■節子への挽歌5446:退院は実は病気との戦いのはじまり
節子
体力は戻りませんが、体調はほぼ回復してきました。
今回の体験で、病気治療は、退院時から始まることを思い知らされました。
入院時には、もうナース任せで、自分では何もしていない。つまり治療という意識もない。
ですから、退院は実は病気との戦いのはじまりだったのです。
こう考えると、「退院おめでとう」という言葉は、あまり適切な言葉ではありません。
私も、退院と言われた時はうれしいと思ってしまいましたが、とんでもない誤解でした。
これから友人が退院した時に、「おめでとう」とは言えないような気がします。
せめて「これからが大変だからがんばって」という言葉をつけなければいけません。
いずれにしろ、気を許さないようにしないといけません。
今日は少し歩いてみようと手賀沼沿いのハケの道を少しだけ歩いてみました。
歩くのは大丈夫ですが、周辺への気の配り方や感覚がかなり低下していて、後ろから追い抜いていく自転車のドキッとすることもありました。
午後は久しぶりにちょっとハードな本に取り組みました。
最近翻訳出版されたウィリアム・ショイアマンの「市民的不服従」です。
最初はなかなか頭がついていけずに、途中でやめようとさえ思ったのですが、途中から面白くなってきました。
頭はだいぶ戻ってきたようです。
もっとも、これ以上にハードな論考が入院中に送られてきていて、それはまだ消化できずにいます。
科学と意識を統合的に把握する新しい論考です。
退院後も2回ほど挑戦しましたが、途中で挫折。
体力の低下ほどではないようですが、脳力もまだかなり低下しているようです。
でも今日は、平穏な一日でした。
病気との付き合い方もだいぶ習得できてきました。
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