■節子への挽歌5417:病院日記12
私にとってだけなのですが、問題が発生しました。
お迎えさんが、たぶんスマホで留守電のメッセージを繰り返し聞くのです。
それも四六時中です。もちろん同じものばかり。
最初は気にならなかったのですが、こう続くといささかイライラし、それが気になるともう何もできない。デイルームに逃げるしかない。
今の階の患者たちは高齢者も多く、リハビリをしている人もいますし、かなり認知度が低下した人もいます。逆に若い人がかなり状況が深刻で、寝たきりだったりしています。
徘徊ならぬ、運動のために病院内を散歩のように定期的に歩いてる人もいる。私もその一人ですが。
そこで気づいたのですが、高齢者の徘徊が起こるのは、運動しなければいけないという意識からなのではないか。だとしたら、家族は適度に運動できることを考えてやれば解決するのではないか。まあ、そんなに甘い話ではないかもしれませんが。
またお向いさんの繰り返し音声が始まりました。
これももしかしたら、話したいということかもしれません。
軽い運動が自然とできる仕組み、話し合う機会。
病院はそういうこと考えていくことが必要なのかもしれません。
もちろん過程においても、ですが。
ところで外がなにやらにぎやかになってきました。
見舞客は禁止なのに、どうしたことでしょう。
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