■「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」
アルカイダの指導者アイマン・アルザワヒリ容疑者(71)が7月31日、アメリカのミサイル攻撃で殺害されました。
この種のニュースが流されるたびに、どうしてこんなことが許されるのか不思議に思います。とりわけ安倍元首相の狙撃事件の後に、こういうニュースが流れると、なぜ一方は「犯罪」で、一方は「犯罪」にならないのか、頭が混乱します。
先日、日本での死刑執行のニュースが流れた時にも、頭が混乱しました。
「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」と杉下右京や天樹悠がテレビドラマでよく話していますが、彼らは死刑制度をどう考えて、刑事などの職業をつづけているのでしょうか。彼らの論理で言えば、彼らも「犯罪」に加担しているとは言えないのかとさえ思います。
気のせいか、テレビの犯罪ドラマでは、加害者の犯人に同情したくなるような話が最近多いような気がします。いま放映されている「遺留捜査」では時に涙が出そうになるほど、犯人には哀しい事情があるのです。単純な私としては、刑事よりも犯人に同情したくなることさえありますが、でも、だからと言って、誰かを加害していいわけではありません。
しかし、それを延長していくと、やはり私にはどう考えても、ウクライナ戦争はプーチンだけを責める気にはなれません。
どんな形であれ、人が人を殺めることのない社会になってほしいと思っています。
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