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2022年10月

2022/10/31

■節子への挽歌5442:悪夢の夜

節子

退院して2日ほど、食事には気をつけ、我慢しておかゆを食べていました。野菜中心の胃腸に優しい食事です。甘いお菓子類も一切、禁止。
そのおかげで体調はだいぶ戻ってきました。

この土日は、孫のにこが毎日仮想的な服装で友だちと一緒にハロウィンを楽しんでいるようです。なかなか会う暇もありません。
それもあって、私の退院祝いも兼ねて、にこの好きな回転寿司にみんなで行こうかと提案したのですが、普段はあまり賛成しない娘もなぜか簡単に賛成し、ハロウィン騒ぎの合間にみんなで近くの回転寿司に行くことになりました。

食事に関しては、ともかく脂っぽいものや甘いものは控えるように言われていましたので、お寿司はあまり脂ののっていないものなら問題ないと思ったのです。
いつもほどではありませんが、私もついついみんなに合わせて、お寿司を食べてしまいました。

まあそこまではよかったのですが、夕方からお腹が張り出し、胃痛を少し感ずるようになりました。
それで夕食は野菜を少し食べるだけにし、早めに就寝しました。

そして悪夢が始まりました。

次第に胃の鈍痛が激しくなり、苦しくなったのです。
感覚として、なにやら内臓がすべて機能をやめてしまい、止まっているような気がしだしました。
しかも状況はだんだん悪くなる。

娘にいえば、たぶん病院に連れていかれそうなので、なんとか身体機能が回復するように念じながら、ともかく深呼吸を繰り返しました。
それにしても苦しい。眠るどころではありません。
病院では一瞬たりとも考えることのなかった、病の辛さを始めて感じました。

死への恐怖は私の場合、ほとんどないのですが(妻の死とともに私の場合、死への恐怖は消え去っています)、ほぼ眠ることなく明け方を迎えました。
再入院は絶対避けたいことなので、なんとか娘が起きてくるまでに、回復へと向かっていなければいけません。だが自体は一向に良くならない。
なんでお寿司なんて食べてしまったのだろうと自らの不注意を後悔しました。
一番の反省は、娘たちを巻き込んでしまったことです。また過剰な迷惑をかけてしまいます。それでなくとも、娘からは、もう来世はお父さんとは関わりたくないと言われているのです。

明け方になって、少し状況が落ち着いてきました。
そして、急に吐き気を催し、トイレであげてしまいました。かなりの量でした。
お寿司以来の食事のすべてを出し切った気がしました。
それもかなり消化されていたので、消化器官は精いっぱい頑張ってくれたのでしょう
それであんなに苦しかったのでしょう。
でも腸へと流せなかった。

あげたおかげで苦しさは解消されました。
さてどうするか。

私の夜の奮闘を知らない娘が起きてきて、声をかけてくれましたが、正確に伝えると病院に連れていかれるでしょう。
今日は寝ていると言って、ようやく少し眠りに入れました。

とまあ、ひどいことになってしまったのです。
節子がいたらこんなことにはならなかったでしょうか。あるいは救急車が呼ばれて再入院してしまっていたでしょうか。

それにしてもあまりにお粗末な話で、それこそ誰にも言いたくない悪夢でした。

 

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2022/10/29

■節子への挽歌5441:病院生活日記番外編:養生生活の勧め

病院生活日記は昨日で終わるはずでしたが、どうもまだ終わっていないようです。

昨日の夕方、またお腹がおかしくなってきました。
検査に行った数日前の状況を思い出して、いささか不安になりました。
ちょっと退院が早すぎたのでしょうか。孫の指摘は、これを予想していたのでしょうか。そんな気にさせられるような不快感や不安感に見舞われました。

それになにやら疲労感もあって、昨夜は入院時より早い時間に就寝、やはりお腹に鈍痛のような違和感があります。検査前とは場所がちょっと違いますし、なんとなく違う感じではありますが、ともかく違和感がある。困ったものです。

しかし、すぐに眠りにつき、次に目が覚めたのが午後2時近く、入院中の夜は90分ごとに目が覚めてしまい、トイレに行っていましたが、久しぶりに5時間以上寝ていたわけです。しかし、まだお腹の違和感は残っていて、気のせいか、時に痛みもある。
それでもまた寝てしまい、5時半に起床。通常なら起床時間なのですが、何か疲労感があってまた寝てしまいました。入院は体力を消耗するのでしょうか。

入院した時、「ゆっくり休め」ということだと言ってくれる人がいましたが、病院では「ゆっくり休むこと」はできないのです。これは私も、過去の入院経験から実感していますから、決して、入院する人に「ゆっくり休んでください」と言ったことはありません。
入院生活は、決して、ゆっくり休める環境などにはないのです。入院体験のない方には念のため。安直に「言葉」を使うことはお勧めしません。

次に目が覚めたのは6時半。まだ眠れそうですが、起きることにしました。ところが起きてみるとお腹の違和感はほぼなくなっていました。ちょっと安心。
でもまだすっきりしたわけではありません。

朝食は入院前に戻そうとしましたが、コーヒーは飲み過ぎないようにと言われたこともあって、ちょっと躊躇しましたが、砂糖を使わずオリゴ糖とアマニ油で、いつも通りマグカップにたっぷりと飲むことにしました。しかし、久しぶりに珈琲に感激することはなし。
久しぶりのトーストは、あまりマーガリンをぬらないようにと言われ、うっすらとぬってハムとレタスをはさみました。これはおいしい。でもこれも感激はなし。
果物は果糖が少なさそうなミカンを選びました、今日は青汁ジュースはなし。
極めて簡単な朝食ですが、食欲は戻らず。

そのため体力もいまひとつ回復せず、階段を下りて玄関に新聞を取りに行っただけで疲れるありさま。そういえば、病院では階段を使ったのは(エレベーターで間違った階に降りてしまい)1度だけでした。水平散歩だけではなく、階段の上下も組み込むべきでしたが、点滴を使っていたのでその時は無理でした。

食後、少し経ちますが、お腹に異常はなし。昨夜はまた入院か?と思ったりしましたが、この調子なら大丈夫でしょう。
今日1日、リハビリすれば、明日から正常に戻れそうです。

病院のBさんは今日は退院で、喜んでいるでしょう。Åさんはたぶん今日から五分粥になっているでしょう。Cさんは自宅近くに転院できたかもしれません。
ナースとスタッフは、きっといつものように献身的な活動をしているでしょう。
展望風呂のKさんは、私が退院したことを昨日知ったでしょう。
コロンビアさんは、話し相手を失ってちょっと残念がっているかもしれません。
でも、私がいようといまいと病院は毎日同じように動いている。
私が入院していたのは、名戸ヶ谷あびこ病院です。わが家からも遠くに見えるのですが、これまでとは違い、ちょっと親しみを感じます。

そういえば、孫に、どうして「このままにゅういん」なのかと訊いたら、少し考えてあら、だって毎日注射してもらえるでしょう、といわれました。ちなみに孫は注射を痛がらずに褒められるのです。
そこから死神の話になるのですが、孫は明日のハロウィンのことでいま頭がいっぱいのようです。友だちと集団で各自の家を周り歩くそうです。おさむさんも、死神たちを誘って参加してもいいかと訊いたら、いいよ、と言われました。
どうも孫は私を信用していない。病院で死神にも会ったよと言ったら、死神に会ったら死んじゃうでしょうと相手にされませんでした。子どもに嘘をついてはいけませんが、病院では死神を感ずることはないわけではありません。これもたぶん入院してみないと実感できないことかもしれません。

しかし篠田医師も言っていましたが、入院は体力を低下させます。ナースも言っていましたが、高齢者には、入院はやはりお勧めではありません。
養生は自宅でもできますし、普段の生活の中で、十分に養生はできます。
どんな忙しい中でも、それはできるはずです。
ちなみに、私はずっとそういう生き方を目指してきています。

ご心配いただいた方には感謝します。心配せずに日記を呼んだ方にも、もちろんですが。
今度こそ完結です。
再入院になったら、話は別ですが。

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2022/10/28

■節子への挽歌5440:病院日記35:なによりの薬

退屈な病院生活日記もいよいよ最終回です。

帰宅して、気になっていたイタリアのテレビドラマ「DOC」を観ました。
記憶喪失になった病院の元医長をめぐるヒューマンドラマです。

https://www.nhk.jp/p/doc-karte/ts/WL5QPY99G7/

その第3回で、夫の見舞いに来た老妻に、医者が「奥様はなによりの薬だ」と言って、独断で最後の一夜を一緒に過ごさせてやるのです。妻に語り掛けられながら夫は息を引き取ります。しかし平安な死です。

まあこれだけ読んでも何も伝わらないでしょうが、入院患者への「なによりの薬」はやはり家族や友人が隣にいることです。
いまの日本の病院のように、コロナを理由に面会禁止をつづけていていいのか。
今回、実際に入院してみて、改めてそのおかしさを感じました。

同室の若いBさんも、マスクをし、それなりに工夫をすれば面会できるはずなのにと話していました。彼のような若者は特に、一番大変な時に妻が横にいてくれるだけで違うでしょう。高齢のÅさんも、毎晩電話する話を聴いていて、双方の辛さが伝わってきました。

ドラマ「DOC」は、イタリアの話ですが、入院体験をしてすぐに見ると、日本の病院がいかに遅れているかがわかります。まあイタリアのような先進地と比べるのはどうかとは思いますが、「人間」が失われた病院は、病気製造工場になりかねません。

今回の体験でも、ナースやスタッフがどれほど献身的に患者に対応しているかは伝わってきます。寝たきり患者の生活面のケアは、本当に頭が下がります。私にはとてもできそうもありません。
しかし、個々の人の対応ではなく、どこかで大きな人間的な心配りが抜けている。
一番の治療薬、回復薬が欠けているように思えてなりません。

今回の入院で感じたことの一つがそれでした。

 

 

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■節子への挽歌5439:病院日記34:わが家のお迎え体制

さて、部屋に戻ると壁に孫のメッセージポスターが貼ってありました。
しかし、「おかえりさない」ではありませんでした。
「おさむさん そのまま にゅういんしてね」です。
祖父(私)に似て、性格の悪い孫です。困ったものだ。
花火みたいのは、なぜか「ぷんぷんマーク」、つまり怒っているようです。

Img_3388

そういえば、昨日も「ぷんぷんマーク」のラインが届いていました。
何に怒っているのか心当たりはないのですが。
ちなみに、孫は家の近くのピアノ教室に行っているようですが、そこで、私が入院したことを事細かく報告をしたそうです。そこの先生がわが家の近くの人なので、わが家周辺には私の入院は伝わっているようです。まさか孫から伝わるとは思ってもいませんでした。これまた困ったものです。
祖父は口が堅かったはずなのに、です。

一方、娘は、私が好きなものをたくさん用意しておいてくれました。
しかし、食事指導を受けたことを守るとなると、どれもみなあまりよくないものばかりです。
すべて諦めて、とりあえずサツマイモをゆでてもらいました。
おかゆは食べたくないので、ロールパンにしてもらいました。

1週間ほどだったので、郵便物などは少なかったのですが、いくつかありました。
でも今日はさすがにちょっと読む気が起きません。
短い手紙だけを読ませてもらい、あとは明日。

完結編を書く前に、少し休ませてもらおうと思います。
昼間ですが、ぐっすりと眠れそうです。

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■節子への挽歌5438:病院日記33:帰宅しました

管理栄養士から食事指導を受けました。
篠田医師は説明してくれませんでしたが、代わりに病状なども含めて説明してくれました。とてもよく理解できました。医師もせめてこれくらいの説明はしてほしいものです。
胆石性の膵炎と同時に、脂肪性の膵炎の恐れもあるようです。そう言われると思い当たることがいくつかあります。となると、食事に十分な注意が必要です。
いろいろと話していると、私の食生活はまさに膵炎になりやすいものだと思いました。
それを直すのは大変です。

帰り際に同室のBさんと話しました。若いからでしょう、急速に良くなっています。明日は退院、自宅で一週間のリハビリだそうです。
話していたら、わが家とかなり近いところにお住まいでした。生活範囲も少し重なっています。またお会いしたら気づけるように顔を覚えておきました。
Åさんはもうしばらく入院ですが、もうどんどん元気になっているので大丈夫でしょう。

会計を済ませ、ナースセンターで内服薬をもらい、退室。
今日は若いナース(鈴木)でしたが、最後に余計な話をしてしまいました。みんな個性的ですねと言ってから、少し個人についても話してしまいました。もちろんみんな褒め評価ですが。
迎えに来てくれた娘と一緒に帰宅。

久しぶりにわが家です。
帰宅したら部屋に孫がお迎えメッセージを書いて貼っていてくれました。
さて何と書いてあったか。
「おかえりなさい」と書いてと言って、娘が紙を渡したそうですが、孫は「わかった」と言って書いてくれたのだそうですが。

さて何と書いたのでしょうか。全く困ったものです。
まだ完結編ではありません。

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■節子への挽歌5437:病院日記32:突然の退院

篠田医師とナースがやってきました。

データがよくなったので退院だそうです。
ただ、脂肪性のなんとかかんとかのデータが食事をするまた上昇しているので、食事には注意するようにというご指示。食事に注意って、何をどう注意したらいいかと聞いたら、自分の食べるものくらい自分で考えなさいと冷たい。思わず親切じゃないなあというと、親切で言っているのにそう言われたらもう何も言わないと怒って帰ってしまいました。困ったものです。まさに評判通り。でも悪い感じはないのです。なにしろこういう人だから。

一緒に来たナースは、困ってしまい、後で食事療法の話をしますと言ってくれましたが、ここまでは医師の範囲ではないのでしょう。
まあ、退院後、2週間以内に外来で来ることになりました。
結局、11時ころには退院できることになりました。
でもまだ点滴をしていて、退院準備はできませんので、これを書いているわけです。

それにしても、昨日からの展開はめまぐるしい。まさに突然の退院です。
篠田医師の言い方では半年間の入院まで覚悟させられていたのですが。

やはりこの1週間は何だったのかという感じです。
こんなことなら、今日予定されていた東京会館での交流会や明日のサロンも開催できたかもしれません。

栄養士の人が来ました。
これからレクチャーを受けます。

病院からの発信はこれで最後です。
完結編は自宅から。

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■節子への挽歌5436:病院日記31:ナースもスタッフも名前を知りたい

点滴はなくなったものの朝食はまだ五分粥。
まだ退院かどうかの連絡はなし。遅いのが気になります。
しかも終わったと思っていた抗生剤の点滴がなぜかまた始まりました。
持ってきた書籍は2冊とも読了したので、暇なので日記を書くことに。
3センチの厚さの「時間が終わるまでも」もざっと読み終えました。

朝食のおかゆは食べられませんでした。
実は10数年前に人生初の8日間の入院をしたことがあります。その時に、娘に頼んでアイパッドを持ってきてもらい、その時からフェイスブックを始めた気がします。

その入院の目的は親知らず歯の抜歯でした。日帰りかと思っていたら、8日間の入院。この時も確か毎日フェイスブックで報告していましたが、歯の手術のため食事は入院中、ずっとお粥ばかり。しかもお粥だけで他には何もない(記憶が間違っているかもしれません)。
以来、お粥が食べられなくなっていたのですが、今回のお腹の不調の時に一度だけ食べてみました。その時は何とか大丈夫で、今回も何回かは食べられましたが、今朝はもう限界です。お粥を見るだけで食欲が萎えます。
まあお隣りのまだ三分粥にも行っていないÅさんのことを思えば、そんなことは言っていられないのですが。

病院はたくさんの人たち(仕事)の組み合わせで動いています。ですからその連携がうまくできているかが肝心です。もちろんそこには医師も入りますが、そういう点でもいろいろと気づかされることがあります。また誰がマネージャーなのかで、運営は全く違ったものになる。
近代医療の場合は、医師オリエンテッドな体制になっていますが、これも以前、書いたことがありますが、看護オリエンテッドな体制になっていけば、状況はかなり変わります。それはいいかえれば、患者(人)中心の医療ということですが、近代西欧は基本的に人よりも知識を重視します。そこにさまざまな問題があるように思います。

時間があるので、ナースやスタッフと患者の関係につても一つだけ書いておきます。

この病院のナースはみんな患者思いで、いい人たちです。しかし、最初はなんとなく違和感がある、その違和感が何だろうとずっと考えていたのですが、名前を言わないことではないかと気づいたのです。つまり、みんな「ナース」で当て、個人ではない。
ナースにしろスタッフにしろ、患者の名前は当然知っていて、私も名前で呼ばれます。
でも私はナースもスタッフも名前を教えてもらえない。名札が見えやすければいいのですが、名札をしていないナースもいる。何とか名前を見つけて私は名前で呼ぶようにしてきましたが、ふつうは名前なしのナースと付き合うことになる。これってやはりおかしいでしょう。
ナースは初対面の時にやはりまず自己紹介から始めるのが、人の常識ではないかと思います。
瑣末なことのようですが、ここに問題の本質があるような気がします。

医師がやってきました。さてさて。

 

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■節子への挽歌5435:病院日記30:夜中の事件

就寝前にナースが回ってきました。安定した対応で、安心できます。私の腕を見て、点滴液が漏れているので、もうこの点滴は少ないからやめようと判断。おかげで片方の点滴ははずれました。9時前に就寝。

夜中の2時少し前、廊下で悲鳴のようにも聞こえる声が続き、続いて看護師の「動かないで」という声、さらに言い合いのような騒ぎが聞こえて、目が覚めました。なにしろ私のベッドは廊下側にあるので、廊下の様子はもろに耳に入ってくるのです。前にも一度、同じ女性の声を聞いたなと思っていましたが、今回はなかなかとまりません。むしろにぎやかになっていく。

幸いに尿意を催したので、トイレに行くことにしました。廊下に出てみると、トイレ近くの廊下に女性患者が倒れ、ナースとスタッフがケアしていました。ナースが電話で、後頭部から出血していると電話しているのが聞こえました。
見ているわけにもいかずに帰室。そのうち、医師とベッドが到着し、ほぼ30分後に静かになりました。
夜中の事件は初めてです。

2時半ごろ、再び寝入りましたが、5時少し前に今度は採血で起こされました。
早いですねというと、いまはネットでデータを見られるので医師は来院する前に自宅で見るのだそうです。となると、退院するかどうかの判断は早い時間になりそうです。
朝方、最後の点滴を終了。でも万一もあるし、針はそのまま。

ただ安心してばかりはいられません。昨夜からお腹を下してしまい、下痢気味ですし、退院となったら調子のよかったお腹がまた少し変調をきたしだした気がします。どうも私の身体もまた、精神に負けずに天邪鬼のようです。困ったものです。

この日記は、区切りのいい「30」で終わりにしようかと思ったのですが、退屈なので書いてしまいました。
さて退院かどうかの決定は、もう少しです。

 

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2022/10/27

■節子への挽歌5432:病院生活日記28:狐につままれた感じ

人生の先行きは全くわからないものです。

今朝はあんまりやる気がなく、8時過ぎにデイルームに行きました。
窓から見える山が、子の神神社の杜なのに気づきました。
ここは相馬霊場88か所巡りの番所です。
わが家も毎年、初詣はここに来ています。

ぼんやり外を見ていたら、ナースがやって来て、また点滴は続けることになったと3パックも持ってきました。いささかがっかり。両手に点滴の生活に戻りました。
人生は、あまり期待を持ってはいけません。

ところがしばらくして、突然、担当でない医師と看護師がやって来て、佐藤さん、明日の血液検査結果で問題なければ退院です、と言われました。
担当医の篠田先生からそう言われたのであれば、これまた、えっと!驚きますが、知らない医師です。雰囲気でしかし、この医師が誰かはわかりました。医長の藩先生でしょう。
とっさには理解できずに、人違いではないかと思い、佐藤ですけど、と言いましたが、はい、佐藤さんで、いつも回診に行っても、ベッドにいないので会えませんでした、というのです。看護師もいるので間違いないでしょう。厚い本を読んでますね、とさえ言う。ああ、藩先生ですね、と訊くと、そうですと答えてくれました。
実は女性の患者さんから藩先生の人柄の話を聴いていました。とても人気があるようです。たしかにその理由がすぐわかりました。

それはともかく、藩医師が言うには、ともかく明日の血液検査結果次第で、退院なのだそうです。狐につままれたような感じです。もしかしたら、間違って入院したのではないかとさえ思いたくなります。なにしろたいした痛みもなく、入院翌日にはほぼ正常だったのですから。
しかし、データは私も見ていますが、非常な異常値で、お腹の違和感もひどかったのは事実です。早期発見に感謝していますが、あまりの急変に、狐につつまれたような感じです。

さてさてどうなりますか。
でもまあ今日も午後は展望風呂に行きましょう。
喜ぶべきか残念ぶるべきか、いささか迷います。

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■節子への挽歌5431:病院生活日記27:点滴から内服薬へ変わりそうです

入院も8日目。3日目くらいまでは長く感じていましたが、4日目くらいからはあっという間に進んでいます。毎日、それなりのことが起こるのですが、どうもだんだんマンネリ感が出てきて、刺激が低下しています。今朝はまた倦怠感が襲ってきました。今朝は2時間ベッドで、岩波新書の「古代ギリシアの民主政」を読んでいました。とても面白い。武田さんからの厚い本は後回しにしました。

患者の話もいろいろと聞いていますが、概して女性の話にはドラマがありますが、男性の場合は、あまりドラマを感じません。聞き出し方がよくないのかもしれません。医療関係者の話にもドラマがありそうですが、深入りできないので推測するだけです。

朝食には牛乳がつき、五分粥には「うめびしお」がつきました。
食後、今日から内服薬を飲むことになりました。推薦を抑える「フオイパン」です。これで点滴もなくなるかもしれません。いま確認中です。

20221028

ところで昨夜の問いかけ、どうしたら展望風呂に入れるかですが、私が手引きすればできないわけではない。ただし私が入院中の場合です。しかし手っ取り早いのは、質問者も問うている患者になることで、それには複雑骨折がいいでしょう。ちょっと痛いのが問題ですが、

ところで同室の人たちがみんないい方向に向き始めているのが、その声の質からわかります。声には、その人の状況がこんなに出るのかと改めて気づかされています。
一番若いBさんは週末退院できそうです。
彼ほど礼儀正しい言葉遣いをする若者は最近めずらしい気がします。
病院の中で、こういう会話を聞くととてもうれしくなります。

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2022/10/26

■節子への挽歌5431:病院生活日記26:今日も展望風呂を満喫

五分粥とは言え食事がとれるようになり、食後も異常がなかったので、点滴が一つ減りました。いまは膵炎の薬と抗生剤ですが、膵炎薬は24時間ずっとですが、抗生剤は数時間です。これでだいぶ精神的には楽になりました。

点滴が減ったので、その合間にまた展望風呂に行くことにしました。
誰もいなかったので、スタッフの人に入浴中の写真を撮ってもらいました。
入浴時、点滴の針の部分を塗らしてはいけないので、水につけられないのです。
今日は天気がいいので、青空がよく見えます。

Img_20221026_142908

そのうちに一人やってきました。
脚の大腿骨に人工骨を入れる手術をしたそうで、入院1か月半だそうです。
いまもまだ痛いそうですが、毎日、午前午後、かなりきついリハビリをやっているそうです。そういえば、初日に入れ替わりにやって来た人かもしれません。

帰室して点滴の管を入れてまた囚われ人になりました。
その後、とてもうれしいこと起こったのですが、これはちょっと公開できません。
まあ何でも書いているように思われるかもしれませんが、あまりに個人的なことや病院の内部に関わることなど、書けないことも少なくないのです。
医師先生への評判の話もあります。これも面白い。もっともそういう話が好きなのは女性患者たちですが。

夕食も五分粥です。
卑しくも、写真を撮る前にうっかり一口食べてしまいました。
メニューは、白身魚の味噌煮、卵とじ、とろろです。
食事前に調理担当が来たので、なんでもオーケーですと言っておきました。
20221027dinner

とまあこれで今日は終了。
と思っていたら、とんでもない人からこんな問いかけメールが来ました。

展望風呂は患者以外は入れないですか?
どうしたら患者になれるのですか。
間違って入ってしまうことはできないでしょうか。

問われた以上は応えなければいけない。
さてどうしたらいいでしょう。

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■節子への挽歌5430:病院生活日記25:7日ぶりの食事

昨日、武田さんが送ってきた「時間の終わりまで」というのを、いわば仕方なく読み出しました。あまりに厚いのですが、送られてきた以上は読むしかありません。

と、読みだしたら、最初の文章はなんと、「あるべき時が来れば、生きとし生けるものはすべて死ぬ」という文章です。
ついついこれは武田さんからの私への諭しだろうかと勘繰りましたが、まあそんなことはないでしょう。しかし、こんな書き出しの本を病人に送るとはけしからん。困ったものです。

しかしまあ今日から食事が復活したので許すことにしましょう。食事といっても今日はまだ五分粥です。ただし、おかずとフルーツ付き。
1週間ぶりの食事でしたが、昨日から空腹になれてしまっていたので、感動は皆無。
それよりも珈琲は飲みたいです。

Lunch20221027

食事の少し前に篠田医師が血液検査データをもって来てくれました。
そしてデータはまだ完全ではないけど、まあ五分粥でいいと思うと、言ってくれました。
その後は、例によって、また明後日の血液検査次第。
相変わらず先が見えない。でも一気に動きだした。

医師が帰った後、一昨日のMRI検査結果を聞くのを忘れてしまったことに気づきました。
まあ聞いたところで理解できないでしょうし、大きな問題がなかったので先生は言わなかったのでしょう。

これでまた2日間は固定です。
1日単位で動いてくれるといいのですが、2日後には食事は戻り、さらに2日後(土日に重なるので4日後)には退院の可能性も出てきました。

しかし、朗報の後には悲報が来るのが人生の常。
なにしろ「あるべき時が来れば、生きとし生けるものはすべて死ぬ」のですから、油断はできません。

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■節子への挽歌5429:病院生活日記24:突然の朗報

ベッドを離れる時にはベッドの上に行き先を書いておきます。
このフロアではこんなことをしているのは私だけかもしれません。
なにしろ寝たきりの人が少なくないからです。体調に異常がないのは私くらいかもしれません。

Rusumessage
行先はしかし、4つしかありません。
「デイルーム」「売店」「展望風呂」「トイレ」です。
デイルームだけは、用があれば来てくれますが、それ以外はスルーされます。
だから医師回診の時には注意してベッドにいないと行けません。
したがって今日は、回診があるまでベッドで読書です。

とBさんが小さな声で、ちょっと来てくれませんか、と言っています。
昨日のことがあったので、また私が呼ばれたのかと返事をして急いで駆けつけました。
ところが私の早とちりで、ナースセンターに話していたのだそうです。
しかし、用件は私にでもできることだったの、よかったです、

そのおかげで、少しBさんと話しました。
お互いに少しだけ知り合えました。まあここでは書けませんが。
話が合ったのは面会禁止への疑問です。これこそ患者の回復を損ねているという点で、意見が一致。いくらでも方法はあるのですが。
あまり話し続けると迷惑かと思い、10分ほどで切り上げ。いつでも声をかけてくださいとお願いしました。

11時過ぎにナースが登場。この2日とは違い若いナースです。早速に点滴の針刺し。
1回目は残念ながら失敗。2回目で成功。ただし痛くありませんでした。どうも必ずしも経験則だけではなさそうです。
痛くはなかったものの、私はまた両手拘束です。

とここで、突然の朗報。
看護師が今日の昼食から食事が出るそうだと教えてくれました。と言っても、どんな食事かわからない。医師は、救急が入って大変なので回診に来られるかどうかわからないと言います。
人生の先行きはまったくわからないものです。

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■節子への挽歌5428:病院生活日記23:病院生活も早めに切り上げてください

入院日7日目は、自前に看護師さんが回ってきました。
患者思いのMナースです。
今日は採血ですが、彼女の採血は痛くないのです。
いつもはすでに起きていますが、今日は、夜中に本を読んでいて、まだ眠っていました。
でもまあこれをついでに起きてしまいました。

昨夜またメールでなにやら大きな相談が入ってきました。しかも次のような厳しい注文もついてです。

まだまだやることありますから、病院生活も早めに切り上げてください、どうぞよろしくお願いします。

私も、入院当初は、お腹の痛みや違和感がありましたが、いまは全く平常なのです。
できることなら、早く退院したい。
ただ膵炎の再発防止のための予防治療をしないと、また再発の恐れがあるので、大事をとっているわけです。私の趣味ではありませんが、仕方ありません。

まあこの人は、宇宙の人ですから、こういう発想をしてもおかしくない。
しかし、全く心配していない。困ったものです。
この文章の前にこういうメッセージもついていました。

久々にFBを見て、驚きました!
以前から、寿命は聞いているので、心配してませんが、痛みなく元気になるようヒーリングの気を送りますね!
ぜんぜん大丈夫ですから!

これって、どう受け止めたらいいでしょうか。少しは心配しろ、と言いたくなります。

「寿命は聞いている」と書いていますが、最近私も忘れていましたが、1990年ころに友人が私の寿命を京都の高名な占い師に占ってもらって、93歳まで生きると言われたそうです。それでその人は私と一緒に仕事をすると言ってきたのですが、いまは縁が細くなっています。
まあこういうよくわからない話は、私は否定しない生き方をずっとしています。

まだ81歳ですから、まだ間があります。しかし、たしか彼女にも言ったと思いますが、93歳まで生きるとは言うものの、どういう状況で生きるとは約束されていないのです。

ちなみに、相談に対しては大きな方向性を示唆しました。うまくいくといいのですが。

外で救急車の音が聞こえます。
また入院者があるのでしょうか。

さて7日目が始まります。

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2022/10/25

■節子への挽歌5427:病院生活日記22:高齢者はなかなか救急車は呼べません

私の病室の隣はデイルームと言って、まあいわゆる休憩室です。
そこで時に別室の患者に会うことがあります。
いろんなお話が聞けます。

先日、そこでパソコン動画を見ていたら、車いすの女性が息を切らして入ってきて、自動販売機の前に止まりました。車いすだとボタンに届かないので、お手伝いしましょうかと声をかけ、好みのリンゴジュースのボタンを押させてもらいました。

80代でしょうか、いまリハビリをしてきたと汗をかいていました。
少しお話ししました。

入院の経緯を聞くと世代を感じます。
昔からの市内の方ですが、独り暮らし。近くに娘さんが住んでいますが、忙しくてなかなか来られない。息子さんは遠くにいるそうです。
話しぶりからは、まだケアマネのお世話にはなっていないようですが、時々、体調を崩してしまうこともあったようです。でも他人に迷惑をかけてはいけないといつもなんとか一人で乗り越えてきたそうです。
表情から見て、いつも明るく前向きなお人柄とお見受けしました。

時期を聴き忘れましたが、ちょっと体調が悪くなり、動くのが辛くなりました。
しかし、救急車を呼ぶのも、娘に迷惑をかけるのも避けたいと、独りで乗り越えようとしてきた。調子の悪さをこらえてなんとか一人で頑張っていたのですが、ある日、テーブルのところで急に倒れてしまいました。気がついても起き上がれない。電話も手元にない。どうしようもないのです。結局、そのまま倒れているうちに、状況は悪化。
娘さんが発見した時には、かなり危うい状況だったそうです。

そして救急車で入院、なんとか命を取り留めましたが、いまは車椅子でリハビリ中。娘からは、だからすぐに連絡するようにと叱られたそうです。でも娘に連絡すれば、救急車を呼ぶかもしれない。救急車はこれまでも呼んだことがあるので、近所の人にも恥ずかしい。だって救急車は、よほどの大事でなければ呼ぶわけにはいかないでしょう、とその方は思っているのです。倒れて「よほどの大事」になったわけですが、その時にはもう呼べなくなってしまった。

とまあ、こんな経緯です。

隣近所を気遣いするような環境であれば、隣近所づきあいがあるのではないかと思う人もいるでしょうが、そこは微妙なところです。
以前なら気楽に隣家に上がり込むとか朝晩声をかけ合う関係だったでしょうが、独り住まいが多くなったり、若い世代との同居が増えたりすると、その関係性も変わってくることもある。何しろ今は「気使いの時代」なのです。それにこの方の場合、雰囲気からどうも旧家の大きな家にお住いのような感じもする。わが家のように大声で騒げば隣家が来てくれるような家とは違うかもしれません。

私たち世代は、どうしても近隣にさえ迷惑をかけないようにしようと思っています。
実はそれこそが大きな間違いで、結果的に大きな迷惑をかけてしまうことになるわけです。
私自身は、独り住まいをする能力はありませんが、施設に入る意思もない。
いまは娘に支えられていますが、もし娘に拒否されたら、生きるすべがない。
しかし、女性は生活力があるから独りでも生活できる上に、他者に迷惑をかけたくないという思いは強い。こういう事例は少なくないでしょう。

こういう事例をなくしていく方法は、そう難しくないはずです。
私が行政の高齢者福祉担当だったら、すぐにもとりかかります。
でも残念ながら、私自身が今や対象になってしまった。
困ったものです。

いくつかの話を書こうと思ったら、一つでこんなにも長くなってしまいました。
今日はここまで。

なにやら難しい相談がメールでまた届きました。
これまた困ったものです。

 

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■5426: 病院生活日記21:個性的なナースたち

今日も午後から展望風呂に行ってきました。
この時は点滴からも解放です。点滴の管がないだけでこんなにも気分が違うのかと思うほどです。しかも一人で独占しての展望風呂です。

30分ほど、入浴を楽しみ、更衣室でラジオ体操をやりました。
点滴がないので自由にできますが、やはり体力は落ちていて、いつもとは違います。
しかし久しぶりに身体を動かしたので、気分が大きく変わりました。

いささか長居してしまい、戻るとナースM(近嵐)さんが、ちょうど先ほど先生が回ってきてたよ、話せなくて残念だったね、と教えてくれました。
昨日のMRIの結果かもしれません。残念でしたが、まあここで1日2日違ってもなんということはありません。明日を待ちましょう。

さてまた点滴の針かと覚悟して帰室すると、ナースが今日は針を打たないでしようと、一本の針のほうで、対応することにしてくれました。
それに加えて、私にもう少しベッドでじっとしていてくださいというので、でも医師は歩けと言っている、と反論。そこでまあちょっとした論争?になりました。困ったものです。しかしともかくも佐藤さんはあまりに動くので点滴ブザーがなりすぎるというのです。最初のナースは、このブザーはよくなるのですよ、と言っていたのを真に受けていたのですが、どうも私のはなりすぎでしかも時々、私が勝手にいじるので、昨日も絶対触らないでと叱られたところです。どうもナースセンターでは私の評判はよくないようです。困ったものです。まあ、時には役にも立っているのですが。

ちなみにこの病院はナースが毎日変わるのです。最初はそれが不安だったのですが、いまはむしろそれがいいように思えてきました。思い込みからのミスは少なくなるでしょうし、それぞれ個性が違うので、患者は退屈しない。私だけかもしれませんが。

今日のMナースからは、論争?時、「私の話を聴いているの?」と叱られました。困ったものです。もちろん聞いているから質問しているのですが、コミュニケーションは難しい。その理由の一つは、まだ看護師と患者の情報の関係が次元もそろわずに立場も対等ではないからだろうと思います。これは医師と看護師との間にもあるようです。これについてはいつかまた。

ちなみに今日のMナースも、昨日のLナースも、患者中心で考えています。しかし患者は、病気に関する知識レベルや治療計画の詳細などわからない。その時の不安や疑問で問いかけるのですが、そこで齟齬が生じるのです。
インフォームド・コンセントは実際には極めて難しい。でも改善点はあるように思います。

まあ、そんなわけで夕方までベッドでおとなしくしていました。
午後、娘が着替えと化粧品と本を持ってきてくれたのです。
当初持ってきた「サルタヒコのゆくえ」は読み終えたのです。

昨日、論敵の武田さんが、今度出版する本の原稿を持っていくと言っていたので、それを待っていたのですが、その原稿を読ませて、また関係を悪くするのもよくないのでやめると言ってきたのです。その時に、本が読みたいと言ったのを受けて、原稿の代わりに本を送ると言ってきました。たぶん武田さんの好きな戦記物だろうと思っていたらとんでもない2~3センチも厚さのある翻訳のハードブックです。「21世紀の啓蒙」とか「時間の終わるまで」など、気楽に読める本ではありません。これが病人に読ませる本か。嫌がらせかとメールしたら、自分が読んでも難しそうなので、退院したら概要を報告せよというのです。全くひどい友人です。困ったものです。

さてそろそろ読み始めましょう。読めるでしょうか。やはりちょっとハードですね。

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■節子への挽歌5425:病院生活日記20:生と死の交錯

この日記では、軽い話ばかり書いていますが、しかし同時に病院にいると死を身近に感ずることもあります。

私の隣のAさんも、私が入室したころはかなり滅入った状況で、夜、小さな声で自宅の伴侶と電話していましたが、まあ聞いていて、涙が出そうになりました。
たぶんAさんは今回は死とはあまり関係ないでしょうが、入院が続き、先が見えてこないとそういう気分になるのかもしれません。

昨日Bさんに起こった事件では、無知な私は死を感じました。それほど自体は緊迫していました。
点滴もちょっとした操作ミスで、あるいは意図的な操作で、死につながっています。
今日も看護師が、勝手にいじって点滴が一挙に流れたら大変なことになる、とまた言われました。

ともかく病院では、みずからのいのちを病院に預けているのです。
この意味を医療関係者がどれほどわかっているかはわかりませんが、もしまともに受けていたら、その重みに耐えられる医師や看護師はそう多くはないでしょう。
ですから多分ほとんどの医師は、頭だけの理解ですませなければならない。

生や死を感じさせるものは、医師や看護師だけではありません。
病院の中には、死に直面している人もいるでしょう。いつ病棟の誰かが死んでしまうかわからない。病院とはそういう場所ですから。
私も、今回はたぶん死なずに帰宅できるでしょうが、確実ではありません。
病院ではいつも死に隣り合っているのです。
その気になれば、死神が院内を歩き回っている雰囲気は感じられます。ただみんな見ようとしないだけです。

しかし、その反面、病院には明るい生の面もあります。
いまも室外から聞こえてきますが、看護師や介護関係の人やスタッフたちの明るい声は生への希望を生んでいます。彼女たちはみんなとても明るいのです。
ここで「彼女たち」と女性だけに絞って表現しましたが、女性の声には生につながる明るい声のエネルギーを感じます。

私は昔からフェミニストやフェミニズムに違和感があります。
そういう主張をする人の言動に、ある意味での差別意識を感ずるからです。
女性には女性の、男性には男性の、あるいはいずれでもない人にはその人の、良さがある。お互いにその良さを評価し合いながら、支え合う生き方が私の生き方です。

なにやら小難しくなりましたが、病院で生活していると、やはり生や死を考える機会はあるのです。患者のみなさんから聞く話は、まさに死につながった話も多いですから。
昨日もそんな話をデイルームで聴きました。

自分の死に方についても、やはり考えることが時々あります。
一応、私は死に方は決めてはいるのですが、必ずしもそうならない恐れもあります。
今回はあまりに不覚でした。

退院したらやることがまたどっさりと出てきました。
死に方は、決めるだけではなく、そうできるように準備していることが大切なことが今回よくわかりました。

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■節子への挽歌5424:病院生活日記19:ラジオ体操を始めました

入院6日目です。

昨日はさまざまなことがありました。
日記には書きませんでしたが、患者との交流もあり、考えさせられる話も聴きました。
話した相手は同世代が多いのですが、日本人の文化が大きく変わってきているのを感じます。これに関してはいずれまた。
昨日はミセス,コロンビアにも会いました、ここでも日本とコロンビアの文化の違いの話になりました。

だいぶ病院のことがわかってきましたが、これまで体験した病院との違いも見えてきました。コスト削減や利益主義がどうしても見えてしまうのは、私の考え方のせいでしょうが、ルールはどうもゆるやかで、消灯・点灯時間はかなりルーズです。もう7時近くですが、間瀬鹿郷はまだ病室の店頭にまわってきませんし、この間、朝の洗面シートを持ってきてくれたスタッフも、点灯せずに行きました。コロンビアさんも言っていたように、ジョブ分担が悪い意味で厳格なのでしょう。こういうのを見るとついつい改善策を提案したくなります。

幸いに同室のBさんはその後かなりよくなり、安定しました。今朝はまだ寝ているようです。なにごとのなくよかったです。
Åさんは、昨夜は伴侶に電話で明るいメッセージを送っていました。うれしいことです。
ただCさんはまだ大変で、昨夜は咳がつづいていましたし、今朝も実はCさんの大きな音で目が覚めたのです。問題のスマホの録音音声はいまも続いていますが、だいぶおさまり、私も気にならなくなりだしました。

まあ人は環境になれていくものです。でもしっかりした自分を持っていないと、環境に慣れるのではなく、環境に支配されがちです。

今日から朝の体操をすることにしました。
デイルームでラジオ体操に挑戦しましたが、点滴の管があるので注意しないといけません。それに時に注意しないと針を刺しているところが痛いのです。ですから思い切り身体を動かすことは難しい。
まあかなりいい加減な体操ですが、1回やっただけでなんだか疲れてしまいました。体力はかなり落ちているようです。まあ昨日はナースセンターまで走れましたが、あれはとっさのことだったからでしょう。
ラジオ体操の後は、口の運動。

今ちょうど、食事が配られる時間で、同室3人は食事中。いい匂いと食事の音がしてきました。うらやましい限りです。
さて今日はどんな1日でしょうか。

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2022/10/24

〔病院生活日記18:同室者と私に悲劇

実は、前の日記を書き終わろうとしていた時に事件が発生したのです。

同室の斜め前のBさんが私に「ナースを読んでください」と声をかけたのです。
小さな声だったので、最初は気づかず、3回目に気づきました。私が偶然にもカーテンをあけていたのがよかったです。

急いで近寄って確認すると、ともかく痛くて動けないのでナースを呼んでくれと小さな声でいうのです。その様子は尋常ではありません。たまたま風呂帰りで私は点滴をしていません。ナースセンターは階の反対側ですので、そこまで走っていきました。そこですぐにナースに来てほしいと伝えたのですが、なかなかナースが来ません。病院の人たちは慣れているので慌てないのでしょう。

そこで通りがかった人にともかく様子を見てほしいと言い、ふたりでBさんに確認したら、ともかく横になりたいというのです。それで私も手伝って横にしようとしたらBさんは悲鳴をあげました。よほど痛かったのでしょう。

それでナースの来るのを待っていたら、私の点滴の用意をしたナースM(高須)さんがやってきました。私よりもBさんをと言って、様子を見てもらいましたが、いろいろ調べて大丈夫だというのです。たぶんベテランのナースなので、いろんな数値を見てそう判断したのでしょう。そして、私の措置に入ろうというので、私などよりBさんをケアしてよ、と頼みました。いまは少し落ち着いてきてはいても、先ほどの大変さを私は知っているので気が気ではありません。

彼女から患者なら自分のことを考えるように言われましたが、高齢の私よりも若い彼のほうが大切でしょう、と言ってしまいました。
彼女は彼が大丈夫なのを確信していたのでしょう。彼のデータをすべて知っているのですから。でも彼の気持ちは私の方が知っています。
結局、彼女も担当医を呼んでくれましたが、彼も彼女と同じ判断で、しばらくこのまま様子を見ることになりました。

まあこう書くとさほどたいしたことには感じないでしょうが、現場にいた私は、知識がないが故にかなりの緊迫感を持ちました。

その後もまだいろいろあったのですが、一段落してから私の点滴を再びつなぐことになって、針を入れ替えようということになりました。腫れてきているのでそのほうがいいというのです。それに長い入浴をしたので、このままでは今日のノルマが果たせないおそれがある。少しくらい遅れてもいいでしょうと言って一度は見送ったのですが、Bさん事件で来ていた別のナースが私の腕を見てこんなに腫れるまで我慢したらダメでしょうというので。それで結局、私の針は改めて刺し換えることになったのです。

換えるのは1本と思っていたら、あっという間に2本を抜いてしまいました。

そして今度はまた左手に2本です。彼女は点滴には自信があるというので任せることにしましたが、なにしろ9回目ですので、場所が見つかりません。結局、手の平の曲がり角です。彼女はベテランですから、見ていてやり方も速いのですが、仕上がりはカバーもつけてくれない。困ったものです。

まあ彼女とのやり取りはさらに面白い話に展開していくのですが、どこまで公開していいかどうかいささか迷うような内容です。
日記を書き出すと際限がないですね。
Img_20221024_163551 困ったものです

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■節子への挽歌5422:病院生活日記17:久しぶりの入浴

午後はいろいろありました。

まずMRI検査。この検査で膵臓がんが見つかったら、これまた人生は激変です。
頭のMRI検査は時々受けていますが、お腹は初めてです。
その検査のために点滴を一時はずしたので、そのままお風呂に入ることにしました。

Img_20221024_132218 展望風呂という大浴場です。午後は入浴自由だそうですが、私は点滴をしているので、その都度はずしてもらわないといけません。勝手には行けません。
展望風呂とはいっても、湯船につかっていたら見えませんが、立てば手賀沼が見えます。これなら毎日来たい気がします。
一人で使っていると、付き添いに伴われておふたりが入ってきました。

その同伴者は、昨日、私がこの階に偵察に来た時に尋問?を受けたLさんです。
Lさんはここの当番だったようです。
おふたりとも入浴は禁止だそうです。

Lさんがもう一人の方をケアしながら部屋に連れて行った間、残りの一人と話しました。つくし野のD(池田)さんです。自宅の風呂で転倒、救急車で運ばれたのだそうです。93歳。Lさんが来ないうちにこっそり入浴しましょうかと話しているうちに、座間さんがやってきて、実行に至らず。私まで長湯は注意するようにと言われました。

Dさんが上がった後、私も話し相手もなくなったので、あがりました。ところが、やはり空腹のせいか、一瞬、クラっとしてしまいました。困ったものです。
あがり場で椅子に座って水を飲んでいると、またLさんが大丈夫ですかと心配してやってきました。そこでまた「話」のリハビリに取り組むことにしました。話しているうちに昨日の話になり、実は私は面会禁止を抜ける場所を探しに来たんですと白状してしまいました。できませんというので、少なくとも売店だったらできるでしょうと言って、私が考えた場所(売店ではありません)を明かしてしまいました。話しているうちに彼女も載ってきて、それならあそこのほうがいいと逆提案。

しかしこれは罠かもしれません。
病院関係者が提案するということはみんな気付いているということです。

と、ここで緊急事態発生。
患者なのに病院を走ってしまう事件が起こりました。
続きは次回。
病院はドラマが起き続けているのです。

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■節子への挽歌5421:病院生活日記16:急速に良くなっているようです

10時過ぎに担当の篠田医師がやってきました。まさかこんなに早く来るとは思っていませんでした。
今朝の血液検査の結果の報告です。

異常値は急速に低下し、胆石も膵臓から十二指腸に移っているようですが、万一を考え、後2日、絶食をつづけようということになりました。のどの調子が悪いのでのど飴はどうかと言ったら、許可が下りました。
しかしそう喜べる話ではなく、相変わらず先は見えない。また、大まかでもいいのでと問いかけましたが、私は予想はしないとそっけない。クールですね、と言っても動じない。困ったものですが、なかなかいい。

入浴の許可も出ました、というよりも前からよかったそうで、そうならそうときちんと事務スタッフから説明してほしかったと思います。そういえば、病院生活に関する説明はあまりきちんとしてくれていなかったように思います。まあ私も訊きませんでしたが。

5日目ともなれば、病院の問題も少しずつ見えてきます。
もっとも人それぞれなので、私が問題と思っていることも他者にとっては問題ではないでしょう。できるだけ肯定的に受け取るのが私の信条なので、むしろデイルームにある投書箱に前向きな提案の形で投稿しておこうと思います。
病院をよくするのは患者自身のはずですから。

体調は空腹感を除いてはもう平常です。
空腹感もあまり感じなくなりました。
ただパソコンばかりやっているので目が疲れてきました。

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■節子への挽歌5420:病院日記15:6時過ぎまでぐっすり眠ってしまいました

断食5日目、いや入院5日目。

今日も6時過ぎまでぐっすり眠ってしまいました。
ケニアからレイキを送ってくれる人のおかげでしょうか。
ちょうど向こうの時間が日本の午前4時代なのです。

起きたらすぐに採血の人が来ました。
おはようございますが、うまく出ないといけないので、ゆっくりと返事。
話すことが減っているのもそうですが、考えてみると食事もしていないので、口を動かす機会が減っているのです。
口の開け閉めの運動が必要です。

それと水分は点滴で十分に補充しているのですが、口からの接種はせいぜい500600ミリリットル。そのせいか口腔内の状況はあまりよくなく、唇もカラカラで、薄皮が剥げてくるような感じです。飲むだけじゃなくて唇を浸す工夫も考えないといけません。

まあ断食生活はいろいろとあります。

ちなみに今は同室の人たちは朝食で、食事する音に加えていい匂いがしてくる。
落語に、匂いだけでお腹が膨れるような話がありますが、私の場合、匂いはおなかを減らすだけです。まだ人ができていない。困ったものです。

今日はたぶん血液検査結果をみて医師が来るでしょう。
さてどうなるか。

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2022/10/23

■節子への挽歌5419:病院日記14

さて面会実験の結果です。

残念ながら面会は実現しませんでした。ただしそれは私が考えた方法のせいではありません。相手にその方法を伝えなかったためです。

何時ころ着くのか連絡を待っていましたが。面会可能時間終了時まで、連絡が届きませんでした。
そのため今日は来ないことにしたのだと判断し、その時間を過ぎてから、実際に可能性を探索しました。昨日電話で、わざわざ狂い見ないよと話していたので、郵送にしたのだと思ったのです。

しかし、考えた方法が可能かどうかを現地実証することにしました。
実際に試してみて、これならうまくいくと確証しました。
一応、「悪事」ですから具体的な方法は公開しません。それに公開しても、何だそんなことかとバカにされるでしょうか。

現場視察の帰り、ついでに7階にある会議室のあるフロアに行くことにしました。7階は誰もいないので勝手に奥まで入って行ったら、看護師らしい年配の人に見つかってしまいました。ここは管理棟ですよ、何しに来たのですかと問われて、返答に窮していたら、あ、浴場を見に来たのね、と向かうが行ってくれました。このフロアには展望浴場があるのだそうです。忘れていました。
もちろん、はいそうです、まだ予約はとれていないのですが、というと、予約はいりません。お風呂をみたいんでしょ、というので、素直に、はい、そうです、と答えてしまいました。
そこで中を見せてもらいました。手賀沼も見えるいいお風呂です。
それで無事解放されました。

まあそんなことはどうでもいいのですが、帰室したら留守電メッセージが入っていました。
いま病院に行ったがやはり面会は断わられた、というメッセージです。
時間を確認したら、私がもう10分ほど行動を早く起こしていたら、あるいは事前に彼と時間調整していたら、一見「偶然」らしく会えたはずです。
彼はもう駅についていたので、今回はあきらめました。
結局、実験は成立しなかったわけです。

でもまあこれで面会の方法はわかりました。残念ながら多数の面会は難しいです。
しかし見つかったら怒られるでしょう。
「悪事」ですから。

さて明日からもっといい方法を考えることにしました。

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■節子への挽歌5418:病院日記13

前の日記で書いた、外の騒ぎとは休憩室にあるテレビを単に大きな音で観ている人がいただけでした。高齢者が多いので、ともかく音が大きい。

デイルームに行ったら、2人が新聞を読んでいました。一人の女性は、昨日少し話した人だったので、そこに座って、お互いの状況を話しました。見舞客がないのが寂しいと彼女も言っていました。
私よりも20歳くらい若そうですが、緊急入院だったそうです。
伴侶は最近人工透析を受けているようで、しかも携帯やスマホを使わないため、なかなか連絡がつかず大変だったようです。
結局、女友達経由で連絡でき、うまくいったようですが。

彼女も入院当初は絶食だったそうですが、4日ほどでおかゆスープになり、いまはもう普通のおかゆだそうです。明日の標準メニューは栗ご飯だそうで、おかゆからそれに変えてもらおうと同室の人と企んでいるようです。私にはメニュー表さえありません。
ちなみに彼女の部屋はいま3人ですが、カーテン越しに話し合う状況だそうです。

年齢や病状もありますが、ここでも性差は大きく影響しているように思います。
帰室してチャンスを見て私もカーテン越しの会話を始めました。若いBさんとです。でもほかの2人はなかなかむずかしい。

午後また点滴問題が起こりました。
そのため、また針を刺し換えることになりました。たまたま来ていた看護師は昨日の刺し方がうまい看護師でした。7回目ですが、なんとかうまくいきました。
それをしている時に、点滴が流量異常や水疱でブザーがなったのですが、看護師が直す様子を見ていると流量異常の時は簡単な動作なので、自分でやってもいいかと質問しました。わざわざ看護師を呼ぶにも迷惑だろうからです。
そうしたらこれは「医療行為」だから絶対にダメです、ときつく言われました。
看護師の手間をできるだけ減らそうと思う独り善がりの行為が、結局、一番迷惑なのでしょうね。大いに反省しました。

ところで面会禁止のなかで面会できる方法を思いつきました。
これが可能かどうか、実は今日、遠くからわざわざ見舞いに来る人がいますので、うまくいけば彼に会ってみようと思います。思いついたすぐ実行。
果たして可能かどうかがわかります。
まあ誰でも思いつく極めて簡単な方法なのですが。

さてどうなるか。次の日記で報告します。

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■節子への挽歌5417:病院日記12

私にとってだけなのですが、問題が発生しました。
お迎えさんが、たぶんスマホで留守電のメッセージを繰り返し聞くのです。
それも四六時中です。もちろん同じものばかり。
最初は気にならなかったのですが、こう続くといささかイライラし、それが気になるともう何もできない。デイルームに逃げるしかない。

今の階の患者たちは高齢者も多く、リハビリをしている人もいますし、かなり認知度が低下した人もいます。逆に若い人がかなり状況が深刻で、寝たきりだったりしています。
徘徊ならぬ、運動のために病院内を散歩のように定期的に歩いてる人もいる。私もその一人ですが。

そこで気づいたのですが、高齢者の徘徊が起こるのは、運動しなければいけないという意識からなのではないか。だとしたら、家族は適度に運動できることを考えてやれば解決するのではないか。まあ、そんなに甘い話ではないかもしれませんが。

またお向いさんの繰り返し音声が始まりました。
これももしかしたら、話したいということかもしれません。

軽い運動が自然とできる仕組み、話し合う機会。
病院はそういうこと考えていくことが必要なのかもしれません。
もちろん過程においても、ですが。

ところで外がなにやらにぎやかになってきました。
見舞客は禁止なのに、どうしたことでしょう。

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■節子への挽歌5416:病院日記11

入院4日目。

6時過ぎまで眠ってしまったのですが、なにやら騒がしい言い合いの声に目が覚めました。何だろうと思って、部屋の外に出たら、耳の遠い患者さんと介護者が大きな声で話し合っていたのです。病院は静かなので、それが館内に響き渡っていたのです。
これがコロンビアさんの言う喧噪なのでしょうか。ちょっと違うような気がします。20分ほど続きましたが、静かになりました。

ところで運動不足で足腰が弱る話はよく聞きますが、話し不足で呂律が回らなくなってきました。突然の呼びかけに、「おはようございます」というのがうまく発生できませんでした。
そういえば、入院すると話すことが少なくなりますね。

まあこうして患者はどんどん病気になっていくわけです。
病院は病気を治すとともに病気を創り出す。
それをまさにいま実体験しています。

今朝、デイルームに新聞を読みに行ったら、左手をつり包帯した車椅子の高齢者がテレビを見ていました。
骨折ですか、と訊いたら、耳を傾けてきたので、耳に近づけてもう一度聴きました。どうも耳が悪いようです。そういえばテレビの音が異常に大きかったですし。
いろいろと説明しだしてくれましたが、どうもよくわからない。何かを伝えようとしている姿勢は伝わってきますが、理解できない。
そのうちにリハビリの療法士が呼びに来ました。これからリハビリのようです。

この人は身体リハビリも大切だが、話すリハビリも必要なような気がします。
こういう体験を入院後3回していますが、このままだと私も間もなくそうなりそうです。困ったものだ。
今度姿を見たらまた話しかけようと思います。

部屋に帰ったら看護師が点滴の交換だと来ていました。
ベッドに戻ろうとしたら、それを見てここから上がっているのかというのです。そうだというとまるでアクロバットだと言いました。
運動になるのですと答えました。心配性の看護師ならきっとやめろというでしょうね。
隙間20センチくらいの隙間からベッドに上がるのです。
まあこの方が注意するので安全なのですが。

また空腹の1日が始まります。
お腹の痛みと違和感はほぼなくなりましたが、これは空腹のためかもしれません。

 

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2022/10/22

■節子への挽歌5415:病院日記10

やることがないのですが、そのおかげで日記に書くことはたくさんあります。

4人部屋に1日いたら、同居人についていろんなことがわかってきました。
まずはお隣さんのAさんは、つくし野在住の私よりも高齢の方です。
ご夫婦ご健在ですが、先月、盲腸炎になりこの病院で手術。ところがその後も、胃腸の調子がよくなく、入退院を繰り返し、今回は点滴希望での入院のようです。
何しろ今も食事に注意しないと吐いてしまうのだそうです。
そのため入院中は私と同じく食事はない。やはり食事時はつらいので、その時はデイルームに避難するそうです。

斜め向かいのBさんはまだほとんど会話していません。入院理由はわかりませんが、なにやら大変そうで、昨日までは動けなかったし、あまり話せなかったようです。
は看護師さんと話していたので、ついつい私もそれに口を挟んでしまいました。で彼の用事でナースセンターまで行くことができました。初めてのお役立ち。

お向かいのCさんはかなり重症のようで、一切、カーテンから出てきません。かなりの高齢で看護師との話もほとんどわからない。

とまあこんな感じです。
Aさんとは休憩室で少しゆっくり話しました。
入院後6日目だそうです。

デイルームでは、孫とテレビ電話していたら、お孫さんですかと女性から話しかけられました。そこで話そうと思ったら、点滴機が電気不足でブザーがなりだしたので、残念ながら部屋に戻り会話はなりたたず。
1日いると世界はやはり見えてくるものです。

今日は、娘や孫とのテレビ電話のほか、友人からの長電話、さらには娘からの時計や書籍の差し入れがありました。
それといつも飲んでいる薬の服用が許可されました。

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■節子への挽歌5414:病院日記9

悲劇が起こりました。

いま3つの点滴を行っています。
その一つの針口が腫れだしたのです。痛みもかなりある。医師からこの点滴は腫れることがあると聞いていました。我慢していたのですが、滲みだしてきました。つまりもうこれ以上はいらないということです。

手はもうパンパンに張っていて、爆発しそうです。
急いでナースセンターへ行きました。部屋に読んでもいいのですが、看護師は忙しそうなのでできるだけ手間をかけないようにしければいけません。
すぐに点滴を止め、針を刺し換えることになりました。

そこからが問題です。これまでは左手だったのですが、そこはもうだめなので、右手に刺そうということになったのです。

ところが私の場合、血管が見つけにくいのだそうです。
場所を探して、手首あたりに刺し、針を深くしたり左右に動かしたりしても見つかりません。しかも、これが実に痛いのです。
看護師は2か所挑戦してくれましたが、もうこれ以上は苦痛を与えないようと判断してくれたのでしょう。あきらめてもっと上手な人に頼もうということになりました。

そして別の人がやって来ましたが、やはり難しいことに変わりはなく、刺す場所を探していましたが、場所を見つけたら今度は一発で決まりました。
まあそれはよかったのですが、左右の両手に管がついたということです。
まるで囚人の気分ですが、実際にも非常に動きにくくなりました。

こうやって私の自由は奪われていく。
両手に管なので、パソコンも運動もやりにくくなりました。
困ったものです。

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■節子への挽歌5413:病院日記8

病室の隣がデイルームです。
あまり使われていません。だからここで誰かに話しかけることも難しい。

私は朝、そこで新聞を読み、ちょっと身体を動かします。
からなら電話もかけられます。
窓からの見晴らしは自然が多くて気持ちが和みます。
手賀沼も見えます。

コロナの関係で、見舞いは不可です。
必要なものは娘に頼めば持ってきてくれますが、1階で看護師渡しです。
医療関係者以外の人に会えないのは、私の性格からしてかなりつらいことなのです。
コロンビア出身の掃除担当者との話し合いは楽しかったのですが、しかし日本語はあまり通じません。それに個室ではともかく、4人部屋ではそうもいきません。

それにしてもコロナといえども、面会禁止はよくありません。
私はコロナが流行り出した頃、入院した友人に医師に頼んで面会させてもらいました。
は元気になって一度は自宅に退院できました。

面会禁止にすれば病院は助かるでしょう。
コロンビアさんが言うように、騒がしい見舞客も少なくないからです。
でも友人知人に会うのは、最高の治療薬のような気がします。
安直な面会禁止の広がりを止めることはできないでしょうか。

2_20221022080101 3 2_20221022081201 見舞いが来ない病院は寂しいものです。

 

 

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■節子への挽歌5412:病院日記7

私のことを心配して、いろんな人がパワーを送って来てくれています。
朝晩、レイキヒーリングをしてくれている人、あるいは全力で私が遠くに行かないように足を引っ張ってくれる人、さまざまです。

この無駄に投稿の多い〔病院日記〕にもいろんな人がコメントしてくれます。
そういう人も私にパワーを与えてくれています。

ある人は、この日記を読んで、百歳まで生きそうだと予想してくれました。まあ百歳はご辞退したいですが、あと5年ほどは生きようと思った矢先なので、そうありたいです。

20代の若者からのメールもうれしかった。彼は「佐藤さんには受け取ったものに対して返せたものが全然少ないので、私の人生が軌道に乗って何かしら還元した気になれるまでは生きててくれないと困ります」と書いてきました。彼がそういう風に思えることが、私が彼に与えた唯一のことですが、彼の30年後を見られないのが残念です。
さらにもっと若い人からは、「僕も、佐藤さんも当たり前にいつか死ぬよな〜とそわそわしました」というメールが来ました。みんなに迷惑をかけているようです。最後の若者には、死ぬときはあらかじめ連絡するからと伝えました。

体力を落とさないためにとこんな体操がいいというアドバイスもいろいろ多いです。
そういう多くの人からの支えを得ていることを実感しています。
思わぬ人からも連絡があります。
いろんな人との約束でできていないことがいろいろとあるのですが、今日から少し取り組んでみようと思います。

ただサロンはしばらく企画しない予定です。
退院日がまだ決まっていないからです。
かなり意欲的なサロンをいくつか企画していたのですが。

 

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■節子への挽歌5411:病院日記6

病院での2回目の夜を過ごし、今日は入院3日目です。

昨日の夕方から4人部屋に移りましたので、環境は一変しました。
一番の変化は、みんなは食事ができるので、その匂いが襲ってくるのです。
ようやく昨日、空腹になれたような気がしましたが、また空腹感がぶり返しました。
困ったものです。

4人部屋は昼間と違って夜は人間を感じます。
カーテンで仕切られたそれぞれのユニットに人を感じます。
しかし私が移ってから誰一人ユニットから出てきません。ただ、時々やってくる看護師さんとのやり取りから少しずつ見えてきましたが、この部屋の人たちは重症の方が多いようです。一人は私より年上でしょう。2人はたぶん年下。
1人は声もまったく聞いていませんので、たぶんですが。

昔は大部屋に入院すると、同室の人たちに家族と一緒にお菓子などを配って、あいさつしたものですが、最近はそういうことは全くありません。
だからどういう人が同居人なのかすぐにはわからない。
看護師さんも、新たな移住者の私を紹介してくれない。
個人がばらばらになるってしまっている最近の世間の状況がここにも表れています。
同居人同士助け合う関係は全くない。それは無理としてもどういう人が同居人なのか知るだけでも心の安らぎを得られると思うのですが、むしろ逆なのかもしれません。

9時消灯ですが、8時に病院内を回ったら、女性の部屋は8時前に消灯していたところが2部屋ありました。ルールは9時なので、たぶんその部屋は4が相談してそう決めたのでしょう。
だから女性たちは、同居人同士つながっているのかもしれません。

私は5時半に起き、やることもなく、この病院日記を書いていますが、昨日の夕食の匂いのせいか、空腹感が高まって、かなりつらいです。
でもまだ断食3日目の朝なのです。
せっかく回復したと思っていた思考力が、空腹感に負けないといいのですが。

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2022/10/21

■節子への挽歌5410:病院日記5

久しぶりの友人から電話がありました。
私がまさか入院しているとは思いもせずの電話です。
状況を話しているうちになんだか涙声になってきました。
そして、「残念だ」「悔しい」と何回もいうのです。
私が死ぬような気がしてきました。困ったものです。

しかしそれほど膵炎は微妙な病気なのでしょうか。
ある人が2週間かかると言われていた膵炎を3日で直した事例を知っているとメールをくれました。佐藤さんの回復力次第だというのです。
もっともその事例は、彼が飼っている犬の話でした。

涙ながらの電話の友人ですが、私が医師から病院内をできるだけ歩くようにしないと退院した後、大変だよと言われたという話をしたら、なぜか喜びました。医師がそういうのであれば、なおって退院できるのだというのです。
彼はこのまま私が病院で最期を迎えると思っていたのです。
まあ最近はそういうことも少なくありませんし、ないとは言えませんが。

ところで今、個室から4人部屋に移りました。
個室と違って狭いですが、意外だったのは個室以上に静かなことです。
音がないという意味ではありません。音は治療のためのいろんな音が継続的に聞こえます。しかし、人の声が聞こえない。

つまり同室の人はみんなかなり重症のようです。
これだと逆に滅入りそうです。

それに、ベッドから見える風景は個室では青空でしたが、ここではカーテンです。
生活環境としては雲泥の差で、入院したという実感が出てきます。

お金で寿命が決まるというのもよくわかります。
人生はなかなかうまくいきません。
困ったものです。

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■節子への挽歌5409:病院日記4

午後、掃除の方が来ました。個室なのでゆっくり話せる。
コロンビアの人です。でももう日本には30年ほどで柏在住。

彼女が言うには、コロンビアは外は騒がしいが病院内は静か、日本は反対で、外は静かで病院内は騒がしいそうです。騒がしさを身振りで見せてくれましたが、日本語がうまく通じずよくわかりませんでした。最近は見舞客がないので少しいいようですが。
仕事はしっかりと分けられていて、分を超えてはいけないそうです。

その後、看護師さんがやって来て、今日の夕方から4人部屋に移ることになりました。
快適な個室ともお別れです。
明日は退屈しないでしょう。

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■節子への挽歌5408:病院日記3

午前中は、1時間ほど部屋で横になって空を見ていました。快晴です。
まあ湯島でも自宅でも、空をボーっと見上げることは時々ありますが、今日は考えることが違いました。

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それにも退屈したので、病院内を見て回ることにしました。
高齢者が圧倒的に多いためか、なんだか病院全体が暗いです。個室の明るさとは大違い。
誰かに話したくて、デイルームに行きましたが、おひとりが新聞を読んでいるだけでした。
その人に話しかける隙はありませんでした。

部屋に戻るととてもうれしいメールが届いていました。
ずっと気がかりだった人からの元気そうなメールです。

お昼ごろ、医師が説明に来てくれました。
どのくらいで退院できるかと訊いたら、風邪だっていつ直るかなどは言えないでしょう、と言って話してくれません。ともかく月曜の血液検査次第のようです。
冷たいですね、と言っても姿勢を変えません。水分だけだと餓死しないですか、と言ったら、まあやってみてください、とあくまでクール。
好感が持てる医師です。

医師のアドバイスは、ともかく病院内を歩くようにということでした。
2~3日入院しただけでも歩けなくなる恐れがあるというのです。
高齢者に入院はいいことはないのです。

 

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■節子への挽歌5407:病院日記2

入院2日目。6時起床。

回復に向かっているわけではないですが、悪化にも向かっていないようで、昨日の朝と同じ起床でした。
夜中に4回トイレに行き、点滴機のブザーが2回なりだし、ナースステーションに連絡。
お腹の痛みはほぼなくなっているが、違和感は相変わらず。

この違和感をどう表現すればいいか考えましたが、出てきたのは「茶色の痛み」。しかしこれでは全く他者には伝わらない。自分でも初体験の違和感なのですが、ともかくなんとなく思考力を抑制するような違和感です。つまり何もやる気が起きないのです。カーテンを開けると今日はいい天気で、手賀沼が見えます。
残念ながら朝もやで富士山は見えません。

いつもは逆の方向から手賀沼を見ているのですが、この部屋からは夕陽は見えても日の出は見えないだろうと思っていましたが、もう一つの窓のカーテンを開けたらまさに太陽が出てきたところでした。
いつもなら太陽の光を浴びると元気になるのですが、今日は無感動。
すべてはおなかの違和感のせいです。

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昨夜から少し熱が出てしまいました。
と言っても37.1度程度でしたが、今朝は36.8度。
でも何となくかったるい。これもお腹のせいです。

ともかくやることが皆無です。
うっかり本も1冊しか持ってきませんでした。
テレビは見られるのですが、あんまり見る気が起きません。
ともかく空腹感のために何もやる気が起きない。

さて、無為の1日を今日はどう過ごせばいいか。
たぶん医師が来るでしょうから、様子を訊こうと思います。

角部屋のこともあって、実に静かです。
はやく大部屋に行きたいです。ここはやはり退屈です。

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■第23回万葉集サロン「憶良は「生」に苦悩する人間をどう超えようとしたか」報告

万葉集サロンは、いよいよ山上憶良に入りました。

仏教が盛んだった時代の歌が多いにもかかわらず、万葉集には仏教を感じさせる歌は少ないのですが、憶良には、仏教色、さらには儒教色、つまり大陸の文化を感じさせる歌が多く、憶良は特異な存在と言われています。
今回は、その憶良の、「敬和為熊凝述其志歌」(5-886891)と「老身重病経年辛苦及思児等歌七首」(5-897903)を中心に、まずは憶良とはどういう人だったかを紹介してくれました。
1首目は若くして病で亡くなった大伴熊凝を歌ったもの、2首目は無心に遊ぶ子供を見ていると生への執着に心が燃えてくるという歌です。

歌を読む前に、時代背景と子どもの頃大陸からの渡来した憶良の人生を解説してくれました。話は、憶良が自然を詠んだ歌「秋野の花を詠む歌2首」と生き方に触れた歌2首を読むことから始まりました。前者は秋の七草をうたった歌ですが、後者は憶良の生き方を示唆しています。
つづいて、憶良の歌に一貫するテーマとして「老病死」や「生きにくさ」「家族への思い」を支える憶良の思想の土台として、万葉集に収められている「沈痾自哀(ちんあじあい)文」の要点を説明してくれました。
これは憶良が最晩年に病の中で書いた文章だそうですが、漢文で書かれています。

万葉集にこういう文章が含まれていることを私は全く知らなかったのですが、升田さんが説明してくれたように、これはまさに大陸の仏教や儒教のエッセンスと言ってもいい内容です。そしてこれが憶良の精神的基盤であり、この理念を憶良は歌に顕現させたのではないかと升田さんは説明してくれました。
こうしたことがはっきりと感じられるのが、「敬和為熊凝述其志歌」です。

序の漢詩に教理を書いて、和歌でいかにしてこの世に、その教理を顕現されるのかを示す。そこでは、理の世界(漢詩)と情の世界(和歌)の融合がはかられているばかりか、歌の詠み方の手本も示している。つまり歌に対する憶良の姿勢が現れている。
こういう思想背景と、憶良の人物像を踏まえて、憶良の歌を読んでいくと、これまでとは違った世界が見えてくるように思います。

このあたりを詳しく紹介できないのが残念ですが、今回のサロンのテーマとして升田さんが「憶良は「生」に苦悩する人間をどう超えようとしたのか」という問いかけの意味がよくわかります。

升田さんは、さらにいくつかの歌を読みながら、生きるとは何か、死とは何か、を問うたのは憶良が最初だと教えてくれました。
万葉集の多くの歌は、むしろ集団の意志や感情を表現するものが多いのですが、憶良は初めて個人として生老病死や愛苦を詠じているわけです。

憶良は集団行動が苦手な自由人だった。そして、集団の中にいても、いつもしっかりした自分を持っている。しかし憶良は、孤独や孤愁は詠んではいない。いつも誰かにみんなが抱えている問題を問いかける人だったようです。
それによって、「た」の中に自分を見つめる目が生まれ、他人も見えてくる
一見孤独に見えながら、つねに大衆と密着した生き方をした歌人だった憶良に、升田さんはこれまでの「わ」の内奥に潜んでいるさらなる「わ」を見るのです。
無意識の中に出てくる自分(個性)に気づき、「わ」の中に自分をみて対峙する。
意識と無意識の葛藤が生まれるわけです。
そして、自分の中にいる「私」がわかるようになると、他の人もわかるようになる。
「な」も「た」も、それに伴い変わっていく。それが、新しい和歌の世界の誕生へとつながっていく。

さてこれで憶良を読む準備がだいぶできました。
次回は、憶良の別の歌(例えば貧窮問答歌)を読みながら、憶良によって開き出した新しい和歌の世界を楽しむことになりそうです。

今回は内容が多様で深かったので、私の記憶に残ったところを中心に報告させてもらいました。升田さんの思いをきちんと理解できているといいのですが。

Manyou230

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2022/10/20

■節子への挽歌5406:病院日記1

今日は予定では久しぶりに畑に行って、野菜を救援しようと思っていました。しかし、昨日Kら腹痛が起こり、3回目なので、娘から行かないとだめだと言われ、軽い気分で検査に来ました。
ところがいろいろと検査をしたら、なにやら大変なようで、医師が即入院しないとだめだというのです。病名は肝臓胆石による膵炎だそうです。

まさかのまさか。一度帰宅したいといっても最初は了承を得られませんでした。しかも病室が空いていないため、個室を何とかあけてくれました。病院はコロナで病室は満室なのでしょうか
幸いに帰宅させてもらい、生活用具を持ってきましたが、後で聞いたら、すべてレンタルで病衣とセットになっているのだそうです。
なにやらもったいないなと思いましたが、郷には郷に従えで、こういうのはすんなりと受け入れられるのです。しかし、実際には病衣以外はほとんど使うつもりはありません。
病室は角部屋なので、手賀沼がよく見えます。見晴らしは実にいいのです。

というわけで、どのくらい入院するかはわかりませんが、畑作業もどき報告の代わり、しばらくは入院生活報告です。

今日の夜勤担当は張さんという中国から来ている看護師です。まだ半年だそうですが、日本はすみやすいと言っています。
まあそうしか言いようがありませんが。
でも顔の表情を見れば、たぶんほんとにそう思っているように思います。

食事は禁止なので、夕食もあり付けません。
ともかく今日は朝食も念のため食べなかったので、半端でない空腹感です。
今夜は眠れるでしょうか。読む本をもっと持ってくればよかったです。

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■節子への挽歌5405:突然の入院

節子

またすっかり挽歌をさぼっていました。この間、思ってもいなかったことが起こりました。
いま病院に入院中です。それももしかしたらかなりの長丁場になりそうです。

一昨日、お腹の具合が悪いことがたびたび起こるので、検査に来たのですが、即入院になってしまいました。
かなり深刻な様子で、医師はどのくらいの入院かさえ教えてくれません。
ユカがいたので助かったのですが、一度帰宅し、午後入院。PCR検査も受けさせられました。

部屋は緊急だったので個室しかなく、とりあえずは個室。
というわけで、いろんなことをキャンセルしなければいけなくなりました。

病気は胆嚢胆石が膵臓に移動して起こった膵炎です。
まずは膵炎を直して、もし体力があれば胆嚢摘出だそうです。

入院後、やることもないので、フェイスブックに病院日記を書きだしました。
それを挽歌でも掲載することにします。
いろいろ思うことがたくさんあります。

こういう時に、節子がいないのはやはりつらいです。

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2022/10/18

■旧統一教会の存在に対して宗教界からの動きがなぜ出ないのか

政府はようやく、統一教会の解散を視野に入れて動き出すようです。
そもそも統一教会を宗教法人として承認していること自体が私には理解できませんが、統一教会のお世話になってきた政府がどこまでやるかは、あまり期待はできませんが。

しかし、私が一番不思議なのは、宗教界からの動きがほとんど見えてこないことです。
統一教会を宗教法人と捉え、その活動を宗教活動として捉え続けてきたと言うことは、日本の仏教法人やキリスト教法人も同じようなことをやっているということなのだろうと思わざるをえないからです。
いうまでもなく、創価学会も幸福の科学もそうなのでしょう。
もしそうでなければ、もうとっくの昔に、統一教会の宗教法人の是非を問題提起していたはずです。それができなかったのは、あるいは今なおできないのは、自らがそうだからなのだと私には思えてなりません。
金に身を売った宗教ほど醜いものはありません。

日本の宗教界の人たちは、いったい「宗教」をどう定義しているのでしょうか。
知りたいものです。

ちなみに私は、宗教も政治もとても大切なものだと認識していますが、いまの日本の政治組織や宗教組織には共感が全く持てません。

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■湯島サロン「地域での学習体験会から気になること」報告

長年、子どもたちや母子を対象にした学習体験会に取り組んでいる日高さんによるサロンは、ICT(情報通信技術)を駆使したリモート学習の実演も含めて、日ごろの活動を紹介しながら、そこから感じている日高さんの問題意識やその解決に向けての提案など、とても示唆に富むお話をじっくりとしてくださいました。

日高さんがなぜ、会社を早期退職してまで、こうした活動に取り組みだしたのか。そして、なぜ「無料」で行い、しかもどうやって「無料」を続けてきたのかも、話してくれましたが、そのこと自体にも考えさせられることがたくさんありました。
日高さんは、実際に生きるために大きなハンディを背負っている立場の子どもたちに生きる力を与えたいと思って活動を始められたそうです。

これに関しては、中途半端な説明は難しいので、また機会があれば、日高さんに話しをしてもらおうと思います。「仕事」とは何かを考える上でも、示唆に富む話ですので。

日高さんは、ICTと数学を中核にして、音楽、体操、アート、サイエンスなど全教科を楽しく深く体験学習することを大切にしています。
実際のプログラミング教育もありますが、単に技術的なことだけではなく、それを通して基礎学力を身につけ、学ぶ面白さを知り、生きる力の基礎をしっかりと育てていくことを目指したプログラムが用意されています。
すべて実際の学習支援活動の中で、日高さん自らが作り上げてきたものです。
そのために、文科省の膨大な学習指導要領をしっかりと読みこむと同時に、ICTの先端技術を常にチェックしながら取り組んでいるそうです。

そうした活動を、私財を投入しながらほぼ一人で取り組んでいる熱意には感服します。
学習会は、学校や施設での学習会スタイルもありますが、オンラインやオフラインの個別指導も行っているそうです。

活動紹介の後、日高さんは、活動を通して日頃感じていることを3点問題提起してくれました。

  • 学びへの欲求と教育情報過多の中で保護者も子どもたちも困惑している。大切なことは子どもたちが自分スタイルの学び方を身につけていくことではないか。学習指導要領では「個に応じた多様な学び」と言われているが、現実はそうなっているのか。
  • 学ぶことが多すぎて子どもたちの学びが浅くなっている。学ぶ量は増えてきているが、「きらびやかな学び」が増える一方、本当の基礎学力が軽視されていて、結果的に、応用カを培う学びが見向かれなくなっている。
  • 近頃は行き過ぎた対応が多すぎる。半強制的な部活動、地域活動、多様性を育む余裕も自由な時間もなくなってきているが、楽しい遊びの中で、子どものうちに体験しておくべきことがたくさんあるのではないか。

後半は、この3つの問題を中心に、気楽な茶話会的に参加者との質疑応答や話し合いになりました。
話しているうちに、当然なことですが、話題は広がり、最後は、最近の「ポリコレ」社会への批判にまで行き着きました。
子どもや母子との接点を通して、日高さんには社会の実相がいろいろと見えているようです。

今回、母親層の参加者がいなかったのがとても残念でしたが、関心のある方は、ぜひ日高さんのサイトをご覧ください。
https://nextgirls.jimdofree.com/
母子での実際の体験や実際の学習会の開催も対応してくれるそうですので、興味を持った方は是非、上記サイトを通して日高さんにアクセスしてみてください。
また日高さんは、こうした活動を広げていきたいと思っていて、さらには自分の活動を継承してくれる人も探しているそうです。それに関しても、関心を持っていただけたら、日高さんにアクセスしてください。

サロンでのみなさんの話し合いを聞いていて、いま、小中学校で何が行われているのか、私たちにはあまり見えていないことに気づかされました。
しかし、それこそが私たちのこれからの生活に大きな影響を持っているはずです。
小中学校の現実への関心が、もっと広がり高まればいいなと改めて感じたサロンでした。

Hidaka1

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2022/10/17

■「日本解体論」をお薦めします

最近、精神的にあまり調子がよくありません。
もうそれなりの歳なので、もっと寛容になれるはずなのですが、怒りや失望感から抜け出せないばかりか、いらだってしまうことがむしろ多いのです。

そんななか、昨夜、「日本解体論」という白井聡さんと望月衣塑子さんの対談をまとめた新書を読みました。生々しい「事件」や「個人」が具体的に語られていて、実に面白かったのですが、あとがきで、白井さんが次のように書いていました。

私はいらだってきた。劣化と腐敗を目にしながらそれを指摘しない人々、それに目をふさぐ人々、そしてさらには、奇妙奇天烈な理屈をこねくりまわして「悪いのは野党」「悪いのはリベラル」等々のプロパガンダを垂れ流す、おそらくは毒饅頭でお腹が一杯になった連中を少なからず見てきたからだ。

私が最近陥っている「いらだち」も、同じものだと気づきました。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、この本を是非とも多くの人に読んでほしくなりました。前半はいささか冗長で退屈ですが、後半はとても具体的で興味深いです。
毒饅頭好きの人がますます増えている状況の中で、こうした議論がまだ出版されるところにわずかな光を感じますが、白井さんの気持ちがとてもよくわかります。

1000円で入手でき、しかも対談形式なので気楽に読める本です。
読んでもらえるととてもうれしいです。
読んで話したくなったら、ぜひ湯島のオープンサロンに話しに来てください。

 

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2022/10/16

■メディアこそメッセージ

書類を整理していたら、40年前の新聞記事の切り抜きが出てきました、
それを見て驚いたのは記事の内容ではなく、文字の小ささです。
新聞の文字の大きさは、何回かにわたって少しずつ大きくなってきていますが、昔はこんなに小さい字だったのかと驚いたのです。
昨日の新聞と比較してみたら、同じ大きさの記事でも文字数は60%の減少です。

私の記憶では、新聞の文字が大きくなるたびに、なんだか情報が荒くなってしまうようで、あまりいい印象は持っていなかったのですが、いまはもうすっかり慣れてしまい、むしろこうした小さい活字記事だと読む気が起きてきません。
慣れというのは意識や感情を大きく変えてしまうわけです。
しかし、6割も文字数が少なくなっているのは驚きです。

私たちに入ってくる間接情報は、新聞だけではなく、ラジオやテレビやネットもありますが、そうしたメディアもどんどん変化してきています。
他者からの情報も、体面での直接の話し合いからネット経由のリモートでの話し合いに変りだしています。
そうしたことが私の意識や無意識に大きな影響を与えているはずです。

メディアこそメッセージという言葉が一時はやりましたが、まさにそうだなと奇妙に納得させられました。
それにしてもこんな小さな文字の新聞を毎日よくまあ読んでいたものだと驚きました。

そういえば書籍の文字も大きくなってきています。
最近でも時々、古い岩波新書を読むのですが、正直、かなり疲れます。

 

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2022/10/14

■湯島サロン「在宅ワークとワーケーション」のご案内

「企業で働く」に続く、「働く」を考えるサロンパート2です。
今回は、最近広がっている、「在宅ワーク」を取り上げます。
話題提供してくださるのは、在宅ワークの仲介会社で働いている山本さんです。

在宅ワークというと、会社に勤めている人がコロナの関係でリモートワークすることをイメージする人も多いかもしれませんが、今回話題にするのは、業務委託型の在宅ワークです。在宅ワークで自分に必要な収入が得られるようになれば、ワーケーションという働き方も可能になります。
つまり、働く時間と遊んだり学んだりする時間を自分で管理できる働き方ということです。
こういう在宅ワーカーが増えれば、企業にとっても、案件ごとの依頼ができるため、繁忙期のみ依頼が可能になり、コスト削減につながる場合もあると山本さんは言います。

個人の働き方にとっても、また企業経営のあり方にとっても、新しい選択肢を増やすことになるわけです。そして同時にそれは、個々人の生き方の変化にもつながっていくでしょう。

山本さんは、そういう働き方に大きな可能性を感じているようです。
参加者のみなさんと話し合いたいと言っています。

なお、山本さんがお勤めの会社では、埼玉県が取り組んでいる在宅ワーク就業支援事業をここ9年ほど継続して受託しているそうですが、ちょうどいまも、企業や個人事業主、企業の人事部やその他関心のある人を対象に、「在宅ワーカーを活用してみませんか?」というzoomオンライン・セミナー(参加無料)を予定しているそうです。サロンに参加できない方も、関心があればどうぞ。埼玉県以外の全国・海外からも参加できるそうで、先日はアメリカ在住の日本人の方も参加したそうです。

詳しくは下記サイトをご覧ください。
11月2日 https://zaitaku-cmam.jp/enterprise/utilization/day_20221102/
12月2日 https://zaitaku-cmam.jp/enterprise/utilization/day_20221202/

〇日時:2022年10月29日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「在宅ワークとワーケーション」
〇話題提供者:山本紀与さん(在宅ワーク仲介会社キャリア・マムのスタッフ)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2022/10/12

■対立よりも共創

久しぶりに昔読んだ2つの政治関係の論文を読みました。
カール・シュミットの「政治的なものの概念」とハンナ・アーレントの「真理と政治」です。最近、「友」と「敵」、あるいは「嘘」の捉え方がよくわからなくなってきたからです。

私自身には、友とか敵とかいう概念はあまりありません。
しかし、どうも世間の多くの人たちは、「友敵理論」に支配されているのではないかと思うことが最近多いからです。
たとえば、最近、湯島のサロンでフェミニズムが話題になりましたが、フェミニズムを語る女性たちの男性への敵対意識を強く感じました。
ウクライナ戦争への対応でも、国葬議論でも感じました。

嘘の問題も私の関心事です。
嘘と真実は敵と味方を分かつ基準を示唆しているとも思っています。
つまり嘘と真実はコインの裏表だと思っているのです。
そう考えると、アーレントが言うように、真実を語ることは反体制的な行為になることも納得できます。
さらに言えば、学問のあり方にもつながる話です。

そんなことから、シュミットとアーレントを改めて読みたくなったのです。

全く忘れていましたが、「真理と政治」にこんな話が出てきました。
ホメロスが、「イリアス」で、ギリシア側の行為ばかりかトロイア勢の行為をも歌い、自分と同族の英雄アキレウスの栄光のみならず、敵であるばかりか戦いに破れたヘクトルの栄光をも賞賛したようなことをあげて、「友と敵、勝利と敗北を平等な眼で眺めることのできた文明はそれ以外になかった」。そしてアーレントは、「この平等な眼は、人間の生の運命にとっては究極的なものであるとしても、ホメロス以来、人間の判断力の究極的な基準とは認められていない」と書いています。

日本にもこうした事例はあるような気がしますが、たしかにトロイ戦争ではヘクトルもアキレウスもいずれもが讃えられていて、そこには友と敵の「憎しみ」は感じられません。あえて言えば、友と敵をの呪縛を超えた「神の視点」(私はむしろ「生きる人間の視点」と捉えたいですが)がそこにはある。

私は、敵と味方という二元論をどう超えるかが大切だと思っています。
他者を敵と捉えたり味方と捉えたりしたとたんに、世界は小さく窮屈なものになってしまうような気がします。ただし「生きやすく」なるかもしれません、考えなくてもよくなりますから。

非難や否定からは何も生まれませんから、私はみんなで一緒になって創り出す「共創」を基本的な生き方にしています。そのために、どんな人や制度にも、そこにある私にとって共感できる「価値」を見つけ出そうとしています。
そういう生き方はいささか疲れます。

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2022/10/10

■湯島サロン「知識ゼロで挑む無門関パート3〈奚仲造車〉」報告

「知識ゼロで挑む無門関」第3回目は、第8則の「奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)」でした。車作りの名人が車を作った、そのうち車を分解し始めた。その意味するところは? という「公案」です。
参加者が4人と少なかったおかげで、じっくりと話し合える、ちょっと贅沢な気分のサロンでした。

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金子さんは最初に、禅とは何か、公案とは何か、を改めて解説してくれました。いかにも金子さんの思いを込めた解説だったので、とてもわかりやすかったです。あわせて、金子さんご自身が無門関を読み解く姿勢も紹介してくれました。

「公案」は、悟りにいたる手助けをするもので、考えることを考えさせてくれる。矛盾の中から知的な回答を導き出すよろこびをもたらしてくれる「知的言語ゲーム」と捉えると楽しい。だから、難解という罠に自分からおちないようにしないといけないと。
実は私は、このお題をいただいた時に、公案の「問い」さえつかめなかったのですが、金子さんのお話を聞いて、まさに「罠」に陥っていたことに気づきました。金子さんが案内に書いていた、「入門中の入門編」という意味が少し納得できたような気がします。

〈奚仲造車〉を金子さんがどう読み解いたかは、「ネタばれ」になりますので書きませんが、金子さんは読み解く前にまず、これまでの多くの人たちの読み解きを5つに整理してくれました。
実は、私がサロン前日の長い入浴中に行き着いた回答も、その中にあったのですが、金子さんは、この5つではない読み解きに至ったというのです。
そして参加者と話しながら、そこへと導き、最後にある3文字をホワイトボードに書きました。私の場合は、そこでそれこそ頭が解きほぐされた感じで、それまでのもやもやがすっきりしました。参加者のみなさんの指摘にも気づかされることが多かったです。

〈奚仲造車〉の読み解きは紹介できませんが、本題の前後のお話も興味深いものがありましたので、それを少し紹介します。

本題に入る前に金子さんは有名な国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」を見せてくれました。おそらく誰もが一度は見ているひょうたんとナマズがテーマの不思議な水墨画です。
その水墨画の上段には、京都五山を代表する31人の禅僧が寄せ書きしているのです。実はこの絵は、「ひょうたんでナマズを抑え捕ることができるか」という公案を示したもので、それへの答が漢詩で書かれているのだそうです。
つまりこれは公案問答大会の記録なのです。

それを知って、公案というものへの親近感が高まりました。公案の問いかけも、それへの答も、日々、いつでも身近にあるのだと気づいたのです。
自分の身の回りに、あるいは生活の毎日に、公案集は山のようにあるようで、それを知るだけでも人生が楽しくなるような気がします。

サロンの最後に、金子さんは図像学の話を少ししてくれました。実は、無門関とは別に、金子さんに「仏教図像学」のサロンをお願いしていたのです。
金子さんは、スターバックスのロゴマークを示してくれたのですが、サロン冒頭の瓢鮎図の話とつながって、私にはそこにも「公案」を感じてしまいました。
3回にわたり、金子さんから無門関のお話をお聴きしましたが、私の場合は3回目にしてようやく無門関の面白さに少し気づいた気がします。

また機会があれば、金子さんの無門関サロンはお願いしたいですが、今度は仏教図像学のサロンをお願いすることになりました。また日程など決まりましたらご案内しますが、公案的要素を含んだ金子さんの図像学サロンにご期待ください。

なお、〈奚仲造車〉を読み解いて金子さんが到達した「3文字」ですが、もしそこにたどり着いた人がいたら個人的にご連絡ください。個人的に○×でお答えいたします。そこからこの公案が読み解けていくかもしれません。それは、いまの時代においてもとても大切なことのような気がします。

 

 

 

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2022/10/06

■節子への挽歌5404:にこからのクリスマスプレゼントのアドバイス

節子
にこがやってきました。
手に、リカちゃん人形関係の商品パンフレットを持っています。
もしかしたら、と思っていたら、やはりクリスマスプレゼントのための欲しいもの紹介でした。
いまにこはいろんな人にプレゼント希望を割り振っているようです。

にこは、〇〇さんにはこれとこれを頼んだが、おさむさんはこれがいいと思うと言うのです。どうして〇〇さんは2つなのに、私は1つなのかと質問したら、だって、おさむさんはお金があんまりないようなのでと言われてしまいました。しかも、このリカちゃんの服は、2で始まるからおさむさんでも大丈夫だと思う、とも。
2で始まるというのは価格のところを読んでいるのです。
にこにまで見透かされてしまうとは困ったものです。

私自身はお金に関してはこれまで何も言ったこともないのですが、お年玉でお金をやらないことが影響しているのでしょうか。「なんでもいつでも何冊でも本プレゼント券」はやっているのですが。

わかった。でもクリスマスはだいぶ先なので、私は生きているかなあと言ったら、大丈夫だよ、と言われました。そんなわけで、クリスマスまでは私も死なないようです。

それにしてもまだ10月。
どうもにこは、プレゼントをもらうことよりも、もらうプレゼントを決めることの方がうれしいようです。
以前も一度、リカちゃん自動車をプレゼントすると決めたのですが、いざ買おうと思ったら、もういらなくなったと言われました。今回も果たしてクリスマスまで変わらないか微妙です。

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2022/10/05

■節子への挽歌5403:どこに行くのもサンダルとユニクロのシャツとパンツ

節子

急に寒くなりました。
こたつが欲しいほどです。

一昨日のオープンサロンでは、いささかがっかりすることがあったのですが、昨日、杉野さんと話して、元気が回復しました。
サロンもやめたい気分になっていますが、まあ気を取り直して続けようと思います。

コミーから東京会館での交流会の案内が届きました。
最近はそういう集まりにはいかないようにしていることもありますが、着ていく服装がありません。困ったものです。
そういえば、11月にもみのーれでの記念イベントがあるようですが、これも着ていく服がない。
最近は、どこに行くのもサンダルとユニクロのシャツとパンツですから、いかに形相でどうぞと言われても、困るわけです。

まあいずれも一応出席と連絡しているのですが、悩ましい話です。

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■10月オープンサロン報告

10月のオープンサロンは平日だったにもかかわらず、10人を超す参加者でした。
最近は、湯島のサロンに集まる人たちは平日のほうが都合がいいようです。
コロナ流行以来、平日働いている人たちのサロンへの参加が減っています。

いつものように、テーマなしでしたが、前日のサロンの延長のような話で盛り上がってしまいました。しかもなかなか終わらずに、予定時間の倍の4時間サロンになってしまいました。
オープンサロンは、テーマサロンと違い、話す(放す)スタイルで、語る(象る)ことを目指していませんから、気楽な放談会なのですが、コロナもあって最近は「思いを放す場」が少なくなっているのかもしれません。

話題は、SNSによって同調意識が自分にも出てきた気がするというような話から始まり、学校や教育、会社や仕事、地域共同体の窮屈さと豊かな暮らし、そこからハラスメントやハラスメント・ハラスメント、さらにはフェミニズムやジェンダー論。価値観の世代継承……と広がっていきました。
論点はさまざまでしたが、大きな論点は、「すべてがお金と紐ついてしまった社会」の中で考えるか、そこから離れて考えるか、だった気がします。当然ながら、後者は圧倒的に少なかったように思います。それが直接テーマになったわけではありませんが。

私にはもう死語になっていると思っていた「お茶くみ仕事」という言葉が出たのが意外でした。しかもそれが女性の仕事として捉えられていたのに驚きました。しかし、後でネットで調べたら、いままたこの言葉が話題になっていることを知りました。

私はこの言葉に、「すべてがお金と紐ついてしまった社会」や「ジェンダー問題の本音」が象徴されているような気がします。
今回のサロンでも、私の実体験から、会社の仕事の中でも経営計画づくりよりも「お茶くみ仕事」が大切だと思うと発言したのですが、批判されてしまいました。なんだか、湯島のサロンを否定されてしまったようで、さびしくなりました。

湯島で仕事を始めた時に、会社時代の体験を踏まえて一番重視したのが、まさに「お茶を出すこと」でした。
来客には必ずお茶か珈琲、時には紅茶を出しました。当時は時々、妻が来てくれていたので、妻がいるときには彼女がお茶を出しましたが、珈琲は私の担当でした。珈琲メーカーなどは使わずに、きちんと自分の手で淹れていました。

その珈琲を飲みに来てくれる人も出始め、それが湯島のサロンのきっかけのひとつでもあったのです。しかし、参加者が増えてくると、いちいち、自分で淹れることは難しく、次第に珈琲粉になり、珈琲メーカー依存になっていき、ついにはペットボトルになってしまっています。最近は、個人の来客にも「お茶を出す」ことが少なくなってしまいました。そのせいか、自分でペットボトルや水筒を持ってくる人も増えました。私にはこれもさびしいことなのですが。

相手が出してくれたお茶を、何の疑いも持たずに飲むことが、大きな意味を持っていると私は思っています。お茶を出す人は、そこに毒を入れることもできるのですから。そう考えていくと、お茶くみ仕事の大切さがわかってくると思うのですが。
たしかにお茶くみ仕事はお金には直接つながっていないかもしれませんが、私にはとても大切な仕事だと思えます。。

もう一つ知ったのは、女性たちも、お茶を出すのは若い女性がいいと思っていることです。私にはそんな感覚は皆無ですし、そもそもお茶くみ仕事は女性の仕事と思うこと自体がおかしい。茶人はむしろ男性が独占していた時代もありますし、いまもお茶出しを大切な仕事だと思っている人は、性や若さなどには無縁です。

フェミニズムやハラスメントの話も少し炎上しかけました。
ハラスメント・ハラスメントとは、「自身が不快だと思う他者の行為や言動を「〇〇ハラスメントだ」と主張する嫌がらせ行為」を指すようですが、まさにそうした「ハラハラ症候群」が広がっているような気がします。
そうした動きは、仲良く暮らしていけるという感覚よりもむしろ、仲良く暮らしていくのが苦手だという感覚を助長しているという意見が最近、海外では広がり、トランスジェンダー問題や人種問題などに関しても、行き過ぎの見直しが広がっているようですが、日本では相変わらず、「マイノリティ」に味方する「社会的正義」の視点からちょっとした言葉じりを捉えて糾弾する動きが続いています。
私の友人知人にも、そうしたことで人生を変えてしまった人がいますので、私も決して他人事ではありません。

現実の問題点や限界を非難するだけではなく、現実の中に共感できるところを見つけて、そこを伸ばしていくように尽力する生き方へと、日本も反転してほしいと思います。

他にもいろいろなことに気づかせてくれたサロンでした。
4時間サロンは、いささか疲れましたが。

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2022/10/04

■節子への挽歌5402:杉野さんの王秋

節子

すぎの梨園で王秋が出荷し出したので、ユカと一緒に分けてもらいに行ってきました。
すぎの梨園との縁をつくってくれたのは、節子ですが、いまも毎年お世話になっています。
節子は幸水好きでしたので、王秋は知らないでしょう。
節子が逝ってしまってから数年してから杉野さんが手がけはじめた品種ですから。
長持ちする品種で、うまくいけば年明けまで持つのです。

お店ではなかなか見つからず、昨年は見つけそこなっているうちにもう終わったと杉野さんから教えられました。
今年は数日前に杉野さんがフェイスブックで王秋が始まったと書いてあったので、杉野さんも出荷している柏の道の駅に買いに行こうと思ったのですが、売り切れることもあるので、と杉野さんがわざわざ教えてくれたので、今日、すぎの梨園まで分けてもらいに行ってきたのです。

むかしは、梨と言えば数種類しかなかったような気がしますが、いまは杉野さんのところでもなんと20品種も手掛けているそうです。
だからかもしれませんが、なかなか好みの品種を手に入れるには注意していないといけません。タイミングを失すると好みの品種に出合えなくなりかねないのです。
今日は、ユカが秋月がまだあるかなと言っていましたが、もう終わっていました。

いまは息子さんが中心で経営されていますが、息子さんと話していたら、杉野夫妻も出てきました。
奥さんは、加工事業を手掛けていますが、最近で来た道の駅の客層が若返ったので、加工品需要が急増し大変なようです。
杉野さんはこの数年ヒマワリ栽培に取り組んでいましたが、来年から栗に取り組むそうです。
それを聞いたユカが目を輝かせました。
なにしろ栗が最高の好物ですから。

その話をしたら、杉野さんが自動栗皮むき機があるので実演してやると言ってくれました。これが実に面白い。そして皮をむいた栗をお土産にくれました。
そんなわけで今夜は栗ご飯になりました。

帰宅後、王秋をすぐに節子に供えました。
気っと気に入ってもらえるでしょう。

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■20年ぶりにかっぱ寿司に行きました

連日テレビでかっぱ寿司の前社長の不正行為が話題になっています。
いつもならこういう会社は、ボイコットするのが私の姿勢なのですが、今回はなぜか応援したくなりました。
経営陣の不祥事ですが、実際に店舗で働いている「非正規雇用」の人たちには関係ない話だと割り切ることにしました。
それで応援したくなったのです。

それで娘に頼み込んで久しぶりにかなり遠くにあるかっぱ寿司に行きました。
かっぱ寿司には話題になり始めた頃、一度だけ行ったことがありますが、以来、20年以上行ったことはありません。

大きな店舗で、店舗自体には清潔感がありましたが、お客様はまばらでした。
いつもの状況を知らないので、比較はできませんが、何となく活気がない気がしました。
仕組み上の問題点はいくつか気づきましたが、そんなことは店舗側はもうすでに知っていることでしょう。
残念ながらお寿司自体は私の好みではなく、あまり食べられませんでしたが、それでも頑張って食べました。まあそんなことでは応援とは言えませんが。
何かできることがあれば考えたいと思っています。

ところで会計時、お店の人に事件の反響はどうですか、と質問したかったのですが、一緒に行った娘から止められました。それに聞いたところで、私にできることが見つかるとは思えないのでやめましたが、本当はエールを送りたかったのです。

外食産業、とりわけチェーン店に関しては、コスト競争の激しさに大きな違和感があります。
農業には、CSA、地域で支える農業という仕組みがありますが、食に関しても「地域で支える食事どころ」という発想がもっとあってもいいと思います。コスト発想だけではなく、そういう発想でレストランや食堂をパラダイムシフトしたら、みんな幸せになるのになあといつも思っています。

コストに縛られない、地域に支えられ、地域を支える個店が、テレビで時々話題になりますが、もうそろそろコスト至上主義から解放されたいものです。

みなさんの近くにもしかっぱ寿司があれば、ぜひ一度行ってみてください。
私はまた行こうと思っています。
少なくとも、かっぱ寿司を嫌わないでほしいです。
これまでの私の主張とは必ずしも整合しないように思われるかもしれませんが、一応、私の中ではつじつまは合っているのです。
よろしくお願いします。

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■湯島サロン「企業で働くということ」報告

「働くこと」というテーマでのサロンは、前にも開催しましたが、今回は数か月前まで会社で働き、いまは退社し、次の仕事探している40代前半の横山さんに、ご自身の「働いていた時の体験」や「仕事観」などをお話しいただきました。

横山さんは、入社した日の「カルチャーショック」的な驚きから話を始めてくれました。と言っても、そもそも会社に入るまで、会社の「文化」など知らずにいる若者がほとんどですから、カルチャーショックというのもおかしいですが、学校時代の世界とは違った世界だということ、そしてそれに新入社員はすぐになじむのだということに驚いたと言います。

横山さんは学校の卒業式の関係で、みんなよりも2日ほど遅れて、新入社員教育に参加したそうですが、横山さんが参加したその日にはすでに初日から参加していた人たちは、その会社の社歌を覚えて歌ったのだそうです。横山さんがみんなと同じように最初から参加していたら、そういう驚きは持たなかったかもしれません。

それにつづいて、入社1か月間の話を話してくれました。会社は、たぶん新入社員に早く会社になれてもらうためにと、社員旅行やイベントなどいろいろと考えてくれたのでしょうが、横山さんにとっては、3日しか休めなかったという思いだったようです。特に新入社員教育に組み込まれていた自衛隊での合宿研修は強烈だったようです。

それから20年間、かなりハードな状況で働き続け、管理職になるのですが、あまりにハードな仕事のために体調を崩し、自ら辞めることにしたそうです。
体調を崩すほどのハードな働き方とはどんなものだったかを、横山さんは具体的にいろいろと話してくれました。社会に知れたら問題になるようなこともあったでしょう。
しかし、ほかの会社のことを知らない新入社員たちの多くは、会社で働くとはこんなものなのかと思うのでしょう。最近では転職も増えてきましたし、マスコミやネットでの情報も多いので、自分の会社の労働条件を相対化できますが、横山さんの入社した20年前は、いまほどではなかったでしょう。それに仕事は忙しく拘束時間も長いので、そんなことを考える余裕はなかったのかもしれません。

入社後1か月の話に続いて、横山さんは、その後の20年の働きぶりも話してくれました。目標を達成しなければいけないというプレッシャー、上司によって職場の雰囲気も働きやすさも変わってくること、年功序列と終身雇用という日本の企業文化のために現場で働かずに管理の仕事をする人が増えていくこと、それによって現場で働いている人たちにとっては、むしろ働きにくくなることが多いことなどなど、そういうことを具体的に話してくれした。

横山さんは、しかしそういう長時間労働の「ブラック」とも言いたくなるような会社だったけれども、社員同士のつながりや達成感など、いいこともうれしかったこともあったと言います。そうしたことは、一人では達成できないことかもしれません。
直接、横山さんが話したわけではありませんが、20年間、会社で働く中で、横山さんの考えも豊かになってきたように思いました。
そして、40代で、結果的に横山さんは生き方を変えたわけです。
私も40代後半で、会社を辞め、生き方や仕事観を一変しましたが、それができたのは25年間の会社勤めのおかげだという気がしていますので、横山さんの話にはとても共感できました。

横山さんの話で印象的だったのは、決して、会社を「非難」しないことでした。ブラック的な要素の話もしましたが、よかったこと、学んだことも話してくれました。
さらにもしこれから仕事がなかったら、またその業界に戻れるという話もしてくれました。ある意味での生きる力をそこから得たようです。
非難や愚痴の多いいまの時代にいささか辟易している私としては、横山さんの主体性のある前向きな姿勢にうれしくなりました。

最後に、横山さんは参加者に「仕事の報酬は何だろうか?」と問いかけました。
横山さんは会社時代は仕事の報酬は金銭(給与)だと漠然と考えていたようですが、こういう問いかけをするということは、横山さん自身はその考えに疑問を持ち出しているのでしょう。
20年間の会社生活を振り返った時、横山さんはそれに気づいたのではないかと勝手に想像してしまいました。

参加者の答は、人とのつながり、顧客の喜び、自らの達成感、あるいは一人ではできないことを会社という仕組みで実現すること……、とそれぞれでしたが、金銭と答えた人はいませんでした。

私自身は、仕事は本来楽しいものだと考えています。
しかし、金銭依存の社会になり、お金を稼ぐことが仕事とされてからは、仕事は「言われたことに対応すること」になってしまってきたように思います。
仕事そのものは価値を生み出すものではなく、単なる作業になってしまい、仕事の喜びとは切り離されてしまいました。しかも最近では、ボランティア活動も有償でなければやらないと言う人さえ出始めました。

お金と仕事とを切り離せば、仕事や働くことの意味は大きく開けていきます。
それに、「与えられたことをこなすことが仕事ではない」と考えれば、どんな仕事にも、自らの思いを入れこむことができ、面白さや価値は見つけ出せるはずです。

横山さんはいま、新しい資格も取りながら、新しい仕事探しをしています。
会社にまた入るのか、仲間と起業するのか、故人で何か始めるのか、お聞きしていませんが、横山さんが5年後、10年後、どんな仕事に取り組んでいるか、とても関心があります。私も長生きしなければいけません。

横山さんのお話を聞いていて、仕事や働く意味を考えるサロンを引き続きやりたくなりましたが、同時に、1020代の若い世代だけではなく、3040代世代も大きく変わりだしていることを実感させてもらいました。
最近、コロナもあって、会社で働いている人たちが湯島のサロンに来ませんが、会社で働いている人の話を聞いてみたくなりました。

どなたか話に来てくれませんか。

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2022/10/03

■節子への挽歌5401:シーズンオフのメロン

節子

もう2週間ほど前の話ですが、ベランダに育っていたメロンがかなり大きくなり収穫しました。
8月に食べたメロンのタネを播いていたのが育ったのです。
畑には苗を買ってきて植えていましたが、これは育てそこなってだめになっていましたが、ベランダのは毎日声をかけていたおかげかも知れません。

約束通り、枝から切り取るのはにこの仕事でした。
収穫後、切ってみましたが、意外と色づいていました。
姿かたちもなかなか立派です。

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もっともにこも私も食欲を催すまではいたりませんでした。
一口食べてみたら、案の定、甘さはなく、にこも口にしませんでした。
結局、娘に浅漬けにしてもらいました。

畑にはもう一つなっていました。
畑の方は毎日の声掛けがないせいか、あまり大きくはなっていませんでした。
先日行った時には薮の中で姿が見えませんでした。
今度行った時に探してみようと思います。

来年に向けて、今年はメロンとスイカのタネを数粒残しました。
畑はやめてベランダで育ててみようと思います。
節子がいたら食べられるメロンを育てていたかもしれません。

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■政治と宗教に関して問題提起してくれる人はいないでしょうか

自民党と「統一教会」とのつながりに関しての報道はどうも違和感があります。
私の感覚とは大きくずれています。
何をいまさらという感じがしてなりません。
「何をいまさらという」というのは、最近のマスコミ報道すべてに関して私が感じていることですが。

この種の話は、これから縁を切ればいいというような話では全くありません。
その縁によって選ばれたとすれば、それこそを無効にすべきだろうと思います。

さらにいえば、宗教法人というだけで、ある信頼感を得られるはずです。
しかも宗教法人に認定されれば、税制面でも優遇されます。
そこにまさに政府が加担しているとも言える気がします。
つまり宗教組織と政権の利害はつながっているのです。

私自身は、そもそも宗教と政治は切り離せないと思っています。
いずれも強い理念性と暴力性(呪縛性)をもっているからです。
政教分離が古来大きな話題になっていることがその証です。

統一教会だけが問題にされていますが、すべての宗教組織につながる問題ではないかと思います。
もっとも「統一教会」を宗教組織というかどうかは、また別の問題ですが。

この問題も湯島のサロンで取り上げたいのですが、その取り上げ方が難しいです。
抽象的な「言葉のやりとり」にはしたくありません。
どなたか自らの体験をベースに問題提起してくれる人はいないでしょうか。

 

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2022/10/02

■節子への挽歌5400:にこの運動会

節子

今日はにこの通っている幼稚園の運動会です。
朝早く、にこ親子3人は出かけました。
むかしは家族総出というのが運動会でしたが、コロナ流行以来、参加者数が限定され、両親や兄弟姉妹しかだめなのだそうです。
まあ節子がいたら、そう言われても行ったでしょうが。

にこは運動が大好きです。
いまもチアダンスや新体操に通っているほどですし、ともかくいつもちょこちょこ動いています。
今日も朝からハイテンションでした。

今日は運動会日和の秋晴れです。
暑い夏も終わり、節子の好きな紅葉の秋です。
私は今年も紅葉狩りには行かないと思いますが。

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■第19回益田サロン「人間の知能がジフテリア菌の毒素に似ているか」のご案内

前回の報告で予告させてもらいましたが、今回のテーマは、「人間の知能はジフテリア菌の毒素に似ているか」です。

前回のサロンで、ジフテリア菌が話題になり、ファージが入ったらジフテリア菌は、その負担によって滅亡するはずなのに、毒素はその負担を解消してくれる。人もただ脳みそが大きいだけで知能が低かったら、腹ばかり減らしているろくでなしという事で葬り去られるのと同じ。だから知能と毒素の比喩は面白い、と益田さんは言いました。

毒素遺伝子が生き残るためにはファージの存在があればこそなのですが、ファージと毒素とどちらが先に出現したかと言えば毒素だろうと益田さんは言います。
ファージの起源はまだわからないことが多いようですが、毒素を環境とするような存在と考えることもできる。環境が先か生命が先か。とても興味あります。
ここで思い切り発想を跳ばせば、環境もまた生命という、たとえば「ガイア理論」なども思い出してしまいます。

益田さんはこう言います。
知能は人間の発達した脳がなければ存在できないだろうが、脳だけが大きくなって知能が伴わない個体は生きていけなかった。
生物が環境を生み出すのか、環境が生物を生み出すのか、そもそも生物と環境とはどういう関係なのか、関心は際限なく広がりそうです。
こうやって発想を勝手に広げることは、益田さんに言わせると「文系発想」なのかもしれませんが。

いよいよ話の舞台が人間社会になってきました。
ファージやジフテリア菌や毒素についての理系的理解がなくても、話し合いやすくなってきました。

それにしても、「知能は毒素?」というのは刺激的な問いかけですが、ここにも益田さんの仕掛けた罠がありそうです。どんな話の展開になるか楽しみです。

話の論点は、参加者によって大きく変えられるのが益田サロンの面白さの一つです。
ぜひさまざまな人の参加を期待しています。

〇日時:2022年10月23日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「人間の知能がジフテリア菌の毒素に似ているか」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2022/10/01

■映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」を観ました

今日は疲労回復のための休養日と決めて在宅していましたが、在宅して何もしないのは退屈で休養になりません。休養というのは難しいものです。

それで午後、先日録画していた映画「モーリタニアン」を観てしまいました。
昨年公開されたジョディ・フォスター主演の映画で、9.11後、グアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づいて映画化した法廷サスペンスドラマです。
https://kuronuri-movie.com/
あまり評判は高くなかったのですが、アメリカがどのくらい事実を公開するのを許容するのかに興味を持っていました。

映画としては、正直、退屈でしたが、アメリカと日本の違いを改めて感じました。
グアンタナモ収容所の実情が、実に生々しく描き出されているのです。
もちろんそれに対する政府の対応も、ラムズフェルドはもちろん、ブッシュのみならずオバマの対応も、です。国家政府というものの恐ろしさや陰謀が明らかにされているのです。
「陰謀」という言葉を使うと、日本ではまだきちんと聴く耳を持たない人が多いですが、「陰謀論」はともかく、「陰謀」は政治の世界ではいつの時代も日常茶飯事のはずです。そこへの想像力を持つためにも、映画や小説はとても大切です。

この映画のサブタイトルには「黒塗りの記録」とありますが、情報公開されたほとんど黒塗りの文書の原本はしっかりと残されていて、しかもある手続きできちんと読めるのがアメリカのようです。
日本と違い、政府がきちんと記録文書を管理しているうえに、それを読もうとする人がいて、その気になれば読めること。しかも、それを題材に映画を作る人がいて、政府もそれを認めていること。官僚組織が崩れてしまった日本とは全く違います。
まあそれに感心させられたのです。

映画としては私には退屈でしたが、検事側に立つベネディクト・カンバーバッチが好演していました。宗教と政治の関係を考える上でも、とても示唆に富むものでした。
ちなみに、「モーリタニアン」がグアンタナモ収容所から解放されたのは2016年。まだ6年前の話なのです。

私たちは、そういう社会に生きているのです。

 

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■節子への挽歌5399:畑が悲惨な状況になっていました

節子

今日は疲労回復のための休養日だったのですが、在宅に退屈して夕方、畑に行ってみました。作業をしないように、いつものサンダルとTシャツで行きました。

そこで目にしたのは悲惨な状況でした。
野草は元気を取り戻し、まったく土は見えない状況ですし、サンダルではつる草が引っかかって転びそうになるほどでした。

畑は悲惨で、キュウリとナスとミニトマトは全滅。秋キュウリがだいぶ育っていたのですが、なぜか姿も見えません。
幸いに大根と白菜?は元気でしたが、間引かないといけません。
道沿いの花壇は百日草とコスモスが元気で野草を寄せ付けていませんが、そこ以外は琉球朝顔が埋め尽くしています。なぜか花があまり咲いていませんが。

この野草と立ち向かう元気は出てこない気がしてきました。
節子は畑もどき仕事が好きでしたが、私にはやはりどうも持続力がありません。
疲れを癒そうと畑に行ったのですが、逆にどっと疲れが出て来てしまいました。
今年もまた昨年に続き、野草との戦いに敗れてしまいました。

どうも私は戦いには向いていないようです。

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■節子への挽歌5398:映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」を観てしまいました

節子

今日は疲労回復のための休養日と決めて在宅していましたが、在宅して何もしないのは退屈で休養になりません。休養というのは難しいものです。

それで午後、先日録画していた映画「モーリタニアン」を観てしまいました。
昨年公開されたジョディ・フォスター主演の映画で、9.11後、グアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づいて映画化した法廷サスペンスドラマです。
https://kuronuri-movie.com/
あまり評判は高くなかったのですが、アメリカがどのくらい事実を公開するのを許容するのかに興味を持っていました。

映画としては、正直、退屈でしたが、アメリカと日本の違いを改めて感じました。
グアンタナモ収容所の実情が、実に生々しく描き出されているのです。
もちろんそれに対する政府の対応も、ラムズフェルドはもちろん、ブッシュのみならずオバマの対応も、です。国家政府というものの恐ろしさや陰謀が明らかにされているのです。

「陰謀」という言葉を使うと、日本ではまだきちんと聴く耳を持たない人が多いですが、「陰謀論」はともかく、「陰謀」は政治の世界ではいつの時代も日常茶飯事のはずです。そこへの想像力を持つためにも、映画や小説はとても大切です。

この映画のサブタイトルには「黒塗りの記録」とありますが、情報公開されたほとんど黒塗りの文書の原本はしっかりと残されていて、しかもある手続きできちんと読めるのがアメリカのようです。
日本と違い、政府がきちんと記録文書を管理しているうえに、それを読もうとする人がいて、その気になれば読めること。しかも、それを題材に映画を作る人がいて、政府もそれを認めていること。官僚組織が崩れてしまった日本とは全く違います。
まあそれに感心させられたのです。

映画としては私には退屈でしたが、検事側に立つベネディクト・カンバーバッチが好演していました。宗教と政治の関係を考える上でも、とても示唆に富むものでした。
ちなみに、「モーリタニアン」がグアンタナモ収容所から解放されたのは2016年。まだ6年前の話なのです。
私たちは、そういう社会に生きているのです。

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■節子への挽歌5397:今日は安息日にしました

節子

昨日は本当はのんびりできる日でした。
ところが思ってもいなかったことが起こり、お昼頃からバタバタしてしまいました。
帰宅したのは4時過ぎですが、夏バテがようやく解消したと思っていたのに、帰宅した途端に疲れがどっと出て来てしまいました。

昨日は午後、湯島の集まりに参加する予定でしたが、それにも行けませんでした。
参加していた人に参加できなくなったと伝えたら、こんなメールが来ました。

気力が体力に勝っていると限度越えて疲れるまで頑張ってしまうので年取ると危険ですね。

今回はつくづくそれを実感しました。
体力だけではなく、今日は頭の後ろも痛いし、思考する気力さえ出てこない。
そろそろ自重すべきかもしれません。

私は、いつも自分を見ている自分にも気づいていて、少なくとも3人の自分を意識しているのですが、一番身体につながっている自分が基本的には主役になっていて、時に歯止めがきかないことがあるのです。
その3人は足並みがそろっていないばかりか、必ずしもいつもいるわけではないのです。それで時々、倒れてしまうわけですが。
困ったものですが、まあそれでもこれまでは何とかやってこられましたし、それが面白かった。

でもどうも最近は、少し自重しなければいけなさそうです。
3人の誰が自重しないといけないのかよくわかりませんが、いよいよ4人目の自分を生み出さないといけないのかもしれません。

いずれにしろ今日は、おとなしく自宅で休むことにしました。
ややこしい話は、今日は来ないことを祈りながら。
晴れているので、1日、空を見上げているのもいいかもしれません。

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