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2022/07/08

■〔参院選で考えたこと:10〕当選ラインからほど遠いだろう人への投票も決して死票ではない

3日前に投票先がほぼ決まったのですが、その後もまた政見放送を見続けていたら、考えが一変してしまいました。

もちろん「原発廃止」「軍事力放棄」「消費税廃止」の3点は変わりませんが、今回はそういう論点よりも政治のパラダイム転換(政治家の政治から生活者の政治への転換)の意思表示が大切な時期だと考えを変えました。

政党の政見ではなく、立候補者の政見を聞いているうちに、たとえ私とは意見が違うとしても、みんなそれぞれにしっかりした「政見」を持っていて、しかもそれを実行しようとリスクをとっていることに気づいたからです.
そう思いながら聞いていると、自分の意見と同じ人を選ぶべきか、意見は違ってもしっかりと考えて行動している人を選ぶべきかの迷いも出てきました。
個々の政策よりも、政党に依存しないで自分で考え行動する人に今回は投票しようと思い出したのです。
そうなるとこれまでの考えとは全く異なる人や党に投票することになります。

新聞では相変わらず、多くの立候補者は軽視され、本命候補を名前をあげて「応援」しています。
先日のサロンで、これっておかしいのではないかとある人が指摘していましたが、人によっては、当選の可能性のない人に投票するのは「死に票」で無駄になるのではないかと思う人もいるでしょう。
しかし、選挙とは「議員を選ぶ」ことだけが目的なのか。そう思いだしたのです。

以前、私もある選挙で立候補者を応援したことが何回かあります。
街頭演説にも立ちましたし、ある人には選挙カーで流す応援歌の作詞までやりました。
その時、ある人から立候補するのなら当選しないと意味がないと言われ、私が応援した人があまりに微力に見えたのか応援してもらえなかったことがあります。

私自身は、選挙の目的の一つはさまざまな人が政見を公表しそれを多くの人が聞くことだと思っていましたので、当選の可能性が限りなくゼロに近い友人を応援したのです。
その時は、当選しないと意味がないという言葉に反論できませんでしたが、いまはやはり当選だけが目的ではないと思うようになりました。
であれば、当選ラインからほど遠いだろう人への投票も決して死に票ではありません。

そんなわけで今回は、投票にはつながらないだろう人と党へ、意思表示として投票しようと思います。
まあ、まだ投票日まで2日ありますので、また変わるかもしれません。
ともかくこの2週間、選挙と政治に関していろんな視点から考えています。

こんなに考えた選挙は、初めてです。

 

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