■節子への挽歌5440:病院日記35:なによりの薬
退屈な病院生活日記もいよいよ最終回です。
帰宅して、気になっていたイタリアのテレビドラマ「DOC」を観ました。
記憶喪失になった病院の元医長をめぐるヒューマンドラマです。
https://www.nhk.jp/p/doc-karte/ts/WL5QPY99G7/
その第3回で、夫の見舞いに来た老妻に、医者が「奥様はなによりの薬だ」と言って、独断で最後の一夜を一緒に過ごさせてやるのです。妻に語り掛けられながら夫は息を引き取ります。しかし平安な死です。
まあこれだけ読んでも何も伝わらないでしょうが、入院患者への「なによりの薬」はやはり家族や友人が隣にいることです。
いまの日本の病院のように、コロナを理由に面会禁止をつづけていていいのか。
今回、実際に入院してみて、改めてそのおかしさを感じました。
同室の若いBさんも、マスクをし、それなりに工夫をすれば面会できるはずなのにと話していました。彼のような若者は特に、一番大変な時に妻が横にいてくれるだけで違うでしょう。高齢のÅさんも、毎晩電話する話を聴いていて、双方の辛さが伝わってきました。
ドラマ「DOC」は、イタリアの話ですが、入院体験をしてすぐに見ると、日本の病院がいかに遅れているかがわかります。まあイタリアのような先進地と比べるのはどうかとは思いますが、「人間」が失われた病院は、病気製造工場になりかねません。
今回の体験でも、ナースやスタッフがどれほど献身的に患者に対応しているかは伝わってきます。寝たきり患者の生活面のケアは、本当に頭が下がります。私にはとてもできそうもありません。
しかし、個々の人の対応ではなく、どこかで大きな人間的な心配りが抜けている。
一番の治療薬、回復薬が欠けているように思えてなりません。
今回の入院で感じたことの一つがそれでした。
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