■湯島サロン「医療や福祉における‟拘束”について考える」報告
久しぶりの「福祉」関係のサロンでした。事前の参加申し込みが少なかったので心配していましたが、当日は10人を超す参加者がありました。
平岩さんは、まず、なぜ自分がこの問題に取り組みだしたか、から話しだしました。
きっかけは父親の入院に当たって「身体拘束同意書」への署名を求められたという衝撃的な体験だったそうです。併せてそれまでにも見聞していた老人病院での記憶とともに、自分自身が人生の最終楽章で尊厳あるケアを受けて旅立ちたいという思い。この話だけで、これは自分とつながっている問題だと受けとめた人は多かったでしょう。
そこから平岩さんは、ていねいに作成してきてくださったレジメに沿って、「当事者の尊厳が大切にされる共生社会」という理念、「認知症に関わる現状や国の施策」という現実、そしてそれらを踏まえての「人権や権利」「将来に備えての課題」を整理してくれました。そして、最後に話し合いのための3つの問いかけをしてくれました。
このレジメだけでも読み応えのあるものですので、もしご希望の方がいたらデータでお届けするようにしますので、私宛(qzy00757@nifty.com)ご連絡ください。
話が認知症や病院での身体拘束といった、生々しい話だったこともあり、話し合いは、自分の問題とつながるような質問や意見で盛り上がり、平岩さんの問いかけにはなかなかたどりつけませんでした。「病院や施設での身体拘束」の話は、初めて聞く人にとってはかなりショックだったようです。
前日の原発の話に限らず、私たちはまだまだ知らないこと(知らされていないこと)がたくさんあることに気づく必要があります。
話題になったひとつはやはり認知症でした。
認知症は、当事者としてまた関係者として、誰にも関係してくる問題ですが、実際に直接体験しないとわかりにくい一面を持っています。それに一言で「認知症」と捉えられがちですが、その実態はさまざまです。
平岩さんは、「認知症は双方向のコミュニケーション障害」だという上野秀樹さんの捉え方を紹介してくれました。認知の違いによるコミュニケーション障害であれば、別に認知症に限った問題ではありません。そもそも人の認知は、一人ひとり違いますから、多様な認知の世界を持つ人が、うまく住み合える共生社会を工夫していくことが大切です。認知症への処し方は大きく変わっていくはずです。一方的に身心を拘束することは、むしろコミュニケーションを阻害することになりかねません。
ある参加者が体験談として話してくれましたが、こちらの対応次第で、「認知症」と言われる人の対応も変わってくるのです。
私も知りませんでしたが、たまたま先週、障害者権利条約の日本審査がジュネーブで行われ、近くその審査結果が発表されるそうです。そこではいまだに隔離状態が続いている日本の精神科病院の実体が問題にされているようで、脱施設化、脱精神医療へと動いている世界的な潮流のなかで、日本は相変わらずまだ身体拘束や部屋への閉じ込めが多いという事実を私たちはもっと認識する必要があります。
また、認知症に関しても、人権尊重を視点に考えるのと国家経済の視点で考えるのとでは全く違った施策になっていくと思いますが、日本の政策は後者にあるようです。
私も20年ほど前に少子化問題に関わったことがありますが、その時もまさに政財界共に経済視点で発想しているのを知って愕然としたことがあります。
認知症(高齢者の人生)が医療産業の市場にされてはたまったものではありません。
平岩さんの話で、私が一番印象に残ったのは、「生物学的ないのち」に対する「物語を紡ぐいのち」という言葉です。
平岩さんは、「物語を紡ぐいのち」をどう実現するかが大切だと言います。身心が拘束されていて果たして自分らしい物語を紡げるのか。これに関連して、平岩さんは「リスクや意思決定過程において、本人と家族では立ち位置が異なるのか、同じなのか」という問いかけもしてくれていました。この問いは、まさにどういう物語を紡いでいくのかにつながっているように思います。
平岩さんはこのほかにも、「人生の最後まであきらめたくないこと、大事にしてほしいことは? 実現の方策は?」も問いかけてくださったのですが、話し合いが盛り上がりすぎて、十分な話し合いには至りませんでした。できれば、改めて、平岩さんの問いかけを話し合うサロンを企画したいと思っています。
ちなみに、平岩さんの第3の問いかけは「医療やケアへの期待と可能性、限界とは?」です。みなさんもぜひそれぞれに考えていただければと思います。
みんながこういうことを考えることだけでも、私は社会が変わっていくように思います。
今回のサロンのテーマである「拘束」については、幅広い視点から話題になりました。認知症や精神医療に限らず、今やあらゆる面で「拘束」状況が広がっているのではないか。つまり、他者による拘束や空気(社会)による拘束に加えて、自発的な自己拘束もまた広がっているのではないかというような話も出ました。
であればこそ、改めて「人権」とか「共に生きる」とは何かを考えることが大切だと平岩さんは考えているようです。
平岩さんのお話をうまく伝えることができないのが残念ですが、当日の平岩さんのお話を動画で記録させていただきましたので、お時間が許す方は是非ご覧ください。
https://youtu.be/72XMTm0-kGg
ちなみに、平岩さんがまとめたブックレット「“認知症と拘束”尊厳回復に挑むナースたち」もお勧めです。平岩さんが問いかけた「医療やケアへの期待と可能性、限界」を考えさせられるとともに、現場で健闘されているナースたちの声に気づかされることはとても多いですから。
https://dpj.jnapcdc.com/archives/2828
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