■市民的不服従から市民的行動へ
岸田政権への支持率がさらに低下、ついに30%台になり、不支持率のほうが大きく上回る状況になっています。
「森の生活」で有名なヘンリー・デビッド・ソローは、29歳の時に「人頭税」の支払いを拒んで逮捕=投獄されました。友人が保釈金を出してくれて保釈された後、彼は雑誌に「市民政府への抵抗(Resistance to Civil Government)」を投稿します。後に「ソローの市民的不服従(Civil Disobedience)」として話題になった論文です。当初の「抵抗」から「不服従」へと表現が変わっています。
この市民的不服従の考えは、その後、ガンディーやルーサー・キングの非暴力抵抗論、ロールズの正義論、アーレントやハーバーマスによって深まり、さらにアナキストにも影響を与え、いまではデジタルデータやエネルギーの統治の問題へと広がってきています。そうした「市民的不服従」の考えや実践の歴史を整理してくれているウィリアム・E・ショイアマンの「市民的不服従」読みました。いささか読みにくい本ですが、世界の潮流に日本が例外的に遅れていることに気づかせてくれました。
ぜひ多くの若者たちに読んでほしいなと思い、あえて紹介させてもらいました。
ショイアマンは、抵抗と言え不服従と言っても「法の尊重」が大切だと言います。
問題は、「法の尊重」とは何かです。
市民的不服従の行動では、時に「法律」を犯すことはありますが、その法律がたとえば「憲法」に違反したものであればどうでしょうか。残念ながら日本にはそういう法律は少なくありません。法律を多田守だkでは、法の尊重にはなりません。
また、市民政府への抵抗と言いますが、その政府が「市民」を代表していないようなものだったらどうでしょう。国民の過半数が反対している政策や法律に異議申し立てをすることは、違法なのでしょうか。
私は大学で「法の精神」について学びました。
大切なのは条文ではなく精神なのです。
ちなみに、私は「市民的不服従」という表現が好きではありません。
その言葉は、統治者を基準にして発想しているからです。
単に「市民的行動」と言えばいいように思います。
そういう市民的行動をつぶすような政府は市民政府とは言えないでしょうし、法の精神にも反しているような気がします。最初から不服従や抵抗などと規定することはありません。市民的行為が広がっていくことで、法や制度が見直されていくのが市民政府でしょう。
過半数の人が支持していない政府に身を任すいまの状況をどうしたらいいのか、ぜひ、本書をじっくりと読んで考えてほしいと思います。
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