■湯島サロン「参院選の結果について話し合いませんか」報告
参院選サロンパート2として開催した「参院選の結果について話し合いませんか」のサロンは、やはり参加者が少なく、6人のサロンになりました。
湯島があふれるほどに集まるかと少し期待していましたが、残念でした。
私は、自分がいま暮らしている社会を少しでも暮らしやすくするための出発点は選挙だと思って、選挙には毎回、しっかりと対応していますが、当然のことながら、投票結果が社会をそう簡単に変えてくれるわけではありません。結果には失望することが多いのですが、だからこそ次もますます真剣に考えて期待して投票に行きます。
しかし、投票に行く多くの人や投票に行かないもっと多くの人にとっては、きっといい方向に向かっているのでしょう。代議制政治の結果は多くの人が望んでいることと一致するはずですから。さらにいえば、政治に無関心であるということは、いい政治が行われていることの証かもしれません。
こういう言い方をすると「反語」に聞こえるかもしれませんが、最近そう思うようになってきました。もちろん私自身は、いい政治などとはまったく思ってはいませんし、そしてそういう人が一定数存在することもまた、いい政治を成り立たせることだろうと思っています。
大切なことは、いい政治だと思っている人と思っていない人との間に話し合いや相互理解の場がないことだろうと思っています。どうもそれぞれに徒党を組んで相手を非難する傾向があるような気がします。非難からは何も生まれないのに。
そういう時代においては、いまの政治に共感していて、今回の選挙結果にも違和感のない人は、こういうサロンには来ないのかもしれません。そう考えれば、前回も今回も参加者が少ないのは納得できます。
しかし、今回集まった人たちは、今の政治状況にはあまり共感していないようです。それぞれどういう姿勢で投票に行ったか、またどういうところに投票したかなどを表明しあった後、いろいろと話し合いました。この種の話は、基本的にはオフレコなので内容は書けませんが。
20代の大学生が、同世代の友人たちと政治に関して話し合っているという話をしてくれました。これはうれしい話です。
こんな社会をつくってきた大人たちが居座っている状況では、若い自分たちが投票に行っても政治は変わらないと思っている人もいるようですが、だからと言って政治に無関心ではないようですし、政治に関する話し合いの場がなかったり、選挙で語られる言葉が無味乾燥で若者の心に入っていなかったりして、政治との距離があるようです。そこを変えるだけでも状況は変わるかもしれません。
また、意見の違う人と話し合うのは疲れるが、意見と同じ人と話していてもあんまり意味がない、という話も出ましたが、まさに同感です。異論をぶつけ合うのは疲れますし、時に楽しくありませんが、やはり疲れる話し合いこそが大切でしょう。
湯島での選挙に関する話し合いのサロンにあまり参加者がいなかったのは、そういうことも一因かもしれないと気づきました。
言い換えれば、最近、湯島の参加者の意見が収斂してきているのかもしれません。もしそうであれば、話し合いのサロンの意味もないかもしれません。もっと多様な意見が活発に飛び交う、疲れるけれど気づきのある場でなければ意味がない。
最近は以前のような床屋政談ができる場がなくなってきたと言って、今回参加してくれた人のように、場を求めているのは若者だけではないかもしれません。
どうしたらそういう異論が活発に飛び交う場がつくれるのか、大きな宿題をもらった気がします。
これに懲りずに、これからも政治関連の話し合いサロンは続けていくつもりです。
できるだけ湯島のサロンをかき乱す人に参加してもらえるとうれしいです。
あまりに疲れさせられない、ほどほどがうれしいですが。
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