢によく出てきます

節子

最近また夢をよく見ます。
そこに私には記憶のない人が登場して、会ったことがあるでしょうと言ってくるのです。

昨日、夢であった人は、湯島にやって来て、名刺を渡してくれました。
なんとなく記憶が浮かんできて、〇〇さんと関係だったでしたっけ、と質問しましたが、違うと言われました。
まあそこで、久しく忘れていた〇〇さんのことを思い出し、そこで目が覚めました。
とまあ、こういう夢をよく見るのです。

もちろん〇〇さんは、毎回、違う人です。
昨夜の〇〇さんは、守永さんでした。
もうずっと前に亡くなりましたが、最後は施設に入り、交流を避けてしまうようになっていたので、電話で話したのがたしか最後です。
なぜ今頃思い出すのだろうと気になります。

守永さんのおかげでつながった人も少なくありません。
しかも、節子とイランにツアー旅行に行った時、節子と親しくなった人が、後でわかったのですが、守永さんの秘書をやっていた人でした。
節子とは交流があり、私も一緒に食事をしたことがありますが、こうやって忘れていた〇〇さんを契機にいろいろな人が思い出されるのです。

80年の人生、いろんなことがありました。
それをゆっくりと語り合う相手の節子がいないのが残念です。

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2022/07/03

■〔参院選で考えたこと:7〕議員は政党の代表ではなく、国民の代表

今日も夕方、テレビで政見放送を見ていました。
参政党のような一部の政党は別ですが、多くの政党の公認候補の場合、党首が出てきて、政党の政見を話す時間が増えてきています。
政党の政見放送であれば、それは問題ありませんが、個人候補者の政見放送にあまり党首の話が長いとおかしな気がします。
共産党やN党は、私が見た限りでは、党首が目立ち過ぎです。

私の場合、個人の政見が付け足しのような場合は、その人には投票しません。
同じことでも、個人の言葉で語ってもらわないと本音が伝わってきませんから。
そもそも議員は政党の代表ではなく、国民の代表であるべきだからです。

私がだれに投票するかを決める基準は、前回、書いたように、私にとっての政治争点に関して、どういう立場を明確にとっているかどうかが第1です。
これで今回は候補者のほとんどが対象外になりますが、それでも複数残ります。
そして第2が、個人の意見がどうかです。ですから党首の政見があまりに長い政見放送を許すような候補者は、その段階で抜けてしまいます。
この第2の条件は、要するにどれだけ「組織の部品」ではなく「人間であることの自尊心」が感じられるかどうかなのです。

この2つの条件で、候補者はかなり絞られますが、それでも複数残った場合は、年齢の若い方を私は無条件で選びます。

これが私の候補者選びのルールです。
ですからいつも誰にするかは困ることはありませんが、投票直前まで一応、確定することはありません。確定したら期日前に投票することもありますが。

比例区で政党を選ぶ場合は、これは状況に合わせます。
最近はネットなどで質問に答えるとどこの政党が自分の考えにふさわしいかを教えてくれるようなサイトがあります。
私もやってみましたが、今回は社民党が80%以上で私にフィットするそうです。

福島党首のスピーチは私には苦手で、福島さんになってからは投票したことはありませんが、今回は政党として消えてしまうかどうかだというので、比例は社民党にしようかと迷っていました。しかし、この結果を知って、再考することにしました。
やはり「れいわ」にしようか、迷っています。
しかし今回の「れいわ」の候補者を見るとどうも投票する気が萎えてしまいます。

政策も大事ですが、具体的な人間も大事です。
政策を実現していくのは、間違いなく人間ですから。

そんなわけでまだ期日前投票には行けません。
もう少し考えてみようと思います。

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2022/07/02

■第17回益田サロン「人間が行う3つの破壊」のご案内

細菌学者の益田さんのサロンは、今回は「生物と環境に関連して人間が行う3つの破壊」について考えてみたいということになりました。
今回のサロンに向けての益田さんからのメッセージです。

環境あっての生物という原則からは生物は環境を破壊しないはずです。しかし人間はいろいろな理由で自然環境を破壊したり、食欲に起因する過食や運動不足で糖尿病になり身体を破壊したり、日ごろ頼りにしている理性が破壊されて自殺をしたりします。

このように環境あっての生物という原則を破るよう見えても、よく見てみるとこの原則は破られていないようです。それは生物の立場が一転して環境となるような事態が生じているからと考えられます。

典型的なものは心中の賊と言われているものです。体を環境としている心を環境とする、仮に欲と呼ばれる生物のようなものが現れます。この欲は山中の賊と違って対策が立てにくいことは古人が嘆いていることです。

欲の中には名誉欲とか金銭欲のようなほかの生物に起源を見出せないようなものありますが、この欲を環境とする生物のようなものが自殺を行わせるのではないかと思います。

以上が益田さんからのメッセージですが、「生物と環境」の関係が、これまでとはちょっと違って立体的(位相幾何学的というほうがいいでしょうが)になってきたように思います。どういう話し合いになるか楽しみです。

益田サロンに参加されている方はもうご存知ですが、益田サロンは細菌学者の益田さんと一緒に、益田さんが出したテーマを考えるというサロンです。講義型ではありませんので、誰でも気楽に参加できます。もちろん初めての方も歓迎です。
テーマは難しそうですが、予備知識などなくても大丈夫ですので、気楽にご参加ください。

〇日時:2022年7月30日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「人間が行う3つの破壊」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌5365:若者との会話はやはり元気が出ます

節子

今日は山梨の北斗市に移住し、自然農に取り組んでいる大学生(現在休学中)が湯島までわざわざ出て来てサロンをやってくれました。
彼女を紹介してくれたのは、これも大学生の川端さんですが、ふたりとも自分の生き方を探しながら、実践している若者です。
そのサロンにはほかにも若者が参加しました。みんな悩みながらも自分の生き方を探している。

大人たちもなぜかたくさん参加しました。
いつも感じますが、大人たちと若者の発言が次元がまったく違うのです。
大人たちは先輩目線で若者を指導し教えようとする。

若者はそういう発言にはむしろ反発を感じ、厳しく非難するのです。
私は、若者とほぼ同じ意見を持ちますが、それは彼らとの付き合いの中で学んだものかもしれません。
あるいは私自身もずっとそうしてきたのかもしれません。
会社時代も上司の考えに怒りを感じてついつい怒りをぶつけてしまったこともあります。思い出せばいろいろとある。

サロンが終わった後、若者たちと話していて、私がやりたいのは、こういう若者たちとのサロンではないかと思いました。
もう同世代の、あるいは少し若い「大人たち」の退屈な話は聞きたくないのですが、どうもそういう人たちがサロンでは発言が多い。
しかも私は佐藤さんと同じ考えだなどと言われると、いささかく戸惑います。
同じであるはずがないからです。

しかし私ももしかしたらそういう大人たちと同じなのかもしれません。
注意しなければいけません。

最近またサロンへのモチベーションが下がっています。
なんだか参加者からは喜ばれていて、こういう話し合いの場があまりないと、今日もある企業をまもなく定年退職する人から言われましたが、そういう言葉でついつい止められなくなっているのです。

節子がもしいたら、たぶんサロンはもうやっていないでしょうね。
私たちも北斗市に移住していたかもしれない。
白樺湖の周辺が終の棲家の候補の一つでもありましたから、
そんなことも思い出していました。

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■〔参院選で考えたこと:6〕選挙の「争点」をどう設定するか

一昨日、「参院選」をテーマにした気楽な話し合いの場を開きましたが、そこで「争点の設定」が少し話題になりました。昨日、千葉県の選挙公報を全部読んでみました。言葉はいろいろと書かれていますが、どうも争点の違いが見えてこない。

争点とは白か黒かが明確にわかることだと私は考えています。たとえば原発はやめるのかつづけるのかは、私には論点です。消費税や軍事力も、そうです。
もちろん、現実の政治は〇か×かというようには行きません。しかし基本的な理念は国民が選挙で決め、その理念をどう現実にしていくかが「政治家」の役割だと思っています。ですから、選挙での投票を決める「争点」は、あいまいではなく明確なものに設定してほしいというのが私の考えです。

「暮らしを守る」「生活安全保障」「外交による平和」という政策はいかようにも解釈できますし、それこそ「憲法改正」と同じで真反対の理念が混在しますので、争点にはならない。言ってみれば、「争点」の分野でしかありません。

各党の公約を読んでいると、あえて〇か×かの争点を避けているような感じを受けます。争点が隠されていた方が、賛成されやすいからでしょう。でもそれでは投票する気にはさせられないような気がします。

たとえば、「ごぼうの党」はただ一言「一番大切なものは何なのか考えていたら笑顔でした」と書いていました。これに反対する人は少ないでしょう。しかし、だからと言って、投票をするかどうかはわかりません。
年金受給者のNHK受信料無料化は、〇か×かの争点ですが、国政の争点とは言えません。報道の中立化を目指すのであれば、〇か×かの争点にはなりにくい。

私の投票先の決定基準は、いつも、その時々の私にとっての大事な争点に対する理念です。ちなみに、今回の参院選では、「原発廃止」「食料自給」「応能主義による税制の実現(具体的には消費税廃止)」に関心を持っています。
原発と税制には各党、姿勢を明らかにしています。それ以外のいろんなことは、少なくとも今回は私には無意味な情報です。その3点から考えると自ずと投票する先は決まってきます。こうしていつも投票先は決まるのです。もちろん争点は毎回変わります。
ちなみに、私にとっては消費税廃止と消費税減税は全く正反対の理念です。

サロンでも話題になったのですが、「食料自給」を大きく打ち出している政党は見当たりません。これは不思議です。食料自給が進んでいれば、今回の物価高騰は避けられたでしょう。いやむしろこれほどに食料価格は下がらなかったかもしれません。

私にとって安全保障のための要は、「食料自給」「エネルギー自給」「納税国家」の3つですが、あんまり一般的ではないのかもしれません。防衛費を増額して安全保障など実現するはずはないと思えて仕方がありません。ウクライナのように、国家は守れても国民は守れませんから。

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2022/07/01

■節子への挽歌5364:エアコンのなかでの安楽で怠惰な1日

節子

今日は早朝に畑に水をやりに行き、テレビ体操を行い、ゆっくりと朝食を食べました。
生活リズム再建は順調に始まったのですが、その後がダメでした。

リビングのエアコンを入れたせいで、そこから動けなくなりました。
エアコンが嫌いだなどと言っていても(事実そうなのですが)、一度、その環境になれてしまうとそこに居ついてしまいます。
午前中はずっとそこにいました。

やることもないので、ついつい録画していたテレビドラマを観てしまいました。
「三国志」と「始皇帝」、いずれも中国のドラマです。
ともかく長い連続ドラマで、まだ終わらないのです。
今日は合わせて5話を見ました。

いずれのドラマも、忠孝の思想が根底を貫いています。
いろいろと考えさせられます。

午後もやることがなく、昨日のサロンの報告を書きましたが、そこで思いついて、いま展開中の参院選の選挙公報をじっくりと読んでみました。これまでは読むとしても関心のある人だけでしたが、今日は全員を同じように読んだのです。
なかなかおもしろいし、いろんな気づきがありました。
テレビの政見放送を見て、この人はなかなかあいいじゃないかと思っていたのに、キチンと全体のメッセージを読むととんでもないこともわかります。

昨日のサロンでの私の主張とは真反対ですが、プラトンの言う「哲人政治」のほうがいいかなという気さえしてきます。
間暑い中、涼しいリビングでそんな感じで、怠惰な一日を過ごしました。
夕方に畑作業に行こうと、朝は思っていたのですが、あまりに安楽な1日を過ごしていたら、その気は全くなくなりました。

困ったものです。

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■B型オープンサロン「参院選を話題に話し合いませんか」報告

30日にB型オープンサロンとして、ゆるやかに「参院選」を話題にしたサロンを呼びかけてみました。今度の選挙はとても大きな意味を持つ選挙だと思っているからです。

当日は参加者は2人でした。日程の関係や暑さなどのせいもあったのかもしれませんが、さすがに私としては落ち込みました。みんな選挙に関心はないのでしょうか。
しかもいらっしゃったのは、直前の私のフェイスブックを見て、誰も来なさそうだと心配してきてくださった方と1時間遅れてやってきた人です。

私自身は選挙期間中は毎日でも選挙や政治の話題の井戸端会議的なサロンをしたいとずっと思っていました。せめて選挙期間中は、政治のことをみんながいろんな場で話し合う状況を広げていきたいとずっと思っていたのです。
ですから今回のB型オープンサロンはいいアイデアだと思い、できれば投票日前後にもまたやろうと思っていました。しかし私の勝手な思い入れだったようです。

前半の1時間は2人の話し合い。その人はある政党の選挙活動のボランティアスタッフもやっています。政治に関するお考えはしっかり持っている方です。
最初の話題ではその人と私は意見がまったく合わずに激論になりましたが、消費税を含む経済政策ではほぼ同じ意見でした。と言えば、まあどの政党かわかるかもしれませんが。

1時間遅れてやってきた人は、東京都の選挙公報を持参。まだ誰(どこ)に投票しようか決めていないようです。その人はテレビもほとんど見ていないので、選挙公報が重要なのです。そこでハッと気づいたのですが、みんなが選挙公報をしっかり読むだけでも日本の政治状況は変わるはずです。私はいつもほとんど読んでいませんでしたが、当選の可能性が全くない立候補者も含めて、みんなの声をしっかりと読むことが大切だと気づきました。そんなわけで今日、千葉県の選挙公報をしっかりと読みました。いろいろと考えることも多く、投票したい人も政党も複数見つかりました。
先日の私のサロンで「政治や経済を生活者である私たちの手に取り戻そう」と呼びかけましたが、まずは選挙公報を読むことです。

期日前投票が広がっていますが、選挙はただ投票するだけの行事ではありません。
私たちの国の政治や経済を考える国民みんなの活動であり、主権者である私たち国民の公務を遂行する日なのです。
大切なのは「投票行為」ではなく「政治への関心」を高め、行動につなげていくことなのだろうと思います。

参加者が少なかったので、選挙前にもう一度サロンをやる気力は消えましたが、10日の開票結果判明後にもう一度、B型オープンサロンを開催しようと思います。
選挙を無駄にはしたくないですから。
せめて5人くらいの参加者があるとうれしいのですが。

 

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■湯島サロン「信仰の力」のお誘い

湯島にはいろんな人がきますが、好き嫌いがはっきりと分かれるものの一つに「宗教」があります。
宗教をテーマにしたサロンも、何回かやっていますが、宗教嫌いな人はなかなか引き込めません。それに宗教というと、みんな宗教教団を想定してしまいますし、オウム事件もあったので、実践的な新興宗教には不信感や嫌悪感を持っている人も少なくないでしょう。

しかし、「困ったときの神頼み」という言葉があるように、宗教ほど、私たちの生活に深くかかわっているものはないように思います。「宗教」というよりも「信仰」といったほうが受け入れやすいかもしれませんが。

私の友人知人のなかには、がんの余命宣告を受けてから宗教に帰依し、安らかな日々を過ごせるようになった人もいます。信仰心が苦しい状況を乗り越える支えになったという話もよく聞きます。
昨今の「生きづらさ」と「信仰心の喪失」とは、私はかなり重なっているように思います。「信仰」と「宗教」とは無縁でないとすれば、それは「宗教のあり方」にもつながっているはずです。

そこで、改めて「信仰」をテーマにサロンを開催したいと思っていました。
実は以前からお願いしたいと思っていた人が何人かいるのですが、そのうちのおひとりが今回引き受けてくれました。
真言宗系の真如苑の信徒の阿部和子さんです。
なぜ入信したのかも含めて、阿部さんが信仰からいかに大きな支えをもらっているかについて、体験談的な話をしていただき、信仰について話し合えればと思っています。

私があえて真如苑を選ばせてもらったのには理由があります。
そこでの信仰が社会にゆるやかに開かれた実践的なものに感じているからです。
加えて真如苑には「闡提(せんだい)成仏」と言って、どんな人も救われるという考えがあるからです。

ただ、今回のサロンのテーマは「信仰」であって、「真如苑」ではありません。
阿部和子さんにとって信仰とは何か、そして信仰によって人生はどう変わったかを、簡単に話してもらい、そこから「信仰」について、みんなで語り合えたらと思っています。

このサロンでは、「信仰」の是非を話し合うのではなく、「信仰」の大切さを分かち合う、安らかなサロンにしたいと思いますので、他者の「信仰」を貶めたり、否定したりする人は参加をお控えください。

悩みをもつ人も、苦境にある人も、幸せにあふれた人も、みんな心穏やかになれて、元気をもらえるような「あったかい」サロンにしたいと思っています。
いつものサロンとは、ちょっと趣旨が違いますが、よろしくお願いいたします。

〇日時:2022年7月23日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「信仰の力」
〇話題提供者:阿部和子さん(真如苑信徒)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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