■節子への挽歌5389:実に困ったものです
節子
2日間、ゆっくりしたので体調は回復しました。
今朝は涼しい秋です。
やらなければならないことが山のようにあるのに、どうもやる気が起きません。
節子と私の行動の違いは、節子は「必要度の高いことから」、私は「やりやすくてやりたいこと」から取り組むことでした。これで時々言い合いになっていました。
もっともこのふたつは、必ずしも対立するわけではありません。時に重なることもある。やりやすさも必要と思う度合いも、人によって違うからです。
でもせっついてくれる人がいるかいないかで大きく違います。
節子がいなくなってから、時々娘たちがせっつきますが、まあ諦めているのか、親のことは親の問題だと思っているのか、すぐに諦めるようです。
ですから「やらなければいけないこと」がたまってしまう。
また湯河原の電気料金が引き落としできないと連絡が来ました。
もう使っていないので売却すればいいのですが、そんな面倒なことはなかなかやる気が起きてこない。
電気やガスを一時的に止めておけばよかったのですが、それもまた面倒。
節子がいいたら、節子にやっておいてくれないかというだけですんだのですが。
ついに貯金も底をついてきました。
2日間、養生のために在宅で静かにしていると、こういうことが気になってくる。
そうするとよる目が覚めてしまい、眠れなく。
そんなわけで今朝も早起きしました。
でもサロンの報告を書く気にはまだなれない。
実に困ったものです。
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