■ボタンを掛け違うと事態はますますややこしくなります
「不十分だが一歩前進」というコメントをつけながら、立憲民主党が与党の被害者救済新法案に合意し、法案が成立することになりました。
立憲民主党のなかにも、異を唱える議員はいるようですが、異を唱えるなら行動を起こしてほしいものです。政治よりも政局だというのでは、今の執行部は自民党とそう変わりません。
大きな失望を感じます。最初のボタンを掛け違うと事態は往々にして悪い方向に向かいがちだからです。
「不十分だが一歩前進」。だまされてはいけません。大切なのは「十分かどうか」ではなく、「一歩進みだす方向」なのです。
どんな法案も「十分」であるはずはありません。みんな不十分なのです。しかし、その法律を支える理念がしっかりしていれば、不十分でもいい方向に動き出す一歩になります。だから法の精神は大切なのです。それは、「十分かどうか」などという「程度」の話ではないのです。それが私が大学で学んだ「リーガルマインド」です。
テレビのコメンテーターも、不十分だが一歩前進だという人が多いですが、どっちに向かっての一歩前進なのだと問いたいです。
もっと言えば、被害者を第三者として救いたいのか(そんなことはできるはずもないと思いますが)、被害者の声に真摯に向かい合って彼らの思いを支援したいのか。
それは私には全く違ったことです。
被害者のためと思っての行動が、被害者の邪魔をしていることをこれまで何回か体験してきているからです。
つい今も同じような事例に直面しています。
支援と救済とかは、言葉で言うのは簡単ですが、それほど簡単な話ではありません。
またまた立憲民主党には失望です。
立憲民主党もまた岸田さん程度の聴く耳だった気がします。
形を整えれば、問題は見えにくくなるだけです。これでは旧統一教会と自民党・公明党の思うつぼでしょう。立憲民主党もまた、それに加担してしまった。
テレビのコメンテーターも、不十分だが一歩前進だという人が多いですが、どっちに向かっての一歩前進なのだと問いたいです。
今朝の朝日新聞によれば、信者2世の団体もこうした動きに条件をつけながらも歓迎しているようです。それも意外だったのですが、まあ私の考えが間違っているのかもしれません。
しかし、最初のボタンをどうかけるかは、問題の設定を大きく方向づけますので、もっと慎重であるべきで、当面の問題解決のためには新法案とは別の対応があるだろうと思えてなりません。
なんだかすっきりしない話です。
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