■第22回万葉集サロン「〈歌〉の語り、悲劇の形象ー大津皇子と大伯皇女」報告
今回のテーマは、「〈歌〉の語り、悲劇の形象」でしたが、なんと話は古典落語「ちはやぶる」から始まりました。長屋のご隠居さんが百人一首の在原業平の歌を「迷解釈」する話です。
神とつながっていた初期万葉の歌が、人のなかに降りてきて、「た(多)」という共同体のなかから「わ(吾)」と「な(汝)」を生み出してきましたが、そこから1000年以上たつと、歌(言葉)が日々の生活の中に入り込んできて、「わ」も「な」も包みこんだ、生き生きした「た」を創り出していくまでになってきた、と言うように私は受け止めましたが、升田さんはそれ以上の意味を、この落語で示唆してくれていたようです。
私の消化不足でうまくお伝えできませんが、そのうちおいおいわかってくるでしょう。
升田さんは、言葉は「生き物」として常に「た」「わ」「な」の間を往来する。だから、「わ」の覚醒から「自己」の確立へと進む過程での意識の問題と深く関わっている、と考えているのです。「意識」が変わると「人間」も「世の中」も変わり、「言葉」も変わる。それは万葉集の中でも起こっている。
今回の大伯皇女の、弟大津皇子との別れを詠んだ6種の歌に、それが感じられると升田さんは言います。
大津皇子事件は、壬申の乱の直後に起こった悲劇です。この時代は、神々が支配する「た(多)」の共同体から、人が権力を持つ社会「くに」へと移行する時代です。大津皇子も姉の大伯皇女も、そうした大きな時代の流れのなかで、悲劇に巻き込まれていくことになります。
ふたりの歌を読む前に、升田さんは時代背景や古代世界における「負の存在と克服」、さらには「わ」の自立や内面化、「な」への自己投影について、神話を例に解説してくれました。
そしていよいよ大伯皇女の歌、つづいて大津皇子の歌(「懐風藻」も含めて)を読んでくれました。
皇極天皇の時代の頃から、共同体としての「た」から「わ」と「な」が確立しだしたことをこれまで読んできましたが、自己が確立しだすと相手の気持ちも感じられるようになる。そして叙事から抒情の世界へと移りだし、それが日本の和歌の基本になっていく。大伯皇女の歌は、まさにその始まりだったと升田さんは捉えています。
そう思って、改めて大伯皇女の6首を読むと、鈍感な私でさえ、大伯皇女の気持ちに引き込まれるような気がします。人麿のとは違った歌の持つ力が感じられます。
升田さんはここでさらに、ふたりの歌に関しては「仮託説」があると紹介してくれました。案内で升田さんが書いてくれていることを再録します。
『万葉集』には、斎宮を解かれて伊勢から戻された姉大来(大伯)皇女の孤独な哀切歌が時間を逐うようにして並んでいて、その「語り」は読む者の心をうちます。
しかし、これらの歌には、後人の作った仮託説が強く支持されています。そうであるならば、人の心の内部に分け入ってその真情を歌に表現するにはまず作者自身(仮託を担う人)が自分の内部を見つめるのでなくてはなし得ません。
ここでも「わ」と「な」の意識の誕生が示唆されています。
升田さんは続けてこう書いていました。
これまで万葉歌の言葉(詞)や表現から、古代の共同体「た〈他=多〉」の中で緩やかに共生する「わ〈我〉」と「な〈汝〉」、そこから「〈わ〉と〈な〉」との対峙、「わ」の覚醒、そして「自己」の確立へと進む有りようを探ってきました。大津皇子事件は、「た」「わ」「な」の関係を和歌世界の中でさらに大きく変容させてゆく契機だったのかもしれません。
もっとも升田さんは、どうも仮託歌ではなく本人が詠んだものだと考えているようです。
私も、サロンの後で、それぞれの歌を読み直してみました。これまた気のせいか、本人でないとこうは詠めないのではないと感じました。つまりそこに「創作者」ではない「当事者」のリアリティを感じます。これまた歌の力でしょうか。
升田さんによれば、大津皇子のような、自身による臨死歌は万葉集には他にないそうです。また、大来皇女の歌のような、深く静かに自己を観想する歌もまだない。このふたりの歌は、まさに新しい世界を切り拓いているのです。
いささか大仰に言えば、そこには「人間とは何か」「自分とは誰か」という問いが生まれだしているのかもしれません。
案内に書かれたた升田さんの次の文章の意味がようやく分かりました。
「人間」を見つめる目の先にあるのは何なのか。
抒情歌でありながら物語の核を形成するあり方は、後の『源氏物語』など平安時代の文学へと繋がって行く素地を持っています。
升田さんは、大津皇子と大伯皇女の「抒情歌」を読んだので、ようやく先に進めると言いました。これを読まないうちは、山上憶良や大伴家持の歌には進めないのだそうです。
つまりここで万葉歌人の生き方や考え方、さらには「た」(社会)が変わったのです。それをしっかりと踏まえておかないと、その世界には入っていけないということでしょうか。
今回は盛りだくさんで、私自身うまく消化しきれていませんので、報告も長い割には中途半端になってしまいました。
しかし升田さんのレジメには、もっと興味深いことが示唆されていました。たとえば「語りの構造と歌の抒情性」とあります。いよいよ「物語」が生まれだすのです。
しかし、「物語」と言っても大きく2つの世界がある。
今回も冒頭で、「文字で書く物語」と「歌で語る物語」という話がありましたが、文字で語れる世界と歌でしか語れない世界があるとしたら、物語も大きく2つに分かれるのかもしれない。
大伴家持は、歌でなければ「心の奥底まで届く悲しみ」は表せないと書いているそうですが(私の聞き違いかもしれません)、大津皇子の辞世詩と大伯皇女の挽歌に、文字の世界と歌の世界の違いを感じさせてもらった気がします。
今回は、日本書紀の記事もいくつか紹介してくれましたが、万葉集を深く読み込んでいる升田さんの紹介する日本書紀の話も、いつも新しい気づきを与えてくれます。
それが紹介できないのが残念です。
いつかまた番外編をお願いしたいと思っています。
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