■数字が事実を覆い隠す社会
最近いろいろと発表される数字は、私には全く信頼できないものばかりですが、その傾向は最近極度に広がっています。
率先して数字を改ざんし、それがわかっても調査もしない政府によって統治されている社会ですから、まあ当然と言えば、当然ですが。
最近の数字で言えば、国葬の費用ですが、おそらく少し事実を調べたことがある人ならば、16億数千万円などでおさまるはずがないことはすぐわかるでしょう。しかし、マスコミは16億数千万円が高いことを問題としています。私には白々しさ極まれりとしか思えません。
自民党議員で統一教会に関与した議員は179人という数字も、「そんなに多かったのか」という論調で報道されていますが、私にはそんなに少ししか自己申告しなかったのかとしか思えません。
いずれも数字で「ある事実」が捏造されているとしか思えません。
嘘を言い事実を隠すことは政治家にとっては何のマイナスにはならないようですが、せめて数字だけは嘘を言わない状況であってほしいと思っていました。しかし、いまではむしろ、数字は事実を覆い隠すための、あるいは都合のいい事実を創出するための道具になってきているように思います。
しかし、数字が信頼できないとなると社会をどう判断していいかわからなくなります。
自分が生きている小さな社会を相対化できなくなる。
何を拠り所にして世界を見ればいいのか、とても悩ましい時代になってしまいました。
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