節子への挽歌■5480:人のいのちは誰のものか(2022年8月27日)
節子
今日は「死刑制度」をテーマにしたサロンでした。私にはとても関心の高いサロンだったので、参加者も多いだろうなと思っていました。事実、フェイスブックの告知には反応が多く、思ってもいなっかった古い友人も含めて申込者は少なくなかったのです。
しかしふたを開けてみたら、申し込んでいた人で参加したのは、1人だけ。
あとは直前に申し込んだ4人と申込なしの参加者1人でした。
それ自体、とても残念でしたが、後日分かったのは、気温の急変で風を引いた人がいたようです。たしかに私も少し風かなと思う予兆がありました。
最初に申し込んで実際に参加したのは北原さんです。
この人も不思議なキャリアを持っている人ですが、最初の接点は認知症、次は自殺問題でした。一見、そんな雰囲気を感じさせない女性ですが、いまもずっと孤独死の問題に取り組んでいるようです。
こういう時には、つい背景を聞きたくなってしまうのですが、みんなの前ではそれもできません。
今回のサロンはまず最初に「死刑制度」賛成か反対かを問いました。
彼女は賛成です。賛成はもう一人いましたが、その人は制度は残すが執行はしない問い考えでした。
北原さんが反対の理由は、被害者遺族の思いを考えてのことのようです。
しかし、被害者遺族の思いは実際に触れないと分からないのではないかと問いかけましたが、どうも彼女は被害者遺族とも交流があるようです。
話しているうちに、20年以上前の世田谷家族殺人事件の遺族とも会っているようです。
私もその事件の被害者とは付き合いがあり、事件の直前にも会いました。
事件後は警察が事情聴取に何回かきました。
年末になるといつも思い出す事件です。
しかし遺族は本当に加害者の死を望んでいるだろうか。
事件直後は、加害者を自分の手で殺したくなるかもしれません。
しかし少し冷静になれば、たぶん加害者のようなことをしたいとは思わなくなるのではないか。そんな気が最近は強くしています。
節子の死は、実にたくさんのことを私に教えてくれました。
病死と殺人とは違いますが、人が命を失うことにおいてはすべてが同じような気もします。
考え出すと際限がありません。
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