■節子への挽歌5394:ベリングキャット活動をしている友人
節子
我孫子で10年以上、市議会を傍聴し続け、最近はいわゆる「ベリングキャット」的な活動をしている横手さんに最近の活動内容をお聞きしました。
定期的に話を聞きながら、普通の住民感覚で、アドバイスやコメントをさせてもらっています。本来なら私も彼と同じように地道な活動をするのがいいのですが、読み取った内容を客観的に評価するのも大事だと勝手に判断し、楽をしているのです。
しかし毎回驚くべき内容が判明します。
自分自身の不明というか愚鈍さを思い知らされることもある。
もちろんベリングキャット方式とはいえ、読み方次第で、その読み方は変わってくるでしょう。ですからそう簡単には口外できません。口外するためには、もう少し確証が必要です。
できれば、もう少し仲間を増やして、話し合える場ができるといいのですが、注意しないとクレーマーや非難好きの人が紛れ込んでしまうとおかしなことにもなりかねません。
長年活動に取り組んでいる友人も、誰かを貶めようとか混乱を起こそうとか言うのが目的ではなく、行政がおかしな方向に行かないように、建設的な提案をしたいと考えているのです。でもそういう善意はなかなか伝わらないのが、最近のご時世です。
めげることなく続けている友人には頭が下がります。
自分たちが住んでいる自治体について、ベリングキャット的な活動に関心がある若い世代の人のゆるやかなグループができるといいなと思っています。
もし節子が元気だったら、私もこの活動にもっとのめり込めたかもしれません。
せっかく横手さんから話を聞いても、いまはそれをさらに伝える相手もいない。
それが残念です。
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