■節子への挽歌5510:人嫌いに陥っていた1日
節子
昨日のサロンはたくさんの人がやってきました。
しかし、人と会うのはそれなりに疲れます。
良いこともあれば悪いこともある。
いろんな人がいて、どうしてもいろんな面が見えてくる。
ともかく人の良い面を見るとともに、好きになれない面にも良いことを見つけようとする生き方をつづけていますが、最近はどうもそれが難しくなってきている様な気がします。だからきっと疲れるのでしょう。
節子もよく知っているように、世界には「悪い人」はいないというのが、私の考えの出発点です。「悪い人」と思いたくなる人も、すき好んでそうしているわけではなく、状況の中でやむを得ずそうなってしまっているというように考えようというわけです。
もちろん私にも、「好きな人」もいれば「嫌いな人」もいます。でもだからと言って、「嫌いな人」を避けるわけではありません。「嫌いな人」にも必ず「好きになれる面」があるからです。そしてそれを見つけたら、その面と付き合うようにすると「嫌いな人」も好きになれると思っているのです。
まあ絶対に成功するわけではないでしょうが、私の場合、ほぼ成功しています。
もっともそうした中で、先方の方から私から離れていくことも少なくない。つまり相手もまた私が嫌いだったのでしょう。その場合は、「去る者は追わず」です。
でもなぜか、数年後、数十年後に、先方から会いに来ることも多いのです。
好き嫌いとは別に、他にも疲れることはたくさんあります。
そこでどうしても「ストレス」が生じてしまう。
節子がいた頃は、私のそうしたストレスは、形になる前に節子が解消してくれた。
あるいは私のストレスを節子にぶつけることで解消していたのかもしれません。
これはいまでいえば、DV論議につながりかねませんが、節子はすべてを受け入れてくれていました。
いろいろと書きましたが、いずれにしろ昨日は疲れてしまいました。
疲れるとすべての人が嫌いになってしまう。
それが、節子がいなくなってから私に起こった変化です。
いわゆる厭世観、人嫌いの状況です。
もっともこれは1~2日で自然解消して、また人に会いたくなる。
でも今日は誰にも会いたくないほどの人嫌いに陥っています。
散歩にも出たくないので、丸一日、自宅に引きこもっていました。
困ったものです。
でもおかげで、夕方には解消。
パソコンを開いて、メールにも対応する気分になりました。
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