■節子への挽歌5529:私の在世期限が迫っているのではないか?
節子
もしかしたら、私の現世の滞在期限が迫っているのかもしれません。
今年に入り、縁が切れていた級友からの再訪が続いているのです。
しかもそのほとんどが、いろいろとあった友人たちです。
もちろん私は何とも思っていない場合がほとんどですが、中には「死ぬ前にあっておかなければ」とわざわざ書いてきた人もいます。
今朝も、ある人からメールが届きました。
この人はコロナ騒ぎ前にたしか一度、湯島に来てくれたはずですが、その時にはサロンか何かでゆっくりと話せなかったような気がします。
今年の年賀状に、また湯島に伺ってもいいかと書かれていたので、湯島は去る者は追わず、来る者は拒まずの場所ですからどうぞと伝えていたのです。
その後、また連絡がなかったのですが、今朝、また連絡があったのです。
それにしてもなぜこうもしばらく交流が絶えていた人たちが次々とやってくるのでしょうか。
なんだか私の在世期限が迫っているのではないかという気にさえなってしまいます。
実はそう思わせる兆しはほかにもあります。
まず最近盛んに見る夢です。
実に懐かしい人が次々とやってくる中で、まったく記憶にない人も親しそうに話しかけてくるのです。
さらに、私自身の現世滞在感が弱まっている気もします。
なにか現世と彼岸とのあわいの中に投げ込まれているような気になることさえある。
さてさてどういうことでしょうか。
体調はいいようであまりよくない。
そろそろこの身体から抜け出る時期が近づいているのでしょうか。
でもまあ、もう少し頑張らないといけないので身体維持には努めています。
いま散歩から戻り、これからこの記事をアップしたら、テレビ体操です。
なんだか矛盾している気もしないではありませんが。
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