■節子への挽歌5385:気になっていた若者がやってきました
節子
昨日は生活事業研究会でしたが、突然、しばらく連絡がなかった若者がやってきました。
1か月前にはかなり精神的に落ち込んでいて、家から一歩も出られないと言ってきた若者です。
その後、別のところに住んでいる母親から、突然のメールが来たので、またメールしたのですが、連絡がこないので気になっていたのです。
その若者が突然やって来たのです。
元気そうでほっとしました。
今日は何の集まりかわからずに彼は来たのですが、ついでだから参加したらといって、参加者にも納得してもらって、一緒に4時間を過ごしました。
まあ、そういう融通無礙なところが湯島のおもしろさでもあるのです。
親子の確執で、引きこもったり家を出たりする若者は少なくありません。
いまも気になっている人が他にも一人いるのですが、そうした人への対処は気を使います。どこまでやっていいかが難しいのです。
そういう人たちと付き合っていると、親との確執はほとんどが親への愛や感謝の念が根底にあります。しかし、それが反転して現れてくる。しかも、親にはその深意がなかなかわからない。それで微妙な行き違いが生まれてしまい、次第にその溝が大きくなっていく。まあそういう事例が少なくないように思います。
憎悪と愛情や信頼は、コインの裏表なのです。
愛や信頼が深ければ深いほど、関係はこじれやすいのです。
そして親はいつまでも親目線(保護者目線)で子供に接してしまいがちです。
でもいつの間にか、実際の関係は逆転しているのです。
親はなかなかそこから抜け出せない。
昨日はもう一人、年齢不詳の、最近、湯島によく来る人と一緒に話しながら帰りました。
彼のこともずっと気になっているのですが、両親と一緒に暮らしているということを始めて聴きました。
その彼が、ぽつりとつぶやきました。
世話をしてもらっていたのに、最近は世話をしなければいけなくなってきた、と。
その言葉を聞いて、もう彼は大丈夫だと思いました。
若者たちからはいつもいろんなことに気づかせてもらいます。
そう思えるようになったのは、娘たちのおかげかもしれません。
昨日やってきた若者の母親に、昨夜、報告しました。
また少し余計なことまで書いてしまったので、心配していましたが、うまく受け止めてくださったようで、安心しました。
人と付き合うのは本当に疲れます。
でもまあそれで私の元気も維持されているのかもしれないと思うと感謝しなければいけません。
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