■抗顔坐食の人たちが統治する社会
最近、湯島のサロンに参加しだした柿嶋さんから、加藤陽子さんと奥泉光さんの対談「この国の戦争」を薦められました。副題に「太平洋戦争をどう読むか」とありますが、なぜあんな戦争を始めたのか、そして勝利する可能戦がゼロになってもなぜやめられなかったのかを、歴史家の加藤さんと作家の奥泉さんが対談しているのです。
いろいろと知らなかったことを学ばせてもらいましたが、非常に面白かったのは、明治新政府が徴兵制を国民に知らせるために出した「徴兵告諭」です。
徴兵告諭は、中世から近世までの武家政権を強く批判しているのですが、そこに武士に関して、「双刀を帯び、武士と称し、抗顔坐食し、甚しきに至ては人を殺し」ても罪に問われなかったと書かれていたそうです。
加藤さんは、「抗顔坐食とは、働かないのにおごり高ぶっている人といった意味です。武士の特権をなくし、四民に自由の権利を与えると謳っています」と言っています。
私が関心を持ったのは、この「抗顔坐食の武士」は、いまの政財界のトップ層とそこへ寄生する人たちのように感じたのです。「甚しきに至ては人を殺し」も含めてです。
ふたたび特権階級が支配する社会に戻ってきたのでしょうか。
少なくとも彼らがやっている活動の多くは、グレーバーの言うブルシットジョブのように思います。
この本を読むと、まさにいまのウクライナ戦争につながるような話もたくさん出てきます。朝鮮半島は、日本にとってのウクライナになっていたのかもしれません。
そう考えると、ウクライナ戦争の見方がまた違って見えてきます。
歴史から学ぶことは本当にたくさんあります。
もう一つ、この本で知ったのは、民本主義の命名者吉野作造が、「近代的政治意識」を「政治を我が事とするような意識」と捉えていたことです。
私は、国会で展開されているのは「小さな政治」で、「政治を我が事とするような意識」で行われる政治を「大きな政治」と呼んでいて、政治を生活者の手に取り戻そうというサロンを30年以上続けてきていますので、まさに我が意を得たりという気がしました。
そういえば最近、「茶色の朝サロン」をやっていません。
近いうちに開催しようと思います。
小さな政治は統一教会や電通に任せて、政府にも邪魔させない大きな政治を取り戻したいものです。そういう政治からは、ウクライナ戦争もまったく違って見えてくるはずですから。
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