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2022年8月

2022/08/30

■湯島サロン「原発と平和パート2 核時代にしっかりと向き合おう」報告

第五福竜丸展示館スタッフの黒田礼子さんのサロンにつづいて、核問題を考えるサロンの2回目は、保険の切り口から原発や核の問題に長年取り組んでいる本間照光さんに、「人類存亡の核時代」と題して、問題提起してもらいました。
たまたま政府から原発再稼働どころか、新増設の話まで出ていることもあってか、前回に引き続きたくさんの参加者がありました。

Honmakaku202208271

本間さんは本題に入る前に、自らがこの問題に取り組んできた姿勢を話してくれました。それはある意味で、私たちの生き方への問いかけだったような気がします。

本間さんは「保険」という切り口から、時流に流されることなく、生活のリズムに合わせるように核時代をどう生きるかを考えてきています。本間さんの言葉を借りれば、亀のようにゆっくりと、そしてていねいに事実を拾いながら、現実を見てきています。何かおかしいとか、なにかが抜けているということに気づけば、それを見過ごすのではなく、そこに目配りしていくのが本間さんの姿勢です。そこから見えてくることはたくさんあるでしょう。たとえば、専門家の論考にも「抜けていること」もある。しかもその「抜けている」という意識さえも抜けている。そういうことが見えてくると本間さんは言います。
「見えていること」で論考をまとめ、世に発表していくことだけでなく、むしろ「抜けていること」への意識をもっと持つ必要があるのではないかというのです。
「見えていないこと」、「知ること」よりも「知らないことに気づくこと」を大事にしている私としても、とても共感できる問いかけです。

本間さんは、専門である保険についても話してくれました。保険は私たちの生活のリスクを引き受けてくれるだけでなく、私たちが直面しているリスクを映し出してくれるというのです。そこから手に負えないリスクが隠されているのも見えてくる。
原発事故は、保険会社にとって「手に負えない」ものだったので、原発事故に関する保険引き受けは「政治的」なものになっていました。にもかかわらず事業化された。「保険」概念が悪用されているように私には感じます。

そういう話をした後で、本間さんは、原爆被爆と原発被曝には共通した土台があるという話から始めました。一言でいえば、それは「加害者保護・被害者放置」です。誰にとっての保険なのか。その根底にあるのは、生活視点ではなく、経済視点といってもいいでしょう。

「加害者保護・被害者放置」について、たとえば原爆投下後のGHQや政府の対応、前回話題になった第五福竜丸事件の米国や政府の対応の話とともに、1980年の原爆被爆者対策基本問題懇談会報告書の姿勢を紹介してくれました。

また福島原発事故に関しては、事故後の被害者への対応はまだ記憶に新しいですが、原子力損害賠償制度がどう機能しているかを説明してくれました。そこにみられるのは、被害者保護どころか、原発推進を前提にした加害者(原発事業者)保護だと本間さんは指摘します。
このあたりの詳しい話は、本間さんが発表されている論考(後述)をぜひお読みください。

こうした現実を踏まえて、人類生存の危機が現実化していると本間さんは言います。
つい最近も核不拡散条約会議が決裂しましたし、ウクライナでは原発が戦争に利用されています。日本でも汚染水の海洋投棄が喫緊の問題になってきています。さらには核のごみ問題も解決されないままに、なんとなく私たちの意識から希薄になってきているように思います。
核の危機よりも、電力不足で停電が起こる危機への関心が優先されているような昨今の風潮には、私は不安どころか絶望感におそわれています。

本間さんは、現実化してきている核の危機への理解をもっと広げ深める必要があると言います。
第5福竜丸事件の直後、日本では原水爆禁止署名運動が起こりましたが、1年ちょっとで署名は3200万人以上集まったと黒田さんからお話がありましたが、それに比べると現在の日本国民の核禁止の意識は大きく後退しています。しかし危機はむしろ増大し、私たちの生活につながりはじめているのですが。

本間さんは、危機が現実化しているのに対して意識はむしろ後退している。危機の大もとに向かい合って、世界の人々の声を高めていくことが大切だと言います。そのためにも、こういう話し合いや学び合いの場が大切だと言います。
参加者からは、「危機の大もと」とはなにかという質問もありましたが、本間さんは、最近発表した論考の中で、「核時代以前と核時代の「断絶」を直視し、そこからすべてを再出発させること」であり、「破局を回避するためにも、核時代の再考と共有が求められる」と書いています。

なお、本間さんの最近の論考で公開されているものを報告の最後に紹介しておきますので、お読みいただき、「いまここにある危機」への認識を高めてもらえればと思います。

また本間さんは、福島第一原発地質・地下水問題団体研究グループがまとめた小冊子「福島第一原発の汚染水はなぜ増え続けるのか」を紹介してくれました。
1冊100円で頒布しています。湯島にも何冊か購入しましたので、関心のある方は湯島に来た時に声をおかけください。ネットでも購入できます。
https://www.chidanken.jp/15_booklet/15_1_16.html

こうした「現実」にていねいに対処し、事実を広げようとしているグループは少なくありません。そういうグループを支援するだけでも、この危機を乗り越えていく力になります。ぜひこうした動きにも関心を向けて、自分でできることを探していければと思っています。

核問題を考えるサロンは、継続します。
切り口はいろいろあると思いますが、話題提供や問題提起してくださる方がいたら、ご連絡ください。ぜひ話し合いの場を作りたいと思います。

長くなってしまい、話し合いの内容を紹介できませんでした。
話し合いはいつも以上に長くなり、時間も大幅に延びてしまいました。

以下、本間さんの最近の論考です。

◆「虚構の「核のごみ」最終処分」(週刊エコノミスト Online 2022726日から4回連載)
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210726/se1/00m/020/005000d
◆「幻の、核のごみ「文献調査段階」 問われぬ危うさ」(『科学』20223月号巻頭エッセイ)
https://www.iwanami.co.jp/news/n45930.html
◆「大量殺戮兵器を捨てない5大国 人間らしさ保障されない“核時代”」(週刊エコノミスト Online 202253日)
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220503/se1/00m/020/001000d
◆「原賠制度から見た核のごみ問題―投げ棄てられるリスクとコスト、責任」(『科学』電子版、202011月)https://www.iwanami.co.jp/kagaku/eKagaku_202011_Honma.pdf

 

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2022/08/29

■信仰の力サロンパート2「生き方が選択できる社会とは?」のお誘い

予告させていただいていた通り、「信仰の力」サロンを継続します。

先日の報告を読んで3人の人から提案をいただきましたが、まずはクリスチャンで菜園クラブを主宰している増山博康さんにお願いすることにしました。
増山さんは、10年前から「半農生活」を提唱し、半農予備校「菜園起業大学」を運営しています。
http://saienclub.com/

今回は、増山さんの生い立ちから始まって、なぜ農業の世界に入ったか、そしていまはどんな活動をしているか、さらにはその根底にある社会の見方や未来への展望などを、自らの信仰につなげながら、話してもらいます。

ちなみに、増山さんは、遠藤周作の「沈黙」に出てくる「日本=沼地(どんな苗も育たない)」論に大きく影響されたようです。
そして、日本社会が「沼地」と形容されるような状況になったのはなぜか? どうすれば変革できるか? を考え様々な取り組みをしてきています。その実践も計画も、とても個性的なものですが、実践を伴う思索に支えられているので、増山さんの軸は私が知る限り、揺るいだことがありません。

詳しくは日時の案内などの後に、増山さんからのメッセージを紹介しておきますので、お読みください。

増山さんは私にはとても手におえない人なので、どんなサロンになるか全くわかりませんが、いろいろな示唆をもらえるのは間違いありません。
湯島のサロンでの「信仰」の捉え方の広さを理解していただくうえでも、ぜひ多くの人に参加していただければと思っています。

〇日時:2022年9月23日(金曜日・祝日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生き方が選択できる社会とは?」
〇話題提供者:増山博康さん(菜園クラブ代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

増山さんからのメッセージをお読みください。

僕はキリスト教徒です。
祖父が受洗したので、今流行り(?)の言い方で言うと、「宗教三世」です。
と言っても、ジイちゃんとオヤジの事はアホちゃいまんねんパーでんねんと思いながら育ちました。

僕は今、都内から埼玉に通う(通って耕作するので「通作」と言います)「農家」として農業委員会に認められています。農家の出で、農業を継ごうと思っていなかったが、結果として農家になった人と心理的な近さを感じます。
僕もまあ、祖父と父の信仰を受け継ごうとは全然思わなかったけれども、「キリスト教徒」になったと言うあたりが共通しているのです。

そもそも、祖父は台湾に移住し、そこで受洗したのですが、実は都会人で農業関係に関わる人で旧大日本帝国の植民地在住者が父母にいると言う人は多いのです。国内のどこかの地域を「ふるさと」にしていないので、割とドライに判断する事がかえってプラスに作用している面もあります。

と言ったことに始まって、僕自身が理系であること、中東やロシアで環境調査をしていたことがあること等、異世界、異文化の接点がてんこもりなのですが、
そういう僕が、今や半農生活でお金を稼ぐ「菜園起業」と言うあり方でなぜか注目を集めつつあるようです。また、「観音様クラブ」だとか「ポーカーチップ算数塾」だとかというのもやろうと思っています。

なぜ、キリスト教徒が「観音様クラブ」をやるのか?
ポーカーチップ算数塾は、宗教問題とどう関係があるのか?
実はスコラ哲学で実念論と唯名論の論争があり、現代の算数・数学教育が実念論的な思想で作られているので算数嫌いが生まれている、唯名論的に修正すべきだと思っています。

ポーカーチップ算数は、放課後クラブで算数につまづく子どもたちに接した時、その場にあった碁石を使ってみたところ、見違えるほど、みんな計算力がアップした体験をもとに構想してきました。

算数でつまづく子どもたちは、「どうしていいか分からない」と言う事が多いです。
これに対して「意味を考えなさい」と言うのが「実念論」の立場、

文字通りに受け止めるのが「唯名論」の立場です。
僕が「実念論」と「唯名論」の論争について知ったのは、
高校時代にバートランド・ラッセルの西洋哲学史を読んでの事でした。
1970年代、折からの学生運動の高揚は教会にも及び、

僕が通っていた教会学校のある教会では「礼拝粉砕闘争」が行われ、椅子が投げられ、活動家の人が牧師さんに殴りかかっていました。高校生の頃、マルクス主義とキリスト教のサードオピニオンとして非マルクス系無神論者の

ラッセルを読んだのは、そうでもしないと精神的平衡が保てなかったからだと思いますが、その頃の事が何十年も経って、算数につまづく子どもたちの役に立つような事に結びついてくるから不思議です。

と書いていくと取止めなく話が広がっていきますが、今の時代、日常の中に当たり前のように、異世界・異文化が存在します。この異世界、異文化を窒息させてしまう日本の風土をキリスト教作家の遠藤周作は「沼地」と表現しました。

農業の世界で言うと、農業委員会や農協を「沼地」を作っている勢力と見なして反発する新規就農の人も多いのですが、僕はあまりそういう事はしません。
反「沼地」思想は、言ってみれば、沼地に排水路を掘って水はけをよくし、
農地に変えようと言うような思想です。

農業分野に限らず、日本の社会改革思想は、この反「沼地」思想が多いんじゃないかと思います。僕が考えているのは、「沼地」自体の生態系解析を進める事です。
そうすれば、沼地は沼地のまま、森林や草原など、他の生態系と共存していけるんじゃないかと思っています。
僕の見立てでは、観音様クラブは、この「他の生態系と共存する『沼地』づくり」に役立つはずです。

なんかよくわかんない事を言い出したと思っている方は、是非、足をお運び下さい。

当日は、僕の生い立ち等を語る「発生編」、哲学・宗教思想を論じる「原理論」編、
農業やポーカーチップ算数塾から観音様クラブまで、今後の活動について述べる「実践」編
3つを短い時間の中に詰め込んでお届けする予定です。

 

 

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2022/08/26

■第2回箸サロン「国際箸学会と箸文化」報告

今回の箸を使ったゲームのニューフェイスは、まだ名称もついていないようですが、ピーナツを横に並べて箸でいくつ持ち上げられるかでした。
箸サロンの特徴は、参加者が勝手にそれぞれ勝手にゲームをやりながら話を聞いたり話し合ったりすると言うスタイルです。

今回はあいにく参加者が少なかったので、サロンは予定していた講演スタイルではなく、自由な話し合いスタイルに切り換えましたが、新しい記録が出る度に話し合いも中断してしまうという感じのとてもゆるやかなサロンでした。前回もそうでしたが、こういうのもサロンとしては面白い。

ちなみに今回紹介されたピーナツをはさんで持ち上げるゲームは、記録は4つでした。私は瞬間的に3つを持ちあげましたが、再現できませんでした。箸学会会長の小宮山さんは5つにチャレンジして、一瞬できそうでしたが、失敗。

前回好評だった「積みピー」は、初参加の井坂さんが軽々と4つを達成し、5つも実現。私は前回できたはずの4つも実現できませんでした。

箸で、箸リンを回すゲームにもみんなで挑戦。「箸リン」と言うのは、箸ゲームセットの部品のリングなのですが、大きさが5種類あって、それを回すのです。これも奥が深そうです。

今回は、箸とはまだつながっていませんが、箸リンを活用しての「ぶんぶんゴマ」もみんなで挑戦。これが意外とはまってしまうのです。
ぶんぶんゴマは細菌学の益田サロンでも話題になったことがありますが、益田型と箸学会型は構造が違います。しかし音はいずれも同じ。

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今回は、国際箸学会と日本の箸文化がテーマだったのですが、やはりゲームに関心が行きました。その合間に、「箸の歴史」とか「箸づかいで5本の指はみんな使われているか」とか、箸の長さと持ち上げる重さの関係とか、そんな「学会らしい?」話も出ましたが。

国際箸学会としては、定期的な箸サロンも検討していますが、ともかくまずは箸仲間を増やさないといけません。箸技ゲーム未体験で一度体験したいという方や箸文化に関心のある方は、ぜひご連絡ください。
人と直接かかわるのは苦手な方も、箸ゲームを介すると意外と人とも付き合えるようになる。
そんな気もしながら、今回は、いろんなことを気づかせてもらったサロンでした。

 

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■9月の1回目のオープンサロンのご案内

9月の1回目のオープンサロンを次の通り開催します。
いつものように、テーマのない、出入り自由なサロンです。

なにかみんなと話し合いたいテーマがあれば、自由に話題提供してください。
話したいことがある方もない方も、どなたも歓迎の気楽なサロンです。
事前の申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。

〇日時:2022年9月1日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス(名前を変えましたがいつものところ)
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円

 

 

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2022/08/25

■第22回万葉集サロン「〈歌〉の語り、悲劇の形象ー大津皇子と大伯皇女」報告

今回のテーマは、「〈歌〉の語り、悲劇の形象」でしたが、なんと話は古典落語「ちはやぶる」から始まりました。長屋のご隠居さんが百人一首の在原業平の歌を「迷解釈」する話です。

神とつながっていた初期万葉の歌が、人のなかに降りてきて、「た(多)」という共同体のなかから「わ(吾)」と「な(汝)」を生み出してきましたが、そこから1000年以上たつと、歌(言葉)が日々の生活の中に入り込んできて、「わ」も「な」も包みこんだ、生き生きした「た」を創り出していくまでになってきた、と言うように私は受け止めましたが、升田さんはそれ以上の意味を、この落語で示唆してくれていたようです。

私の消化不足でうまくお伝えできませんが、そのうちおいおいわかってくるでしょう。

升田さんは、言葉は「生き物」として常に「た」「わ」「な」の間を往来する。だから、「わ」の覚醒から「自己」の確立へと進む過程での意識の問題と深く関わっている、と考えているのです。「意識」が変わると「人間」も「世の中」も変わり、「言葉」も変わる。それは万葉集の中でも起こっている。
今回の大伯皇女の、弟大津皇子との別れを詠んだ6種の歌に、それが感じられると升田さんは言います。

大津皇子事件は、壬申の乱の直後に起こった悲劇です。この時代は、神々が支配する「た(多)」の共同体から、人が権力を持つ社会「くに」へと移行する時代です。大津皇子も姉の大伯皇女も、そうした大きな時代の流れのなかで、悲劇に巻き込まれていくことになります。
ふたりの歌を読む前に、升田さんは時代背景や古代世界における「負の存在と克服」、さらには「わ」の自立や内面化、「な」への自己投影について、神話を例に解説してくれました。

そしていよいよ大伯皇女の歌、つづいて大津皇子の歌(「懐風藻」も含めて)を読んでくれました。

皇極天皇の時代の頃から、共同体としての「た」から「わ」と「な」が確立しだしたことをこれまで読んできましたが、自己が確立しだすと相手の気持ちも感じられるようになる。そして叙事から抒情の世界へと移りだし、それが日本の和歌の基本になっていく。大伯皇女の歌は、まさにその始まりだったと升田さんは捉えています。
そう思って、改めて大伯皇女の6首を読むと、鈍感な私でさえ、大伯皇女の気持ちに引き込まれるような気がします。人麿のとは違った歌の持つ力が感じられます。

升田さんはここでさらに、ふたりの歌に関しては「仮託説」があると紹介してくれました。案内で升田さんが書いてくれていることを再録します。

『万葉集』には、斎宮を解かれて伊勢から戻された姉大来(大伯)皇女の孤独な哀切歌が時間を逐うようにして並んでいて、その「語り」は読む者の心をうちます。

しかし、これらの歌には、後人の作った仮託説が強く支持されています。そうであるならば、人の心の内部に分け入ってその真情を歌に表現するにはまず作者自身(仮託を担う人)が自分の内部を見つめるのでなくてはなし得ません。

ここでも「わ」と「な」の意識の誕生が示唆されています。
升田さんは続けてこう書いていました。

これまで万葉歌の言葉()や表現から、古代の共同体「た〈他=多〉」の中で緩やかに共生する「わ〈我〉」と「な〈汝〉」、そこから「〈わ〉と〈な〉」との対峙、「わ」の覚醒、そして「自己」の確立へと進む有りようを探ってきました。大津皇子事件は、「た」「わ」「な」の関係を和歌世界の中でさらに大きく変容させてゆく契機だったのかもしれません。

もっとも升田さんは、どうも仮託歌ではなく本人が詠んだものだと考えているようです。
私も、サロンの後で、それぞれの歌を読み直してみました。これまた気のせいか、本人でないとこうは詠めないのではないと感じました。つまりそこに「創作者」ではない「当事者」のリアリティを感じます。これまた歌の力でしょうか。

升田さんによれば、大津皇子のような、自身による臨死歌は万葉集には他にないそうです。また、大来皇女の歌のような、深く静かに自己を観想する歌もまだない。このふたりの歌は、まさに新しい世界を切り拓いているのです。

いささか大仰に言えば、そこには「人間とは何か」「自分とは誰か」という問いが生まれだしているのかもしれません。
案内に書かれたた升田さんの次の文章の意味がようやく分かりました。

「人間」を見つめる目の先にあるのは何なのか。
抒情歌でありながら物語の核を形成するあり方は、後の『源氏物語』など平安時代の文学へと繋がって行く素地を持っています。

升田さんは、大津皇子と大伯皇女の「抒情歌」を読んだので、ようやく先に進めると言いました。これを読まないうちは、山上憶良や大伴家持の歌には進めないのだそうです。
つまりここで万葉歌人の生き方や考え方、さらには「た」(社会)が変わったのです。それをしっかりと踏まえておかないと、その世界には入っていけないということでしょうか。

今回は盛りだくさんで、私自身うまく消化しきれていませんので、報告も長い割には中途半端になってしまいました。
しかし升田さんのレジメには、もっと興味深いことが示唆されていました。たとえば「語りの構造と歌の抒情性」とあります。いよいよ「物語」が生まれだすのです。

しかし、「物語」と言っても大きく2つの世界がある。
今回も冒頭で、「文字で書く物語」と「歌で語る物語」という話がありましたが、文字で語れる世界と歌でしか語れない世界があるとしたら、物語も大きく2つに分かれるのかもしれない。
大伴家持は、歌でなければ「心の奥底まで届く悲しみ」は表せないと書いているそうですが(私の聞き違いかもしれません)、大津皇子の辞世詩と大伯皇女の挽歌に、文字の世界と歌の世界の違いを感じさせてもらった気がします。

今回は、日本書紀の記事もいくつか紹介してくれましたが、万葉集を深く読み込んでいる升田さんの紹介する日本書紀の話も、いつも新しい気づきを与えてくれます。
それが紹介できないのが残念です。
いつかまた番外編をお願いしたいと思っています。

Manyou22

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2022/08/22

■湯島サロン「今の社会、生きやすい?生きにくい?」のご案内

しばらく休んでいた生き方を考えるサロンとして、今回は「今の社会、生きやすい?生きにくい?」を切り口にして、社会と自分とを考えることにしました。

最近、湯島のサロンに若い世代が参加しだしてくれていますが、今回は10代の若者がわざわざ関西からサロンに参加してくれるというので、若い世代も若くない世代も自分の問題として気楽に発言でき、社会を見直すことができるテーマを選びました。
今回は、私が問いかけ役や引き出し役を務めさせてもらうことにしました。

最初に参加者のみなさんに「今の社会、生きやすい?生きにくい?」と問いかけることから始めたいと思いますが、全員がどちらか一方だと話が展開しにくいので、「今の社会は生きやすい」と思っている人を探しています。
ところが意外にいないのです。

ちなみに私自身は、いまの社会は生きにくいと言えば生きにくいですが、実際には生きやすい時代ではないかと思っています。ただ状況は急速に悪化しているような気はしますが、その一因は、多くの人が「生きにくい時代になった」と思いこんでいるからかもしれないと思ったりしています。

まあどんな展開になるかはわかりませんが、参加者それぞれが、少しでも生きやすいようになる気付きを得られる話し合いになればと思っています。
社会が主役か、自分が主役か、ということも考えたいと思っています。

生きにくいと思っている人も、生きやすいと思っている人も、そんなこと考える暇もない人も、ご参加いただけるとうれしいです。

〇日時:2022年9月16日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「今の社会、生きやすい?生きにくい?」
〇問いかけ者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2022/08/20

■8月の1回目のオープンサロン報告

昨日のオープンサロンには暑い中、5人の人が参加してくれました。
常連メンバーが多かったのですが、参加者の一人がまた「やはりオープンサロンは自由に話せて面白い」と言ってくれました。こういわれると止めるわけにはいきません。困ったものです。

オープンサロンの良さは、みんな同じ立場なので、気楽に話し合えますし、どんな話題も出しやすい。むしろ参加者それぞれが主役になって話せるのです。
オフレコですので、かなり思い切った話も、誰に気兼ねなく話せます。
異論も気楽にぶつけ合えます。

湯島のサロンは、もともとテーマなしで出入り自由なサロンから始まっています。最近はテーマサロンが主軸になってきていますが、多くの人にぜひオープンサロンの面白さを体験してほしい気がします。もっとも面白くない時も、もちろんありますが、それもまた面白い。
ぜひオープンサロン未体験者の方にも気楽に参加してほしいと改めて思いました。

今月は2回目があるのかと言われました。
最近疲れているので、躊躇していますが、昨日のオープンサロンでは私も元気を少しもらえたので、疲労回復策として2回目も企画しようと思います。しかし、予定表を見たら、今月下旬はサロンが目白押しですので、9月に入るかもしれません。

いずれにしろ、夏バテで疲れている、私のような人のためのリトリートサロンにしたいと思います。どなたか疲れをいやす方策をお持ちの方は、ぜひご参加ください。場合によっては、その人の都合に合わせて開催させてもらいます。

Open2022081

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2022/08/16

■またまた失望

第2次岸田内閣の顔ぶれを見て、岸田さんは全く信頼できないことにようやく気付きました。まさかの人事が多すぎる。それはまあいいとしても、杉田水脈さんが総務政務官とは驚きです。私自身は、杉田さんが国会議員であること自体に大きな不信感がありますが。

この一事を見ても、岸田さんの「言葉」が全くの嘘で固められていると思わざるを得ません。言葉は、その人の行動で、その意味がわかってきますから。
岸田さんにとって、政務官や大臣は、どんな存在なのでしょうか。

杉田水脈さんを総務政務官の任命したことの意味を、私たちはしっかりと理解しなければいけません。私たちの暮らす社会のあり方を大きく方向づける話なのですから。

岸田さんに「良識」を期待した自分の甘さに気づかされました。
それにしても、岸田さんのまわりにはこんな簡単なことをアドバイスする人はいないのでしょうか。
またこんな内閣に参加することを恥ずかしく思う人はいないのでしょうか。

こんな岸田政権が3年も続くと思うと、やりきれません。

 

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2022/08/14

■「戦争とは誰かが私欲のために引き起こし利用するもの」

ハーバート・フーバーの「裏切られた自由」下巻を一応読みました。
と言っても、下巻は史料が多いのと、私の関心事から外れたところが多いので、一部の拾い読みで終わりました。そのおかげで、600頁でしたが、2日で終わりました。まあ目次を読んだ程度でしかありませんが。

その中に、対日本政策と原爆投下事情やロシアの参戦に関わる部分、そしてポツダム会談のあたりの話が出てきます。
それを読んでいて、「戦争とは誰かが私欲のために引き起こし、利用するもの」だと改めて思いました。いまさらなんだと笑われそうですが、いまのウクライナ戦争も、そういうことで停戦には至らないのでしょうか。その構図が見えてくるようです。日本政府もおそらくそれに加担している。誰も終わらそうとは思っていないような気がしてなりません。

 先の戦争で言えば、日本の降伏意図は、アメリカ政府にもロシア政府にも伝わっていたにもかかわらず、あえて原爆投下やロシア参戦を引き起こすために戦争は引き延ばされていたようです。戦争は「未来のために」行われることがよくわかります。

それと最後にハーバーの思いもかなり出ている論考も史料に残されていました。
特に、資料13「ルーズベルトの外交政策の評価」は興味深かったです。

 明日は日本では戦争が終わった日として位置づけられています。

「裏切られた自由」を読んだおかげで、今年の815日は、これまでとちょっと違った気分で迎えられそうです。改めて「戦争」とは何なのかを少し考えてみようと思っています。

 

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2022/08/13

■第18回益田サロン「生物と環境を考える益田同心円モデル」のご案内

細菌学者の益田さんのサロンも、18回目になりました。

毎回、さまざまな切り口から「生物と環境」の問題を考えてきていますが、新たな参加者も増えてきたので、改めて益田さんの「病原体から見た人間と環境の関係」論の基本にある同心円モデルの説明を、ジフテリア菌や破傷風などの感染症の話を引き合いに出しながら解説してもらうことにしました。それがしっかりとしていないと、話し合いがうまくかみ合わないおそれがあるからです。

「益田同心円モデル」というのは私の勝手な呼び方ですが、宿主と寄生体の関係を二重の生物学と呼んでいる細菌学者もいるようで、「多重の生物学」というような言い方も可能ではないかと益田さんは言っています。「多重の環境」「多重の関係」いう捉え方もできるような気もします。

この同心円モデルは、一見、単純なのですが、これまでのサロンを通して、そこからいろいろな示唆が得られることがわかってきました。そこで、今回は益田サロンの出発点に返って、対等で相互依存的な生物と環境の関係を、具体的な例を用いながら、しっかりと解説してもらい、これからの議論の根底を確認しておければと思います。

なかなか質問しにくい基礎的な質問も、今回は気楽に出し合えるようにしたいと思いますので、どなたでも大歓迎です。
これまで参加していなかった方も、ぜひこれを機会に、益田サロンに参加していただければと思います。

なお、益田さんの「病原体から見た人間」(ちくま新書)の電子版が新たに出版されました。入手方法も簡単になりましたので、ご関心のある方は、お読みいただければと思います。お時間の許す方は、特に第4章「病原体としての人間」を読んできて下さい。

https://www.amazon.co.jp/%E7%97%85%E5%8E%9F%E4%BD%93%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%96%93-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%9B%8A%E7%94%B0%E6%98%AD%E5%90%BE-ebook/dp/B0B7J814X5/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=

今回はいつものような「対話型サロン」ではなく、久しぶりに質疑自由な講義型サロンになりますので、いつも以上に気楽のご参加ください。

〇日時:2022年9月10日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生物と環境を考える益田同心円モデル」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2022/08/12

■第2期生活事業研究会1回目の補講の報告

湯島で、生活事業研究会第2期をスタートしましたが、1回目に参加できなかった人が一人いたので補講を開催しました。同研究会では参加者の話し合いを重視していますが、参加者一人では話し合いが難しいので、様子見も含めて参加者を直前に呼びかけました。その結果、新たにひとりが追加参加となり、様子見の方2人とすでに受講された方1人を加え4人の参加になりました。

 この研究会は、参加者同士のつながりを目的のひとつにしていますが、すでに第2期では参加者同士のコラボの動きが出ています。「一人で考える」のと「他者も交えて考える」のとでは、違った発想と動きが出てくるようです。
1期目と違った展開になっていきそうです。

生活事業は一時期、盛んに言われた「社会事業」「コミュニティビジネス」とは違います。あえて言えば、最近、ネグリとハートが言いだしているマルチチュードの取り組む社会事業です。
この研究会を始めて以来、私の考えも少しずつ整理できてきています。これも参加者のみなさんとの話し合いのおかげです。

研究会はメンバー制にしていましたが、公開スタイルでもいいなと思いだしました。
正式のメンバーは宿題が課されますが、宿題のない自由参加もこれから認めていこうと思います。何事もやってみないと分かりませんから。

次回の生活研究会は98日の午後です。
補講なしでの初めての参加も受け入れようと思います。関心のある方はご連絡ください。

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■「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」

アルカイダの指導者アイマン・アルザワヒリ容疑者(71)が731日、アメリカのミサイル攻撃で殺害されました。
この種のニュースが流されるたびに、どうしてこんなことが許されるのか不思議に思います。とりわけ安倍元首相の狙撃事件の後に、こういうニュースが流れると、なぜ一方は「犯罪」で、一方は「犯罪」にならないのか、頭が混乱します。

先日、日本での死刑執行のニュースが流れた時にも、頭が混乱しました。
「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」と杉下右京や天樹悠がテレビドラマでよく話していますが、彼らは死刑制度をどう考えて、刑事などの職業をつづけているのでしょうか。彼らの論理で言えば、彼らも「犯罪」に加担しているとは言えないのかとさえ思います。

気のせいか、テレビの犯罪ドラマでは、加害者の犯人に同情したくなるような話が最近多いような気がします。いま放映されている「遺留捜査」では時に涙が出そうになるほど、犯人には哀しい事情があるのです。単純な私としては、刑事よりも犯人に同情したくなることさえありますが、でも、だからと言って、誰かを加害していいわけではありません。
しかし、それを延長していくと、やはり私にはどう考えても、ウクライナ戦争はプーチンだけを責める気にはなれません。

どんな形であれ、人が人を殺めることのない社会になってほしいと思っています。

 

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2022/08/10

■明日、湯島で、生活事業研究会第2期の1回目の補講を行います。

明日(811日)の午後24時、湯島で、生活事業研究会第2期の1回目の補講を行います。

2期の1回目はすでに終わっているのですが、参加申込者の中でおひとりだけ参加できなかった人がいるので、その人に対する「補講」を行うことになりました。
補講に参加する人の考えていることは、海外からの技能実習生などの生活面での支援活動です。生活事業研究会がめざす「事業」は、むしろプロジェクトとか「やりたいこと」という、ゆるやかなものなのです。

 ところで、補講とはいえ、おひとりだと話し合いにもなりにくいので、もしお時間があって、「生活事業の考え」や「特定技能研修生支援」に関心を持っている方がいたら、様子見も含めて、ご参加いただけるとうれしいです。
これを契機に、生活事業研究会の第2期にも参加してもらえるともっと嬉しいです。

 誰も参加者がいないと、補講受講者との対談になってしまい、馴れ合いになりそうなので、よろしくお願いします。
生活事業研究会第2期の案内は下記にあります。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/07/post-1fc8e7.html

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2022/08/09

■湯島サロン「安倍元首相銃撃事件をどう捉えるか」報告

安倍元首相狙撃事件から1か月がたちました。
いろいろな事実が表出されだしてきている一方、マスコミの関心は逆にどうも違う方向に向かっているようで、私の疑問はますます増えてきています。どうもそれは私だけではないようで、今回のサロンにはたくさんの参加者がありました。

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まず北川さんが、これまで発表されている映像などを使いながら、わかりやすく疑問点の整理をしてくれました。併せて、この件に対して、いろいろと疑問を持った人がどういう受け止め方をしているかも、紹介してくれました。
そして、それを踏まえて、中嶋さんが、その疑問点をどう読むべきかを、わかりやすく話してくれたうえで、参加者の話し合いが始まりました。

参加者の中にも、明確な仮説をお持ちの方もいて、いろいろと解説してくれましたが、おかげでマスコミやネット情報だけではなかなか見えてこなかったことが見えてきた気がします。「情報洪水」と言われる現代、こういう形でいろんな情報や解釈をもった人たちが集まって話し合うことの効用がよくわかりました。

私自身は、まだすっきりするところまでいきませんでしたが、いろんな人がこんなに考えているということを知って、安堵しました。きっといつか事実がもっと見えてくるでしょう。

おふたりの報告や意見、また参加者の話し合いの内容は、オフレコにしておきたいと思いますが(基本的に湯島のサロンの話し合いはオフレコなのです)、話は「統一教会」や「国葬問題」にも及びました。さらには、日本は主権国家かという話さえ出ました。
この事件は、いろいろな問題をあぶりだしてくれているようです。
安倍元首相がどういう存在だったのか、に関しても、この事件を切り口に考えるとまた違った面も見えてくるという話もありましたが、それは同時に、これからの日本国家のあり方にもつながる話です。

ちなみに、北川さんの報告レジメ「安倍元首相狙撃事件にまつわる数々の疑問」を読みたい方は、ご連絡いただければ、PDFデータでお届けします。

最後に、中嶋さんは、この事件を活かすにはどうしたらいいかも提案してくれました。
世界中から注目を浴びているのであれば、それを活かして、国葬の場で、世界に向けて、メッセージを出すべきではないかというのです。
いささか過激な提案なので、ここに書くべきかどうか迷いましたが、中嶋さんは自らのフェイスブックでも提案しているので、その記事を以下に引用させてもらいます。

故安倍晋三氏の国葬について国論二分の感がありますが、私はこれについて条件付きで賛同いたします。
条件とは、下記3点を含めた弔辞を総理大臣自らに読み上げて頂くこと。もちろん世界への発信を前提にしています。
今回の事件の真相と国葬にこだわる故人ご側近の方々の想いを最大限汲み取りかつこれからの日本のあるべき姿形をも示す起点とすることを視野に入れたつもりです。
なぜなら、今回の事件が示しているのは故人の真の想いと行動がその理由と考えるしかなく、それは戦後一貫して日本の置かれた立場を前提に考察すると必然的な答えであるかにも思えるからです。

❶警察の捜査では現在逮捕拘束されている人物が、実際に致命傷を与えたのかについては今なお検証中である。

❷国民の間からはかつてのジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件に酷似しているとの声が上がっており、真相究明を求める声が高まっている。

❸可能性として外国勢力による犯行との見方もあり、万が一にもそれが事実であり、またもし国家としての関与が明るみに出た際には、同盟非同盟を問わず当該国を厳しく非難し、国家としての威信をかけて世界にその信義あるところを問うことを強く言明する。

以上が中嶋さんの提案です。

中嶋さんは、こののメッセージの意図を深読みできる人が日本人にも増えて欲しい(世界ではわかっている人が多いから)と考えているようです。私も、大筋は賛成で、こういうことの契機になるのであれば、国葬にも反対しません。

それにしても、多くの人の目の前で銃弾に倒れるというような事件が起きる社会になってしまったことが残念で仕方ありません。

 

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■「裏切られた自由」とベリングキャット

「ベリングキャット」は、イギリスに本拠を置く、調査報道機関です。ウェブサイトでいろんなことを公開していますが、そこで報告されていることは、すべて公開されている情報を収集・分析することで導かれだされた「事実」だそうです。
蛇足的に言えば、公開情報をうのみにするのではなく、「解析」し「編集」しているところがポイントです。

友人が、地元の行政活動を、この方式でウォッチしてきています。時々、その結果判明したことを教えてもらうのですが、彼はただ解析するだけではなく、しかるべきところにその事実を報告して、建設的な活動を目指していますので、とても共感できます。但し、私の感じでは、あまり報われることはないようですが。

先日の安倍元首相狙撃事件に関するサロンでも、北川さんと中島さんが、まさにベリングキャット的な報告をしてくれました。
個々の「事実」や「報道」だけでは見えてこないものが見えてきます。
そうした個々の情報から、その意味を解こうとする姿勢を「陰謀論」という言葉で揶揄する人もいますが、事実を読むとは、そうした「隠された意図」を読み解くことと言えるかもしれません。

新聞やテレビのマスコミ情報は信用できないという人がいますが、報道されている情報から何を読み取るかは、受け手次第です。受け手がしっかりしていれば、マスコミ報道にはたくさんの事実が含意されています。

この1週間、一時話題になったハーバート・フーバーの「裏切られた自由」の上巻を読んでいました。上巻だけでもB5版700頁の大部なので、てこずりましたが、ようやく上巻を読み終わりました。
関係者の私信も含まれていますが、この本も「ベリングキャット」手法ですので、読み手のリテラシーが試されます。私には難しくて読み解けないことも多いのですが、とても面白かったです。少なくとも、ベリングキャットの効用は実感しました。

私が先の日米戦争に関するイメージを変えたのは、ジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」全5巻を読んだ時でした。学校で学んだ歴史知識は、まさにプロパガンダそのものだと思い知らされました。

「裏切られた自由」も、私の「知識」を揺るがせてくれました。知識としてはほとんど知っていたつもりですが、ここまで細かく資料に基づいて説明されると、自分の「知っていたつもり」が揺らいできます。「知識」を自分のものにしていくのは、やはり時間がかかりそうです。

明日から、引き続き、下巻に挑戦しますが、上巻で心に残った文章を一つだけ紹介します。同書の第1部第7篇「アメリカ国民の洗脳」に出てくる文章です。

国民に真実を知らせない技術がますます蓄積されている。そのための手段にあらたにラジオ放送という武器(手段)ができた。

ラジオやテレビは、事実を広く広げていくための手段だと私は思っていましたが、どうも当初から統治者たちはそうは思っていなかったようです。
私も根本から「洗脳」されていたのかもしれません。
しかし「ベリングキャット」によって、事実を垣間見るためには、ラジオやテレビは有効なメディアです。

フーバーの努力を無駄にはしたくありません。

 

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2022/08/08

■第22回万葉集サロン「〈歌〉の語り、悲劇の形象ー大津皇子と大来皇女」のご案内

今回は、大来皇女の歌を中心に、万葉集が新たな表現性(「歌」の語り)への道を拓く背景を見ていきたいと思います。

升田さんによる案内です。

天武天皇崩御の後、謀反を企てたとして1ヶ月足らずの内に死を賜った大津皇子。『日本書紀』はその時の様子を、異例とも言える筆致で記しています。『懐風藻』『万葉集』には皇子の臨終の歌が残されています。
『万葉集』には、斎宮を解かれて伊勢から戻された姉大来(大伯)皇女の孤独な哀切歌が時間を逐うようにして並んでいて、その「語り」は読む者の心をうちます。

しかし、これらの歌(特には大来皇女の)には、後人の作った仮託説が強く支持されています。そうであるならば、人の心の内部に分け入ってその真情を歌に表現するにはまず作者自身(仮託を担う人)が自分の内部を見つめるのでなくてはなし得ません。柿本人麿を作者として推す研究者もいます。

自らの心を歌った独詠歌といっても憚らないようなこれらの歌群。
『万葉集』には儀礼的な挽歌がたくさんありますが、大津皇子のような、自身による臨死歌はありません。大来皇女の歌のような、深く静かに自己を観想する歌もまだありません。
「人間」を見つめる目の先にあるのは何なのか。
抒情歌でありながら物語の核を形成するあり方は、後の『源氏物語』など平安時代の文学へと繋がって行く素地を持っています。

これまで万葉歌の言葉()や表現から、古代の共同体「た〈他=多〉」の中で緩やかに共生する「わ〈我〉」と「な〈汝〉」、そこから「〈わ〉と〈な〉」との対峙、「わ」の覚醒、そして「自己」の確立へと進む有りようを探ってきました。大津皇子事件は、「た」「わ」「な」の関係を和歌世界の中でさらに大きく変容させてゆく契機であったのかもしれません。

万葉集の歌をただ読むだけではなく、そこから日本人の意識の変化を読み解いていく升田万葉集サロンの面白さに、ぜひ多くの人に触れていただきたいと思っています。

万葉集を読んだこともない方も、詠み込まれている方も、きっと新しい気づきをもらえると思います。
みなさんの気楽なご参加をお待ちしています。

〇テーマ:「〈歌〉の語り、悲劇の形象ー大津皇子と大来皇女」
〇日時:2022年8月21日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2022/08/05

■生活事業研究会の第2期が始まりました

昨日、第2期生活事業研究会がスタートしました。
参加者は6人ですが、おひとりは都合が合わずに欠席、来週11日に「補講」を行う予定です。追加参加希望者がもしいたら、参加してください。歓迎します。
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昨日、参加者から、「事業」という言葉だとビジネスのイメージを持ってしまうので、「生活事業」ではなく「地域活動」という表現がいいのではないかという指摘がありました。たしかに「生活」は地域と深くつながっていますが、地域に呪縛されない「生活」もあるように思います。
そして、むしろビジネスや「お金儲け」にあまりに繋がりすぎている「事業」の捉え方を問い直すのが、この研究会の目的の一つです。

今回は、スタート直前に、残りの人生の生き甲斐を見つけたいので、「生活事業」に取り組んでみたいといううれしい申し出もありましたし、収益には直接つながらない活動に取り組もうとしている人の参加もありました。
まだ明確の事業イメージができていない人が多いようですが、研究会を通して、内容がどう形になり変わっていくか楽しみです。
なかには、1期に続いて2期目も参加してくださった人もいます。継続参加も歓迎します。

今回は、それぞれの思いを発表してもらうとともに、「生活事業」の考え方を少し話させてもらって、話し合いをさせてもらいました。予定の時間を越えて4時間の長い会になってしまいました。多様なメンバーの話し合いも刺激的でした。

ところで、今回、参加できなかった人のための「補講」を下記のとおり行います。
第2期に参加されたい方が、もしまだいたらぜひご参加ください。
やりたいことがあろうとなかろうと、誰でも歓迎です。
きっと取り組みたい「生活事業」が見つかると思います。

参加ご希望の方はご連絡ください。

〇日時:2022年8月11日(木曜日)午後2時~4時
〇会場:湯島コンセプトワークショップ
〇内容:第2期生活事業研究会1回目補講
〇参加費:1000円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com

 

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■8月の1回目のオープンサロンのご案内

8月の1回目のオープンサロンを次の通り開催します。
いつものように、テーマのない、出入り自由なサロンです。

なにかみんなと話し合いたいテーマがあれば、自由に話題提供してください。
話したいことがある方もない方も、どなたも歓迎の気楽なサロンです。
事前の申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。

8月に2回目があるかどうかは未定ですが、やりたい方がいたら検討しますので、ご連絡ください。

〇日時:2022年8月19日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス(名前を変えましたがいつものところ)
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円

 

 

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2022/08/04

■湯島サロン「食と農からの生命系の経済への動き」のお誘い

政治の世界では「新しい資本主義」が話題になっていますが、湯島のサロンの大きなテーマのひとつは「新しい経済(社会)」です。「新しい」という形容詞を私たちは安易に使いがちですが、「新しい」とはなにかも含めて、湯島では考えてきているつもりです。
今年の6月からまた改めてそのテーマに集中的に取り組んでいます。
今回は「生命系の経済学」をテーマに、研究と実践に取り組んでいる岸本華果さんに話題提供をお願いすることにしました。

生命系の経済学は1970年代から80年代にかけて盛んに言われましたが、次第に流れは金融系の経済に反転し、議論は消えてしまった感がありました。しかしその流れは実践の現場ではしっかりと生き続けていて、最近また若い世代がそういう動きに惹かれだしているようです。前回、サロンをしてくださった北杜市で自然農に取り組む阪口さんもそのおひとりです。

岸本さんは在学中に、生命系の経済や地域主義、あるいはエントロピー視点での経済学を提唱していた玉野井芳郎さん(1985年に亡くなっています)に出会い、「食と農からの生命系の経済」をテーマに修士論文を書きました。
そしてこの4月から、そうした新しい経済に取り組んでいる「株式会社雨風太陽(旧社名:株式会社ポケットマルシェ)」に入社し、いまは実践活動に取り組んでいます。

岸本さんが魅了されたという玉野井さんは、市場経済のみを対象としてきた「狭義の経済学」を超えて、生命系の世界である非市場経済までを対象とする「広義の経済学」(「生命系の経済学」)を提唱していました。
岸本さんは玉野井さんに出会い、いまの社会のさまざまな問題を解決していくためには、経済の捉え方を変えなければいけないのではないかと考えだしたようです。
そして調べていくと、いろいろなところに生命系の経済を志向する動きがあることに気づき、そうした動きをどうやって大きくしていけるのかに関心を持ち出しました。

そうした岸本さんに影響を与えたのは、以前、湯島のサロンでも話題にさせていただいた折戸えとなさんの「贈与と共生の経済倫理学」だったそうです。同書は、これも何回か湯島で話題になっている霜里農場を支える「新しい経済倫理」をテーマに、霜里農場の新しい実践を紹介しています。

今回は、えとなさんのパートナーだった折戸さんや霜里農場の金子友子さんも参加してくれることになっています。
研究と実践を重ねながら、自らの問題として「経済」を考えている若い世代の考えに、ぜひ多くの人たちに触れていただきたいと思っています。

なお、岸本さんの修士論文をお読みになりたい方はご連絡いただければデータでお届けします。参加申込者にも送らせてもらいます。
当日は、その修論をベースに、岸本さんの「新しい経済」への思いを話してもらい、参加者と一緒に話し合えればと思っています。

〇日時:2022年9月11日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:岸本華果さん(農から暮らしを考える実践研究者)
〇テーマ:「食と農からの生命系の経済への動き」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■ゼレンスキーとルーズベルトが最近重なって見えてきました

ウクライナの話題がだいぶ目立たなくなりました。
実態は、しかしそう変わってはいないのではないかと心配です。

思うことあって、前に一度読んだことのある「誰が第二次世界大戦を起こしたのか フーバー「裏切られた自由」を読み解く」(草思社)を読み直してみました。
ゼレンスキーとルーズベルトが最近重なって見えてきたからです。

ルーズベルトこそ、第二次世界大戦を引き起こした張本人だという見方が一時期拡がりましたが、2人とも戦争愛好者なのではないかとふと思ったのです。
ゼレンスキーを支持する人たちも、私にはそう見えて仕方がありません。
まあこんなことを書くとまた思い切り叩かれそうですが。

それはともかく、この夏に、こんどこそハーバート・フーバーの「裏切られた自由」に挑戦してみようと思い立ったのです。
図書館から借りてきてしばらく机の上に置いているのですが、なかなか読む気が起きなかったのですが、昨日、ようやく、編者ジョージ・ナッシュの序文を読みました。序文と言っても100頁もあるのです。
残念ながら、本文1000頁を読もうというモチベーションが起きませんでした。
でもまあ少しずつ読んでみようと思います。

現代を読むときヒントは、必ず歴史の中にこそあると思いますので。

 

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2022/08/03

■第17回益田サロン「人間が行う3つの破壊」報告

今回の益田サロンのテーマは「生物と環境に関連して人間が行う3つの破壊」でした。
案内文で益田さんがとてもわかりやすく解説してくれていましたので、それを再録します。

環境あっての生物という原則からは生物は環境を破壊しないはずです。しかし人間はいろいろな理由で自然環境を破壊したり、食欲に起因する過食や運動不足で糖尿病になり身体を破壊したり、日ごろ頼りにしている理性が破壊されて自殺をしたりします。

このように環境あっての生物という原則を破るよう見えても、よく見てみるとこの原則は破られていないようです。それは生物の立場が一転して環境となるような事態が生じているからと考えられます。

典型的なものは心中の賊と言われているものです。体を環境としている心を環境とする、仮に欲と呼ばれる生物のようなものが現れます。この欲は山中の賊と違って対策が立てにくいことは古人が嘆いていることです。

欲の中には名誉欲とか金銭欲のようなほかの生物に起源を見出せないようなものありますが、この欲を環境とする生物のようなものが自殺を行わせるのではないかと思います。

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サロンでは、益田モデルの同心円を使ってこれをわかりやすく話してくれました。

同心円モデルでは、隣接する同心円の外側Bが内側Aにとっての「環境」になりますが、その一つ外側の同心円Cの世界は「環境」とは認識されないために、そこへの影響は視野から外れるというわけです。
しかし、そうはいっても、BにとってはCは環境ですから、それが破壊されればBが壊れ、回り回ってAも壊れかねません。

「環境あっての生物」という時の「環境」をどう捉えるかという問題ですが、同時にそれは、環境と生物をどう捉えるかという問題にもつながります。
また同心円の中心は、新たな中心を生み出してきています。それが「欲」であり、「名誉欲」「金銭欲」と言ったような「欲中欲」です。同心円は内にも外にも、広がっているのです。

私は、「環境あっての生物」と同じ意味で、「生物あっての環境」であり、それらは難しい言葉を使えば、ホロニックな関係にあるように思います。生物の中に環境が凝縮されていると言ってもいいでしょうし、環境の中に生物が遍在していると言ってもいいかもしれません。そして、それは生物と環境が対称的に交換し合っている存在のように思います。ですから同心円は内にも外にも広がるわけです。

益田さんは、心を環境とする、仮に欲と呼ばれる「生物のようなもの」が現れ、それが心にとっての環境(体)を壊してしまうことがあると言いますが、同じように、心の周辺に、「環境のようなもの」が覆いだして、環境を見えなくしてしまうと言えるかもしれません。そのために、「生物のようなもの」が生み出されてしまう。

益田さんは、この同心円モデルで、「生物のようなもの」を想定し、そこから考えることによって、自然破壊や健康障害、さらには自殺の問題を考えていくと、これまでとは違った対策が見えてくるのではないかと考えているようです。

たしかにそうだと思います。
私自身は、同時に、そうしたものは何によって生み出されるかに関心を持ちました。もしかしたら、それは「環境」によって生み出されているのではないか。
環境こそが、欲や欲中欲を生み出しているのではないか。
どちらから考えるかで、問題は姿を変えてしまうかもしれません。

もちろんおそらく方向は一方向ではないでしょう。となると、平面図では捉えにくくなります。同時に、中心におく「欲」も多用なので、この同心円モデルでは見えにくくなるものが増えてくるように思います。

そんな議論をしていたら、話がややこしくなり過ぎて、参加者からもう一度、原点に戻って益田モデルをきちんと考えようという提案がありました。
そもそも出発点は、ジフテリア菌や糖尿病から始まった話なのです。
そんなわけで、次回は改めて原点に戻り、益田細菌学による「生物と環境」をテーマにした講座型のサロンにすることになりました。

これまで参加したこともない人も含めて、ぜひ、次回(9月前半を予定しています)、多くの人に参加していただきたいと思います。

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2022/08/02

■海外からの技能実習生の交流サロンの参加者を探しています

湯島サロンの仲間の吉本精樹さんが、海外からの技能実習生の支援活動に取り組んでいます。マスコミでも時々話題になりますが、技能実習生はいろんな苦労を抱え、トラブルにも巻き込まれることも少なくありません。

そこで、実習生の方たちが、気楽に集まれて、いろいろと困っていることや日本人に相談したいことなどを話し合える場ができたらいいなと吉本さんと話して、ともかくそういう場を用意しようということに決めました。

まだどういう場をつくったらいいかもわかりませんが、一度、技能実習生や特定技能外国人のみなさんと話し合ってみようということになりました。実習生のみなさんは、都心よりも地方に多くいるようですし、忙しいでしょうし、交通費もかかりますのでそう簡単には集まれないでしょう。しかし、できれば毎月、開催したいと思っています。そのうち、集まりだすかもしれませんし。

吉本さんは、遠い故郷を離れて日本で働く人たちと意見を交換したい、日本で安心して働くために必要な情報や技術も伝えたい、困ったことの相談にも乗りたい、と言っています。そういう思いを持っている日本人も少なくないでしょうから、そういう人とのゆるやかなつながりも育てたいと思っています。
ともかく、孤立することなく、職場のほかにも気楽で安心できる居場所をつくってほしいと吉本さんは考えています。

そこでもし、みなさんのまわりで、そういう場を求めている実習生などがいたら、ぜひ教えてやってください。参加大歓迎です。
ちなみに今回は、参加対象者は海外からの技能実習生が対象です。
参加してくれそうな方がいたら、私か吉本さんに連絡してください。

実は、私は25年ほど前になると思いますが、アジアから日本への私費留学生のための気楽な話し合いの場を毎月湯島でやっていました。その時の一人が、いまインドネシアにいますので、彼にも協力してもらおうと思っています。

この活動に一緒に取り組んでくださる方がいたら、ご連絡ください。

〇日時:2022年8月20日(土曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇呼びかけ人:吉本精樹・佐藤修
〇連絡先:吉本青樹(yosimotoseiki@gmail.com)佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■第2回箸サロン「国際箸学会と箸文化」のご案内

国際箸学会に新しい箸ゲームを紹介してもらった前回の箸技ゲームサロンに続き、今回は、そもそもこういうゲームを開発し、広げていこうとしている国際箸学会とは何かを紹介していただくサロンを開催することにしました。

箸ゲームをやりながら、国際箸学会会長の小宮山さんの「箸文化の魅力と国際箸学会」についてのお話をお聴きしたいと思います。小宮山さんのことですから、話がどこに跳んでいくかは保証の限りではありません。もしかしたら、モノづくりの魅力の話に拡がるかもしれません。

前回は「積みピー」ゲームが中心でしたが、今回もまた箸タイムのゲームの紹介もしていただき、参加者のみなさんで挑戦したいと思います。
箸タイムセットを活用した新しいゲームや箸ゲームの活用策の提案なども話題にできればと思います。
前回参加した人も参加できなかった方も、気楽にご参加ください。

国際箸学会に関しては、下記サイトをご覧ください。
https://kokusai-hashi.org/

箸タイムに関しては下記サイトをご覧ください。
https://www.hashiwaza.jp

〇日時:2022年8月25日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:小宮山栄さん(国際箸学会会長)
〇テーマ:「国際箸学会と箸文化」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

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