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2023/02/11

■節子への挽歌5520:葬儀を連想させる朝  

節子

今日は父の命日です。
あの日も、寒い日でした。
まだ会社に所属していたおかげで、職場の社員たちが手伝いに来てくれました。

自宅での葬儀だったので、大変でした。
私も最初の喪主だったたため、対応がわからずに、みんなには迷惑をかけただけだったでしょう。

その後、母はお寺で見送り、節子は葬儀会社のホールで見送りました。
いま思えば、節子もやはり自宅で見送るべきでした。
節子はそれを望んでいましたから。

しかし、家族葬的にやろうと思っていたにもかかわらず、友人たちが訃報を流したおかげで、当日は予想以上の人たちがきてくれました。
当時はまだ、葬儀は社会通念として生きていたのです。

しかし最近は、コロナ騒ぎを契機に、葬儀不要論や葬儀縮小論が広がり、この3年、私もかつてのような葬儀に行ったことがありません。
あらためて考えてみれば、かつての葬儀はやはり形式に堕していた気もします。
節子の葬儀の時も、最初は様子がわからず、葬儀社の言うなりでしたが、それでもいろいろと自分で判断して行動を変えたところもあります。
その時には、葬儀が終わったら、葬儀社のアドバイザーになろうかと真剣に思ったほどでした。

しかし最近は少し考えが変わってきました。
葬儀はやはり心を込めて見送ってくれる人だけでやるのがいいような気がします。
さらに言えば、生きている間に、葬儀ができれば一番いいなとも思います。
私の場合は、できればそういうスタイルをとりたい気がしますが、まだ名案が浮かびません。

昨日は東京は雪でしたが、我孫子は少しちらついただけでした。
期待した雪景色は見られませんが、でも空気が浄化されたようで、今朝の陽射しは昨日以上に眩しいです。まるで雪が降った翌朝のようです。
朝焼けもとてもきれいでした。

雪化粧の朝と葬儀は、なぜか私の世界の中ではつながっています。
この静けさも、葬儀を思い出させます。
父への思いも込めて、今朝は般若心経を唱えました。

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