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2022/10/12

■対立よりも共創

久しぶりに昔読んだ2つの政治関係の論文を読みました。
カール・シュミットの「政治的なものの概念」とハンナ・アーレントの「真理と政治」です。最近、「友」と「敵」、あるいは「嘘」の捉え方がよくわからなくなってきたからです。

私自身には、友とか敵とかいう概念はあまりありません。
しかし、どうも世間の多くの人たちは、「友敵理論」に支配されているのではないかと思うことが最近多いからです。
たとえば、最近、湯島のサロンでフェミニズムが話題になりましたが、フェミニズムを語る女性たちの男性への敵対意識を強く感じました。
ウクライナ戦争への対応でも、国葬議論でも感じました。

嘘の問題も私の関心事です。
嘘と真実は敵と味方を分かつ基準を示唆しているとも思っています。
つまり嘘と真実はコインの裏表だと思っているのです。
そう考えると、アーレントが言うように、真実を語ることは反体制的な行為になることも納得できます。
さらに言えば、学問のあり方にもつながる話です。

そんなことから、シュミットとアーレントを改めて読みたくなったのです。

全く忘れていましたが、「真理と政治」にこんな話が出てきました。
ホメロスが、「イリアス」で、ギリシア側の行為ばかりかトロイア勢の行為をも歌い、自分と同族の英雄アキレウスの栄光のみならず、敵であるばかりか戦いに破れたヘクトルの栄光をも賞賛したようなことをあげて、「友と敵、勝利と敗北を平等な眼で眺めることのできた文明はそれ以外になかった」。そしてアーレントは、「この平等な眼は、人間の生の運命にとっては究極的なものであるとしても、ホメロス以来、人間の判断力の究極的な基準とは認められていない」と書いています。

日本にもこうした事例はあるような気がしますが、たしかにトロイ戦争ではヘクトルもアキレウスもいずれもが讃えられていて、そこには友と敵の「憎しみ」は感じられません。あえて言えば、友と敵をの呪縛を超えた「神の視点」(私はむしろ「生きる人間の視点」と捉えたいですが)がそこにはある。

私は、敵と味方という二元論をどう超えるかが大切だと思っています。
他者を敵と捉えたり味方と捉えたりしたとたんに、世界は小さく窮屈なものになってしまうような気がします。ただし「生きやすく」なるかもしれません、考えなくてもよくなりますから。

非難や否定からは何も生まれませんから、私はみんなで一緒になって創り出す「共創」を基本的な生き方にしています。そのために、どんな人や制度にも、そこにある私にとって共感できる「価値」を見つけ出そうとしています。
そういう生き方はいささか疲れます。

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