■価値観がどう変わろうとしっかりと大地の上で生きている人はすばらしい
この数か月、2つの中国制作のテレビドラマを観ていました。
「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」と「始皇帝」です。
いずれも80話前後の長編ですが、先月終了しました。
物語はともかく、さまざまなことを学ばせてもらいました。
今回の「三国志」は、曹家と司馬家の関係を主軸にしたドラマでした。
三国志では、私は曹操が一番好きなのですが、司馬懿には前からあまりいい印象を持っていませんでした。
しかしこれも中国ドラマの「三国志の秘密」(漢王朝側からの三国志)を観て、司馬懿が中国ではとても好かれているのだと知りました。
今回のドラマも主役は司馬懿で、少なくとも70話くらいまでは司馬懿は理想的な人物として描かれていました。その影響で、私もかなり好きになってしまいましたが、最後のあたりでまた以前の評価に戻ってしまいました。彼の生き方は潔いようで潔くない気がするのです。
そこで思い出したのが、昔読んだ阿部謹也さんの「「教養」とは何か」に書かれていた「魏の君子の生き方」です。そこでは司馬家に対立していた嵆康の生き方が書かれていました。それを思い出して、本を探したのですが、残念ながら見つかりません。そこでしかたなく図書館から借りてきて、昨日読み直しました。まあその部分だけですが。
嵆康はいわゆる竹林の七賢人の一人ですが、39歳で刑死しています。
竹林の賢人たちの生き方は、仙人とは違い、韜晦的な生き方ですから、刑死はある意味では理想的だったのかもしれません。
私はお酒を飲めませんので、彼らのような生き方はできませんし、それ以上に嘘が嫌いなので、私にはなじまない生き方です。しかし、三国志の時代にもし生まれたら、そういう生き方をしたかもしれません。なにしろ才がないうえに気が弱いですから。
ところで嵆康が司馬家に不評を買った一つは、司馬家とも親しかった鍾会への態度です。
鍾会もドラマ「三国志」には重要な役で登場しますが、父親とは大きく違った社会に生きています。今で言えば、「合理的」なのです。
今回の「三国志」で強く感じたのは、曹操の時代とその次の時代、さらにはそのまた次の時代とで、「合理」の中身が全く違っていることです。つまり、理と利が全く違っている。みんな「理と利」の世界に生きているのですが、どうもその内容が違うのです。
ちなみに私は曹操の世代の価値観ですが、私よりも若い世代は明らかに違います。しかも最近は、さらに新しい価値観世代が出始めています。湯島でサロンをやっていると、そういう風景が見えてきます。
そんな大きな時代の変わり目を、今回のドラマ「三国志」とてもはわかりやすく見せてくれましたが、同時にいまの時代を見るにも大いに役立ちました。
ところで、嵆康の親しい友人で司馬家に仕えていた山濤が、世間から離れて生きていた嵆康に仕官の道を斡旋しようとするのですが、嵆康は逆に山濤を絶交してしまいます。
いろいろな見方があるようですが、要は潔しとしなかったのでしょう。
そういう生き方をした嵆康に、やはり少し憧れます。
残念ながら嵆康はドラマには登場しませんでした。
ドラマに登場した人物で、私が共感できた人物は、司馬家につかえる料理人の候吉です。
私自身は、候吉のような生き方はできませんが、友にしたい人物です。
おおらかに生きながらも、司馬家の家族とは共に怒り哀しみ喜ぶ。
そしておそらく誰よりも賢く、誰よりも長生きした。
価値観がどう変わろうといつの時代にも、しっかりと大地の上で生きている人はすばらしい。
そこにこそ普遍的な知が育っている。
やはり嵆康よりも候吉が私には理想です。もちろん司馬懿や曹操よりも。
自分の生き方を顧みて、いろいろと思うことのあったドラマでした。
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