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2022/10/21

■第23回万葉集サロン「憶良は「生」に苦悩する人間をどう超えようとしたか」報告

万葉集サロンは、いよいよ山上憶良に入りました。

仏教が盛んだった時代の歌が多いにもかかわらず、万葉集には仏教を感じさせる歌は少ないのですが、憶良には、仏教色、さらには儒教色、つまり大陸の文化を感じさせる歌が多く、憶良は特異な存在と言われています。
今回は、その憶良の、「敬和為熊凝述其志歌」(5-886891)と「老身重病経年辛苦及思児等歌七首」(5-897903)を中心に、まずは憶良とはどういう人だったかを紹介してくれました。
1首目は若くして病で亡くなった大伴熊凝を歌ったもの、2首目は無心に遊ぶ子供を見ていると生への執着に心が燃えてくるという歌です。

歌を読む前に、時代背景と子どもの頃大陸からの渡来した憶良の人生を解説してくれました。話は、憶良が自然を詠んだ歌「秋野の花を詠む歌2首」と生き方に触れた歌2首を読むことから始まりました。前者は秋の七草をうたった歌ですが、後者は憶良の生き方を示唆しています。
つづいて、憶良の歌に一貫するテーマとして「老病死」や「生きにくさ」「家族への思い」を支える憶良の思想の土台として、万葉集に収められている「沈痾自哀(ちんあじあい)文」の要点を説明してくれました。
これは憶良が最晩年に病の中で書いた文章だそうですが、漢文で書かれています。

万葉集にこういう文章が含まれていることを私は全く知らなかったのですが、升田さんが説明してくれたように、これはまさに大陸の仏教や儒教のエッセンスと言ってもいい内容です。そしてこれが憶良の精神的基盤であり、この理念を憶良は歌に顕現させたのではないかと升田さんは説明してくれました。
こうしたことがはっきりと感じられるのが、「敬和為熊凝述其志歌」です。

序の漢詩に教理を書いて、和歌でいかにしてこの世に、その教理を顕現されるのかを示す。そこでは、理の世界(漢詩)と情の世界(和歌)の融合がはかられているばかりか、歌の詠み方の手本も示している。つまり歌に対する憶良の姿勢が現れている。
こういう思想背景と、憶良の人物像を踏まえて、憶良の歌を読んでいくと、これまでとは違った世界が見えてくるように思います。

このあたりを詳しく紹介できないのが残念ですが、今回のサロンのテーマとして升田さんが「憶良は「生」に苦悩する人間をどう超えようとしたのか」という問いかけの意味がよくわかります。

升田さんは、さらにいくつかの歌を読みながら、生きるとは何か、死とは何か、を問うたのは憶良が最初だと教えてくれました。
万葉集の多くの歌は、むしろ集団の意志や感情を表現するものが多いのですが、憶良は初めて個人として生老病死や愛苦を詠じているわけです。

憶良は集団行動が苦手な自由人だった。そして、集団の中にいても、いつもしっかりした自分を持っている。しかし憶良は、孤独や孤愁は詠んではいない。いつも誰かにみんなが抱えている問題を問いかける人だったようです。
それによって、「た」の中に自分を見つめる目が生まれ、他人も見えてくる
一見孤独に見えながら、つねに大衆と密着した生き方をした歌人だった憶良に、升田さんはこれまでの「わ」の内奥に潜んでいるさらなる「わ」を見るのです。
無意識の中に出てくる自分(個性)に気づき、「わ」の中に自分をみて対峙する。
意識と無意識の葛藤が生まれるわけです。
そして、自分の中にいる「私」がわかるようになると、他の人もわかるようになる。
「な」も「た」も、それに伴い変わっていく。それが、新しい和歌の世界の誕生へとつながっていく。

さてこれで憶良を読む準備がだいぶできました。
次回は、憶良の別の歌(例えば貧窮問答歌)を読みながら、憶良によって開き出した新しい和歌の世界を楽しむことになりそうです。

今回は内容が多様で深かったので、私の記憶に残ったところを中心に報告させてもらいました。升田さんの思いをきちんと理解できているといいのですが。

Manyou230

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