■節子への挽歌5512:20年ぶりの友人がやってきました
節子
今日も寒いです。でも日の出の様子からはいい天気になりそうです。
挽歌を書かなかった間にいろんなことがありました。
そのいくつかを書いていくことにします。
どこからにしましょうか。まずは節子に絡んだ話からがいいですね。
先月、20年ぶりくらいに交流を立っていた人が湯島にやってきました。
節子も知っている人です。
彼とはいろいろとあって、先方から交流を立っていたのです。
私は「来る者は拒まず、去る者は追わず」という生き方をしていますので、ずっと忘れていました。
ところが、1か月ほど前に、書類を整理していた、彼の母親から頂いた手紙が出てきました。ていねいな手書きの手紙でしたが、いまも覚えています。
その時はともかく「思い出」に浸らずにばっさりと捨てるという姿勢で書類を整理していましたので、読み直すことなく廃棄してしまったと思います。
その内容はいまもはっきりと覚えています。
息子をよろしくお願いしますと言う内容でした。
その頃は、彼とはとてもいい関係で、彼に仕事を紹介したりしていました。
ところがその仕事で問題が起こり、それが彼が私から去った理由です。
その後始末はかなり大変でした。
彼からのメールにはこんなことが書かれていました。
本当に久しくご無沙汰しておりました。済みません。
再びお目にかかれて、嬉しく存じました。
天来のように胸コロナ禍騒動が始まったころ、ふと死ぬ前に再びお会いしておきたい人はと、心を過ぎた人たちのお一人に、佐藤さんがありました。
(中略)
私の不始末から近い後の頃、佐藤修さんの危機、とでもいうべき直感の衝撃が、天来のように胸を打ちました。たまらず、〇〇さん(私との共通の友人です)にお電話したのでした。それで、奥様のご逝去を知り、無念の思いを痛く抱いたことがありました。
その時には私には連絡がしにくかったのでしょう。
以来、しかし、数回にわたり節子が彼の夢枕に立ったのだそうです。
そんなこともあって、彼は勇を鼓して湯島に来てくれたのです。
ただ彼が今回、湯島に来るには、またあることが契機になったのです。
彼の母親からの手紙、彼が湯島に来るきっかけ、いずれもあまりに偶然すぎる。
しかし、そのおかげで、彼との交流が復活したことは、私にはとてもうれしいことです。
さてこれから何が始まるのでしょうか。
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