■節子への挽歌5509:「がん」という言葉
節子
サロンの常連の一人が、がんのステージ4です。
昨年は年が越せるかどうかと言っていましたが、幸いに元気が回復してきて、年末サロンには元気な顔を出してくれました。
サロンの常連だった太田さんが、がんで余命宣告を受け、まったくの無治療で1年もたたずに亡くなったのは、ほんの数年前です。
葬儀は家族葬でしたが、無理を言って参列させてもらいました。
とても静かで穏やかな死に顔でした。
その時から、誰かの死に関しては、感傷的にならずに、ただ淡々と受け入れようと決めました。
だから今回も特別な姿勢は全くとっていません。
しかし、そうは言ってもやはり気にはなります。
その一方で、今年は「生と死」を大きなテーマのひとつに取り上げようと思っています。
そのなかで、がん治療に関してもサロンができないかという話が出てきています。
がん治療に関しては、節子が闘病中には、私もいろいろな治療法が参照できるデータバンクが欲しいなと思っていました。
しかし節子を見送った後、もう二度と「がん」という言葉を見たくないという心境に襲われて、集めた資料も消去してしまい、同時にそうしたことへの関心を失ってしまいました。
実にだらしない話ですが、正直、しばらくは「がん」という言葉さえ、拒否したかったくらいです。
かく言う私も「がん」とは無縁であるはずもありません。
自分ががんと判明した時、私はその治療に意識が向かうか。
太田さんと同じく、ただ成り行きに任せるだけの生き方を選びそうです。
最近、どうも周辺でまた、「がん」という言葉が飛び交うのが少し気になってきました。
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