■節子への挽歌5442:悪夢の夜
節子
退院して2日ほど、食事には気をつけ、我慢しておかゆを食べていました。野菜中心の胃腸に優しい食事です。甘いお菓子類も一切、禁止。
そのおかげで体調はだいぶ戻ってきました。
この土日は、孫のにこが毎日仮想的な服装で友だちと一緒にハロウィンを楽しんでいるようです。なかなか会う暇もありません。
それもあって、私の退院祝いも兼ねて、にこの好きな回転寿司にみんなで行こうかと提案したのですが、普段はあまり賛成しない娘もなぜか簡単に賛成し、ハロウィン騒ぎの合間にみんなで近くの回転寿司に行くことになりました。
食事に関しては、ともかく脂っぽいものや甘いものは控えるように言われていましたので、お寿司はあまり脂ののっていないものなら問題ないと思ったのです。
いつもほどではありませんが、私もついついみんなに合わせて、お寿司を食べてしまいました。
まあそこまではよかったのですが、夕方からお腹が張り出し、胃痛を少し感ずるようになりました。
それで夕食は野菜を少し食べるだけにし、早めに就寝しました。
そして悪夢が始まりました。
次第に胃の鈍痛が激しくなり、苦しくなったのです。
感覚として、なにやら内臓がすべて機能をやめてしまい、止まっているような気がしだしました。
しかも状況はだんだん悪くなる。
娘にいえば、たぶん病院に連れていかれそうなので、なんとか身体機能が回復するように念じながら、ともかく深呼吸を繰り返しました。
それにしても苦しい。眠るどころではありません。
病院では一瞬たりとも考えることのなかった、病の辛さを始めて感じました。
死への恐怖は私の場合、ほとんどないのですが(妻の死とともに私の場合、死への恐怖は消え去っています)、ほぼ眠ることなく明け方を迎えました。
再入院は絶対避けたいことなので、なんとか娘が起きてくるまでに、回復へと向かっていなければいけません。だが自体は一向に良くならない。
なんでお寿司なんて食べてしまったのだろうと自らの不注意を後悔しました。
一番の反省は、娘たちを巻き込んでしまったことです。また過剰な迷惑をかけてしまいます。それでなくとも、娘からは、もう来世はお父さんとは関わりたくないと言われているのです。
明け方になって、少し状況が落ち着いてきました。
そして、急に吐き気を催し、トイレであげてしまいました。かなりの量でした。
お寿司以来の食事のすべてを出し切った気がしました。
それもかなり消化されていたので、消化器官は精いっぱい頑張ってくれたのでしょう
それであんなに苦しかったのでしょう。
でも腸へと流せなかった。
あげたおかげで苦しさは解消されました。
さてどうするか。
私の夜の奮闘を知らない娘が起きてきて、声をかけてくれましたが、正確に伝えると病院に連れていかれるでしょう。
今日は寝ていると言って、ようやく少し眠りに入れました。
とまあ、ひどいことになってしまったのです。
節子がいたらこんなことにはならなかったでしょうか。あるいは救急車が呼ばれて再入院してしまっていたでしょうか。
それにしてもあまりにお粗末な話で、それこそ誰にも言いたくない悪夢でした。
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