■節子への挽歌5382:柏市柳戸の弘誓院(ぐぜいん)
節子
先月、すぎの梨園に行った時に、杉野さんから梨園の下の谷津に建立されている弘誓院のことを教えてもらいました。その時は、次に用事があったので、立ち寄れなかったのですが、今日、時間ができたのでユカに頼んで連れて行ってもらいました。
調べてみるとわが家の菩提寺と同じく真言宗豊山派のお寺で、9世紀はじめに行基が開山したと伝えられているそうです。現在の本堂は江戸初期の建立だそうですが、たくさんの文化財が残っているようです。
地元の人たちからは「柳戸の観音さま」として親しまれているようで、今も昔からの行事が行われています。私も時々、杉野さんのフェイスブックでそうした地元の祭礼の様子を見せてもらっていましたが、その場所がここだったのです。
あらためてここに立つと、住民たちの思いが何となく伝わってくるような気がします。
ご本尊の観音像は秘仏として公開されていませんが、代わりに本堂を守っている僧侶?の像に出合いました。なんだかとても親しみを感じました。
本堂の前には2本の銀杏樹がありました。
それとは別に、本堂の近くにやはり古木の銀杏樹があり、これは雷が落ちたために途中で折れています。谷津の低い場所に立っているのに、なぜ雷を受けてくれたのか、地元の人たちは自分たちを守ってくれたのだと言っているような話を、たしか杉野さんから聞いたような気がします。
もう一つ、人工の池の中の島に弁財天が祀ってありました。
そういえば、やはり近くの柏市大井の福満寺も上野寛永寺の不忍池の弁財天を勧請していましたが、弁財天信仰はこのあたりには広がっているのでしょうか。
ここの弁財天は迫力がありました。石造なのに口紅が塗ってありました。
杉野さんが話していた鐘楼にも行ってみました。よく手入れがなされていました。住民たちに思いが伝わってきます。
しばらくそのあたりを歩いてみましたが、誰とも会いませんでした。
ちょっとタイムスリップしたような気になりました。
谷津にはやはりたくさんの霊が潜んでいるような気がします。
杉野さんも話していましたが、手賀沼周辺には谷津の名残も多いのです。
この近くには「将門記」にも出てくる大津もあります。
わが家の近くにも「船戸の森」がありますが、「戸」は「津」に通じますから、ここも昔は船着き場だったのでしょう。
節子がいたら、手賀沼周辺の谷津まわりやお寺まわりができるのですが、一人ではよほどでないと行く気が起きません。
今日はユカのおかげでお参りできましたが。
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