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2023年2月

2023/02/28

■韓国ドラマ「善徳女王」を見終わりました

だいぶ前に話題になった韓国ドラマ「善徳女王」の最近のテレビ放映を見ていたのですが、今日が最終回でした。
https://www.bs-tvtokyo.co.jp/sondoku/
全62話、長かったですが、全部を見終わりました。

最初は韓国史関係の本を読んでいたら、善徳女王や金春秋が出てきたので、少し知識を得ようと思って見出したのですが、途中から面白くなって、さらに毎回のように共感できるセリフに出合えて、だんだん楽しみになってしまいました。

いちばんの教訓は、「人を信ずることの大切さ」。私は根っからの性善説の立場で生きています。これまで何回も他者の「裏切り」で苦労を背負っていますが、他者を信じきれば最終的には裏切られることはないと確信しています。しかし、それは難しい話ですし、個人の生活のレベルの話かもしれません。
今日もテレビで、ウクライナ戦争に関してコメントしていた三宅さんが「私は性悪説の立場で考えている」と明言されていましたが、それが残念ながら今の状況かもしれません。

しかし、「善徳女王」で言えば、最後まで信じられなかったピダムは、最後まで相手を信じ切っていた善徳女王やキム・ユシンには勝てなかったのです。

まあこんなことを書いても見ていない人には全くわかりませんね。
しかし、人を信ずることがいかに大事なことか、改めて私は確信しました。
それこそが今度サロンを開催する「ソーシャル・キャピタル」の本質です。

ところで、「善徳女王」には、期待していた金春秋が主役になるところまではいきませんでした。代わりに新羅と戦う百済のケベクはちょっとだけですが登場しました。
たしか「ケベク」はドラマになっていたはずですので、また再放映されたら見ようと思います。金春秋が主役の韓国ドラマはあるのでしょうか。これもぜひ観たいです。
できたら金春秋を主役にしたドラマ化映画を日韓共同で作ってほしいですが、なぜか日本人は新羅が嫌いなようなので無理でしょうね。私は、新羅が好きなのですが。

すいません。
つまらない話で。

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■湯島サロン「復学して考えたこと」報告

1年半の大学休学後、昨年秋に復学した川端さんのサロンは、高校生も含めて、8人が参加しました。

川端さんは、なぜ休学したのか、そしてなぜまた復学したのか、からはじめて、休学中の自分の生活の様子、また復学してからの学内の様子や自分が受講した科目の話などをていねいに話してくれました。
もう少し強いメッセージの話があるかと思っていたのですが、川端さんは肩に力を入れることなく、淡々と話してくれました。いささか意外でしたが、そうした話の中に、参加者それぞれにとっていろいろと気づかされたことがあったのではないかと思います。
川端さんは、いつもサロンで、それぞれが自分で気づいていくことが大事だという姿勢で発言されていますが、今回もそれを実践し、あえて自分からのメッセージはあまり出さなかったようです。私は自分の学生時代も思い出しながら、いろいろと考えさせられる材料をもらった気がします。おそらく彼が意識していなかったようなことも考えさせてもらった気がします。

川端さんは復学して感じたことをまずいくつか話してくれましたが、たとえば、「授業が(コロナ前の時に比べて)静かになったこと」「満員電車に乗っている自分や周りの雰囲気が気になるようになったこと」「授業内容に主語がないこと(誰の視点からの知見?先生はそれについてどう思うの?みんなはどう思うの?)が気になりだしたこと」
「学食が殺伐としていること」など、コロナ騒ぎによる変化もありますが、それまでは気づかなかったことへの気づきがいろいろとあったようです。

休学前とは講座の選び方や授業の受け方も変わってきたそうです。
そればかりではなく、毎日の生活も変わってきたようで、休学中には散歩などで近隣の人との会話も増えていたようですが、それもすっかり定着して、いまも大学から帰宅した後の犬の散歩時の近隣の人たちとの交流がつづいているようです。

さらに、復学と同時に、韓氏意拳(かんしいけん)、尹雄大(ユンウンデ)さんの「話すこと・聞くこと」ワークショップ、身体技法などの講座を受講するなど、いくつかのことを新たに始めたそうです。
復学したことで時間的な制約は増えたはずなのに、むしろそうした活動は増えているようです。ここにも何か生き方に関する大きなヒントがあるような気がします。
もちろん、休学中に始めたリバランスワークの講座活動は引き続き取り組んでいるそうです。

最近起こった事件として、川端さんはこんな話もしてくれました。
鳥インフルエンザの発生で、父親がその殺処分の仕事に関わったことがあったそうですが、その時の様子がとても印象的だったようで、川端さん自身も父親とそれを共体験したようです。そのおかげで、これまでは単なる「ニュース」でしかなかった「鳥の殺処分」を自分の生き方にもつなげて捉えられるようになったと言います。つまり社会を見る目が変わったのです。

また八ヶ岳に移住した友人が鹿を捌けるようになったとか長野の山の麓に住む動物を捌いて暮らしてきたおじいさんの話を聞いたとかいうこともあり、大学ではおそらく体験できなかったことの体験が、川端さんの学びの視点に影響を与え、選考している「経済学」の捉え方が大きく変わったようです。
もちろん授業の受け方も変化し、教授への質問の切り口も姿勢も変わったと言います。
彼の話を聞いていて、まさに「大学での教授」は「学び合い」なのだと改めて思いましたが、そうした学び方は仕組みとしても増えてきているようです。

私が今回改めて強く感じたのは、「休学することの意味」です。
小学校から高校まで、先生から「教わる」という受け身的な学びに慣れてきたままで大学に行ってもなかなか学べないのではないかと思っていましたが、川端さんもおそらく休学によって、そうした「忙しい学び」から解放され、自らを確認する時期を得たおかげで、それまでの受け身的な学びから自らが学ぶ積極的な学びへと主軸を移せたような気がします。

それは同時に、学ぶ場所は大学構内だけではないことへの気づきでもあり、満員電車さえもが刺激的な学びの場になったわけです。満員電車からでも、その気になれば社会の実相は見えてきます。それに気づけば、あらためて大学での学びの価値がわかってくる。
そんな気がします。
これは以前サロンも行った不登校の話にもつながっていきます。大学に限らず、人によってはそれを中学校であっても感じてしまう子供もいるのです。

3年ほど前に、お茶の水大学学生の安藤さんにも、休学によって学びの姿勢が一変したというサロンをやってもらったことがありますが、大学や学校という仕組み自体を見直すヒントがそこにあるような気がします。

同時に、川端さんは実際の体験からの言葉と知識からの言葉の違いにも気づいたのかもしれません。それに気づけば、実体のない言葉に惑わされることは少なくなります。ただ時に逆に実体験だけが正しいと思ってしまう落とし穴に陥ることもないわけではありませんが。まあそんなやりとりも少しありました。

今回参加された最年少の高校生はどう感じたでしょうか。
おそらく彼が感じたことと私が感じたこと(ここに書いたこと)は大きく違うでしょう。
もう少し生々しく語り合いたかったのですが、今回はそこまではいけませんでした。
もっと多くの大学生たちや高校生たちに来てもらってのサロンを企画したくなりました。

サロンでは実際には、かなりの激論もあったのですが、それは省略させてもらいました。
それも含めていろいろと考えさせられるサロンでした。
今回も報告が難しいサロンでした。

2023022300

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■日本の司法への不信感

今日は2つの、なんともやりきれない報道が新聞に載っていました。

一つは、日野町事件で無期懲役刑を受けて服役中に死亡した阪原さんの冤罪がほぼ明確になったという報道、もう一つは聴覚障害の女児死亡事故の損害賠償訴訟で、その遺族の逸失利益は労働者平均の85%と判定された判決の報道です。

前者のような報道が出るたびに、日本の司法の闇を感じます。
せめて死刑と無期懲役刑に関してはすべてを改めて再評価する動きがあっていいと思いますが、被告側の再審請求が出なければ、最新の動きはでないのでしょうか。
日本の司法界には、すでに自浄能力は失われてしまっているようで、暗澹たる気持ちになります。

後者に関しては、そもそも損害賠償基準が、その人の金銭を稼ぐだろう能力によって判定されること自体に違和感がありますが、そこでさえも「差別」がなんの疑問もなく行われていることに、これもまた日本の司法の本質を垣間見る気がします。
遺族にとっては、やりきれない話だろうと思いますが、私でさえ、やりきれない気分でいっぱいです。

 今日は、まったく元気が出ない一日です。

 

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2023/02/26

■第3回「はじまり場サロン」の案内

1年ぶりに湯島での「はじまり場サロン」を開催します。

「はじまり場サロン」は、こんなことをしたいのだけれど一人ではどうやっていいかわからないとか、こんな活動をしているのだけれど仲間が集まらないとか、気楽に自分の夢や思いを語り合うサロンです。
具体的には説明できないがこんな夢をもっているというのでもいいです。

小さなものでも大きなものでもいずれも歓迎。ただし自分も汗をかこうというのが条件で、一人称自動詞で語るプロジェクトを対象にします。単なるアイデア出しは、はじまり場サロンでは対象にしません。
また、それなりの「共益性」を持っているものが望ましいです。私欲を果たすためだけや反社会的と思われるような夢は遠慮してもらえるとうれしいです。

みんなの前で、こんなことをやりたいと宣言するとなぜかそれが実現してしまうことを私は体験しています。自分の考えを整理・確認できるのかもしれません。
きっと他の人からもアドバイスをもらえると思います。ぜひ気楽にご参加ください。

サロンへの参加は、今は特にやりたいことはないという方も歓迎です。
参加者の誰かの発言に刺激されて「やりたいこと」に気づくかもしれませんし、誰かの提案に関わりたくなるかもしれません。
いつものように、気楽なサロンですが、いつも以上に「否定的な発言」は避けてもらい。何か新しい物語が生まれるサロンにしていければと思っています。

よろしくお願いします。

〇日時:2023年3月19日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇内容:「こんなことをはじめたい」を参加者が話し合う
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/02/25

■節子への挽歌5533:言葉遣いは気をつけなければいけません

節子

久しぶりに節子も知っているSSさんがやってきました。
サロンに来ればいいのに、どうしてわざわざ時間をとってほしいと言ってきたのかわからなかったのですが、なにしろ「来る者は拒まず」なので、サロンの前に会うことにしました。
まあ節子がいた頃のスタイルです。これは結構、疲れるのですが。  

会って気づいたのですが、サロンの案内はFBとメーリングリストなので、FBをやっていない人はサロンをやっていることも知らないのです。
サロンの案内のメーリングリストは2019年のサロン参加者から登録しだしていますので、それ以前のサロンの常連にさえも届いていないのです。

まあそれはともかく、SSさんは30年ほど前に初めて湯島に取材できたことを話しだしました。
なんでいまさらと、昔話嫌いの私は思いましたが、話したいなら仕方がないと思い、聞いていましたが、たぶんその気持ちが顔の表情に出ていたのでしょう。
話はいろいろと変わり、サロンの話にもなりました。

1時間ほど話して、今度はサロンに来ますと言って帰って行ったのですが、夕方パソコンを開いたらSSさんからメールが入っていました。
彼がなぜやってきたのかがそれでわかりました。
こんなことが書かれていたのです。本人の了解を得ていないので、実名を出すのはやめました。

数年ぶりにお目にかかりましたが、全くそんな感じがしなかったのは、佐藤さんが常日頃から私と似たような境遇?の方々と逢われているからだろうと勝手に推察いたしました。
今日はそこまでお伝えしませんでしたが、一番最初に取材にお訪ねした時、佐藤さんに逆取材されて散々自分の話をしたことがとても恥ずかしく(業務時間中に自分の話をすることなどありえないと思っていたので)、最後に吐き捨てるように「つまらない人生ですけどね」といったときに、佐藤さんに明るく笑われて「**さん、あんたなかなか面白い人生を送ってるよ」と言われたことが衝撃的で、それから私のサラリーマン人生は大きく変わりました。
今日お訪ねしたのは、「あれから35年!」。綾小路きみまろじゃあませんが、その後大きく変わった人生が、自分でも結構面白かったとお伝えしたかったのかもしれません。それをお伝えするにも1時間では短すぎましたが、そんなことのために貴重な佐藤さんのお時間を度々いただくわけにもいきませんので、今後はサロンに顔を出させていただいて、分割払いで小出しにお知らせできたらと考えております。

これを読んで反省しました。
むかしはもう少し相手が何のためにやって来たのかを理解しようと考えていたのに、最近はどうもそうした姿勢が薄くなり傲慢になっているのではないかと。

それと最近いろんな人から言われるのですが、私の、あまり相手の気持ちを斟酌しない何気ない言葉が、相手を傷つけているようです。
幸いに今回は、傷つけるというよりもいい方向に受け止められた話ですが、でも相手の心の響く言葉は、薬にもなれば毒にもなる。
いつも思いながらできていない「言葉遣いへの気遣い」を、やはりもう少し考えないといけないとつくづく思いました。

といいながらも、この後の孤独死のテーマのサロンでは、また言わずもがなの言葉を言ってしまい、いささか自己嫌悪に陥ってしまったのですが。
困ったものです。

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2023/02/24

■節子への挽歌5532:「元気になりたくて電話しました」

節子

同世代の友人のKZさんから電話がありました。
節子は憶えているでしょうか。KZさんは節子のことを覚えていますし、節子が闘病中にもとても心配してくださっていたのです。

最近、友人知人の訃報が多くてめげているようです。出身地の竹馬の友がなくなってしまったのに、コロナで帰るにも帰れないようです。人情家のKZさんはさぞかし無念のことでしょう。
その上、近くの友人も余命宣告も受けていて大変らしいのです。

いやそれだけではない。
高齢になるといろいろと付き合いが難しくなる人もいないわけではありません。人間関係で疲れることもある。どうも最近、そういう疲れることも多かったようです。

それで私と話したくて電話したというのです。
どうして私なのか、よくわかりませんが、まあ私のようです。
いささかの長電話の後、心が休まった、元気が出たと言ってくれました。
誰かと話すと心が休まることはありますが、KZさんにとってはどうも私はそんな存在のようです。

そのKZさんとも、実は10年近くお会いしていなかったのですが、昨年末、あることで湯島に来てくださったのです。
なんだか音信不通や交流が途絶えていた人が集まってくる。
これもいささか奇妙な感じではあります。                  

そういえば、新潟のKさんも精神的に萎えてしまうと私に電話をかけてきます。
まあ声を効いて電器が出るようであれば、お安い御用ではあります。
しかし、KZさんやKさんと同じく、私もまためげることもあるのです。
その時にはどうしたらいいでしょうか。

実は今日もちょっとめげてしまうことあありました。
人と付き合いと元気がもらえますが、めげさせられることもある。
困ったものです。

 

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■湯島サロン「ソーシャル・キャピタル」のご案内

先月、大守隆さんにお願いして「ソーシャル・キャピタルから見た社会の劣化」をテーマにサロンをやっていただきました。
定員限度を超えての申し込みがあり、ソーシャル・キャピタルという言葉への関心の高さを感じましたが、ソーシャル・キャピタルそのものはあまり知らない人が多かったのに気づかされました。

たしかに一時は盛んに言われ、福祉の世界でも話題になって指標開発などの動きもありました。私も地域包括支援センターの関係でささやかに関わらせてもらいましたが、最近はあまりこの言葉自体に触れることがなくなりました。

そこで改めて、「ソーシャル・キャピタル」そのものをテーマにしたサロンを開催することにしました。
私からソーシャル・キャピタルに関する基礎的な話を少しだけ提供させてもらったうえで、社会をどう捉えるか、その社会にとって大切なものは何なのか、などを生活目線で話し合えればと思います。
社会のあり様や人のかかわり方などに関心のある方はご参加ください。

ちなみに湯島のサロン活動も、私の思いとしては、ソーシャル・キャピタルを意識した「コモンズ」活動なのです。また、湯島でやっている生活事業研究会の基本テーマも、「ソーシャル・キャピタル」を豊かにしていこうというものです。
そのあたりも少しだけお話しさせてもらえればと思っています。

〇日時:2023年3月18日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ソーシャル・キャピタル」
〇話題提供者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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2023/02/23

■節子への挽歌5531:川口通いがまた始まりました

節子

今年から毎月、川口の国際箸会館に行くことにしました。
国際箸学会の会長の小宮山さんの活動を応援するためです。
小宮山さんのことは節子もよく知っていますし、湯島で何回かあっています。
当時はまだ小宮山さんの箸道楽は始まっていませんでしたが、箸学会の箸技ゲームは私よりもむしろ節子好みのような気がします。

それはともかく、なぜ苦手の箸ゲームを応援することになったかと言えば、湯島の場所を維持するために苦戦していますが、小宮山さんが応援してくれているので、私も小宮山さんを応援しないわけにはいかないからです。
というのは、しかし、口実かもしれません。
長い付き合いで小宮山さんとはどうも縁が切れなくなっているのです。

小宮山さんもたぶん同じなのでしょう。
昨年、秋に私が入院して以来、私に会うたびに、私の健康を気にしてくれています。
時に電話までしてくるのです。

お互いにあまりにわがままで、時々、喧嘩別れしそうになるのですが、なぜか相変わらずの関係が続いています。
小宮山さんには感謝しています。
時々会わないとすごく気になってしまう友人の一人です。

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2023/02/22

■節子への挽歌5530:友人知人は私の人生を思い出させてくれる歴史

節子

節子も知っているサンチャゴ巡礼者の鈴木さんから毎週2通ほどのハガキを届きます。
鈴木さんは毎週のように湯島のサロンにも参加していますので、実際にも会っているのですが、はがきを出すのが好きなのです。私に限らずいろんな人にはがきを出しているようです。
とても几帳面な字で、いつもいろんなメッセージが書かれています。

昨日届いたはがきに、こんな文章がありました。

(サロンの参加者が)「つながり方の方法は学校でも教わらない」と言っていました。佐藤さんの人とのつながりは多様で厚いのは、添付の才能なのか、意識して築いたのか、以前から気になっています。

たしかに考えてみると、私にはいろんな人とのつながりがあります。
あまり意識したことはありませんが、どうも普通の人よりは多いようです。

鈴木さんに返信しました。
才能でも意識的な築き上げでもなく、ただ「来る者は拒まず去る者は追わず」だからでしょう、と。

ただもしかしたら、いつも誰かに会うと2つのことを意識していることに気づきました。
まずは、名前を覚えること、そして、その人のために私ができることを考えること、です。
この2つが、もしかしたら人のつながりを育ててくれているのかもしれません。

しかし、残念ながら時に名前を間違って覚えてしまうことがある。一度、間違って覚えるとなかなか修正できずに、名前を間違っていってしまうことがある。
今でも覚えていますが、これまで5人ほどにそういうことがありました。
いまでもその人に会うと間違った名前を言いそうで不安になります。

以前、ある集まりで、私は資産家です、ただし友人が私の資産です、などと大変失礼なことを言ったことがありますが、これは本音ではありません。人が資産のはずはない。
まあ時にそうした間違いをしてしまうことがありますが、私の今を支えてくれているのは、さまざまな人の存在です。

いまも毎日、家に座っていても、いろんな人がメールやFBなどで、いろいろとメッセージをくれます。
その返信だけでも、人生は楽しくなります。
苦手なのは電話ですが、まあこれもときには楽しいこともある。

たくさんの友人知人は、私の人生を思い出させてくれる歴史でもあります。
この頃、つくづくそう思います。

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2023/02/21

■節子への挽歌5530:サロン報告への応援メール

節子

節子がいなくなってから出会いを得た人たちも少なくありませんが、そのおひとりが地域でのホスピス活動に取り組んでいる冨田さんです。
出会った時にはまだ冨田さんはたしか公益法人に属していましたが、その後、ホームホスピスを立ち上げました。東京の中野区にある「ホームホスピス里の家」です。

正式に立ち上げる直前に、たしか湯島でサロンをやってもらった記憶がありますが、ともかく忙しそうで、その後はなかなかお会いできません。
その冨田さんが、先日の私の生活事業研究会の報告を読んでメールをくれました。
長いメールでしたが、最後にこう書かれていました。

今、不慣れな事業経営に翻弄されています。
自分のしたいことだけをできる訳ではなく、いろいろ妄想しては、勝手に先に行かないで!と法人の理事たちに怒られています。
佐藤さんの報告を拝読して、少しだけ、立ち止まれたことを感謝いたします。
なかなかお休みを取れず、サロンに伺えずにすみません。
佐藤さんのお話はいつも楽しみに拝読させていただいております。
ありがとうございます。

湯島のサロンの報告は、とても長いので、読む人はそう多くはないのでしょうが、サロンよりも報告が面白いと言ってくれる人もいて、報告ファンもいるのです。
でも報告を書くのも結構大変で、時に辞めようかと思うこともあるのですが、今回の冨田さんのようなメールをもらうと元気が出ます。

時々こういうメールが届くのです。
うれしいことです。

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■節子への挽歌5529:私の在世期限が迫っているのではないか?

節子

もしかしたら、私の現世の滞在期限が迫っているのかもしれません。
今年に入り、縁が切れていた級友からの再訪が続いているのです。
しかもそのほとんどが、いろいろとあった友人たちです。
もちろん私は何とも思っていない場合がほとんどですが、中には「死ぬ前にあっておかなければ」とわざわざ書いてきた人もいます。

今朝も、ある人からメールが届きました。
この人はコロナ騒ぎ前にたしか一度、湯島に来てくれたはずですが、その時にはサロンか何かでゆっくりと話せなかったような気がします。
今年の年賀状に、また湯島に伺ってもいいかと書かれていたので、湯島は去る者は追わず、来る者は拒まずの場所ですからどうぞと伝えていたのです。
その後、また連絡がなかったのですが、今朝、また連絡があったのです。

それにしてもなぜこうもしばらく交流が絶えていた人たちが次々とやってくるのでしょうか。
なんだか私の在世期限が迫っているのではないかという気にさえなってしまいます。

実はそう思わせる兆しはほかにもあります。
まず最近盛んに見る夢です。
実に懐かしい人が次々とやってくる中で、まったく記憶にない人も親しそうに話しかけてくるのです。
さらに、私自身の現世滞在感が弱まっている気もします。
なにか現世と彼岸とのあわいの中に投げ込まれているような気になることさえある。

さてさてどういうことでしょうか。
体調はいいようであまりよくない。
そろそろこの身体から抜け出る時期が近づいているのでしょうか。

でもまあ、もう少し頑張らないといけないので身体維持には努めています。
いま散歩から戻り、これからこの記事をアップしたら、テレビ体操です。
なんだか矛盾している気もしないではありませんが。

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■節子への挽歌5529:私の在世期限が迫っているのではないか?

節子

もしかしたら、私の現世の滞在期限が迫っているのかもしれません。
今年に入り、縁が切れていた級友からの再訪が続いているのです。
しかもそのほとんどが、いろいろとあった友人たちです。
もちろん私は何とも思っていない場合がほとんどですが、中には「死ぬ前にあっておかなければ」とわざわざ書いてきた人もいます。

今朝も、ある人からメールが届きました。
この人はコロナ騒ぎ前にたしか一度、湯島に来てくれたはずですが、その時にはサロンか何かでゆっくりと話せなかったような気がします。
今年の年賀状に、また湯島に伺ってもいいかと書かれていたので、湯島は去る者は追わず、来る者は拒まずの場所ですからどうぞと伝えていたのです。
その後、また連絡がなかったのですが、今朝、また連絡があったのです。

それにしてもなぜこうもしばらく交流が絶えていた人たちが次々とやってくるのでしょうか。
なんだか私の在世期限が迫っているのではないかという気にさえなってしまいます。

実はそう思わせる兆しはほかにもあります。
まず最近盛んに見る夢です。
実に懐かしい人が次々とやってくる中で、まったく記憶にない人も親しそうに話しかけてくるのです。
さらに、私自身の現世滞在感が弱まっている気もします。
なにか現世と彼岸とのあわいの中に投げ込まれているような気になることさえある。

さてさてどういうことでしょうか。
体調はいいようであまりよくない。
そろそろこの身体から抜け出る時期が近づいているのでしょうか。

でもまあ、もう少し頑張らないといけないので身体維持には努めています。
いま散歩から戻り、これからこの記事をアップしたら、テレビ体操です。
なんだか矛盾している気もしないではありませんが。

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2023/02/20

■節子への挽歌5529:遠くの家族よりも近くの他人

節子
現世で生き続けるのもだんだん大変になってきています。

朝、兄から電話が来ました。
明け方に義姉が倒れてしまい、救急車で病院に来ているという連絡でした。

私よりも高齢の兄は、同じ我孫子市で夫婦ですんでいます。
娘たちは東京や群馬に出てしまっているのです。
兄は私よりも6歳上ですが、とても元気で、いまも松戸市の小学校に時々通っています。
子どもたちからも慕われているようで、時々、卒業生から色紙をもらったなどと言ってうれしそうに見せてくれます。
兄は現役中は先生とは全く無関係な仕事をしていましたが、退職後、ボランティア敵に通っていて、なかなかやめるきっかけを得られずにいまもまだ通っているようです。

姉も元気で、好きなダンス指導のボランティア活動を続けているようです。
まあふたりとも、そういうボランティア活動で忙しいのが元気の素なのでしょう。
とはいうものの、ふたりともボランティア活動と同じように、病院通いの多いのです。

兄は2年ほど前まで自動車を運転していましたが、高齢だからやめろというみんなの意見に従って免許を返還しています。
娘たちは遠くなので、緊急の場合は、ユカに電話がかかってきます。
それで今日も、ユカにも電話があったのです。

遠くの家族よりも近くの他人なのです。
ユカは姪ですから他人ではないのですが、私自身は姪であろうと他人であろうと、そういう関係がもっと増えればいいなと思っています。
でもなかなか難しい。
近隣の人にも、何かあったらと言っていますが、誰もあまり頼んでは来ません。
節子がいたら、ちょっとは違う関係がもっとつくれると思うのですが、それがいつもちょっと残念です。

幸いに義姉は入院する必要もなく、夕方帰宅できました。
ユカと一緒に病院まで私も行って、自宅に送りました。
老々介護の雰囲気に少し触れた気がします。

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■第2期生活事業研究会発表会の報告

生活事業研究会の第2期の発表会は受講者の要望もあって公開で開催しました。
オブザーバー参加の方が多かったのが意外だったのですが、そのおかげで、なにやらいつものサロンのようなカジュアルな感じの発表会になりました。

内容に関しては省略しますが、やはり「生活事業」という捉え方がなかなかなじめないようです。
私自身は、成熟社会と言われる社会にあっては、生きるためのパンを得る(お金を稼ぐ)(手段的)事業から、生きる喜びのバラを咲かせる(目的的)事業へと重点を移す時期だろうという思いがあって、この研究会を始めたのですが、発表者の一人が発言したように、1~2回の話では私の言っていることは理解できないようです。私の思い込みの強さと表現力不足を反省しなければいけません。

事業とは人生そのものだと発想を変えると、世界はまったく違って見えてきます。
そこには「勝ち組」も「負け組」もない。経済的格差などに呪縛されることもない。
まあこんな言い方をするので、理解されないのかもしれません。

今回、共通して話題になったのは、「居場所」や「仲間」、さらには物理的な意味での「場所」でした。何か活動をしようと思ったら、必ずと言っていいほど、出合う問題です。
今回は「資金」という話題はあまり出ませんでしたが(「自由通貨」の話は出ました)、
資金も含めて、すべては自分たちで創れるものです。いや、創るところに意味があるのです。それがなかなか伝わらない。

大切なのは、そうしたもの(産業界では経営資源などとも言われます)はみんな「存在」するのではなく「創出」できるものであり、その「創出過程」こそが「事業」なのではないかと思います。そして、その事業の先に、自らの人生を描いておく必要がある。それがなければ、結局は手段的なもので終わって、パンは得られるかもしれませんが、バラは手に入らない。そんな生き方をしていると、老後資金が2000万円などという政府の脅迫におびえてしまう人生になりかねません。

また書きすぎてしまいました。ますます誤解されそうですね。
ただこういうことが、湯島のサロンに通底する考えなのです。

生活事業研究会の第3期をやろうかどうか迷っていましたが、発表会を聞いていて、開催することにしました。参加者が集まらなくてもやろうと思います。
4月からスタートしますが、その前にプレミーティング的に、それぞれのやりたいことを放談し、話し合う「はじまり場サロン」を開催します。
改めてご案内しますが、3月19日(日曜日)の午後を予定しています。
よかったら気楽にご参加ください。

第2期の受講者のみなさん、なんだか尻切れトンボのような発表会になってしまいましたが、またいつかフォロアップの集まりを企画させてもらいます。またサロンで報告したいという方がいたらいつでも歓迎です。ご連絡ください。
個別の相談なども時間さえ合えば、これも歓迎ですので気楽にどうぞ。

半年間、ありがとうございました。
ぜひご自分の人生につなげながら、楽しく快い物語を育てていってください。

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■北朝鮮のミサイル発射報道のたびに軍艦「天安」沈没事件を思い出します

今日、北朝鮮からミサイルが発射されました。
今年に入って3回目だそうです。

私はこういう報道がされるたびに、10年ほど前に起こった韓国の軍艦「天安」の沈没事件を思い出します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E6%B2%88%E6%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この時も、北朝鮮の攻撃による爆沈という話も流れました。
そして偶然かもしれませんが、沖縄の米軍基地に移転を働きかけていた鳩山政権は終わりました。

 誰が一体、これほど頻繁にミサイルを発射するのか。
トンキン湾事件は10年もたたずに真実が明らかになりましたが、北朝鮮ミサイル発射事件には、そういう隠された真実はあるのでしょうか。
それがわかるまで、もう少し長生きしたいと時々思います。

 

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■愛とは何だろうか

NHKで放映されていたテレビドラマ「DOC あすへのカルテ」の最終回を観ました。
https://www.nhk.jp/p/doc-karte/ts/WL5QPY99G7/

実話をモデルにした、病院を舞台にしたイタリア制作のドラマで、16回もつづきました。毎回観ていましたが、「愛とは何か」がテーマのドラマです。
愛と言っても、さまざまな愛です。恋愛や博愛という話だけではありません。

最終回では、また涙が止められずに、生きるとは「愛すること」だという思いを改めて確信させられました。
最終回のタイトルは「居場所」でした。昨日の湯島の集まりで、「居場所」が話題になっていましたが、居場所もまた愛によって創られることが見事に描かれていました。愛のない居場所は「もどき」でしかありません。居場所がほしければ、まずは自らのうちに愛を育てなければいけません。逆に、愛さえあれば、居場所には困りません。

私が今回、涙したのは、水泳大会の場面でした。
とても感動的なシーンで、やはり涙が止められませんでした。
そこで語られた「誰にも秘密はある」という一言が、私が考える「愛」と深くつながっています。愛があれば、相手を信頼でき、すべてをさらけだせます。
いつかこんなテーマのサロンもやりたいですが、これは難しそうです。

舞台になっている病院でのやりとりも、とても愛にあふれた場所で、こういう病院は日本にはないだろうなと思いながら、こういう病院こそが病院だろうと思って観ていました。ホスピタルの語源はまさに「愛」ですが、日本の「病院」という名前には「愛」のかけらも含意されていません。そこに象徴されているような気もします。
私が病院で出会った医療関係者のほとんどは自らも病にかかってしまっている。そんな気さえします。
医療関係者には、このドラマを観てほしいものです。

16回続いたシーズン1は終わりましたが、イタリアではシーズン2が放映中だそうです。
日本でも9月に放映されるそうです。
長すぎて観るのが大変ですが、お薦めのドラマです。

 

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2023/02/19

■節子への挽歌5527:山田寺の仏頭

節子

先日久しぶりにサロンに参加したNTさんが、サロンの時に私を見たら、山田寺の仏頭のような表情に見えたというメールをくれました。
まあ長いメールの中に、そういう表現があったのですが、なんで山田寺の仏頭に私が見えたのでしょうか。

山田寺と言えば、数年前に奈良に行った時、上野から東京駅に向かう電車の中で、私も会ったことがあります。
女性でしたが、まさに山田寺の仏頭と瓜二つでした。あの時の驚愕は今でも忘れられません。
あまりにも似ていたので、奈良に行った時に、興福寺によって、仏頭に会いました。
たしかにそこにいました。東京に出張中とは書かれていませんでした。

もう長いこと会っていませんでしたが、この仏は高校時代からしっかりと心に残っていて、いつでも思い出せます。いつかああいう表情になりたいとずっと思い続けているのです。ですから、こう言われた時にはとてもうれしかったのですが、実際にはまだまだあの表情には至っていないことは自分でよくわかっています。

しかしどうして彼が突然に「山田寺の仏頭」を持ち出したのか、不思議です。

ちなみに、友人は「興福寺の仏頭」と書いてきていますが、私には「山田寺の仏頭」として生きています。いまは収納庫にありますが私には飛鳥寺の大仏のように、山田寺にいる時の姿が何となく感じられるのです。

彼はその時に、湯島駅から湯島の私のオフィスに着くまで30分近くかかったそうです。
まあその話は、また改めて書こうと思いますが。

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第1回リンカーンクラブ例会サロン報告

リンカーンクラブの例会サロンが始まりました。
毎月1回、具体的な政策課題に関して話し合うスタイルで、当面、リンカーンクラブ会員以外にも開かれたスタイルで開催します。
毎回、リンカーンクラブの活動報告も代表の武田さんからしてもらう予定です。

今回は1回目でしたので、武田さんの新著「日本政治の解体新書」の感想を出し合った後、武田さんからリンカーンクラブ活動の方針の話があり、それをもとに質疑応答も含めて話し合いが行われました。

初めて参加された方もいたのですが、リンカーンクラブの理念である「直接民主主義」、つまり国民誰もが自分の意見をきちんと表明でき、重要な政策決定に関われる政治について、武田さんの考えを中心に話し合いました。
直接民主主義の問題点も出され、それに関する武田さんの考え方や対策なども話題になりました。
また政党政治との関係や代議制民主主義と直接民主主義との関係も話題になりました。
こうした具体的な問題を話し合うことで、いまの政治の課題も見えてきます。

これからの活動に関しては、参加者から2つの課題が出されました。
ひとつは組織化の話です。活動を広げていくためには組織づくりが大切だということで、リンカーンクラブの新しいルールを作成し、できるだけ早くみなさんにも呼びかけていくことになりました。

もうひとつは一般への広報活動ですが、これはyou tubeなども活用しながら、情報発信していくことになりました。
いずれも一緒に取り組んでくださる方を募集中です。

一緒にやってもいいという方がいたらぜひご連絡ください。
特に事務局長候補を募集中ですので、やってもいいという方はぜひご連絡ください。
当面は、リンカーンクラブの事務局役は私が担当する予定です。

次回は日程だけ決まりました。
3月23日(木曜日)です。
次回からは具体的な政策課題を話し合う予定ですが、次回は何を取り上げるか決まったら、また案内させてもらいます。

 

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2023/02/18

■節子への挽歌5526:まだ節子は生きている

節子

また久し振りの人がやってきました。
留学生サロンを節子と一緒にやっていた時に何回か参加した中国からの留学生の李東哲さんです。
その後、ビジネスの世界で頑張っていて、いまは房総半島の真ん中に住んでいます。

共通の友人の武田さんが連れてきてくれたのですが、20年ぶりの李さんは逞しく、しかしあの頃のように論の立つ人でした。
意外なことに、まず話しだしたのが、前はいつも奥さんが笑顔でお茶を入れてくれたという話でした。
先日やってきた永田さんにしろ、節子の笑顔を覚えている人は少なくないようです。
まあ、笑顔しか覚えていないという言い方もできますが。

そこからマレイシアのチョンさんや大連出身の金さんの話にもなりました。
懐かしい話です。
節子がいたらなあ、といつものように思いました。

留学生サロンは2年ほどでやめましたが、お正月には自宅にまで来てくれた郷土料理を作ってくれたこともありました。
そういえば、今年もインドネシア意にいるチョンさんからメールが届いていて、コロナも収まりそうなので、今年は日本に行けそうだと言ってきました。
みんながんばっています。

李さんは果物を持ってきてくれました。
みんなでいただきましたが、イチゴをワンケースだけ節子用にもらって帰り、節子に供えました。
立派なイチゴです。

みんな逞しく頑張っています。
そして節子のことも覚えています。
笑顔と一緒に。

久しぶりに李さんに会えたのもうれしかったですが、その李さんが節子の笑顔の話をしてくれたのが、もっとうれしかったです。
まだ節子は生きている。
そう思いました。

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■第25回万葉集サロン「作られてゆく憶良」報告

山上憶良の3回目は、「筑前国志賀白水郞歌十首」が取り上げられました。それも意外でしたが、さらに意外だったのは、今回最初に詠み上げられたのが、山部赤人の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ」だったことです。

これは誰もが知っている、百人一首にある赤人の歌です。
この歌は、万葉集では長歌の短歌として詠まれていて、しかも微妙に言葉遣いが違う。そう言って、升田さんは、長歌と一緒に万葉集の歌を詠み上げてくれました。

私の好きな歌なので、全文をあえて載せさせてもらいます。

天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は
反歌
田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける

はじめに升田さんが詠んでくれた赤人の歌は、本来、長歌の反歌だったのがその後独り歩きし、百人一首に選ばれたわけですが、百人一首と万葉集とでは、微妙に言葉遣いが違います。声にして詠み上げると、その印象はまったくと言っていいほど違います。ぜひ声に出して詠んでみてください。
ここから、平安時代における赤人の人間像は、万葉時代の赤人とは違っていたことがうかがえます。
こうして万葉歌人の人間像はつくられていく、と升田さんは言います。

ここまででも実に興味深く、十分に1回分の話題なのですが、升田さんの万葉集サロンではこれは話の糸口でしかありません。ここから話が始まるのです。ですからいつも報告をまとめるのが大変なのですが、升田さんはそんなことなど気にしてはくれません。
そして本論が始まります。

今回取り上げられた「筑前国志賀白水郞歌十首」は、あまり知られていないでしょう。
作者に関しても、民謡説も含めて、諸説あるようですが、万葉集の左注に「憶良の作」とも言われているとあるのです。作者は一人ではないのではないかという説もあるそうですが、10首はつながっていて、全体として物語性を持っています。その物語から憶良作という考えが出てきた。つまり、この歌は憶良にふさわしいと万葉集が編纂されたころには思われていたのではないか。そしてこういう風にして、憶良の人物像はつくられていったのではないかというわけです。

憶良は百済からの渡来人で、しかも遣唐使として唐の社会にも触れています。またみやこびととして宮廷人とも交流がある一方、伯耆や筑前、大宰府などの地方官として、さまざまな人とも触れ合っていたと思われます。

そうしたさまざまな社会の中で生き、さまざまな暮らしぶりに触れるなかで、憶良の人間や社会を見る目は育っていった。そして、神と対峙する人々の「多」の集まりが、多様な人びとの「他」の集まりへと変わり、そこから改めて「な(汝)」や「わ(吾)」の意識が深まっていく。

升田さんの「作られてゆく憶良」の話には、そうした人びとの意識や生き方、さらには社会のかたちの変化の動きが示唆されているのではないか。升田さんの多彩な話を組み合わせていくと、さらにその先へと思考がどんどん広がってしまうのですが、勝手な解釈はやめましょう。しかし、憶良は一筋縄ではいかないと升田さんが言っていた意味が少しわかった気がします。

前回話題になったように、憶良は、「わ(自己)」の中のもう一人の「わ」とたえず語り合っていたと言いますが、「わ」のなかに「た(多・他)」をみていたのかもしれません。そして、その「もうひとりのわ」との対話の中から憶良の歌は生まれてきた。
そこで生まれるのは、神の物語ではなく、人の物語です。そしてそこには、家族がいる。人と人とのつながりもある。人麿の世界とはまったく違います。

憶良は、家族単位で自分と人とのつながりを詠んだ最初の人だそうです。
憶良には、家族や共に生きる人へのまなざしがあった。家族はうるさいし、面倒だ。しかし子どもをみていると辛くても生きたいと思う。そう思わせるのが家族。

「世間の道」を受け容れながら、それを超えて、不条理・不可避の摂理に辛苦しながら生きる。障害になるものもひっくるめて生きている。憶良は、そこに生きる意味を見つけた。大変だが生きていたい。生への執着も強い
だからこそ、憶良は若者の死を悼んで歌っている。その憶良なら、船乗りの荒雄が嵐に合って妻子を残して死んだ時にこういう歌を歌うだろう、というわけです。

その「筑前国志賀白水郞歌十首」も升田さんはていねいに詠んでくれました。
作者や配列に関する諸説の紹介もありましたし、なかには、憶良らしからぬものもありました。しかし、たしかに憶良を感じさせるものもある。
万葉集編纂時代にすでに憶良の人間像はできていた。だから、この作者のわからない歌が、憶良ならこういう歌を詠んだだろうと思われ、憶良作と言われる歌がまた憶良の人間像をつくっていく。まさに「作られてゆく憶良」。

長くなってしまいました。
実はまだお伝えしたい話はたくさんあるのですが、そろそろ読んでもらえる限度ですね。
でもあと2つだけはお伝えしておきたいです。

まず一つは、この歌が収められている巻16のことです。

巻16には特殊な歌を集められています。これ以降の万葉集は編者の家持の歌日記であることを考えれば、この最終の巻16には分類不能な、でも気になる歌が集められているようです。この歌がどうしてここに収められたのかも興味があると升田さんは言いますが、いつか巻16もまた読み解いてほしいと思います。今回、少しだけ紹介してくれましたが、本当に万葉集の世界は広大で深遠です。

最後に升田さんは、憶良が「痾(やまひ)に沈みし時の歌」を紹介してくれました。
「をのこやも 空しかるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして」。
憶良にとって生きるとは何だったのか。
今回は詠むにとどまりましたが、升田さんがなぜこの歌を最後に出したのか、サロン終了後、ずっと考えていますが、わかりません。

憶良の世界がこんなに面白いとは思ってもいませんでした。
お伝えできないことが他にもあるのが残念です。

なお私の消化力の限界があって、升田さんのお話を誤解・曲解しているところがあるかもしれません。
文責は私にあります。念のため。

 Manyou251

 

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2023/02/17

■節子への挽歌5525:今日は3組の人たちと会いました

今日は3組の人たちと、湯島で会いました。
それぞれ全く違った人たちでしかもテーマもまったく違います。
節子が元気だったころは、毎日がこうでした。

最初に会ったのはNさんです。
私の人生を狂わせてしまった一人とも言えますし、一時は、それで私自身精神的におかしくなりかねたこともありますが、いまは静かに付き合えるようになっています。
彼自身も大変で、自己破産をしてしまったのですが、節子が残してくれた娘用の資金は、私も失ってしまいました。
そういう人とよく今も付き合っているなと言われますが、誰もが好き好んで他者に迷惑をかけるのではないのです。

次に会ったのは、20年ほど前に平和活動の集まりで会ったVさんです。
彼女はいまも平和活動に取り組んでいますが、私からするともう役割が終わった活動のようにも思います。でもその熱心さには共感するところがあります。
もし資金があれば応援できるのですが、残念ながら節子が残してくれた資金はNさんはじめ、ほかにもTさんやKさんなどにまわってしまい返済してもらえません。
ですから今は資金的には何も応援できません。
とりあえず湯島の場所を開放することにしようと思います。

3番目は、これはいささか公言を差し控えたいおふたりです。

というわけで、今日もまた疲れました。
最近はこういう日は週に1回が限度です。
むかしはよく毎日、こういう生活を繰り返していたものです。
節子がいたからできたのでしょうか。

でも当時、いろんなことをやっていたおかげで、いまの私がある。
いまは私が支えられる存在になっているのです。

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2023/02/16

■節子への挽歌5524:マスクの着用をやめました

節子

コロナ騒ぎも落ち着きだしました。
テレビの報道が静まってきたためだと思いますが、そうしたことからも今回のコロナ騒ぎは人為的な意図があったことは明らかです。
病院経営支援も含めて、私的な利権がかなり深くかかわってきているように思います。

でもああそれはそれとして、そろそろマスク強制も変わっていくでしょう。
私は当初からマスクは最小限にしていましたが、雰囲気的にマスクをしないと不安に思う人がいるようなところでは、意に反してもマスクをしていました。
たとえば、電車の中です。
まあすいている時にはもちろんマスクは外していましたが。

しかしそろそろマスクは原則やめようと決めました。
軽井沢でもほとんどの人がマスクをしていたのをみて、あまりに馬鹿らしくなったからです。空気の美味しい軽井沢でなんでマスクなんかしているのか。どう考えても狂気の沙汰です。
軽井沢駅で裕さんと別れてからは、マスクなしで帰宅しました。車中ももちろんマスクなしです。それでまったく違和感はなく、冷たい視線もありませんでした。みんなももう飽き飽きしているのでしょう。

そんなわけで昨日からマスクなしの生活です。
ただし、食品関係のスーパーやマスク着用と表記されているような場所、たとえば図書館などはもちろんルールを守るようにしています。
私の知人友人には、まるでマスクをしないことが正しいというような人もいますが、そういう発想はマスク強要派と同じだと思いますので、私には違和感があります。

マスクをしなくなっただけで、なんだか解放感があります。
でもまあ、時に髭を剃らずに出かけられたというマスクの効用も、少し捨てがたい気もしますが。

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■湯島サロン「ソーシャル・キャピタルの観点から見た日本の劣化」報告

「ソーシャル・キャピタル」という切り口から、日本の社会のあり方を考えてみるという大守隆さんのサロンは申込者が多くて、受付を締め切らせてもらうほどの関心の高さでした。「ソーシャル・キャピタル」に関心を持った方が多かったようです。

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 大守さんは、日本の経済社会の劣化状況を概説してくれた後、「ソーシャル・キャピタル」とは、「社会関係資本」というような訳語もあるが、信頼、つながり、互酬性、ボランティア…など、人と人との関係を含意した非制度的、非市場的な概念で、必ずしも一次元的なものではない、と説明。そのソーシャル・キャピタルという概念から社会の劣化について考えてみたいと話しだしました。

大守さんは、日本のソーシャル・キャピタルは二極分化していると言います。たとえば、治安状況や電車や飛行機などの定時運航などから考えれば信頼度はとても高い一方、いわゆる一般的信頼という面での他者への信頼感は、寄付行為や選挙の投票率、あるいは身勝手な団体行動などにも表れているように低い。そしてその背景には、集団志向があるというのです。「所属している」団体の規律を重視する姿勢が強く、いわゆる「ウチとソト」論、つまり仲間内とよそ者への対応は違う傾向が強いというわけです。

今回、「ソーシャル」とは何かということに関心を持って参加した人もいましたが、内なるソーシャルと外との関係という意味でのソーシャルの、いずれに焦点を合わせるかで、ソーシャル・キャピタルの捉え方も変わってくるのかもしれません。
しかしソーシャルを多層的に捉えたとしても、それらは密接につながっていますし、社会と個人との関係を対立関係で捉えるか、ホロニックな包摂関係で捉えるかによっても、受け止め方はまったく違ってきます。その上、社会の優劣の基準も多様ですから、そう簡単な議論ではないかもしれません。
これは、益田さんのサロンでの議論にもつながっていくテーマです。

しかし、主観的幸福度や生活満足度など広い指標でみても、いまや日本の社会は国際的にみて低位にあり、日本の社会の劣化傾向は否めないと大守さんは言います。時系列的に見ても、日本の社会は劣化傾向にある。なぜこういう状況になってしまったのか。そしてこれからもこの傾向は続くのか。

大守さんは、その背景にあるのも、集団志向が生み出す「空気本意制」とも呼ぶべき社会規範なのではないかと言います。大守さんは「空気本位制の罠」という表現を使い、その歴史的背景も含めて、具体的に説明してくれました。そしてそうした日本のソーシャル・キャピタルのありようが、昨今の日本の社会の劣化を生み出していると分析してくれました。

ここまでは参加者にもあまり異論はなかったと思いますが、大守さんの話はさらに進みます。そして、長年の疑問を追求した結果たどり着いたという、「社会的性選択仮説」を紹介してくれました。

これは、「配偶者の選択が当該個体の属する社会の規範など、社会的要因を考慮して行われることによって、その社会における遺伝子の分布が特定の方向に動いていくこと。遺伝学の発達によって、社交性や協調性などの性格も後天的な要因だけでなく遺伝の影響を受けていることが明らかになってきた。園芸作物の品種改良にみられるように、突然変異が稀であっても、特定の方向に取捨選択が行われれば、比較的短期間のうちに集団の遺伝子の分布は大きく変わり得る。従来、ソーシャル・キャピタルの地域差は、災害や自然条件などによって農業や地域社会の在り方が影響を受けて変容し、それが慣性として残っているために生じていると考えられてきたが、社会的性選択が影響している可能性が考えられる」という、大守さんが提唱している仮説です。

そして大守さんはこう言うのです。

こうした仮説の観点から日本の状況を考えてみると、「出る杭は打たれる」という伝統的な考え方に加え、雇用保障力のあるムラに属し、その空気を忖度し、ムラのボスを目指すような性格を裏付ける遺伝子の比率が高まる方向に濃縮されているのではないか。
そしてそのような性格の人々が増加したことが、そのような処世法が賢いとするような社会規範を強め、遺伝子分布と社会規範とが相互に強め合って(悪?循環)そうした方向に進んでいるのではないか。

かなり思い切った仮説ですが、現状のさまざまな動きを考えれば、いろいろなことが説明しやすくなるような気がします。
この仮説に従えば、日本の社会の劣化は、まだ続きそうです。

だとしたら、どうしたらいいか?
これが大守さんの問いかけでした。

あまりに大きな問題提起だったこともあり、話し合いはそこまで至りませんでしたが、ソーシャルとはなにかとか、多様性のジレンマとか、ミーム(社会的遺伝子)の話とか、そもそも人と出会う機会が減って来たとか、話はいろいろと広がりました。

ソーシャル・キャピタルにつなげて言えば、「不安が高まっている」一方で、「人の触れ合いやつながりが減っている」という話が基調にあったような気がします。
面白かったのは、定年退職などで組織を離れるととたんにつながりが減るという男性の声と定年退職してボランティアを始めたら不安はなくなりつながりが増えたという女性の声が出されたことです。
「不安」と「つながり」の関係は、世代やジェンダーによって違うのかもしれません。

私は、人は出会わなければ信頼も生まれないと思っていますので、出会いやつながりが減っている最近の風潮には不安を感じていますが、どうもそれが正しいとは限らないことに気づきました。不登校やリモート交流が増えたり、マスク文化が広がったりしている状況からわかるように、つながり方や信頼関係のつくり方が変わってきているのかもしれません。それもまた「社会的性選択」や「社会のかたち」にもつながっていく。

私たちの暮らしを支えてくれる大切なもの、というのが私のソーシャル・キャピタルの捉え方だったのですが、今回のサロンでの話し合いで、私にとってのソーシャル・キャピタルの地平はさらに開け、改めて社会(この言葉ほど多義的な言葉はありません)とは何かを考えてみたくなりました。

ちなみに話し合いが終わったところで、大守さんの「社会的性選択仮説」への評価を参加者に訊いてみたら、肯定的な人の方が否定的の人の2倍もいました。なんとなくみんなもそんな感じを受けているようです。

だとしたら、どうしたらいいか?
大守さんの問いかけはしっかりと考えていかなくてはいけないようです。
流れに直接抗うのは、私にはもう遅すぎますが、何かできることはあるかもしれません。

宿題をたくさんもらったサロンでした。

ちなみに、今回は、「ソーシャル・キャピタル」そのものが焦点ではなく、「日本社会の劣化」がテーマでしたが、「ソーシャル・キャピタル」概念そのものに触れていない人も多いことがわかったので、改めて「ソーシャル・キャピタル」そのものを話題にするサロンを3月後半に開催することにしました。追って案内させてもらいます。

また、ソーシャル・キャピタルやソーシャル・ガバメント関連のサロンも、継続的に考えていこうと思っています。問題提起や話題提供したい人がいたらご連絡ください。

社会の劣化は、やはりくい止めなければいけません。

 

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2023/02/15

■節子への挽歌5523:久しぶりの軽井沢

節子

一昨日から昨日まで、友人が軽井沢に招待してくれました。
たまにはパソコンや相談事などの世事からはなれてゆっくりしろということのようなので、パソコンも書籍も持たずにほぼ手ぶらで出かけました。雪なのでサンダルはやめろというアドバイスはきちんと守りましたが、出張用にいつもなら持っていく洗面用具なども忘れてしまいました。

ホテルにチェックイン後、ともかく部屋で休んだろ温泉に入れという指示、久しぶりに無為の時間を過ごしましたが、最初は無為すぎて、せめて本くらい持ってくればよかったと思いました。
テレビはもちろんみませんでした。

夕食は久しぶりに会席料理。
翌日も部屋でゆったりし、ふたりで近くの雲場池まで散歩。
友人と他愛もない談笑をする以外は、ほぼ無為の2日間でした。

幸いに2日目は軽井沢は快晴。青空がとてもきれいです。
幸いに私は青空を見ているとあきないのです。
部屋からは朝の日の出まで見えて、いつものように陽光を楽しめました。
ゆったりした2日間で心が洗われた気がします。

冬の軽井沢は久しぶりでしたが、10年ほど前に行った時よりも活気を感じました。
お店もそれなりにやっていて、観光客もそれなりにいました。
駅近くのアウトレット方面は中国人観光客でにぎわっていました。

招待してくれた友人は、佐藤裕さん。
私も知らなかった彼の若いころの話も聞けました。
みんなそれぞれの豊かな人生がある。
その豊かさには喜びも悲しさもある。

改めてそんなことを感じた2日間でもありました。

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■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました

久しぶりにNHK制作のドラマを観ました。
「ガラパゴス」です。
https://www.nhk.jp/p/ts/BNYM78ZK64/list/

自殺と処理されていた労働者の死に疑問を抱いた刑事が真実を探り出していくドラマです。
題材は、派遣労働者の実態であり、コストダウンにより収益向上を図る日本企業の実態であり、政治と行政と司法の癒着の実態であり、そのメッセージは「人間の弱さ、悲しさ」、でも同時に「人間の優しさと強さ」です。

NHKの良心を感じました。
ぜひ多くの企業の経営者に見てほしいものです。

私は企業勤務時代、「コストダウン」発想に異論を唱えていました。
コストダウンではなく「バリューアップ」に経営の方向を変えなければいけないと思っていたのです。副社長に話したこともありますが、でも何もできなかったのは、その「バリュー」への考察が不足していたからです。
その頃のことを思い出しました。

地上波テレビではまだ放映されないようですが、もし放映されたらぜひ見てほしいです。
最近の表層的なドキュメンタリーやニュースよりも心が揺さぶられます。
登場人物が、私には実際の政財界の特定の人の顔に見えてしまいました。

 

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2023/02/13

■節子への挽歌5522:久しぶりに新幹線です

節子

また寒くなりました。
昨日は3月下旬の暖かさだったのですが。

コロナ感染症に関する不安を高める風潮がようやく下火になりました。
もうたぶん「目的」を達成したのでしょう。
マスクの着用も「個人判断」などというバカげた政府発言やテレビ報道が続いていますが、少しずつ電車でもマスクをしていない人が出始めています。

私も昨日はマスクなしで、湯島に往復しましたが、嫌な思いをすることもありませんでした。
これで日本人の健康も少しは守られるようになるでしょう。
しかし子どもたち世代の健康は、この3年で大きく後退したでしょう。本当に恐ろしい時代です。

というようなことは、挽歌ではなく、時評編に書くべきですね。
でもまあ節子がいたらどう反応するかにはちょっと関心があります。

今日は友人が軽井沢に招待してくれました。
私も少しはパソコンから離れてゆっくり休めということでしょう。
軽井沢は久しぶりです。
というよりも、この3年間、新幹線にも乗っていません。
うまく軽井沢までいけるでしょうか。

ちょうど孫たちは、越後湯沢に雪遊びに出かけました。
お土産を買ってきてね、とにこに言ったら、ユカさんには買ってくるけどおさむさんには買ってこないと言われました。
困ったものです。

私もそろそろ出かけますが、我孫子も雪が降りそうです。

 

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■節子への挽歌5522:久しぶりに新幹線です

節子

また寒くなりました。
昨日は3月下旬の暖かさだったのですが。

コロナ感染症に関する不安を高める風潮がようやく下火になりました。
もうたぶん「目的」を達成したのでしょう。
マスクの着用も「個人判断」などというバカげた政府発言やテレビ報道が続いていますが、少しずつ電車でもマスクをしていない人が出始めています。

私も昨日はマスクなしで、湯島に往復しましたが、嫌な思いをすることもありませんでした。
これで日本人の健康も少しは守られるようになるでしょう。
しかし子どもたち世代の健康は、この3年で大きく後退したでしょう。本当に恐ろしい時代です。

というようなことは、挽歌ではなく、時評編に書くべきですね。
でもまあ節子がいたらどう反応するかにはちょっと関心があります。

今日は友人が軽井沢に招待してくれました。
私も少しはパソコンから離れてゆっくり休めということでしょう。
軽井沢は久しぶりです。
というよりも、この3年間、新幹線にも乗っていません。
うまく軽井沢までいけるでしょうか。

ちょうど孫たちは、越後湯沢に雪遊びに出かけました。
お土産を買ってきてね、とにこに言ったら、ユカさんには買ってくるけどおさむさんには買ってこないと言われました。
困ったものです。

私もそろそろ出かけますが、我孫子も雪が降りそうです。

 

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■節子への挽歌5522:久しぶりに新幹線です

節子

また寒くなりました。
昨日は3月下旬の暖かさだったのですが。

コロナ感染症に関する不安を高める風潮がようやく下火になりました。
もうたぶん「目的」を達成したのでしょう。
マスクの着用も「個人判断」などというバカげた政府発言やテレビ報道が続いていますが、少しずつ電車でもマスクをしていない人が出始めています。

私も昨日はマスクなしで、湯島に往復しましたが、嫌な思いをすることもありませんでした。
これで日本人の健康も少しは守られるようになるでしょう。
しかし子どもたち世代の健康は、この3年で大きく後退したでしょう。本当に恐ろしい時代です。

というようなことは、挽歌ではなく、時評編に書くべきですね。
でもまあ節子がいたらどう反応するかにはちょっと関心があります。

今日は友人が軽井沢に招待してくれました。
私も少しはパソコンから離れてゆっくり休めということでしょう。
軽井沢は久しぶりです。
というよりも、この3年間、新幹線にも乗っていません。
うまく軽井沢までいけるでしょうか。

ちょうど孫たちは、越後湯沢に雪遊びに出かけました。
お土産を買ってきてね、とにこに言ったら、ユカさんには買ってくるけどおさむさんには買ってこないと言われました。
困ったものです。

私もそろそろ出かけますが、我孫子も雪が降りそうです。

 

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■生活事業研究会の最終発表会のご案内

湯島ではサロンとは別に生活事業研究会というのをやっていますが、その第2期の最終発表会を下記のとおり開催します。
基本的には、第2期の参加者の発表会なのですが、第1期の希望者もその後の経過などを発表してもらいます。

今回は私の話はなく、参加者のプロジェクト発表と質疑応答が中心ですが、研究会受講者以外のみなさまにも呼びかけて、関心のあるには参加していただき、次につなげていくことになりました。
急なお誘いですが、もしご関心のある方がいたらご参加ください。

ちなみに、生活事業とは、「自分たちの、自分たちによる、自分たちのための事業」です。つまり社会のための事業ではなく、ましてや収益(金銭)のための事業でもありません。目的は、お金ではなく、たとえば「仲間づくり」であり、「生きる意味さがし」です。自分たちの生活を豊かにするために自分たちでなければできないことを実現していくプロジェクト、あるいは活動と言ってもいいかもしれません。

「事業」というと、多くの人は「お金」につなげて考えがちですが、そういう「文化」そのものも変えていければと思っています。
もし参加したい方がいたら、ご連絡ください。
4月から第3期の募集を予定しています。

日時:2023年2月19日(日曜日)午後1時半から5時(予定)
会場:コンセプトワークショップ湯島
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
会費:500円
参加申込先:qzy00757@nifty.com

 

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2023/02/12

■節子への挽歌5521:実盛坂の補修

節子

節子も長年通った湯島のオフィスに行く途中の実盛坂の階段の補修工事が進んでいます。
最初の頃は、58段の幅2メートルくらいの細い急階段で上るのも大変で、節子が体調を崩してからは部屋のオーナーの綱島さんのご好意で、隣の綱島ビルのエレベータを使わせてもらっていました。

当時はテレビドラマの撮影などにも使われていました。
その後、少し幅が広げられ、イメージが変わってしまいましたが、急であることには変わりなく、いわば私にとっては健康のバロメータでもありました。
疲れている時には途中の踊り場で一休みしたくなることもありました。
でもそのおかげで、いまも普通に歩けているのかもしれません。

工事中は坂は通行禁止ですが、幸いに坂に隣接したところにサミットが開店し、そこについているエレベータが一般にも開放されています。
つまり、それを使えば、坂を上がらなくても大丈夫というわけです。
おかげで湯島に来る人は喜んでいますが、なかには情緒がなくなったと嘆いている人もいます。
10年前の私ならきっと嘆いて、エレベータは使わないでしょうが、いまはそのエレベータのおかげを享受しています。もう階段坂を上ることはないでしょう。
人間は怠惰なものです。

昨日、見たら、改修作業ももうほぼ完成です。
とてもすっきりしましたが、やはりなんとなく味気ない。
でもやはり完成したら、一度は頑張って上ってみようと思います。
節子と一緒に長年上った坂ですから。

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2023/02/11

■節子への挽歌5520:葬儀を連想させる朝  

節子

今日は父の命日です。
あの日も、寒い日でした。
まだ会社に所属していたおかげで、職場の社員たちが手伝いに来てくれました。

自宅での葬儀だったので、大変でした。
私も最初の喪主だったたため、対応がわからずに、みんなには迷惑をかけただけだったでしょう。

その後、母はお寺で見送り、節子は葬儀会社のホールで見送りました。
いま思えば、節子もやはり自宅で見送るべきでした。
節子はそれを望んでいましたから。

しかし、家族葬的にやろうと思っていたにもかかわらず、友人たちが訃報を流したおかげで、当日は予想以上の人たちがきてくれました。
当時はまだ、葬儀は社会通念として生きていたのです。

しかし最近は、コロナ騒ぎを契機に、葬儀不要論や葬儀縮小論が広がり、この3年、私もかつてのような葬儀に行ったことがありません。
あらためて考えてみれば、かつての葬儀はやはり形式に堕していた気もします。
節子の葬儀の時も、最初は様子がわからず、葬儀社の言うなりでしたが、それでもいろいろと自分で判断して行動を変えたところもあります。
その時には、葬儀が終わったら、葬儀社のアドバイザーになろうかと真剣に思ったほどでした。

しかし最近は少し考えが変わってきました。
葬儀はやはり心を込めて見送ってくれる人だけでやるのがいいような気がします。
さらに言えば、生きている間に、葬儀ができれば一番いいなとも思います。
私の場合は、できればそういうスタイルをとりたい気がしますが、まだ名案が浮かびません。

昨日は東京は雪でしたが、我孫子は少しちらついただけでした。
期待した雪景色は見られませんが、でも空気が浄化されたようで、今朝の陽射しは昨日以上に眩しいです。まるで雪が降った翌朝のようです。
朝焼けもとてもきれいでした。

雪化粧の朝と葬儀は、なぜか私の世界の中ではつながっています。
この静けさも、葬儀を思い出させます。
父への思いも込めて、今朝は般若心経を唱えました。

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2023/02/10

■節子への挽歌5519:たったひとつの柚なのに

節子

友人から体調の関係で予定していたサロンに参加できなくなったというメールが届きました。
その連絡のうしろに、「お礼」という追記がありました。
そこにこう書かれていました。

年末に柚をいただきありがとうございました。
お正月の紅白なますに柚を使わせていただきました。
とても香りがよく美味しくいただきました。
奥様が丹精込めて育てた柚が、一度もお会いしたことのない私達に喜びを下さるなんて、何と素晴らしいことでしょう。
私もそうなりたいです。
一口づつ口に運びながら、思った新年でした。
ありがとうございました。😌

メールをくれたのは私の小学校時代の同級生です。
長らく交流がなかったのですが、昨年から湯島のサロンに時々来てくれるようになりました。
年末に小学校時代の同級生の集まりを湯島でやった時に、わが家の気になっていた柚を少し持っていき、欲しい人に持って行ってもらったのです。
彼女は、その時に一つ持って帰ってくれたのです。

それがまさかのこの御礼。
私としては無駄にる柚子を持って帰ってくださっただけでうれしかったのに、感謝されるとは思ってもいませんでした。

一度もお会いしたことのない私達に喜びを下さる……と書かれているように節子は彼女に会ったことはありません。
にもかかわらず、「私もそうなりたいです。」とまで書いてくださっています。
こうしたところに、その人の生き方や人柄が見えてきます。
ちなみに彼女は決して言葉だけでの人ではありません。
何十年ぶりかに、彼女と会って、何回か接しているうちに、それが伝わってきています。

たった一つの柚でこんなに喜んでくださる。
いや、問題は柚の話ではないのでしょう。
いろいろなことを考えさせられたメールでした。

私も彼女のような人になりたいと思いました。
節子も、彼女に見習わなければいけません。

なんだかとても心があったまりました。

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■節子への挽歌5518:時間をかけて手紙を書きました

節子

我孫子も今日は雪予想でしたが、少しちらついただけで雪は積もりませんでした。
でも寒い一日でした。

やらなければいけないことを最近またリストに書きあげているのですが、そのいくつかをやることにしました。
やり残しているのは面倒なことばかりです。
前に書いた気がしますが、節子は「まずは大切なこと」から手を付けるタイプでしたが、私は「かんたんにやれること」から始めるので、いつも面倒なことは残ってしまうのです。
なかにはもう1年以上リストに残っていることがあります。
困ったものです。

今日は昨年もらったクリスマスカードの返事と年末に届いた年賀欠礼のはがきへの返信などを書くことにしました。

クリスマスカードは、ボストン在住のSさんです。
Sさんは昨年10月に来日しましたが、あいにくその日、私は入院した翌日でした。
ユカが帰宅して留守電に入っているSさんのメッセージを聞いて、教えてくれましたが、Sさんはパソコンも携帯電話も持っていません。
アメリカで情報関係のお仕事をされている関係からかもしれませんが、そうした情報危機にはとても用心深く、ほとんど使わないのだそうです。私にもアドレスなどは教えてくれません。
でも時々、私のブログかフェイスブックを見ているようで、サロンのことも知ってくださっています。

在日期間中に、うまく連絡が取れずに、結局、Sさんとはお話もできませんでした。
その後、クリスマスカードが届いたのです。
Sさんのご自宅の写真が入っていました。とても素敵な家です。
そういうのを見ると、やはり日本とアメリカの豊かさの大きな違いを感じます。

年賀欠礼のお知らせで気になっていた人が一人いました。
Mさんです。
私が知り合った時のMさんは企業にお勤めでしたが、親の介護で会社を辞め、あまり連絡が来なくなりました。
せっかくのMさんの才気や誠実さが、なんだか埋もれてしまっていくようでとても気になっていたのです。

ところが昨年末、年賀欠礼の手紙。
その後、どうしているかなあとずっと気になっていたのです。
落ち着いたらまた湯島でお会いしたいと書きました。
落ち着いていたらいいのですが。

節子の言っていたことを思い出しながら、今日は相手のことを考えながら、手紙を書きました。
書いた手紙はたわいない内容ですが、書きながら思っていたことはたくさんあります。
節子が手紙を書くのに時間をかけていた意味が、あらためてよくわかります。

今年は、SさんやMさんに会えるといいのですが。
いやたぶん会えるでしょう。
そんな気がします。

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2023/02/09

■節子への挽歌5517:神経がつながってよかったね

節子

電話話ついでにもう一つ書きます。
これは数日前の話ですが。

時々電話してくる同世代の友人から電話がありました。
毎日新聞に論考を載せたので読んでほしいという電話だったのですが、最初に言ったのが、神経がつながってよかったねという話でした。
最初は何のことかわからなかったのですが、しばらく前にフェイスブックに書いたことだと気づきました。

こんなことを書いたのです。
以下、その概要を引用します。

今日は脳神経外科の定期検査です。
脳の細い血管が2本消えかかっていたのが数年前に確認され、以來、薬を飲みながら、定期的にいろいろと検査を受けています。
今日は半年ぶりのMRI検査でしたが、なんとこれまで画像では繋がっていなかった血管に細い繋がりがみえるようになっていました。医師も薬では回復しないのだがというのですが、間違いなく前回の状況とは違います。次回はもっと太くなっているでしょうか。病院に来るのが楽しみになりました。

数年前にあまりに視野異常やめまいなどが多いので、脳神経外科に行ったら、2本の血管が切れかかっていて危険だと言われました。そのことは前に書きました。

以来、定期的に検査に行き、年に2回ほどはMRI検査もしているのです。
今回は画像ではなんと切れていた血管が細いながらもつながって見えたのです。
医師も、こんなことはないはずだと盛んに言っていましたが、画像では明らかです。
そのことを書いたのですが、実際には私自身には何の変化もありませんから、もう忘れていたのです。

こうしたことは、書いた本人よりも読んだ人のほうに記憶が残るのでしょう。
まあ私の場合は、あんまり身体知識がありませんので、血管が切れようと繋がろうとたいして気にはならないのです。生きている自分を信頼していますから。

私自身は気楽にいろいろと書いていますが、それを読んで気にしてくれる人がいることへの配慮が皆無でした。
まあこの歳になって、そんなことに気づくようではどうしようもない。
そういえば、昨日も、寄付騒ぎで、振込口座を正確に書かなかったため、確認してきた人は、やはり「佐藤さんはデクノボーですね」と書いてきました。
たぶんこれは「誉め言葉」だと思います。

でもまあいずれにしろ今日も健康です。

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■節子への挽歌5516:昨日は長電話に振り回されました

節子

今日はいい天気になりそうです。
朝の陽光がとても元気がよくて気持ちがいいです。

昨日は「寄付」騒動で戸惑いましたが、それ以外にも、4本の長電話でいささかつかれました。
長電話は、なぜかまた最近増えているのですが、昨日は「長電話の常連」ではない人との長電話でした。

いずれもあることの相談でしたが、これまでも何回か、相談を受けていて、一応、私見は伝えているのですが、それを一向に理解してくれないため、定期的にまた同じ相談の電話があるのです。ですから、私自身もその時の気分次第で、いささか対応の姿勢が悪くなってしまうのですが、懲りずにまた電話してくる。困ったものです。

しかも私は電話が苦手です。
相談があったら会いに来いと言いたいのですが、相手はむしろ電話の方が私の負担が少ないと思っているのでしょう。勝手な善意は、悪意になることもあるのです。
相談をする以上は、自分もある程度の負担をしなければいけません。手軽な電話で済まそうとすることが私はやはり賛成できません。

たしかに電話の方が私も楽ですが、相談を受けるということはそれなりの覚悟を私自信も持ちますから(そうでなければ相談には乗れません)、負担は仕方がありません。ですから電話での相談は、それ自体がいささか私には不快で、その気持ちがどうしても出てしまいます。そばで時々、電話を聞いているユカは「お父さんは器が小さい」と言いますが、素直に生きることを信条としている私としては、素直な気持ちを隠すことなどできません。
困ったものです。

昨日の電話のひとつは、一昨日留守電にかかっていた年上の人です。
昨日かかってくるかと思っていましたが、かかってこなかったので電話しました。もしかしたら、と不安になったからです。
お元気そうでした。ホッとしました。

しかしコロナで、夫婦ともどもダウンしていたようです。暖房のための灯油がなくなって大変だったようです。近所づきあいはあるはずですが、最近は気楽に支え合う関係は希薄になってきているのでしょうか。
自らの弱みを生きていけば、みんなもっと暮らしやすいのに、といつも思いますが、なかなかそうはいかないのでしょう。

さて今日は電話がないことを乗ります。
むかしと違って、電話で朗報がとどくことは最近はありませんので。

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2023/02/08

■節子への挽歌5515:湯島応援呼びかけ騒動

節子

湯島のサロンのメーリングリストに、サロン支援を呼びかけるメール(このブログの前の記事です)を投稿してしまったのですが、この反響が多くて、戸惑っています。

最近、湯島でのサロンの大きな話題のひとつは、金銭対価と仕事の価値は関係ないのではないかということです。
一昨日もそうしたサロンをやっていたのですが、その報告を書きながら、湯島のサロンの維持に金銭対価を払うとしたら、みんなどう反応するだろうかということを思いついて、メーリングリストで金銭の寄付依頼を呼びかけたのです。

まあ軽い感じで投稿してしまったのですが、いろいろと反響があって戸惑っています。
しかも、その振込先の銀行口座を正確に書かなかったため、これでは振り込めないと早速メールが来ました。銀行の支店名を書き忘れていたのです。

しかも意外だったのは、その問い合わせをしてきたのが、つい最近、サロンに参加しだした人だったのです。
サロンの効用などは全く享受していないはずなのに、どうして寄付してくれるのだろうかと思っていたら、次は、振り込めないので湯島に持っていくという人が現れました。
いささか心配になってきました。この人もめったにサロンには来ない人です。
だからと言って、いまさら、辞退するわけにもいきません。
やはり気楽に支援を呼びかけてはいけません。

節子がいたら、投稿前にチェックしてもらえたのですが、いまはもうそのチェック機能がありません。
まあそのため、節子が残した貯金の半分ほどを失ってしまったこともあるのですが、どうも私の行動は軽すぎるのです。困ったものです。

でもある人がこんなメールもくれました。

素直な想いがメールに…。良い機会。甘えて下さい

みんなから支えられているなあとつくづく思います。

ところでこういう気になったにはきっかけもあるのです。
ある人が、初めてサロンに参加してくれて、500円では安すぎると言ってわざわざ別の日に会いに来て、5000円を置いて行ってくれたのです。しかも別に商品券まで届けてくれました。

また前にも少し書きましたが、別の人はサロンの報告ばかり書いていないでたまには休めと言って温泉に招待してくれたのです。
最近は、私は現金がないので地方にはなかなか行けませんが、それを知ってか、旅費まで負担してくれるというのです。

一体、いまの私はどういう風に見えているのでしょうか。
まあそんなこともあって、寄付を呼びかけたらどんな反応があるだろうかと気になってしまったのです。

いささか気になっているのは、寄付した人が私にはわかる仕組みにしてしまったことです。
配慮不足でした。私も誰が寄付したかは知りたくありません。どうしたらいいでしょうか。
節子がいたら私には絶対に名前を教えないようにと頼めたのですが、いまはそれが難しい。
いささか浅はかな行為でした。

困ったものです。

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■湯島サロン持続のための支援のお願いです 

湯島サロンは、みなさんの支えによって、30年以上にわたり(かなりの変化はありましたが)継続しています。最近は、開催回数も増えて、参加者も話題も広がっています。また私以外の人が主催するサロンや集まりも増えて、とてもうれしいです。

今回は湯島のサロンを維持継続していくための経済的な支援のお願いです。
これまでもいろいろな人たちの支援によって維持されてきていますが、改めて広く支援をお願いすることにいたしました。

湯島でのサロンをつづけることに意義を認めていただき、そして使い道に困っているお金がある方がいたら、次の口座に振り込んでいただけるとうれしいです。

三菱UFJ銀行 春日町支店 普通口座 1542252
口座名義 CWSコモンズ村村長佐藤修

ただ、現在、経済的に行き詰って湯島の場所を維持できないわけではありませんので、もっといい使い道があれば、ぜひそちらに使っていただくのがいいと思います。
本当に困った時には、また改めてお願いするかもしれませんが、幸いに現在は当面の維持には問題はありませんので、使い道に困っている方のみお願いできればうれしいです。

経済的な支援だけではなく、もし湯島の場所で話し合いの場をつくりたいという方がいたら、ぜひ活用していただくのもうれしいです。現在は、私が事務局役でのサロンの案内が多いですが、いろんな人が主催するサロンが増えれば、思い込みの強い私の世界を超えて、もっと多様なつながりや楽しいサロンが生まれると思います。そうなれば、湯島の場所のパワーも高まるかもしれません。

ただ、湯島の部屋を使うための目安ルールがありますので、お使いいただく場合は、そのルールを参考に「応能主義」で活用していただければと思います。

長々と書いてしまいました。

サロンでは、お金の呪縛から離れて生きることを志向していると言いながら、お金の支援のお願いはちょっと迷ったのですが、現実には東京での場所の維持は、それなりにまだお金が必要になるので、こんなお願いをさせてもらいました。

いつもながらわがままなことで申し訳ありません。
繰り返しますが、いま維持に困っているわけではありませんので、ご心配なく。

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2023/02/07

■湯島サロン「仕事の対価をどう考えるか」報告

「働く」を考えるサロンの5回目は、「仕事の(金銭)対価をどう考えるか」という難しいテーマでした。

案内したら数人の方からメールをいただきました。なかには、自分もそういった問題を抱えているが、なかなかオープンには話すことができません、というものもありました。対価としてのお金の問題は話しづらいのかもしれません。しかし、そこにこそ問題があるのかもしれません。
意外だったのは、最近企業で働きだした若い人が参加したことです。対価をもらって働きだしたことで、改めて「対価としてのお金」の意味を考え出したようです。参加者の顔ぶれだけからでも、いろいろなことに気づかせてもらったような気がします。

まず、仕事の対価を決めるのは誰か、ということが話題になりました。
仕事をするほうが価格を決めるのか、仕事を頼むほうが価格を決めるのか。
経済学の世界では、需要側と供給側の合意点で価格が決まると言われますが、実際の社会ではそう簡単な話ではありません。とりわけ属人性の強い「相談事業」のようなものは、生み出される価値が人によってさまざまですから、特に難しいでしょう。

これに関して、実際にそうした事業に取り組んでいる人から、予め価格を設定する方式、価格を顧客に任せる布施方式、さらに顧客と事業者が相談して価格を決める方式などの経験を話してくれました。それぞれにやはり難しさはありそうです。

また、相手の状況で価格に差をつける「応能主義」や「状況主義」も話題になりました。これは仕事そのものの価値で「対価」は決まるわけではなく、金銭の価値そのものが人によって違っていることから成り立つ考えのように思います。つまり「金銭」は、一見、客観的な価値基準のようで実はこれもまた極めて主観的な価値基準であることを示唆しているように思います。お金も決して、客観的な基準ではないのです。

さらに時代環境によって、仕事の対価は大きく変化するということも話題になりました。経済環境の違いによって仕事対価の関係は大きく変わる。となると、ますます「仕事対価の金銭評価」は難しい問題です。

金銭対価に煩わされることなく、納得できる仕事をしたいというのが、誠実に仕事をしている人にとっては共通の思いでしょうが、仕事を持続させていくためには生活基盤の安定が必要で、そのためにはお金が必要になるという現実があります。

ここから「稼ぎの活動」と「働く活動」とは、実はまったく別のことであることが明らかなように思います。いまの時代、稼ぐ人は多いですが、働く人はとても少ない。だからいわゆる「ブルシットジョブ(無意味な仕事)」が増えていく。そんな気がしてなりません。その意味でも、「働く」とは何かをみんなもっときちんと考える必要がある、と私は考えています。

組織で働いてみて感ずるのは個人の相談事業はあまりにも安すぎることだ、という趣旨の発言がありました。実際にやってみればわかりますが、たしかに私もそう思います。しかし、多くの人は「組織」だから、「公的な資格」があるからと、仕事の「内容」ではなく、そうした「仕組み」に対する時と個人に対する時とでは金銭感覚が違ってくることが多いように思います。作業をやる時間給と相談業務とはまったく別のものですが、そこも混同されがちです。「動く」ことと「働く」ことはまったく違うのです。
しかも最近は、「公的資格」がないと「仕事」さえもできないような状況も広がっています。まさに「働きにくい社会」になってきています。

簡単に金銭評価できるような仕事は、むしろ価値がないのではないか。
対価に応じて仕事に取り組む姿勢は変わるものかどうか。
そもそも仕事を金銭評価しなければいけないのはなぜか。
仕事の報酬は金銭対価以外にもいろいろとあるのではないか。
などなど他にも話題はいろいろと出ましたが、最後に一つだけ私の印象に残った話を紹介させてもらいます。

それは参加者が出してくれた「覚悟」という言葉です。
相談などの仕事の場合、頼むほうも受けるほうも「覚悟」が「価格」を決めるのではない、あるいは価格の呪縛から解放してくれるのではないかというのです。

死を避けるためなら金に糸目はつけないという言葉がありますが、本当にその問題を解決する気があるのであれば、金銭を優先することなく、問題解決の視点から料金の捉え方は変わってくるはずだというわけです。たしかに納得できます。
本気で解決したいのであれば、相談者にとっては金銭が高い安いは二の次でしょうし、相談に乗るほうも本気で解決に取り組もうというのであれば、金銭など気にはならないでしょう。もちろん「弱みに付け込む」ようなことは、覚悟とは無縁の世界です。

しかし、ここで前述の「自らも生活していかないとその仕事さえも継続できなくなる」という現実がある。そこで、この問題は、社会のあり方につながっていきます。
以前、霜里農場をテーマにしたサロンで、農産物の売り手と買い手の「もろとも関係」が話題になったことがありますが、そうした問題につながっていく。これは今度の日曜日に開催する「ソーシャル・キャピタル」の問題にもつながっていくでしょう。

サロンではもっといろいろな示唆をもらいました。
覚悟を表す指標のわかりやすい手段がお金かもしれない、とか、お金は多義的な言葉以上に効果的なコミュニケーションメディアではないかなど、いろんな気づきをもらえたサロンでした。
しかし、その一方で、対価をもらうと仕事が楽しくなくなる、という若い世代の人の意見にも考えさせられました。

次回の「働くを考える」サロンでは、もう一度、仕事とお金の関係を掘り下げて議論したいと思います。312日を予定しています。詳しくはまた案内させてもらいます。

Hataraku500

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■節子への挽歌5514:佐藤さんの奥様の夢を3回見ました

節子

昨日はなぜかいろんな人から長電話がかかってくる日になりました。
みんないろんな問題を抱えながら生きている。
私も自分だけの世界に閉じこもっているわけにはいきません。
と思いながらも、最近は、心身的にも経済的にも、なかなか動けないでいます。

そういえば、そうしたことを知ってかどうか、友人が私を温泉に招待してくれるという電話が一昨日届きました。
3日間でどうかと言われて、予定を確認したら、3日続けて空いている日が1か月先までないことに気づきました。
暇で暇で仕方がないなどと思っている割には、何かと予定を入れているのに気づきました。困ったものです。

まあそれはそれとして、一昨日書いた、久しぶりに訪ねてきた友人のメールの続きです。
少し重なっているかもしれません。

数十年前に、胸騒ぎで佐藤さんのことが気になり、思い切って〇〇さんにご連絡して、奥様のご逝去を知り、無念の思いを痛く抱いたことがありました。
〇〇さんはお忘れになっていたから、これは夢かもしれません。
その後、以後この間、3回、佐藤さんの奥様の夢を見ました。
最後は先ほどのコロナ騒動初期のときで、佐藤さん宛てに思い切って手紙を書きましたが、長文、意に満たず破棄しました。

以上が、数日前に私に直接届いたメールの文面です。

この友人が、私との共通の友人の〇〇さんに託して送ってくれてメールと私との再会の後、改めて私に直接送ってくれたメールがあるので、同じような文章が2つあるのです。

節子が3回も友人の夢に登場したとは驚きです。
しかも最近では3年前ですから。
私の夢にはあまり出てこないのに、困ったものです。

しかしなぜ、友人の夢にまで出かけて行ったのでしょうか。
もしかして、縁を戻しておきたかったのでしょうか。

ちなみに私は一度会った人は基本的に大事にしています。
しかし言葉遣いが悪いこともあって、時々、相手の気分を害してしまい、怒って帰ってしまう人や、付き合いを切ってくる人もいないわけではありません。
でも、ほぼ例外なく、そうした人もまた戻ってくる。
その例外が、この友人だったのです。
だからそれを修復しようとしてくれたのかもしれません。

いずれにしろ彼との交流は再開されました。
そこで改めて過去を振り返ったのですが、親しく付き合っていたのに縁が切れてしまった友人は、もう2人います。
一人は縁遠くなっただけですが、忘れたことはありません。
もうひとりは先方から絶縁を言い渡され、その数年後に詫び状が届きましたが、そのw尾錠に反応しなかったような気がします。まさに節子と一緒に人生を苦闘していたころだったからかもしれません。
幸いにそれ以外には、思い当たりません。
湯島から怒って出て行った人もみんなまた戻ってきていますから。

今回の友人との再会も、節子に感謝しなければいけません。
でもまあ、私の夢にももう少し真面目に登場してほしいものです。
本当に困ったものです。

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2023/02/06

■節子への挽歌5513:前に進もうとしている人たちに会うと元気が出ます

節子

この挽歌を読んでくれている人もいます。
ちょっと調子がよくないと書くと、心配してメールをくれる方もいます。
昨日は、挽歌が復活してよかったという電話が来ました。   
挽歌の復活は、私の復活でもあるのかもしれません。

昨日のサロンには意外な人がやってきました。
最近はサロンは行き場のない人たちのたまり場という一面も持ち出しているのですが、そうではなく前に向かって進みだしている人もやって来てくれます。
昨日はそういう若者がきてくれました。
元気そうで新しい生き方に取り組んでいます。生きにくさはそう変わらないようです、前に向かって進んでいれば、地平は必ず開けます。

前日にこのサロンのことを知って、飛び入りした女性もいます。
銀座でお店をやっていた女性ですが、彼女もまた生き方を変えようとしているようです。
彼女も前に進んでいこうとしています。

前に向かって進んでいる人に会うと、元気が出ます。
私は、最近、前に進むのを止めてしまっています。
この歳で前に進んでいくと静かな終焉を迎えられなさそうだということを口実にしていますが、実はそうではなくて、ただ動けなくなっているだけなのです。

それに世界は大体見えてきてしまったような気もします。
来世もあるし、まあここは一休みもいいかなという気もします。

来世といえば、最近、田坂広志さんの「死は存在しない」を読みました。
ゼロ・ポイント・フィールド仮説というのが展開されていますが、ほぼ共感できます。
時空間が遍在的だというのは、私の子ども時代からの感覚でもあります。
手塚治虫の「火の鳥」の思想でもありますし、私の生活信条にもつながっています。
違うのは、私の場合は、まだ来世を確信していることですが、来世仮説を持ち出すと話はややこしくなり、論理的に破綻します。
しかし、まあ破綻もいいでしょう。

挽歌をまた書きだしたら、あまりに書きたいことが多くて、話が「破綻」してしまいました。
今日は陽射しも明るくあたたかくなるようです。
暖かくなると私の気分も動き出します。
また、後で、昨日の挽歌の続きを書こうと思います。

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2023/02/05

■節子への挽歌5512:20年ぶりの友人がやってきました

節子

今日も寒いです。でも日の出の様子からはいい天気になりそうです。

挽歌を書かなかった間にいろんなことがありました。
そのいくつかを書いていくことにします。
どこからにしましょうか。まずは節子に絡んだ話からがいいですね。

先月、20年ぶりくらいに交流を立っていた人が湯島にやってきました。
節子も知っている人です。
彼とはいろいろとあって、先方から交流を立っていたのです。

私は「来る者は拒まず、去る者は追わず」という生き方をしていますので、ずっと忘れていました。
ところが、1か月ほど前に、書類を整理していた、彼の母親から頂いた手紙が出てきました。ていねいな手書きの手紙でしたが、いまも覚えています。
その時はともかく「思い出」に浸らずにばっさりと捨てるという姿勢で書類を整理していましたので、読み直すことなく廃棄してしまったと思います。

その内容はいまもはっきりと覚えています。
息子をよろしくお願いしますと言う内容でした。
その頃は、彼とはとてもいい関係で、彼に仕事を紹介したりしていました。
ところがその仕事で問題が起こり、それが彼が私から去った理由です。
その後始末はかなり大変でした。

彼からのメールにはこんなことが書かれていました。

本当に久しくご無沙汰しておりました。済みません。
再びお目にかかれて、嬉しく存じました。
天来のように胸コロナ禍騒動が始まったころ、ふと死ぬ前に再びお会いしておきたい人はと、心を過ぎた人たちのお一人に、佐藤さんがありました。
(中略)
私の不始末から近い後の頃、佐藤修さんの危機、とでもいうべき直感の衝撃が、天来のように胸を打ちました。たまらず、〇〇さん(私との共通の友人です)にお電話したのでした。それで、奥様のご逝去を知り、無念の思いを痛く抱いたことがありました。

その時には私には連絡がしにくかったのでしょう。
以来、しかし、数回にわたり節子が彼の夢枕に立ったのだそうです。
そんなこともあって、彼は勇を鼓して湯島に来てくれたのです。

ただ彼が今回、湯島に来るには、またあることが契機になったのです。

彼の母親からの手紙、彼が湯島に来るきっかけ、いずれもあまりに偶然すぎる。
しかし、そのおかげで、彼との交流が復活したことは、私にはとてもうれしいことです。

さてこれから何が始まるのでしょうか。

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2023/02/04

■節子への挽歌5511:死者は永遠の生を得る

節子

今日は節子の誕生日です。
もし現世にいたら、今年で78歳です。

お墓に花を供えに行ってきました。
誕生日なので明るい花をユカが選んでくれました。それに家に庭で咲いている黄色の水仙も一緒に。

78歳の節子は想像ができません。
私の世界の中では、節子はまだ62歳のままです。
死者は、遺された人の世界では年を取らないことに気づきました。
つまり、永遠の生を得るのです。

それは同時に、節子を思い出すときの私の年齢もまた年取っていないような気がします。
たとえば、両親を見送った人にとっては、両親を思い出すたびに、自らが子どもになっていることを思えば、わかってもらえるでしょう。

死者は永遠の生を得る。
最近ようやくそれに気づきました。

それはともかく、最近また挽歌が書けていません。
今年こそはと思っていたのですが、今年は年明けからいろんなことがありました。

それに最近、たくさんの夢も見る。
その夢が、なぜか彼岸を思わせることも少なくないのです。
節子も出てきます。いやそれ以上に、すっかり忘れてしまっていた人も出てくる。
なかには私の知らない、つまり今生の現世では会っていない人も出てくる。

なんだか最近は現世と彼岸とを行き来しているような気さえするのです。
まあだからそれが挽歌を書けなくなった理由とも言えません。

書きたいことはむしろ増えてきていますが、なにやら現世にいるうちにやっておきたいことが増えてきているのかもしれません。


いずれにしろ今日は節子の誕生日。
今日を機に、今度こそ挽歌をまた書きだします。
年内には挽歌の番号も、節子がいなくなってからの日数に追いつくようにしようと思います。

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2023/02/03

■細い血管がつながりました?

今日は脳神経外科の定期検査です。
脳の細い血管が2本消えかかっていたのが数年前に確認され、以來、薬を飲みながら、定期的にいろいろと検査を受けています。
今日は半年ぶりのMRI検査でしたが、なんとこれまで画像では繋がっていなかった血管に細い繋がりがみえるようになっていました。医師も薬では回復しないのだがというのですが、間違いなく前回の状況とは違います。次回はもっと太くなっているでしょうか。病院に来るのが楽しみになりました。

つづいて膵臓炎のフォローで外科へ。
血液検査結果ではもう異状はなく、薬も不要とのこと。
まあそう思って、こちらの薬は自発的にほとんどやめていましたが、正解でした。

この病院の外科の医師は4人いますが、毎回違う医師が対応してくれ、しかも言うことが違います。だから病院を変えたかったのですが、幸か不幸か、もう来なくてもいいし、薬も飲まなくていいそうです。解放されたようでホッとしました。

胆嚢の摘出も個人判断とのことで、「お薦め」はありませんでした。患者の相談に乗るのが医師の仕事だと私は思っていたのですが、最近は事実を知らせるのが医師の仕事のようです。医師とは気楽な商売になったものだと思います。たぶん医師の仕事はまもなくAIに代わっていくでしょう。

いずれにしろ、2月に胆嚢摘出手術をしようかと思っていましたが、やめました。胆嚢の胆石を持ったまま天寿を全うする人もいると今日の医師は言いましたが、私の場合は、死ぬときが天寿を全うする時ですので、手術することもないかなと思いだしています。特に、この病院では手術はしたくありません。そういう場合、どうすればいいのか。かかりつけのお医者さんに頼んだのですが、最近は病院の紹介も難しいようです。

私は近くの慈恵医大の病院で精密検査と手術をしたいのですが、どうやって行けばいいかまだ分からないので、少し様子見することにしました。まあ、もう少し天寿は残っているでしょうから。

そんなわけで、もうしばらくみなさんのお世話になりそうです。

 

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2023/02/01

■湯島サロン「市会議員選挙に立候補して考えたこと」報告

今年からまた「政治」に関わるサロンを継続的に開催していきますが、その第1回目として、昨年末、市議会議員選挙に立候補し、残念ながら落選した石井嘉隆さんから、その体験とそれを契機に改めて地域政治に関わっていこうと決意した経緯や展望などを話してもらいました。

ちなみに、石井さんはこれまで特に「政治」との接点はなく、今回もまったくの「市民の一人」として立候補しました。選挙は何もかも、初めての体験。落選したものの、その体験はとても楽しく、しかも人生の次の展開につながりそうだと言います。

10人ほどの現職の自治体議員にもサロンのお誘いをしたのですが、残念ながら地域イベントに参加するなどの理由で参加できない人が多く、実際に参加したのはおひとりだけでした。ここにも今の自治体議会議員が何をやっているか垣間見える気がします。

Ishii2023012900

石井さんは、まず「なぜ立候補したか」を自らの生い立ちから話し出しました。政治や行政とはあまり縁もなく生きてきたため、立候補を決意してからも、何をやっていいかわからず、その分野の先輩の指導を受けながら、いわゆる「選挙活動」に取り組んだそうです。
ちなみに石井さんは無所属で立候補しましたが、最近は市議会議員選挙まで政党に属していないと選挙活動もしにくくなってきているようです。

そのせいか、私が住んでいる我孫子市でも政党に所属する立候補者が増えています。市町村議会にまで政党支配に置かれてきている状況は、地方自治の劣化につながると思いますが(自治と分権は方向性が真逆です)、その流れは強まってきています。素人の私から見ても、政党に所属していると選挙では圧倒的に有利なのがわかりますから、立候補者には政党からの誘いは魅力的なのでしょう。
しかし、そこから変えていかないと社会は変わらないでしょう。いつかそんな問題も、このシリーズのサロンでは議論したいと思っています。

石井さんは、立候補の際の供託金や選挙活動費用がどのくらいかかったかも少し話してくれました。その話を聞いていると、自分たちで選挙活動をやろうとするならば、手の届く範囲の金額のようです。ただ問題はどうも、お金の問題よりも手続きの難しさで、それが普通の市民の立候補の制約になっているようにも感じました。

ここでも興味ある話がいろいろと出てきたのですが、オフレコなので報告は差し控えます。私の憤りの念はかなり高まりましたが。

ところで石井さんは、立候補したことで市役所に行く機会が増えたそうですが、それによって市の行政に関しても理解が深まり、つながりも増えたようです。そうなると自ずと地域の問題への関心も高まっていく。
そして、市議会議員にはなれなかったものの、市民としての地域活動はできることがいろいろとあることに気づいたようです。もっとも石井さんは立候補前から、そうした地域づくりに向けての活動はいろいろとやっていたのですが、行政との連携などが見えてきたのかもしれません。

いずれにしろ立候補することで、地域とのかかわり方が変化することはあるようです。そういう意味で、選挙というのは意味を持っていることに気づきました。立候補には至らなくても、選挙の時にだれに投票すればいいかなどと言っているのではなく、近くの立候補者の事務所に顔を出して話を聞くだけでも政治への関心は変わるかもしれません。国政選挙ではそう簡単には顔を出せないでしょうが、地方選挙の場合は気楽に顔を出しても歓迎されるはずです。

話し合いでは、たとえばタウンミーティングの話や議員報酬の話、首長交代と行政の継続性の問題、行政と地方議員と国会議員との役割の違いなど、いろいろと出ました。

たまたま昨年話題になった杉並区の岸本区長の支援者も参加していて、当選後の状況の話を少ししてくれました。そこには、自治体の行政と市民活動との関係に関して考えさせられる話も出ました。
市民活動と自治体行政とは本来は共振するはずですが、残念ながら現在の日本の自治状況の中では、むしろ対立しがちなのかもしれません。地域分権と地域自治とは似て非なる状況なのです。

参加者の一人から、政治への関心を高めるためにも、生活者(主婦や高齢者、学生、子どもなど)の目線を捉える課題解決が必要で、そこから政治を変えていけるのではないか。その意味でも地方政治は重要だという意見がありました。

その一方で、生活レベルの政治もいいが、地域政治にあっても安全保障や憲法問題も大事ではないかという指摘もありました。それに関しては、地方政治では実際には解決できないことも多く、問題のすり替えにされかねないので、地方議員の使命(責務)を基軸に活動しているという現職の議員の参加者の発言もありました。

ところで石井さんは落選後、立候補者に声をかけて、市民に呼びかけて選挙を振り返っての集会を開いたそうです。実際に石井さんの呼びかけで参加してくれた立候補者はあまりいなかったようですが、そういう集まりを開催するだけでも大きな意味がありそうです。

石井さんは、これからも地域課題をテーマにした学習会や話し合いの場を開催していく予定だそうです。子どもたちの議会傍聴活動にも関心をお持ちです。議員にはなれませんでしたが、市民の一人として、取り組めることをいろいろと見つけたようです。そうした活動を通して新しいネットワークも広がっていくでしょう。そしてまた時期が来たら、地方政治に参加していく再挑戦するかもしれません。

サロン終了後、参加者から2つの声が届きました。
一つは、自分でも立候補できそうだと感じたので立候補を考えてみたいという声。
もう一つは現職の議員の話をもっと聞きたいという声。
いずれも地域政治への関心が高まったと言えると思います。

このテーマのサロンは、引き続き継続します。
現職議員や元議員の方で話題提供していただける方、あるいは参加者に問いかけたいことがある方、ぜひサロンをやってくれませんか。

政治は決して私たちの生活と縁遠くはなく、隣り合わせにあることをもっと多くの人に気づいてほしいと思っています。そこからこそ、日本の政治は変わっていくでしょうから。
サロンをやってもいいという方、ぜひ私(qzy00757@nifty.com)までご連絡ください。

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■湯島サロン「復学して考えたこと」のご案内

若い世代からはいまの社会はどう見えているのか、とても気になっています。
先入観の多い私たちの世代にはもう今の社会はなかなか見えなくなってきていますので。

湯島のサロンに参加してくれている大学生の川端さんは、昨今の経済のあり方には違和感があったようで、「経済」を学ぼうと大学に入りましたが、どうも期待していたような学びが難しいと感じていました。私はその頃、川端さんに会いました。

その直後、コロナ騒ぎで大学での学びもいろいろと制約が出てきた。それを契機に、川端さんはしばらく休学して、学びの場を社会において、経済を実践的に学んでいました。

そして昨年、同じように実践的に学びをつづけている先輩の言動に触発されて、大学に復学し、いままた積極的に学びだしています。
大学が湯島の近くなので、授業の合間に時々、湯島に顔を出してくれて、私は彼の話を聞く機会に恵まれています。
川端さんから聞く話はいずれもとても興味深いものです。

そんな彼が、「復学して考えたこと」をサロンで話したいと言ってきました。
コロナに振り回されたこの3年間は、社会の実相を見る絶好の期間だったような気がします。しかし多くの人は、外出を自制し、行動範囲を狭めていた。しかしその間に、社会は大きく変わってしまった。いや変えられてしまった。そんな気がしています。
そういう時期を、閉じこもることなく社会と積極的にかかわってきた若い世代が感じたことを知るいい機会です。
私も川端さんの話をぜひ聞きたいと思って、サロンをお願いすることにしました。

どんな話になるか全くわかりません。
どんなサロンになるかもわからない。
でも間違いなく、示唆に富むたくさんの気づきを得られるサロンになるでしょう。

とりわけ先入観に呪縛されている中高年世代の人に参加してほしいと思いますが、今を真剣に生きている若い世代の人にもぜひ参加してほしいサロンです。
そして、真摯な議論が飛び交うサロンになればと思っています。

〇日時:2023年2月23日(祝祭日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「復学して考えたこと」
〇話題提供者:川端修平さん(経済学を学ぶ大学生)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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