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2023/02/16

■湯島サロン「ソーシャル・キャピタルの観点から見た日本の劣化」報告

「ソーシャル・キャピタル」という切り口から、日本の社会のあり方を考えてみるという大守隆さんのサロンは申込者が多くて、受付を締め切らせてもらうほどの関心の高さでした。「ソーシャル・キャピタル」に関心を持った方が多かったようです。

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 大守さんは、日本の経済社会の劣化状況を概説してくれた後、「ソーシャル・キャピタル」とは、「社会関係資本」というような訳語もあるが、信頼、つながり、互酬性、ボランティア…など、人と人との関係を含意した非制度的、非市場的な概念で、必ずしも一次元的なものではない、と説明。そのソーシャル・キャピタルという概念から社会の劣化について考えてみたいと話しだしました。

大守さんは、日本のソーシャル・キャピタルは二極分化していると言います。たとえば、治安状況や電車や飛行機などの定時運航などから考えれば信頼度はとても高い一方、いわゆる一般的信頼という面での他者への信頼感は、寄付行為や選挙の投票率、あるいは身勝手な団体行動などにも表れているように低い。そしてその背景には、集団志向があるというのです。「所属している」団体の規律を重視する姿勢が強く、いわゆる「ウチとソト」論、つまり仲間内とよそ者への対応は違う傾向が強いというわけです。

今回、「ソーシャル」とは何かということに関心を持って参加した人もいましたが、内なるソーシャルと外との関係という意味でのソーシャルの、いずれに焦点を合わせるかで、ソーシャル・キャピタルの捉え方も変わってくるのかもしれません。
しかしソーシャルを多層的に捉えたとしても、それらは密接につながっていますし、社会と個人との関係を対立関係で捉えるか、ホロニックな包摂関係で捉えるかによっても、受け止め方はまったく違ってきます。その上、社会の優劣の基準も多様ですから、そう簡単な議論ではないかもしれません。
これは、益田さんのサロンでの議論にもつながっていくテーマです。

しかし、主観的幸福度や生活満足度など広い指標でみても、いまや日本の社会は国際的にみて低位にあり、日本の社会の劣化傾向は否めないと大守さんは言います。時系列的に見ても、日本の社会は劣化傾向にある。なぜこういう状況になってしまったのか。そしてこれからもこの傾向は続くのか。

大守さんは、その背景にあるのも、集団志向が生み出す「空気本意制」とも呼ぶべき社会規範なのではないかと言います。大守さんは「空気本位制の罠」という表現を使い、その歴史的背景も含めて、具体的に説明してくれました。そしてそうした日本のソーシャル・キャピタルのありようが、昨今の日本の社会の劣化を生み出していると分析してくれました。

ここまでは参加者にもあまり異論はなかったと思いますが、大守さんの話はさらに進みます。そして、長年の疑問を追求した結果たどり着いたという、「社会的性選択仮説」を紹介してくれました。

これは、「配偶者の選択が当該個体の属する社会の規範など、社会的要因を考慮して行われることによって、その社会における遺伝子の分布が特定の方向に動いていくこと。遺伝学の発達によって、社交性や協調性などの性格も後天的な要因だけでなく遺伝の影響を受けていることが明らかになってきた。園芸作物の品種改良にみられるように、突然変異が稀であっても、特定の方向に取捨選択が行われれば、比較的短期間のうちに集団の遺伝子の分布は大きく変わり得る。従来、ソーシャル・キャピタルの地域差は、災害や自然条件などによって農業や地域社会の在り方が影響を受けて変容し、それが慣性として残っているために生じていると考えられてきたが、社会的性選択が影響している可能性が考えられる」という、大守さんが提唱している仮説です。

そして大守さんはこう言うのです。

こうした仮説の観点から日本の状況を考えてみると、「出る杭は打たれる」という伝統的な考え方に加え、雇用保障力のあるムラに属し、その空気を忖度し、ムラのボスを目指すような性格を裏付ける遺伝子の比率が高まる方向に濃縮されているのではないか。
そしてそのような性格の人々が増加したことが、そのような処世法が賢いとするような社会規範を強め、遺伝子分布と社会規範とが相互に強め合って(悪?循環)そうした方向に進んでいるのではないか。

かなり思い切った仮説ですが、現状のさまざまな動きを考えれば、いろいろなことが説明しやすくなるような気がします。
この仮説に従えば、日本の社会の劣化は、まだ続きそうです。

だとしたら、どうしたらいいか?
これが大守さんの問いかけでした。

あまりに大きな問題提起だったこともあり、話し合いはそこまで至りませんでしたが、ソーシャルとはなにかとか、多様性のジレンマとか、ミーム(社会的遺伝子)の話とか、そもそも人と出会う機会が減って来たとか、話はいろいろと広がりました。

ソーシャル・キャピタルにつなげて言えば、「不安が高まっている」一方で、「人の触れ合いやつながりが減っている」という話が基調にあったような気がします。
面白かったのは、定年退職などで組織を離れるととたんにつながりが減るという男性の声と定年退職してボランティアを始めたら不安はなくなりつながりが増えたという女性の声が出されたことです。
「不安」と「つながり」の関係は、世代やジェンダーによって違うのかもしれません。

私は、人は出会わなければ信頼も生まれないと思っていますので、出会いやつながりが減っている最近の風潮には不安を感じていますが、どうもそれが正しいとは限らないことに気づきました。不登校やリモート交流が増えたり、マスク文化が広がったりしている状況からわかるように、つながり方や信頼関係のつくり方が変わってきているのかもしれません。それもまた「社会的性選択」や「社会のかたち」にもつながっていく。

私たちの暮らしを支えてくれる大切なもの、というのが私のソーシャル・キャピタルの捉え方だったのですが、今回のサロンでの話し合いで、私にとってのソーシャル・キャピタルの地平はさらに開け、改めて社会(この言葉ほど多義的な言葉はありません)とは何かを考えてみたくなりました。

ちなみに話し合いが終わったところで、大守さんの「社会的性選択仮説」への評価を参加者に訊いてみたら、肯定的な人の方が否定的の人の2倍もいました。なんとなくみんなもそんな感じを受けているようです。

だとしたら、どうしたらいいか?
大守さんの問いかけはしっかりと考えていかなくてはいけないようです。
流れに直接抗うのは、私にはもう遅すぎますが、何かできることはあるかもしれません。

宿題をたくさんもらったサロンでした。

ちなみに、今回は、「ソーシャル・キャピタル」そのものが焦点ではなく、「日本社会の劣化」がテーマでしたが、「ソーシャル・キャピタル」概念そのものに触れていない人も多いことがわかったので、改めて「ソーシャル・キャピタル」そのものを話題にするサロンを3月後半に開催することにしました。追って案内させてもらいます。

また、ソーシャル・キャピタルやソーシャル・ガバメント関連のサロンも、継続的に考えていこうと思っています。問題提起や話題提供したい人がいたらご連絡ください。

社会の劣化は、やはりくい止めなければいけません。

 

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