■自らを恵まれた場所に置いていると事実は全く見えてこない
今日もまた日差しの強いあったかな日です。
と思って、実は薄着で散歩に出かけました。
ところが部屋の中での感じと外はかなり違っていて、風も強いし空気も冷たい。
身体が冷えて風邪を引きそうな気がしたので、慌てて散歩は中断。予定のコースとはまったく違ったコースで20分で戻ってきました。
教訓。
自らを恵まれた場所に置いていると事実は全く見えてこない。
おそらく私がいろいろと偉そうに書いていることの多くは、当該の現場にいる人たちから見たら、まったくのピント外れの論考が多いのでしょう。
注意しなければいけません。
でもまあ、だからと言って、私が思ったことを発言しないのがいいわけでもありません。
ひとつの見方としては意味があると思うからです。
でも今日の外は寒かったです。
陽射しに恵まれた暖かな部屋で見ていては、それはまったくわからない。
同じように、マスコミ報道の事件の現場から遠くにいる私には、世界はほんの一部しか見えていないのでしょう。いや今日の私のように、現場とは真反対の風景を見ているのかもしれません。
ウクライナ戦争も中国のデモも、北朝鮮の国民生活も、ブラジルの騒ぎも、マスコミ報道だけで決めつけないようにしようと思います。
今日はしかし、久しぶりの道を歩いてきました。
以前はよく犬の散歩で歩いていたところです。
様子は大きく変わっていましたが、変わっていないところもありました。
その一つが、成田山恵勝寺。わが家のすぐ近くです。
以前、その由来などに関して近くの知人から聞いたのですが、うろ覚えなので、ネットで調べてみましたが、なぜか縁起など全く記事が見つかりません。
住宅街の中の小さなお寺なのですが、新勝寺ともゆかりがあるはずです。
少し離れたところに大きな駐車場もあって、以前、そこが満杯になっていたこともありました。
我孫子は何かと成田山とは縁があります。
我孫子の湖北地区の人たちは、成田山新勝寺にはお参りに行きません。
それどころか、湖北にある観音寺の観音様は、成田山の方向から顔をそらしているのです。
これは以前も書きましたが、平将門に関係しています。成田山新勝寺は、将門調伏を祈ったので、将門の居城があったこの地域(この説は我孫子まちづくり編集会議仲間の戸田さんの主張です)の人たちは、新勝寺が許せないのです。
今年は、観音寺も含めて将門ツアーウォーキングを企画しますので、詳しくはその時に。
そこから自宅に戻ってくる途中で、手賀沼が見えました。
風が強いので湖面が波立っていて、ちょうど大河の流れのようです。
凪いでいる時の鏡面のような手賀沼とは全く違います。
寒い中をしばらく見ていました。いろいろと思うことがあったのです。
というわけで、今日は3000歩しか歩きませんでしたが、気がついてみたら、時間は40分。
身体は冷え切ってしまいました。
実は今日はもう一つの健康法の週一断食を再開する予定でしたが、早々と挫折し、食事もしてしまいました。困ったものです。
金銭の呪縛どころか、寒さにも耐えられず、食欲も抑制できずに、いまもまたお煎餅を間食しています。
心を改めるために、これから抹茶を淹れて一服しようと思いましたが、ともかく寒いので、簡単な珈琲にしてしまいました。
やっと身体があったまってきました。
風邪は大丈夫そうです。
見かけや報道に騙されてはいけません。
| 固定リンク
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■「死者と生きる」にとても共感しました(2023.03.01)
- ■韓国ドラマ「善徳女王」を見終わりました(2023.02.28)
- ■愛とは何だろうか(2023.02.20)
- ■個人判断してはいけない時代だったことに気づきませんでした(2023.01.27)
- ■「嘘つきは政治家のはじまり」にしてはいけません (2023.01.26)
コメント